Skyさんの「あやかしびと」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

棄てられても裏切られても、人間の持つ美しさ、高潔さだけを信じる。愚かなほど善良な者(物)が「日常の尊さ」を伝える。そこに本作の価値はある。世界を救うためでも、誰かと戦うためでもない。平穏で、当たり障りのない、人間の優しさを信じ、共に享受することを望むため。誰かが見たちっぽけな幻想(ユメ)と、数奇な運命によって継いだ力で、愛したものを護る物語。
――器物百年を経て、精霊を宿し人の心を誑かす。
 
 人間の手によって生み出され、そして人間の手によって容赦なく捨てられる物。“彼ら”は寄り集まり、徒党を組む。全てに復讐をするために。あるいは、物を粗末に扱わないで、と。

 すずの母親はこう言う。

 “そう、人間はどうしようもないほどに不完全で不安定だ。
  だが――不完全ゆえに、素晴らしい。
  不完全だからこそ、人は輝くのだ。妖を殺めた鍛冶屋が、
  後悔しながらも人や妖を救い続けたように。”

 
 子狐と童子(わらし)の仲睦まじい姿を思い浮かべながらこの世を去った名もなき鍛冶屋。そこに“彼ら”は、人間の尊さを見た。
 後に名を武部と―――壊されてしまった自転車を大事にいとおしむかのような、平凡で、和やかな、慎ましい家族や周りの人間を幸せにするような暮らしを送っただけ、でしたと。

 
 初めて出来た友達を殺され、最愛の母を殺され、憎悪に生きる子狐に“すず”と名づけた武部涼一(如月双七)が見せたかったもの、感じさせたかったものは正にそれではないか。

 世界を救うことでも、誰かと戦うことでもない。
 平穏で、当たり障りのない、人間の優しさを信じ、共に享受することを望む。愚かなほど善良な人間だったけれど、この男の想いを軸に物語を見れたことを嬉しく思う。

 この物語は誰かが見たちっぽけな幻想(ユメ)と、数奇な運命によって継いだ力で愛したものを護る物語。

      
          
 さてこの『あやかしびと』だが正直に言えば少々期待していたものとはズレていた。「燃えゲー」として評判が良く、私自身もそれを求めてプレイしたからである。だがフタを開けたら、この作品の魅力は「戦闘」ではなく「日常」にあった。

 本作は主人公から脇役まで、エピソードを徹底的に描いた。それを一度に見せずに分岐するゲームならではの構成を活かしどこで魅せ、どういった過程を経て、誰を選んだことでそれらが派生するか。その作りこみの工夫と徹底した話作りと、キャラ作りが、本作が高い評価をされている最大の要因だろう。

 丹念にキャラクターを描くこと、相手への想いを積み重ねていくこと。
 話作り、キャラ作りにおいて、当たり前のことで忘れがちな“積み上げていく”ことを本作は最後まで貫き、妥協せずに魂を込めていった。(ライターとして、経験豊富な荒川氏が監修にいたのも大きかったのではないだろうか)


  九鬼「ほら、見ろ。ゆっくりとだが、腕が太くなっているだろう?
      これだけするのにどれだけ時間をかけた?」
  涼一「そんなの、覚えてないですよぅ」
  九鬼「そうだ。十時間や二十時間じゃあない。
      毎日毎日、時間と苦痛を犠牲にしてここまで辿り着いた」

 
 そうして出来上がった“濃いキャラクターたち”を好きになることが出来るか?
 あやかしびと本編の大半を占める「日常」でそれが試される。“愛すべきキャラ”となればこの作品は思う存分に楽しめる。
 
 「日常」に価値を見出すことで戦闘で燃えることができる。それがこのあやかしびとだ。だから“愛すべきキャラ”を作るということを上位に位置づけたこの作品は、燃えゲーのみならず、笑える作品、泣きゲーともまで言わせている。
 
 何にしても個性豊かな人物たちが魅力的なのである。たとえば双七。信念を貫く主人公ならばありふれているが、悲しいことでは泣かない、嬉しいことで泣く。人の温もりが至福だといわんばかりの在り方に惚れる。味付けひとつ工夫するだけでキャラや設定は活きてくる。

 そして誰かを愛し愛された男にやがて壁がやってくる。
 本気で誰かと戦うという覚悟、相手を傷つけるという覚悟、傷つけられるという覚悟があるのかと。その果てに「護る」という登場人物たちの決意とプレイヤーの感情とがリンクした時『燃え』とへと昇華する。

 最終決戦の器物たちでないが、プレイヤーはキャラクターの一部となる。眼となり掌となり脚となり剣となる。――さながら全鉄一致。(←ちょっと強引ですね)
 
 『一体感』を楽しむ作品といえます。

 
 …最終決戦ついて。少々勢い任せなところもあり、何より急展開でついてけない感はある。しかしあれはプレイヤーとの一体感を目的にしていない…と思うのです。

 あれは破壊するために殺すために作られた器物たちが、わずかでも、愛してくれた者たちがいたのだと、愛する者たちのために戦いたいという双七の想いとをリンクさせる。そしてその想いを教えてくれた“親”は、心を傷つけてしまった子狐の幸せな姿を思い浮かべながらこの世を去ったのです…。
 
 瀕死のなか、誰かの深層意識にいた“すず”を思い浮かべた時、力がみなぎり戦いに勝利する。とある名もなき鍛冶屋を肯定するための戦いのように私は感じた。
 
 鍛冶屋の幻想(想い)は、付喪神、武部、そして双七に渡り、器物たちと一体し戦い、やがて100年の時を経て、如月すずに届く。
 平穏で、当たり障りのない、和やかで、ふんわりとした空気。傍らに双七がいなくとも、それでも『いい』と言い切れる日常(楽園)。


 初めて出来た友達を殺され、最愛の母を殺され、憎悪に生きる子狐に“すず”と名づけた武部涼一(如月双七)が見せたかったもの、感じさせたかったものは正にそれではないか。

 世界を救うことでも、誰かと戦うことでもない。
 平穏で、当たり障りのない、人間の優しさを信じ、共に享受することを望む。愚かなほど善良な人間だったけれど、この男の想いを軸に物語を見れたことを嬉しく思う。

 この物語は誰かが見たちっぽけな幻想(ユメ)と、数奇な運命によって継いだ力で愛したものを護る物語。

 
 …結局のところ、最後は双七とすずは再会できるのだが、それは護るべき存在であった人と妖が、手と手を取り合って前に進もうとしてくれた2人に、神様(八咫烏)からの些細なプレゼントといったところだろうか。

 どのルートへいっても双七とすずは決して離れない。何かそこに色々な愛を感じた。
 たとえ離れ離れになったとしても「鈴」をつけていれば、ふたりはまた出逢えるはずだ。

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