9791さんの「はるのあしおと」の感想

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ゲームをクリアした人むけのレビューです。

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挫折している人、浪人中の人、失業中の人、失恋中の人、フリーターの人、皆、人それぞれ意味で共感できる人は、この物語は「痛い」はず。「鬱」とも「悲哀」でもなく、精神的に「痛い」と思える作品に仕上がっている。物語が描くのは主人公の成長だが、物語のメインに据えているのは「男女の恋愛観の違い」であり、物語は容赦なく、恋愛におけるエゴを浮き彫りにする。濡れ場で将来に不安を抱くさまは、それなりの修羅場を経験した人は、思い出して胃が痛くなること請け合いになっている。
 minoriというメーカーは何がしたいのかよく分からなかった。

 前二作(「そよかぜのおくりもの」はファンディスクなので除外)「BITTERSWEET FOOLS」・「Wind -a breath of heart-」のCG、SOUND、MOVIEのクオリティは高い。特にMOVIEはエロゲー屈指と言える。だが、設定にシナリオが食われた形になって、いつも消化不良を起こしていた。

 例えば、BITTERSWEET FOOLSは、群像劇という「物語ありき」のシナリオ。場面転換必須の群像劇は、読者にそれ相応の理解力と設定を理解させるだけの説明又は下地を必要とする。それを理解させねば、所詮、「言葉足らず」のシナリオに過ぎない。

 Wind -a breath of heart-は、「風音(KAZUNE)市」という「設定ありき」のシナリオ。個性豊かに、登場人物の日常を描く。結構、しつこい程の掛け合いの多さは、登場人物の性格を浮き彫りにしていくが、設定のための「物語」はこの設定のために、この「日常」を破壊する。それは逆の意味では、日常を描いた部分の否定に他ならない。

 シナリオが悪いとは思わない。ただ、インタラクティブ・ノベルと名乗る以上は・・・これらの物語が、「文章」だけではなく、「絵」と「音楽」と「動画」を統合するエンターテイメントである以上は・・・「設定消化のために」肝心の「恋愛」が薄められる結果になったのが、残念に思うだけだ。




「よりストレートな形で、より純粋に、他の要素によって薄められる事なく描くこと――」
(--- minori official web)

 「はるのあしあと」で掲げたテーマは、確実に今までの設定消化のために犠牲になった恋愛部分を言っている。そして、それをメーカー自体が反省し、今までの物語の構成を覆した。この作品を見れば、それは正解だったと言える。

 元々、クオリティの高いCGは、立ち絵から一枚絵に至るまで、全て「瞬き・口パク」を標準に装備、背景の光の加減で立ち絵の明暗が変化するなど、恐ろしく丁寧。SOUND、MOVIEは言うに及ばず。OP-MOVIEが評判だったが、ED-MOVIEは、四人のヒロイン個別で、テーマソングも別。さらにMOVIE自体が、物語の後日談になっている力の入れようで、これに対抗できる他のメーカーあるんだろうか、と不安に思うほど。前作「Wind」で散々叩かれたシステムは、良好に進化した。今回は共通ルートが序盤しかないので、必要性は少ないが、スキップのスピードは速くなったし、バックログは、テキストだけでなくグラフィックも巻き戻せる(ついでにBGMも)で、場面を繰り返し見るときに便利。物語の分岐となる選択肢が非常に少ないので、ゲーム性は全く無くなったことには、個人的にはOKだが、許容できない人もいるかもしれない。

 さて、肝心の物語は、会話と心情表現だけで構成。物語に関係ない要素は、綺麗に無い。何しろ、季節的なイベントですら、キャラによって必要ないモノはカットされている。時間も連続していないし、恋愛の場面々々だけを抜き出した構成になっている。Hシーンは、恋愛モノとしても白眉的に「濃い」。Hシーンは全て複数のCGで構成されており、着たままH多しで、内容も相当濃い。正直、こちら方面で期待した人も満足できる出来だと思う。で、シナリオ内容の方は・・・・・・


 正直、この物語は「痛い」・・・。


 今・・・、挫折している人、浪人中の人、失業中の人、失恋中の人、フリーターの人、皆、人それぞれ意味で共感できる人は、この物語は「痛い」はず。「鬱」とも「悲哀」でもなく、精神的に「痛い」と思える作品に仕上がっている。物語が描くのは主人公の成長だが、物語のメインに据えているのは「男女の恋愛観の違い」であり、実質は、教師と生徒の恋愛におけるすれ違いである。

 「教師と生徒の恋愛」は世間ではタブー視されるものであり、それがゆえに多くの物語になる要素がある。それはテレビドラマでも、このエロゲーでも変わりはない。純愛・陵辱、ジャンルに関わらず、「臨時教師」の設定は手垢の付いたものだ。タブーを乗り越える「教師としての意識」も、主人公、樹は、自分でも告白するように、臨時教師になっても教師としての自覚がない。この物語そのものが、そんな樹が「教師として自覚をもって」成長するまでの物語なのだから、それはそのはずだろうと思う。

 「人間を描く」と言い切っているだけに、物語は容赦なく、恋愛におけるエゴを浮き彫りにする。悠・ゆづき・和の三人娘のシナリオは、全て、男女の恋愛観の違いを描く。幼い印象のグラフィックに対して、エゴが剥き出しになるさま、セックスのあとで将来に不安を抱くさまは、それなりの修羅場を経験した人は、思い出して胃が痛くなること請け合いになっている。

 実際、三人娘の物語上に提示される問題は、そもそも、恋愛をしていなければ、起こらなかったもの。多分、恋愛をしていなければ、別な形で(和シナリオでのゆづき、智夏シナリオでの悠のように)解決していただろう問題である。それが恋愛と関係することで修羅場となる。世間ではタブー視されている恋愛だからこそ、不満とか独占欲が増大するのであって、今まで創り上げたきた「彼女の個性」と彼女との本音の向き合いが非常に興味深い。

 悠は「孤独」と自分を追い詰めた末に樹への依存を高め、ゆづきは自分を「無価値」を評するゆえに樹以外の世界を閉じようとし、和は創り上げた自分の個性と実際の自分の「落差」がゆえにそれが一致するまで樹を放り出す。それを何の力もない主人公が、奇跡を待たずに自らの力で乗り越えようとする。

 この物語は、その意味では、本当の「人間としての」成長物語だ。主人公とヒロインは迷い、結局、愚直な道を選ぶ。

 だからこそ、智夏シナリオが「隠し」にされたのも納得がいく。智夏だけは、唯一、この「はるのあしあと」の基本的な流れを否定する存在だ。(あおいもシナリオがあれば同じ存在になっただろうが)彼女は迷っていない。智夏にとって、恋愛は過去のことで、樹の思い出を基礎にして「夢を叶えた」存在だ。樹が物語上でも指摘したように、彼女は主人公の理想とする教師像をもった人間なのである。だから、智夏だけは、恋愛しても祝福される。智夏はヒロインの中で、唯一、一方的に樹を肯定できるのだ。

 なぜなら、智夏はすでに恋愛としての失恋を経験して、そのために考える時間を得ている。彼女にとって、三人娘の恋愛の過程はすでに経験したことで、その結果、智夏は自分の考えを押し付けないし、教師としての規範を見せることで、樹は「教師としての」成長ができる。

 つまり、三人娘のシナリオでは、物語終了後とMOVIEとの間で描かれるべき物語が、智夏シナリオでは描かれるわけだ。そのため、主人公が成長するために芽吹野と決別する必要はなくなる。「人間としての」成長物語を描く構成上、智夏シナリオだけは、三人娘と同列に扱うわけには行かなかったのだ。


 細部にわたるまで丁寧に、物語は純粋に心情まで豊かに。

 「派手な仕掛けは敢えて避け、表現したいものをそのままに。」
(--- minori official web)

 恋愛をテーマに、物語を破綻なく、印象深く、創り上げたことは、見事と言うしかない。


 minoriがやりたかった「恋愛」とはこんな純なモノだったのだ、と腑に落ちた気がする。


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