gurasさんの「夏めろ」の感想

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89夏めろ
変態ゲーだとか抜きゲーだと見聞きしてプレイ開始してみたものの、これはもっと別の「何か」なのかもしれない…。木之本みけさんのシナリオやテキストは初体験なわけですが、作者のエロティシズムに関する独自の哲学めいた物をテキストの端々から感じる…。そんな強烈なエロスを内包する面白いテキストでした。…萌えゲーメインでプレイしていてエロスの新しい扉を開けてみたいという人にぜひ…。
9/1でぶっつりと幕を閉じる物語。おそらくこれよりも先の物語は、どうやっても明るく描ききれなかったのでではないかな。物語性を放棄する事で侵犯による結果を見せてくれないのでエロイまま物語が終わる。とくに橘花の夕日のシーンはお互いに色々と部分的に諦観しちゃってますよね…。「忘れないで。空がこんなに綺麗だったこと」このセリフから何を連想しろと…。この先なんてどうなるか解らないけど、今の素敵な時間を楽しもう。そのテーマを元に語られる各ルートの終わりは、確かに現在幸せそうなのに、先がまったく見えない。萌えゲーだと、こういうのって少ないんですよね。どちらかというと未来まで一緒に居て結婚後の老後すら見えてくる。
先輩との別れをきっかけに成長し、新しい恋人が出来た徹生。そして初めての恋人が出来た彼女達。この子達の未来の姿は読み手次第で、いかようにも想像できるようになっていました。

彼らを高校生とらえると、ものすごく等身大というか。確かに自分もそうだったと思えるくらいに”今”だけを生きていますね。高校くらいだと「受験をして大学へ行く」これよりも先の事なんて、目の前の事で手一杯で、まったく考えてなかったな…。なんて考えてしまってしんみりしてしまった。

(このゲームの登場人物は全て18歳以上です)

どのキャラクター達もとても刹那的に現在を前向きに楽しんでいるんですよね。
「彼女が出来た!」「彼氏が出来た!」という事を、皆ものすごく無邪気に楽しんでいる。主人公はつぐみ相手以外は常に「いけそうだから、いっちゃおう」みたいなものすごい軽い動機で勢いだけで前へと進む。さらに彼女達も彼女達で橘花以外のヒロイン達などは、まるで未来が見えていないかのよう。頭の中身はHの事ばかり。そして彼らの性の構造も、とても動物的で刹那。あまりにも若いエネルギーに溢れていて、大人になった視点からみると彼らの在り方があまりにも危うくてハラハラしてしまう。そして同時にとても羨ましくなる。

彼らはエロゲーでありがちな、大人の価値観で様々な事柄を取捨し、ある程度の計算の上で冷静に恋愛をする少年や少女では無くて、何も考えずに色恋に純粋に溺れてしまう純粋な少年や少女なんですよね。皆はっきりとした自分の色を持って居ないために、相互に影響仕合ながら、あっさりと恋と欲望に溺れ、それを肯定しあう。あまりの若いエクスタシーに村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を連想してしまった。

妄想に近い思考が愛しい相手に受け入れられた場合、いったい自分はどんな行動に出るのだろうと想像する。彼女が出来たらあんな事をしてみよう。彼女と一緒にこんな事をしてみたい。そしてその想像はいとも容易くモラルを凌駕する事も珍しくない。
初めて彼女ができて、より親密に関係を深めて行く行程で、想像していた物とずいぶんと隔たりがあり、禁止と侵犯の間で悩む。浮かれすぎて、どこまでが欲望で、どこからが恋なのか、その線が曖昧になり心を持て余す。そして彼女に対して理性だけではどうにもならないくらいに、どうしようもなく恋に溺れる。その彼女と別れる事になり、恋愛をする事に恐怖を覚え、次の恋愛に躊躇する。

ここで描かれているのは、そういった誰にもあった、限りなく透明に近い青い色をした時代。思春期から大人になるにつれ、モラルという名の下に心に仕舞い込んだ、青春という名前の秘密の箱庭。『夏めろ』の中にあるのは、そういった過去に置き捨てた憧憬の中の世界。

しかし性愛の表現に関してそれは場面を一変する。徹生の内省が優れているために”読み飛ばして”居ないと騙されかける。しっかりと一字一句丁寧に徹生の心理を読んだ結果、その思考に飲まれるとまるで「当たり前」の事をしているような気分にすらなる。


どのシナリオもサディズムとマゾヒズムという視点から、純粋に欲望に溺れて行く様を男(の子)側と女(の子)側の双方の側からとても魅力的に描いている。そのためノーマルな人ですら、どうやって人間がマゾヒズムに目覚めて行くのか、そしてサディズムに目覚めて行くのか、それが良く解る。つぐみ様や蘭様のシナリオ等は、徹生が自らの性を醜いと考える所から始まり、マゾヒズムの構造みたいな物を、ものすごく解り易く敷居を下げて教えてくれている。性愛における相手の幸せを論理的に内省し自己の幸せに投影してみせたり、徹生の思考は本当に芸が細かい。どのシナリオでも描いているのは、お互いの持つコンプレックスを相互理解し越えた先。お前どこのマゾッホだよと。

徹生、そして彼女達の感情の根元にあるのは、ものすごく無邪気な”誰よりも”、相手の事をもっと知りたい、相手の事をもっと理解したい、自分の事をもっと知って欲しい、自分の気持ちをもっと理解してもらいたい、という、極自然な恋の感情。その気持ちがとても無邪気な形で、時に相手の全てを支配したい欲求として(それは知りたいという事)、時に相手に全てを委ね支配されたい欲求として(それは知ってもらいたいという事)、徹生の、そして彼女達の心の中それぞれに芽生える。それはとても単純な個々の「独占欲」。それはエゴの押し付けかも知れない。でもコンプレックスで凝り固まった彼らにはそれは必要な儀式だった。誰よりも特別な関係を築くために体を合わせる。それは誰よりも仲良くありたいという単純な性的欲求。『夏めろ』において、その感情はSとMという形を取るが、根元の部分は全く変わらない。

徹生は先輩との別れを経て「彼女になっても、いつか別れはくる。その別れが怖い。自分には上手くやって行く自信が無い」という人との付き合いに対して恐怖を抱くようになる。物語のトリガーは夢の中の先輩からの電話。そして物語が動き出すのは実際の先輩からの電話。それは夢(先輩との幸せだった記憶)に現実が追いついてきたという事。その意味は自分の過去(コンプレックス)との前向きな邂逅。「幸せだった」という先輩の言葉で徹生は救われる。そこで徹生は”あの付き合いは自分にとっても幸せだったのではないか?悪い事ではなかったのではないか?”と考える。徹生が受け止める側になるのも、最初に躊躇するのも、極端な行動に出るのも先輩との別れの経験ゆえのコンプレックスから発生した物。あの時の失敗を繰返さないように、徹底的な内省を経て物語の中で徹生は”二人が離れ離れになるような事が無いように””二人の関係が崩れてしまわないように”そのためだけに全力を尽くす。その結果必ず訪れてしまうであろう別れ。それが徹生の中にある絶対の恐怖。彼女達にとって徹生は初めての相手。だから徹生にとって過去の自分と重なる。だからどうしても大切にしたい。自分のような思いをさせたくない。今度こそは優しくしてあげたい。その差が関係として如実に現れる。時に相手のコンプレックスを逆に褒めて自信に変えさせる。そして時には相手のコンプレックスのぶつけ先になり相手のアイデンティティの全てを受け入れる。SとMと形態は違えど徹生の行動と思考は常に一貫していた。しかもそれを徹生は、好きな相手に喜んでもらいたい一心でほとんど無意識に行う。そして彼らは体をあわせる中で、お互いの個性(主にコンプレックス)を、より深く受け入れあう事で、より絆を深めていく。彼らの、とくに徹生の行っている精神活動はかなり高度な物だと私は思います。エロゲーがこういった構造的な物を意識するというのは極めて異例。この作品の飛びぬけた特質の一つだと思います。

S属性持ちのつぐみ様と蘭様。M属性持ちの秋と美夏。さらにちょっと違うが調教されちゃった橘花。それぞれで快楽を得るまでのプロセスが、まるで違うというのも、なかなか面白かった。木之本みけさんは、ドゥルーズが「マゾッホとサド」の中で言っている、「マゾヒズムはサディズムの裏返しではない」という視点からSMを見ていて、この視点のための徹生のキャラクターだったのかなと邪推してしまう。美夏の「誘い受け」と橘花の「受け」なんて、同じMなのにまったく逆の視点ですからね。さらに言えば、SであるつぐみとMである美夏の思考はほぼ同一の物。この辺りの女の子側の心理的な対比とSとMの関係性の描写が非常に面白い。

主人公の徹生はS時もM時も常に「俺はダメな人間だなぁ。みっともないなぁ。でも気持ちいいんだよね。やりたいなぁ。」と思考して否定と肯定を繰り返し、最後には若さゆえに欲望が理性を越える(もっぱら蘭様に責められる部分)。そして性愛の形態は違えど女の子達とえっちして「相手は喜んでるし、自分も気持ちいいし、これでもいいや。俺は今幸せ。」なんてな発想にまで行き着く(惚れた弱みって奴ですね)。この辺りがとてもマゾッホ的。徹生の内省を見て解る通り、徹生は理性で「これは色々とダメだろう」って解ってるんですよね。散々内省した果ての結論で「相手もそれを求めている」「自分も相手が喜んでいるのなら」だからこそ「まあいいか」となる。そしてその思考で我々読者まで一緒に徹生に「まあいいか」と説得されてしまう。

作品の「日常である」という空気から無難な萌えゲーだと思い安心して徹生に感情移入する。その中で徹生が倒錯した行為を実行しつつ、それを論理的に「これでもいいのだ」と肯定する。つぐみシナリオにおける”インセスト”の扱いにそれが一番出ている。つぐみは目隠し効果まで使い懸命に誘惑するも乗ってこない徹生。これは間違っている。悪い事をしているのだ。二人にとって良くない。それを認識した上で、それを徹生は内省の中で、具体的に、論理的に、最後には感情論で肯定しきる。ノーガードで自己投影レベルで感情移入を実行している人は、徹生のその心理を読み掴むことで、まるで自らの眠らせている「恥ずべき情念(エロティシズム)」をも肯定されたような気分になる。これが、木之本みけ脅威のメカニズム。

我々が感じる事のできる「エロティシズム」というものは、ある「事象」そのものを我々がエロティシズムと感じるのではなく、ある「事象」に喚起された「情感」をエロティシズムであると判断する。性行為を成せば、自動的にエロティシズムが生まれるわけではない。そしてそれは日常に生きる我々だからこそ、それは限りなく日常に近い環境で生まれる物。その事を良く理解できているライターだなと感じました。

のんきな日常を思わせる牧歌的な世界観と素顔が素朴なキャラクター達。素朴な背景CGやキャラクターCGに、まったりとのどかなBGM。ここまでは非常に萌えゲー的。その中で恋愛の構造と性の構造を恥ずかしいくらいに、とても赤裸々に描いている。人間は生きている限り普段あまり意識せず、日常の中で無意識に様々な事を思考し禁止している。その禁止(日常)への侵犯(非日常)をあまり赤裸々に体系化して書かれてしまうと、ちょっと心のどこかで引いてしまう。これは萌えゲーの持つロマン主義的な恋愛観とは相反する性質を持っていますからね。だから、この作品を「変態性欲」であると判断してしまう。そういった精神的なフィルターでありブレーキ。それがこの作品に対する禁止の正体では無いだろうか。そしてそのフィルターで避けている部分を徹生が、徹底的に、論理的に、具体的に、ひたすら思考して、その結論としてそれを「肯定」する。この思考に自分の感情を乗せていると、いつのまにか自分まで「これもアリだよね」なんて考えて居たりして驚かされる。

人間の場合は、フロイトあたりの言っている快楽原則や現実原則に基づく精神活動の一環としてセックスをしていたりするので、性に関してとてもナイーブなんですよね。本来は無意識の内にものすごく押さえ込んでいるんです。ですから一たび快楽に流されると大変。その事を認識しつつ日常を生きている。自我がそれを快楽と認識してしまうと、抵抗する事は大変難しい物となる。それは誰もが経験から得ている情報から理解して、理性を使い、無意識に禁止し、また無意識に侵犯する部分。そういった無意識の精神活動と現実との擦り合わせ。理性を失う。タガが外れる。冷静な判断ができない。そういった精神に効く毒。毒というよりも麻薬かも知れない。だからそれを我々が子供の時代に、大人と社会という存在が徹底的に妨害する。そしてそれはゆっくりと時間を掛けて、それぞれの心理の内側に根付く。


これはもう十分に「性の文学」と言えるのではないでしょうか。木之本みけというライターの独自の思想に基づく「性」の方法論。ここまでくるともう哲学という領域に足を踏み入れていると思う。徹生の思考に乗せて様々な作者達の思想が、文字通り”炸裂”する。「エロゲーに学ぶエロティシズム」だとか「エロゲーに学ぶインセスト・タブー」だとか「エロゲーに学ぶサディズムとマゾヒズムの構造哲学」そういうサブタイトルを付けたくなるような、ノーマルな人間をいきなり変な方向へと開花させかねない作品になっていた。性欲の無制限な発露は気持ちいい。禁止への侵犯は気持ちいい。サディズムとマゾヒズムは悲劇では無い。これらも心を通わせる愛の形なのだ。そういう作者達の意思が”炸裂”していた。

夢幻廻廊や少女連鎖等は抜きゲー色が強く、ジャンル特性がそのままPRになっているために、パッケージからして人を選ぶ。しかしこれは一見すると、絵から、テキストから、シナリオから、音楽から、世界観から、PRからして普通の萌えゲーにしか見えず、人を選びはするが、逆の方面からの需要しか無さそうなのも実にいやらしい。これで禁忌的な物を真正面から扱うのは、萌えゲー慣れしてしまって居ると、まさにトラップ。気が付かないうちにバックリと開いた禁忌の顎に吸い込まれているかもしれない。このゲームに触れて感化されて「新しい自分と出会いました。今はとても満ち足りてます。」みたいな変な属性を開花させてしまうエロゲーマーが出てしまうのではないかと心配になってしまう。

絵もいいですね。私の中の絵師しろさんの描くキャラクターのイメージといえば「無垢」。これもきっとトラップ。無垢な者を汚す、穢れて行くという禁止性。それを己の手で行うという侵犯、これもやはりエロイ。最初はエロさの緩衝材やオブラート的な物かと思いましたが、オブラートどころかエロスの加速装置になっていた。本来、人間は視覚を寄り代にして興奮する物なんですよ。だからグラビアという物が存在する。しかし、それが当たり前になってしまうとどうだろう。グラビアだけではオーガズムを覚えられなくなる。そこから先にあるのはより深い精神性。必要になるのは妄想を形にし、視覚に訴えるためのイメージソース。それがエロゲーにおけるCGの役割。しろさんの絵は木之本みけさんというライターの描く世界のイメージソースとして、これ以上無い破壊力を秘めていました。

この人は記号(萌えゲー)的な「恋」という奇麗事が、あまり好きじゃないのかな。あまり男にも女にも夢を持ってないというか、やたらと現実感がチラ付く。性愛をロマンティシズムでまったく見てない。恋が成就したからセックスだ!というのは現実でもそう変わらないですが、セックスが最終的なエロゲー的な恋愛の帰結ではなくて、セックスできる関係になったからこそお互いを理解しなければ!みたいな相互理解の始まりとして扱っているのがとても面白い。幻想的な男女の性愛では無くて、在り方がとても生々しい物になっている。キャラクター自体は萌えゲー的なのにも関わらず、イベントには王道外しが散見されますし、全体を通してとてもアンチ萌えゲー的。独自色が強すぎて、いわゆる恋愛ゲーや抜きーという枠には収まりきれないタイプの作品になってしまっていますね。エロティシズムという物が恋愛の究極の形とするのなら、この作品は究極の恋愛ゲームと言えるのかも知れない。

日常の中に潜む様々な「エロティシズム」。文学というジャンルだとたびたびテーマにされる事がありますが、それと同じレベルのテーマを軸にしたプロセスの解析をエロゲー、それも萌えゲーでやってしまった。エロゲーという元より性を扱ったメルヘンだからこその、表現媒体としての限界の高さ。あくまで「性」について当事者達の視点から描ききった作者の入魂の一作。そこには作者の思想が存分に”炸裂”していた。


ここで終わるからこそ、ぎりぎり「萌えゲー」として作者の「哲学的」な部分を両立しつつ物語を綺麗に閉じる事に成功し、不思議な魅力を放つ作品になれているような気がします。この素材でマッタリと終わらせてしまったのは本当にすごい事だと思う。この終わり方は個人的には良かったと思います。妙な切なさが胸に残り、なかなか気分の良い終わり方ではないでしょうか。起承で終わってるからいいのでしょうね。転結まで繋いだら相当クドい物語になっていたはず。ここまでキャラクター達から若さを感じるエロゲーって「C†C」や「こんにゃく」や「つよきす」以来ですね。主人公、ヒロインひっくるめて皆とても純粋でバカでスケベで愛しい。なかなか面白かったです。

木之本みけさんというライター、ちょっと底が知れませんね…。萌えゲーに、ここまでストレートにエロティシズムを嫌味無く持ち込めるライターって、なかなか居ないんじゃないかな。「変態」とライターが揶揄され愛されているのも、なるほど納得が行く。これ、最初からプレイヤーが構えて挑むような、インモラル系の作品とは、まったく違いますからね。

私の好きな作家に関川 夏央という人がいるのですが、その人の言葉の中にこんな物があります。

――――人間は食べなれたものが一番うまい

――――過度のご馳走は悦楽ではなく恐怖である

人にとって性という概念は食に通じる物であると私は考えているのですが、「食は『社会関係そのものを食べる』行為」とする関川 夏央の思想は「夏めろ」を説明する上でとても解り易い。木之本みけというライターは、私たちが食べなれた物のように装い、恐怖を感じない程度の適度なバランスで提出してきた。その料理は食べなれた「日常」。憧憬の中にある男女の関係を食べる。そういう事なのだと思う。それが変態的でありながら、なぜか牧歌的という、相反する要素を上手くまとめあげている物の正体では無いかなと自分は思います。それが日常の中に眠る、我々が無意識に思考しているエロティシズム。
シスターコンプレックス。魔法とHの関係。これもやった事ありませんがちょっと興味出てきてしまいました。



なんだかんだと長文になりましたが、結局は難しい事考えずに”変態ゲー”として楽しむのが『夏めろ』という作品の一番良い楽しみ方なのかもしれません。普通の恋愛ゲーでも抜きゲーでも無い。やはり「変態ゲー」と言ってしまうのが一番しっくりと来る。「変態ゲー」と一番最初にこの作品を批評した人、素晴らしい解釈だと思います。私もこれは変態ゲームだと思います。それも変態的なゲームというよりも「変態を養成する」ような。

小児性愛、近親相姦、マゾヒズム、サディズム、性的フェティシズム。いわゆる変態性欲(性的倒錯)のバーゲンセール。青い性を正直に描いていたら偶然こうなったのか。エロティシズムを描くのに青い性という素材を使ったのか。ライターの意図がどちらなのか正直微妙なところではありますが。狙ってエロティシズムを語っているのだとしたら、このライターはヤバイ。

作品から泉のように湧き出す、その若いエクスタシーは、私の中に眠る(やむなく眠らせている)青いスケベ心を存分に炙り出してくださいました。

いやはや…プリリンにガッカリして傷心のままに他のゴミと一緒に売りに向かったソフマップ。そこで出会った、「これなんてシンフォニックレイン?」から始まったこの物語。しっかりと私の中に一つの足跡を残していってくれました…。しかし色々と許容できない部分も多いので点数付けにかなり困ってたり…。恋愛と性についての心理描写は、とんでもなく濃いのですが、とくに物語に感動したわけでも無いし、そもそもその物語自体は短く薄いし、正直何点にするのが自分にとって妥当なのかまったく解らない。あきらかに”予想”は裏切ってくれた。それも盛大に。その感覚は「いつ空」プレイ時の「違う物」感よりも強かった。

ただ嬉しい誤算だった事だけは間違いない。こと性愛について、ここまでしっかりとした自己分析の出来ているエロゲーってなかなかありませんからね。自分で内省して、その結論として自己の欲求を構造主義的に認識できているエロゲー主人公は珍しい。とくにインセストに関して神がかった冴を見せていました。一つ一つ丁寧に思考し禁止を侵犯して行く描写、そして個々のコンプレックスを心と体で徹底的に解きほぐして行く描写には芸術性すら感じた。「ちょっとだけ」という強すぎない背徳感の演出は抜群に上手かった。OHPの「まったり系・日常アドベンチャー」というキャッチフレーズの意味は「日常の中に眠るエロティシズムを、まったりと表に出してみるアドベンチャー」の略ですね。彼らの中じゃ、まったりとした日常なんでしょうけど。やんわりと萌えゲーの甘さと日常の牧歌的空気で、数々の禁忌を優しくコーティング。それが化学反応を起こしちゃって余計にエロくなったという。言葉で説明しきる事が難しく感じる程に、様々なエロスが封入されていました。



…………書きあがった長文感想改めて読んでみて、何をアホな事言ってるんだと自分でもちょっと思った。
ホイールによる項送りができなかったり、バックで動作しなかったり、何気に使い勝手は悪いシステムなのですが、コンフィグのHカスタム関連の「主人公を仮性包茎にする」と「足コキ時の靴下」のON/OFFはちょっと斬新すぎた(聞いた話だと同人では結構あるようですが)。コンフィグの項目で笑ったのは初めてかも知れない。乙女の恥じらいシステムのさらに一歩進んだ狂ったシステムですね^^^^^^^^^;。

こういうゲームに出会えてしまうと「エロさは正義」だとか、変なスイッチが入りそうだから困る。

gurasさんの「夏めろ」の感想へのレス

 どもです、いつ空の時にはお世話になりました。
そのお礼もかねてレスでも。

 自分も深読みは好きですが、夏めろという作品にここまでの考察が入るとは恐れ入ります。
(いや嫌味じゃないですよw)
近視相姦といえば自分が唯一信者というレベルまで尊敬するライター、
管野作品のYU-NOが一番最初に体験したんですが、YU-NOの設定資料集の中で
「人と人とが引き合う力というのは、倫理や規範を遙かに凌駕するもの」
とか言ってた気がします、他作品にも人を想う心を持てば人間だとか・・
(カタハネやってる所ですが久しぶりに思い出したなあ・・・)
愛やエロスを語るときに宗教的や哲学的に考察するのは、
昔から極自然でなんら不思議な事ではないんですよね(笑

 自分はこの作品で感じたことは、うはエロ最高!美夏りん可愛い!くらいでしたが。
批判の対象となるすぐ発情する主人公はエロゲーだからいいじゃんとしか思わないし。
動機はシンフォニック=レインという作品に触れてたからという訳で同じなんですがね(笑
2007年02月10日22時07分19秒
いえいえ、レスありがとうございます。反応が無いと寂しいので反応があるというのは嬉しい限りです。

>自分はこの作品で感じたことは、うはエロ最高!美夏りん可愛い!くらいでしたが。
エロイですよねこれ。精神的にものすごくエロイ。
S型のヒロイン、M型のヒロイン、どちらに落ちても、いった先が「女の子による射精の管理」ですからね。ライターの頭をカチ割って中身を見てみたいところです。
薬にも毒にもならないっていうエロゲーって良くあるのですが、これは薬にはならないが麻薬や毒にはなるタイプですよね。

これ絵柄がしろさんじゃ無ければ、このゲーム大変な事になりましたよね多分。絵柄のおかげで毒味が綺麗に中和されてる。
これが八宝備仁さんとかINOさんや家具屋の二人だったりしたら酷くえぐいゲームに…
2007年02月11日00時29分57秒

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