akagamiizumoさんの「CROSS†CHANNEL」の感想

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ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

【解説/考察/感想】人としての『個』の在り方。※FINAL COMPLETE版の感想を流用。
シナリオ S
世界観 A
キャラ A-
演出 A
音楽 A+
システム B-
夢中度 A

※かなりの長文です。構成としては、

01 「本編(PC版まで)の評価」
02 「EXTRA STORYの評価/及び、世界観考察(PC版での疑問点の解消)」☆
03 「FINAL COMPLETEについて」
04 「解説 作品構造について」☆
05 「この作品のメッセージとは(長文)」☆

……となっています。とりわけ、個人的に読んで欲しいことを記したのは末尾に『☆』の付いた章なので、全て読むのは面倒だという方はそこだけでも読んでいただければ幸いです。


【01:本編(PC版まで)の評価】

 実を言うとこの作品をクリアするのは二度目であり、約三年振りの再読となる。今現在の所感を述べるなら、純粋に素晴らしい作品であったと断言できる。

 まず、この作品の最大の強みは娯楽性とメッセージ性が巧みなまでに調和して、かつそれがどちらも効果的に表現されていることだろう。
 そういった同じ系統の作品として『素晴らしき日々』があるが、『素晴らしき日々』の方は些かばかり娯楽性が弱い。
(とはいえ普通の作品よりは面白く、メッセージ性・文学性に非常に優れているので個人的には高評価している。)
 一方、当作品では娯楽性、つまり美少女ゲームとしてユーザーを単純に楽しませる点においても、他の作品より秀でているのは間違いない。でなければ、ここまで当サイトで高評価されたり、数々の移植を繰り返し、未だ愛される名作として知られている筈はないだろう。
 
 だが、個人的にはこの作品における最大の魅力は強いメッセージ性にこそあると主張したい。
 何より秀逸なのは、作品の構造を利用して"ある問題提起"を私達に投げかけていることだ。
(これの詳細については"解説① 作品構造"において後述する。)
 美少女ゲームプレイヤーにとって決して他人事と切り捨てられない問題を指摘していることもあり、それに気付いてしまうと確かに痛切だが、しかしそれでいて不快ではなく、ただただ心に突き刺さる。
 創作を用いた問題提起は度が過ぎればプレイヤーにストレス、ないし不快感を与えてしまうことが多々あるが、この作品にはそれがない。あくまで自然に、さりげなく、暗喩的に指摘しているので、ごく自然にメッセージを伝播させることに成功している。

 また、作品の随所で主人公のモノローグを通して『倫理』や『他者論』について語られていき、主人公がそれらについて思索するのと並行して、プレイヤーも思索するよう誘導している。これにより"気付けばプレイヤーは主人公と同じ問題に向き合っている"という構図が出来上がる。もしこれが意図してのことならば、凄まじいとしか言いようがない。

 さて、これらを踏まえ、創作を通してのメッセージの発信がこれほど違和感なく物語に溶け込み、かつそれがプレイヤーに伝わってくるよう分かり易く描かれている作品が今まであっただろうか。私は他に知らない。
(先に挙げた『素晴らしき日々』のメッセージは、哲学書『論理的哲学論考』に裏付けされているため、プレイヤーにとって思いの外敷居が高い。)
 恐らくそれは、シナリオライターである田中ロミオ氏の独特なテキストに依る部分が大きい。
 一度、本編のエクストラストーリーの曜子編で、曜子が太一の日記に対して、
「彼の文章は表層的な表現に拘泥して、本質が疎かになる傾向がある」といったように評している。推測だが、ロミオ氏がシナリオを執筆する際にはこれを気を付けているのではないかと思う。故に、ロミオ氏の文体は簡潔な表現が多く、装飾過多な形容を避けているような印象が強い。かといって、シンプルに過ぎず程良いバランスを心掛け、本質を伝えることに尽力しているからか、氏の文章表現はこの業界の中では特に高く評価されている。
 そういった特色を持つ彼のテキストだったからこそ、よりメッセージが響くものに仕上がったに違いない。他のライターが同じプロットでこの物語を書いたとしても、こうはいかないだろう。
 
 他の特筆すべき点は、各キャラクターの"生々しさ"であろう。
 従来(あるいは往年)の美少女ゲームとは対比するように、この作品のヒロインはどれもただ可愛いというだけで完結していない。
 今尚主流な『典型的ヒロイン属性(ツンデレ、クーデレ、委員長キャラ...etc)』を描きながらも、あくまでフィクションの美しいままの姿にせず、現実的見地で各『ヒロイン属性』のありのままの姿を直截的に描いている。負の側面から目を背けていないのだ。
 だからこそ、どのヒロインも精神の歪みが見受けられる。しかし、これは何もおかしなことではない。何故なら、もし現実に前述したような『ヒロイン属性』に該当する性格の持ち主がいたのなら、この作品で見受けられたような問題を抱えていることは明白なのだから。
(ツンデレのような女性の見せる"デレ"は、あるいは孤独から生じた依存心の現れなのかもしれない。)
 美少女ゲームやアニメ、漫画等で綺麗に描かれてきた『ヒロイン属性』も現実に置き換えればそんなものだ。
 ここに目を逸らさず、そして現実的で、存在に説得力のあるキャラクター造形を行ったのは業界でも類を見ない挑戦だ。
 そこに難色を示し、キャラクターに魅力を感じなかったプレイヤーもいたことだろう。
 しかし、そういった彼女らを『受け入れる』ことが出来なければ、元より現実の恋愛などより困難を窮める。現実に居る女性も、この作品のヒロインと同様、ないしそれ以上の問題や弱さを持って生きているのだ。
 現実の女性と向き合うにはそれらを許容することが必須であるし、アニメや美少女ゲームの綺麗なだけのヒロインを愛することではその練習にすらならない。
 そういったある種の『決別』を促すキャラクター造形を随所に感じた。
 これもまた"解説① 作品構造"に関わってくるポイントである。なぜロミオ氏がこういったキャラクター達を描いたのか、そこでその意図がより明確になるであろう。

 ちなみにそんなキャラクター達も私は結構好きだったりする。人間味のあるキャラクター性に親近感を覚える性質なのでまあ当然ですが。
 好きな順番は「美希>>>曜子>冬子>>>霧>>>>見里」といったところ。黒須太一も個人的にはなかなか嫌いではない。好きというのとも違うが、彼に不思議な魅力を感じているのは確かだ。しかし、やはりどのキャラも美少女ゲームとしてはかなり異色である。
 
 音楽面に関しても、私としては評価したい。世界観にマッチした曲が多い。
 いくつかお気に入りの曲もあり、標準的な美少女ゲームのBGMと比較すれば明らかに良曲が多く、またBGMとして上手く機能しているのが良い。
(ループ調の曲が大半を占め、それゆえかどれも曲のつなぎ目などが気にならない。)
 特にお気に入りの楽曲は「crisscross」「signal」「CROSSING」など。

 本編の総評として、やはりこれだけ評価されているだけはあり、大変意義深い作品であった。
 一周目以上に楽しめた気がするのは、年月の経過による感性の変化のみならず、恐らくプレイする姿勢の違いが大きい。
 数年前にプレイしたときは完全に娯楽作品として"楽しむこと"が目的でクリアしたのに対して、今回はメッセージの理解を目的とし、また当作品を思索の対象としてクリアした。こういった作品に臨む態度の差がクリア後の所感の差につながっているのだろう。
 故に、今回の評価は前回(83→84)よりやや高めの90点となっている。

 ここ数週間はこの作品によって非常に充実した日々を過ごすことが出来た。これを作り上げた関係者一同には賞賛の意を送りたい。
 

【02:EXTRA STORYの評価/及び、世界観考察(PC版での疑問点の解消)】

※下記の不満点はそこまで本作の点数には反映していない。あくまで本編の評価を重要視したものである。

 XBOX版から追加されたEXTRA STORY。これらの短編が『CROSS✝CHANNEL』という作品の整合性を高めているのに一役買っているのは言うまでもないだろう。
 ややテーマ性・娯楽性という観点で見れば蛇足感が否めないが、物語としての完成度としては明らかにこれらの短編によって向上されているのは確かだ。

 しかしまあ、これは単なる『後出しジャンケン』のようなものだと指摘されてしまえばぐうの音も出ない。
 このエピソードでやったことは、要するにネットの掲示板や感想サイトで指摘された作品の疑問点を、追加で書いた物語で解消したに過ぎない。何も対応しないよりかは遥かにマシだが、最初に発売した時に伏線を回収し忘れていたことは消しようのない事実だ。
 とはいえ、最初に本編とEXTRA STORYを続けてプレイしたプレイヤーはそんな事情など知る由もなく、後日談で伏線が回収された完璧なストーリーだと思ってしまうことだろう。まあそれはそれでいいのだが。

 整合性を高めたとはいえ、マッチポンプ的な方法であるのと、これらの短編の総合的な面白みを鑑みると本編のファンとしてはやや物足りない。決して悪くはないのだが、あくまでもファンディスクみたいなものだと思った方がいい。
 作品の完成度・整合性は高めたが、娯楽性・文学性を少し弱めたといった感じか。
 また、いくつかの短編は本編の殺伐した雰囲気とのギャップが激しく、正統的後日談であるAFTER STORYは全体的に穏やかに過ぎるかな、と。本編に不足していた日常分をここで補完したのだと考えれば納得できるが、私としてはそういう要素をこの作品にはあまり求めていなかったので、少々冗長に感じてしまったのが本音だ。

 などと、少々辛口気味に批評してきたEXTRA STORYだが、プレイする価値のある短編も勿論あるわけで、とりわけ『美希編』と『トモダチの塔(CROSS✝'CHANNEL)』は是非やるべきであろう。
 この二つは他の短編に比べても異彩を放ち、他の短編に比べて刺激的な展開が繰り広げられる。
 トモダチの塔に至っては、本編を含めた全ストーリーの中でも最も狂気の度合いが強かった。そのあまりのアクの強さゆえか、本編の所感を損ねる恐れがあるのかPC版ではボツシナリオになったそうだ。
(プロットとしても挿入できる部分がなかったから、とも推測できる。)

 この章の最後に、本編(PC版)の時点で挙げられた疑問点をどのように解消したのかを簡潔に記しておく。
 作品の疑問点は、「CROSS † CHANNEL考察(http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/5403/cc/)」というサイトを参考にさせて貰った。

・橋の向こうの死体は何だったのか?
 B世界(人類滅亡している方)の黒須太一であったと『トモダチの塔』にて判明。
 また、彼の死に際の思考が世界がループした原因なのではないかと匂わせるモノローグがあった。

・発電所に行けなかった原因
 曜子が「発電所には行けなかった」と黒須太一に報告する場面がある。これを告げるまでの経緯が曜子編冒頭にて描写される。
 発電所に行こうとしても、進めば進むほどに道が伸びてしまい、発電所に辿りつけなくなっている。
 曜子は結論を下さないまでも"知覚か運動神経の異常"又は"空間の歪み"が原因なのではないかと推測する。恐らくは後者が正解だ。
 桜庭編においても、黒須太一たちは街の外を目指すが、街の外へ続くトンネルからは永遠に抜け出せなくなっている。その時の描写を見るに空間の歪みがイメージに近い。街の中だけが、ループが原因となって空間的に孤立している。と、考えるのが妥当であるかと。

・(個人的疑問点)美希が掃除していた廊下の血痕。後に本編でも、B世界の太一が殺害した榊教諭のものであると発覚するが、美希の意識がリセットされた後は誰がこの血痕を掃除していたのか?
 まず美希編によってこの血を掃除する美希が詳しく描写され、そして掃除し忘れると太一が暴走することが判明。
 しかし、そうなると美希の意識がリセットしまえば掃除する人がいなくなり、ループする毎に太一が暴走してしまうことにならないだろうか。
(曜子も美希√の時点で一度死に、意識がリセットされているので不可能。)
 結局のところ、これは本編の時点で答えが出ていた。
 太一が暴走しなかった理由は、誰かが掃除していたからではなく、太一が日記の記述を頼りに、意図して血痕のある場所を回避していたからである。
 まず、美希√の途中で太一は美希から今までの経緯を聞き、それを日記に記していた。
(そうしていたであろうと判断できる描写がある。)
 そして、そう記した内容に「榊教諭の血痕の場所」と「榊教諭の血痕が学校にあり、それを見れば太一が暴走する」という旨が書かれており、美希√以後の太一はその記述を読んでいたために血痕を回避することが出来た、ということだ。
※太一が榊教諭が殺された事実を知ったのは、日記を書いた翌日、屋上で美希と再会したときだ。時系列が前後しているようにも思えるが、前日の夜に美希は太一が榊教諭を殺した事実を伏せたまま、血痕を回避する術を教えたと考えればそう無理はない。
 現に美希√以後は必ず初日に祠を訪れ、日記の記述を読んでいる。この過程がなければ必然的に暴走してしまうからだろう。
 故に血痕自体は、初日の時点では掃除されていない。そのうち誰か(美希、曜子あたり)が気付いて掃除したのかもしれないが。
 ともかく、血痕の真相はこう解釈するのが筋が通っている。


【03:FINAL COMPLETEについて】

 このFINAL COMPLETEはPS3版「CROSS†CHANNEL ~For all people~」を18禁描写だけPC版の表現に戻し、少しだけ新規CGの追加された逆移植である。
 そういった難儀な経過を経ているからなのか、何点か問題がある。
 箇条書きでその問題を簡潔に記しておこう。

・PC版(オリジナル)に比べてかなり誤字が増えている。
 「オリジナル→移植+18禁描写変更→逆移植+18禁描写だけ戻す」というプロセスの途中で、テキストの打ち直しが必要になったのか、最新版であるはずの本作が最も誤字が多い。ロミオ氏の代わりに打ち直したライターのミスなのかもしれない。

・テキストにルビがなく、括弧を用いて読みを書いている。こんなゲーム初めてじゃなかろうか。技術力の低さ、もしくは手抜き加減に呆れてしまう。

・新規CGに違和感。キャラデ、塗りなどがあまりに異なり、別の絵師が描いたのではないかと思ってしまうほど。しかしこれは年月の経過を考えれば仕方なくはある。

・プレイ中にCGのスクロールが出来ない。PSP版ですら出来たはず。

・桜庭の演技が本編と変わり過ぎている。口調がやけに陽気になっていて、キャラがブレている印象さえ受けた。

・エンディング映像が悪化している。映画などでよくある真っ黒のエンドロールになっていて、おまけに文字が荒れている。


【04:解説 作品構造について】

 これに関してはjericさんの感想「誰も狂ってなどいない(http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=3007&uid=jeric)」を参考にさせてもらった。大変興味深い解釈で、こちらの方を見たほうが作品構造に関して深い理解を得られるだろう。

 要点だけを抽出して簡単に書くと、

・この作品の構造の意図するところは、美少女ゲームへのアンチテーゼ。ポストモダン的に美少女ゲームという文化について懐疑の目を向けていること。
(これは近年で言うと「君と彼女と彼女の恋」がピッタリ当てはまる。同様のテーマを元に作られ、より強いアンチテーゼが籠められた作品となっている。もしかしたら、ライターの下倉バイオ氏はこの作品の影響の末に「君と彼女と彼女の恋」を作り上げたのかもしれない。)

・上記した狙いのために、エロゲーマーの望むような世界を"現実的"に表現している。
(一周目は理想=通常の美少女ゲーム、それ以降が現実的に美少女ゲームを再現したら、という想定。)
 主人公が美少女ゲームのプレイヤーのようにループし続ければ、関わる女性たちの年齢は若いままで、周回作業によってみんな攻略できる。祠はさしずめ攻略サイトのようなもの。
 そして、人類は滅亡したことにより、自分の仲の良い友達だけのいる排他的な世界観。これらの要素が暗喩的に美少女ゲームを指していることは決定的だ。
 つまり、美少女ゲームの中で、主人公黒須太一に美少女ゲームのような行為をやらせることでその問題を意識させようとしている。

・(01にて前述)アニメや美少女ゲームでお馴染みの『ヒロイン属性』を現実的見地から描くことで、そのキャラクターの持つ問題を指摘している。誤解を恐れずに言えば、エロゲーマーの淡い幻想を壊している。

・「送還」は美少女ゲームとの決別。
 個人的には決別というより、逃避先として美少女ゲームに浸り過ぎてはならない。という意味が込められているように感じた。
 他者と断絶し、引きこもって美少女ゲームばかりに耽り、現実から逃げ、美少女ゲームのような世界を求める。そんな人間はこの日本には溢れているだろう。しかしそうあってはならない。人は他者なしでは生きられない。そんな彼らへの問題提起がこの構造の意図なのではなかろうか。

……などなど。こういった内容が綴られている(個人的解釈多め)。
 では、何故こういった意図の構造にしたのか、ロミオ氏は美少女ゲームを否定したかったのだろうか。
 それは違う。本当の狙いが分かるのは、本作のメッセージを読み解いた時である。

【05:この作品のメッセージとは(長文)】

 前項で述べた作品構造に気付いたプレイヤーは「美少女ゲームに逃げて、他者を避けてはならない。人との関わり合いが重要だ」ということを感じ取れる。
 だが、それだけを指摘されても、肝心の他者との関わり方が分からなければ意味がない。ただ現実に向き合えと糾弾するだけなら誰にでもできる。
 しかし、この作品の素晴らしいところは、その先を提示していることにある。
「人との関わり方」すなわち"他者論"を、人付き合いの苦手な黒須太一という主人公を通して描いているのだ。

 人が他者と関わる上で、自分の問題(歪み)と向き合うことは大切だ。しかし、どういったことがこの世の中では問題だとされるのか、人付き合いの希薄な者(というか、エロゲー廃人や引きこもり)はいまいち理解できないかもしれない。そこで、この作品のヒロインに焦点を当てることにより、社会から問題視される歪みについて模索できるような構成になっている。
 この作品のヒロインの抱える歪みは多くの人に共通するものだ。それゆえ、彼女たちの問題に向き合うことで、私たちの心の中にある問題を直視することにも繋がるかもしれない。
 それを踏まえ、ヒロイン達の問題点を軸として他者論を展開していこうと思う。

・佐倉 霧 重要エピソード 「大切な人」

 霧の抱える問題として『依存』があるが、これについては冬子の方がより深刻なのでここでは割愛し、冬子の項目で後述する。
 霧のもう一つの問題は、彼女の鋭すぎる観察眼である。彼女は人より周囲の心の機微に敏感だ。一見すると歪みではなく長所のようにも思えるが、この社会で生きていくのであればそれは障壁に成り得る。
 確かにその観察眼を活かすことも可能だが、それ以上に日常生活を送り、人と関わっていくと必ず接することになる"悪意"。他の人は気付かずとも、心の機微に敏い彼女は自ずとそれに気づいてしまう。
 難しいのはその"悪意"に対する対応だ。"悪意"を見逃すことは自らの"善意"を放棄することにもなるし、気付かない振りをして看過するのも逃げの思考だ。とはいえ、向き合って対峙するにはそれなりのリスクを冒さなくてはならない。
 "悪意"に立ち向かうのなら、自分が傷付くことを覚悟せねばならない。
 だから一番は「気付かなければ幸せ」なのだ。月並みな言葉ではあるが、実に的を射ている。
 しかしそれでも、彼女は"悪意"に気付いてしまう。それをどうやって折り合いをつけていけばいいのだろうか、あるいはそのジレンマを抱えて生きていかねばならないのか。
 結局はそうなのだ。残酷な思考だが、社会の中で他者と関わり合って生きていくことを余儀なくされる私達は、たとえ彼女のような鋭い観察眼を得てしまったのなら、その性質と付き合って生きていかなければならない。
 私達とて、日常生活の中で「知ってしまうこと」や「気付いてしまうこと」で苦悩することはあるだろう。だが、そこで現実から逃げず、現実と折り合いを付けていこうとする対応が必要なのだ。その『気付いた事実』に納得がいかないこともあるだろうが、『現実の事実』とはそう納得のいくものばかりではない。
 だからこそ、社会での生き方の一つとして「現実と折り合いを付ける」という対応が要求させる。

太一「お前は、繊細で鋭すぎるから、人よりいろんなものが見えてしまうけど。
 その目なら、大切な人を見つけることはできるだろ」
(「大切な人」)

「観察眼」に関する葛藤を抱える霧に、黒須太一は送還時にこういった居場所の手に入れ方を示す。
 自己の特質・歪みとの付き合い方は見ようによっては様々だ。それを模索していこうとする意思こそが、あるいは大事なのかもしれない。 


・山辺 美希 重要エピソード 「INVISIBLE MURDER INVISIBLE TEARS」

太一「たまにさ、周囲の人間のこと、どうでもいいって思っちゃうことってない?
 俺はある。たまにね。けど……完全にそうなったらおしまいだ。
 頑張って生きないとな。少しでも奴らに尻尾を振って、あの普通の人とかいう連中に、媚びをうってでもさ……生きんと」
(「CROSS POINT」)

 現実において社会や他者が問題だと見做すものが、自分自身にとっての問題と同義だ。ならば他者を「どうでもいい」と切り離せば、全ての問題は解消するのだろうか。
 黒須太一は、他者を「どうでもいい」と完全に思うようになってしまったらおしまいだ、と言う。
 極論、対外的な問題を問題と見做さなくなれば、ある意味全ての問題は解消されるが、対外性の要求させる社会でそういった思考体系(イデオロギー)を貫けば、人としては『終わる』。
 サイコパスなどは「完全にどうでもいい」と思えるからこそ、他人を容易に傷つけられるのであって、他者を尊重する心があれば、快楽や利益のために人を傷つけようとはしまい(黒須太一のような独特な精神構造や性癖が原因の者は例外だが)。
「どうでもいい」という思考は社会性の真逆にあり、そして、それは反社会性の象徴である犯罪へと繋がりかねない。犯罪を犯せば、当然社会から弾かれる。だからこそ、社会的に生きたいのであれば他者を「どうでもいい」とする思考は禁物であり、せめてでも『普通』や『常識的』と言われる社会性のある人格を演じて生きていくのがまだしも賢明だ。

 世間の言う「奇人、変人、狂人」についても、つまるところ他者をどうでもいいと軽んじて、自分の問題に向き合ってこなかった結果、個性が独特に変質したものなのであろう。
 繰り返される行動・思考はゆっくりと固着していき、やがて『自動的』になる。その頃にはそれ自体に固執してしまい、その性質から逃れられなくなる。これが歪みだ。人の抱える問題の本質は、大抵こうやって出来上がる。
 同様に、他者を「どうでもいい」という思考が繰り返されれば、いずれ『自動的』性質を帯びてくる。完全にそんな思考が自動化した人格がマトモでないのは言うまでもなかろう。
 それが彼女、美希の人格だ。
 彼女の思考の根幹には他者を「どうでもいい」と考える思考が根付いてしまっている。故に、他人の痛みが分からない。共感が欠如しているため、残酷な行為もいとわない精神性を持っている。前述したサイコパスに非常に近いと言える。
 このエピソードでは、彼女によって、他者を「どうでもいい」と思ってしまう危険性が上手く示唆されていた。
(けれど黒須太一も言う様に美希は完全に手遅れというわけではない。完璧に利己心に支配されていたのであれば、本能的に霧を助ける場面の説明がつかない。)


『ピーナッツ入り柿の種の教訓』※重要

桜庭「今日はみんなに、柿の種の教訓を話したいと思う。
 柿の種にピーナッツ入っているものがある。知っているな。
 そのピーナッツが許せないという奴は、意外と多い。
 オレはつねづね、その欺瞞が許せなかった。なぜだと思う?」
太一「は、ピーナッツが入ってこそ、ピーナッツ入り柿の種であるからですな?」
桜庭「そうだ。イヤなら純正の柿の種を食えばいい。ピーナッツ入り柿の種を手にピーナッツがイヤなどという弱音は、ピーナッツ入り柿の種の尊厳を損なうものだからだ。
 欺瞞だ」
(「CROSS POINT」)

 これは美希と霧が初めて放送部に顔を出した時に、桜庭が話した説法である。
 桜庭は「ピーナッツ入り柿の種のピーナッツは要らない」と言う言動はおかしいと指摘する。何故なら、その人にとってピーナッツが不要であるのなら、わざわざピーナッツ入り柿の種を買うことをせず、ただの柿の種を買えばいいのだから。
 桜庭は不器用ゆえに上手く表現できず、ギャグにされてしまったが、これは一種の他者論の暗喩だったのかもしれない。特に、七香というキャラクターはこの思想を体現していると言える。

「強くならないと生きる資格がないわけじゃないから。
 弱いままでも、いいんだよ」
(「CROSS✝CHANNEL」:七香)

 人はよく相手の欠点や弱さを必要以上に指摘する。「自分が出来るなら相手も出来るべきだ」と言わんばかりに。しかし、これは場合によっては間違いである。
 自分と、その周囲に大きな実害が発生したり、指摘しなければ致命的な過ちを犯しかねない場合であれば、相手の欠点に言及し、直すよう促すのは正しい対応だ。相手の為にもなる。
 だが、大した実害もなく、自分が不快だからという理由だけで相手の欠点を糾弾するのは控えるべきだ。一度であれば忠告として受け取られるかもしれないが、必要以上に何度も指摘するのは相手を無暗に傷付けるばかりだ。
 相手に対して、何度指摘しても治りそうにない部分があれば、それはその人の自動化してしまった弱さだ。と割り切って受け入れるしかない。

太一(モノローグ)
「自分を助けるのは、自分の有能さだ。……と思えば腹も立たない。
 大きな実害を被らない限りにおいて、他人の不手際や浅い不見識に腹を立てることは。
 心の一部を、他者に委託していることになる。
 でもそれが普通。普通であるということは。
 人の限界に起因する、理不尽で不完全なルールに身を置くことでもある。
 ……優しいゆりかごであるはずがない。」
(「CROSS POINT」)

 また、こと恋愛においては特によくあることであり、相手が不足していることを相手に求めたり、相手の弱さに不満を抱く。そして、正しさを押し付けんばかりに糾弾する。
「対等であってほしい」という気持ちを押し付けてしまっている。
 しかし、その"不足していること"、"弱さ"こそがその人そのものであるとも言えるのだ。その人の存在こそがピーナッツ(弱さ)を内包しているのだから、もしそれを嫌うなら、そのピーナッツ(弱さ)を持たない他の人を求めればいいのだ。
 かといって、その弱さを克服する意思のないものは愚かだが。しかし、その弱さが自動化してしまって、もはや『性質』と化してしまっている人のそれを糾弾するのはあまりに酷ではなかろうか。

七香「ピーナッツ入り柿の種の尊厳を認めるんなら、弱い相手を弱いまま認めないとオカシイんじゃないかな」
(「INVISIBLE MURDER INVISIBLE TEARS」)

 人間関係において、他者を尊重することは何よりも大切である。友人や恋人の弱さや欠点を受け入れるのは必要なことなのだ。
 ただ目に付く相手の欠点を指摘するのは、いたずらに相手を傷つけるし、それは相手が自分と対等であってほしいという押し付けに等しい。一見正しいように思えるその行為は、しかし本質的には限りなく残酷なのである。
(霧とみみ先輩がこの問題を抱える。)

 また、この章の七香との会話で、黒須太一は死んでしまった曜子に対して「曜子に合わせる顔がない」と言い、七香に「それは残酷な考え方だよ」と指摘される。
 何故残酷なのか?
 まず、その思考は前述した行為の逆である。
 思考のプロセスとしては、
『曜子が死んだ → 曜子であったなら殺した相手に復讐するだろう → でも俺はできない。復讐鬼になることが目的じゃないのだから → よって復讐してやれない俺に、彼女と合わせる顔はない』
 といった過程を辿っている。
 しかしこれは「自分が出来るなら相手も出来るべきだ」という前述の行為と同質のものでしかない。
 これもまた残酷なもので、相手の弱さを顧みず、自分の強さを相手に押し付けてしまっている。他者論としては誤りで、倫理的には正しいが、残酷。裏を返せば、相手に対等であることを求めていしまっている。

七香「あたしもね、人間関係に資格なんてないと思ってる。
 太一も一緒の考えなら、嬉しい」
(「INVISIBLE MURDER INVISIBLE TEARS」)
  

・桐原 冬子 重要エピソード「Disintegration」

太一(モノローグ)
「どんなに信頼できても、適切な距離はおくべきだ。
 依存しきってしまうと、いろいろつらい。
 共倒れすることがあるからだ。
 してもいい人は、依存しあえばいい。
 俺はしたくない。」
(「CROSS X CHANNEL」)

 彼女の問題はご存知の通り『過度な依存心』であろう。より厳密に表現するなら「孤立から生じた寂しさ、それに起因する過度な依存」といったところか。
 彼女は周囲との接触が希薄であるため、内面では常に寂しさを感じている。孤独を気取ってはいるが、人との触れ合いを渇望している。その気持ちの反動で、愛してくれる人を見つけ、寂しさが満たされると依存という形で寄りかかってしまう。矜持も自己もかなぐり捨て、相手に尽くしてしまう。
 これは本質的なところで他人と同化したいという心の現れだと黒須太一は分析する。けれど、結局は人間は生まれてから死ぬまで一人だ。他人とは一体にはなれない。それでも心は弱いから、同化しようと足掻く。これが依存に繋がる。
 恋愛関係ではこういった関係に陥ってしまう例に事欠かないだろう。共依存、ないしどちらかが相手に依存し、最終的には破綻する。ごくありふれた話に思える。
 しかし、これを理解して、気を付けて恋愛に臨むものはどれだけいるだろうか。
 なぜ依存してはいけないのか。結論から言うと、依存することになって陥るのは際限のない堕落。その果てには共倒れがある。
 それではお互いのためにはならない。だからこそ、恋愛するのであれば、どれだけ相手を信頼できても適切な距離を保つことを忘れてはならない。

 言い換えれば、依存とは分かり易い『自分の心を他者に委託する行為』だ。心を他者に委託するのは確かに楽になるが、自然と委託先である相手に負担をかけてしまう。だが、こういう行為を繰り返すものはそれを理解していない。知らず知らずのうちに利己的になってしまっている。
 そして、気付けば相手から拒絶されている。あるいは相手が潰れてしまう。といった最悪の結末に至る。
 この根本の原因は、無意識的に自分の利益を優先して考え、半ば自動的に相手に見返りを求めていることだ。
『友情は見返りを求めない』
 この考えを徹底して貫いたからこそ、黒須太一の友人との関係が一度も崩壊することはなかった。
 そして同様に、彼はこれは友情だけに限らず他の人間関係、たとえば恋愛関係にも言えると主張する。もし、見返りを求めてしまえば、それは取引になってしまう。言うなれば、それは外部との交易を許容した自己愛だ、と。
 いかに利己心を抑え、相手に寄りかからず、また見返りを求めない。そんな、互いに寄り添い合えるような関係を構築することが大切なのだと、私は痛感した。


・宮澄 見里 重要エピソード「謝りに」

 見里の価値観は規則を遵守することにある。徹底した「正しさ」の奴隷だ。
 正しいことを重ねていけば何も問題はない、という思考を重ねていき、その思考はやがて自動化。結果として、大きな事件を起こすに至った。そして、弟である友貴との関係にも不和が生じた。
 他作品を出して申し訳ないが、『素晴らしき日々』では「地獄の道は善意で敷き詰められている」という諺が頻用され、それを示すかのような物語が展開された。
 同様のことが、彼女の失敗にも言える。彼女は社会的・倫理的に正しいとされる行為に従ったに過ぎず、そこに悪意はなかったはずだ。彼女なりに判断して「正しさ」に準じただけだ。それでも結果は悲劇になってしまった。
 ことほど左様に、必ずしも正しいこと行為が良い結果を生むとは限らない。むしろ、その正しさが人を傷つけ、挙句の果てには地獄のような事態になってしまいかねない。
 
 確かに正しいことを指摘するのは正義の味方のようで格好が良く、気持ちの良いことかもしれない。だが、そうやって正論をぶつけた相手は往々にして傷付いてしまうものだ。
 正しいだけが人間じゃない。
 だからこそ、私達は他人の正しくないこと、弱さを許容して生きていく必要がある。前述した『ピーナッツ入り柿の種の教訓』のように、弱い相手を弱いままで受け入れることが優しさなのだ。
 周囲に惑わされて、世間の言う"正しいこと"が絶対的な正解だと思い込んではいけない。社会的正義は、あくまで社会を上手く回すためにある。
 そして太一は、そんな風になってしまった見里自身の弱さをも、そうした態度で受け入れなきゃだめだと言う。彼女のそうした性質は自動化してしまっていて、一生付き合っていくものだ。
 だから、その家族はそんな弱さ・歪みを抱えた見里もまた、例の如く『ピーナッツ入り柿の種の教訓』のように、弱さを受け入れていく態度が大切になってくる。


・支倉 曜子 重要エピソード 「弱虫」

 曜子の問題は他のヒロインと重なる部分が多い。しかし、彼女は極めて強固な理性を以って韜晦しているため、表層化してこない。また周囲との接触も少ないので、誰も彼女の問題には気付かない。黒須太一を除いて。
 彼女が太一と同化したいと思うのは、冬子の『依存』の延長線上にあるもので、いわば『依存の最果て』だ。
 また、徹底した利己主義も、美希の他人を「どうでもいい」と思ってしまう問題と同質のもの。より徹底してそう思っているので彼女は周囲との接触をかなりシャットアウトしている。依存先である太一は当然例外だ。
 合理主義的側面も、見里の規律主義と酷似したもの。理性の怪物と称されるだけあって、彼女は自分の正しさには極めて従順になれる。
 
 言うまでもなく、彼女も問題の塊である。それぞれのヒロインとの大きな差異は、彼女の場合は全て徹底されている点であろう。
 しかし、その徹底こそが彼女の問題の本質であった。
 最も曜子の行動に関わってくるのは合理主義的側面だ。その合理主義を徹底するのに手っ取り早いのは、目的を遂行するために自動化することだ。これに拘泥してしまった彼女は逆に多くの歪みを内包するに至り、太一との関係構築にも失敗した。
 彼女もまた見返りを求めてしまっていた。自分の思う正しい方法を重ねて失敗したのだ。
(彼女に関しては、上記した四人と重複する問題ばかり――というか重複するものしかないので、既にほとんど語りつくしてしまっている。なので、特にこれ以上書くこともないだろう。)

・黒須 太一

 黒須太一を分析することでそろそろ締めに入ろう。長くなり過ぎたことは重々承知している。
 彼の抱えた問題は何か。
 それはプレイヤーならご存知の通り、色々あるのだが、ここでは最も印象的な「好きなものを壊したくなる。穢したくなる」「容易く理性が崩壊してしまう」この二点に着目しよう。
 この二つの歪みを背負うに至った原因は、後半に語られた幼少期のトラウマだ。大量殺戮が彼の先天的サディズムに磨きをかけ、曜子の裏切りにより変性意識状態に精神が変質し、理性が容易に崩れてしまうようになった。
 そんな彼が普通の日常生活を送れるであろうか。太一の歪みはヒロイン達とは相対するように、自分に責任のない理不尽が起因して抱えたもの。
 だが、社会はその歪みを許さない。世の中で生きる条件として普通でいること、強くあることを強制する。そうしなければ社会は成立しないのだから仕方がない。

 理不尽によって狂人となってしまった彼も、社会で生きていかなければならない。そのために、さしあたって彼の取った方法は擬態だった。
 まるで普通の人であるかのごとく振る舞った。
 しかし、それにも限界があった。偽りの仮面は些細なきっかけで剥がれ落ち、仮面の裏側の素顔はより一層凶悪な印象を与えた。
 ループ以前も、堂島遊紗と霧にそれが露呈してしまい、交友関係に深い溝を作ってしまった。
 だが、これは、別に太一だけが抱える固有の問題ではなく、現代社会を生きる私達、特に若年層の世代に当てはまることである。
 私達は社会で生きていくための処世術の一つとして、表面的な人格、通称『ペルソナ』を作り上げる。
「目立たず、主張性に乏しく、人当たりが良くて滅多に怒らない」そんな仮初の仮面を被って学校・社会生活を送る。そうして振る舞えばリスクが少ないからだ。
 その偽りの仮面の孕む問題は数知れず、私の知るだけでも映画では『リリィ シュシュのすべて』『冷たい熱帯魚』。ゲームでは『素晴らしき日々 Looking glass insects』等で問題提起されているほど。
 これらの作品群に共通するのは「主人公の行動力・意志力の欠如」である。彼らは自分の行動や意見が与える影響(波紋)を恐るあまり、自己主張せずに"ことなかれ主義"に徹している。
 故に行動すべき場面でも行動できず、どのような時でも、自分の意見を主張しないからどんどん周りに流される。結果、事態の悪化を招くことになる。
 上記の作品群の悲劇的結末にはこれが無関係とは言えない。というか、この「行動力・意志力」さえあればまだどうにかなったのではないか、と思わざるを得ない。
 この原因である「行動力・意志力の欠如」の根本にあるのが『ペルソナ』、偽りの仮面だ。
 ペルソナの形成によって「目立たず、主張性に乏しく、人当たりが良くて滅多に怒らない」人格を演じているうちにそれが真実になり、その人格が固着化してしまったことにある。
 そんな主人公として嫌われる類の人格。だが、こんな人が世に溢れていることに、私達は目を瞑ってはいないだろうか。自分がそういった人になってしまってはいないだろうか。

 黒須太一が日常生活において「目立たず、主張性に乏しく、人当たりが良くて滅多に怒らない」といったペルソナを形成せずに、「享楽的で明るい」ペルソナを形成していたのはこの問題を認識していたから、と推察するのは些かばかり考え過ぎだが。
 ともかく、彼のように自己や他人をよく分析する、思慮深い性格を以って他者論を考え続けてきたものなら、その問題を避けて他の方法を模索するだろう。
(事実、黒須太一はペルソナを形成していること自体が問題であると認識していたし、だからこそ彼は堂島遊紗との断絶を過去の失敗の教訓として心に刻んでいる。)

 閑話休題。
 それでも彼は、あらゆる他者論を知ってはいながらも、自己のうちに秘める怪物を御しきれずに大きな失敗を繰り返した。良好な人間関係を築くことが出来なかった。
 では、どうすればそんな彼が上手くやっていけるのか。
 人として生きるにはどうすればいいのか。
 最後の最後にその答えは描かれる。何度も失敗し、それでも最後に人となることが出来た。何故か。
 第一にそれは、黒須太一の持つ最も尊い気持ち「普通でありたい。人でありたい」という願い、意思だ。
 その気持ちこそが人とそれ以外とを大きく分かつ。決定的に太一が怪物に堕ちなかったのはその気持ちを持ち続けたからだろう。
(恐らくB世界の太一は人類が消えていく中で、そういった気持ちが薄れていき、最終的に怪物と化してしまったからあのような凶行を遂げたのだ。)

七香「確かにあんたは、心の中にこわいものを飼っている。
 人間は貴くないし。
 世界は美しくないし。
 でもさ、太一はひとつだけ、きれいなものを持ってるじゃない?」
太一「……何も持ってないよ。ただ黒いだけだ。人を傷つけることに特化した心が、美しいはずない」
七香「でもその太一が、こんなにも普通に焦がれてる。
 健全なものを夢見て、それを真似て……何も考えず、誰も傷つけず、生きていきたいと思ってる」
太一「思ってるだけだ」
七香「でも、財産だよ。ちっとは、誇れ」
(「たった一つのもの」)

 そして、黒須太一の歪みの解決に向かった最大の要因は、徹底的に自己と向かい合ったこと。
 己の歪みの性質と原因を探り、その結果、自分は変性意識状態にあったのだと知ることで、芋ずる式に最古の記憶を思い出す。愛されたという、ただそれだけの事実。ただそれだけの事実が彼を人間に戻した。
 自分と向き合うことは無為でないと、私達に示してくれた。
 最後に、彼が人として生きていけるようになり、いずれ現実世界に復帰できるであろうことを仄めかす終わり方で物語は幕を閉じる。

 作中で数々と描かれた他者論。個の抱える歪み、他者との付き合い方、そして自分との付き合い方。
 ただ生きていくだけで、それがとても重要になってくる。
 黒須太一の言う様に、人には人が必要だ。どんなに強がっても本当は寂しい。誰かとつながっていたい。
 そうであるのなら、他人との付き合い方、自分との向き合い方を学ばなくてはならない。
 寂しさを誤魔化す方法を探さなくてはならない。
 そのことを胸に刻んで生きていく。
 私がこの作品を通して実感した他者論は、このように美しく結ばれた。

 長くなってしまったが、これらの現代社会において普遍的なメッセージをこの作品から私は感じました。普遍的であるがゆえに、誰にとっても大切なこと。
 美少女ゲームで扱うには、あまりにも重いテーマではあるが、だからこそ、それを描ききったことに感銘を受けた。
 そんなわけで、この作品は私にとってかけがえのない傑作である。

 『素晴らしき日々』同様思索の対象になる作品でもあり、得るものも多かったので二周目をプレイしてよかったな、と。
 またいずれ、機会があれば考察を深めていきたいと思う。

※追記予定
「タイトル"CROSS CHANNEL"の意味とは?」
「社会に根付く"普通コンプレックス=標準コンプレックス"」
「ダイバーシティ思想で太一や美希の悩みの元を超克する」
新品/中古アダルトPCゲーム販売 通販ショップの駿河屋

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