Sek8483さんの「朱 -Aka-」の感想

ネタバレ感想を見たくない場合、文字を背景色に設定することが可能です。 → 設定変更

**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

80朱 -Aka-
砂漠の旅を日常とする物語。たえず砂塵が吹きつけてくるから口を閉ざしておくしかない、つまらない日々がくり返される。しかし、口を開いたところで面白い喋りの続くわけでもないつまらないわたしに、その砂嵐は恩寵とも感じられちゃいました。ただ黙ってアラミスと手をつないでた時間が懐かしいです。

 地味です。日々が厳しい物語ではあるものの、戦闘シーンなどで血を熱くさせることは皆無。マルチサイトなのにそのいずれでもふたりの旅人が砂漠を歩くだけの似かよった光景を流していき、斬新なテーマで目を引くわけでもない。テキストはつたない語彙をもって同じ表現をくり返す手法を選んでおり、初回プレイ時にはメインヒロインが声なしという仕様。舞台設定にしても精細に描き込まれてるとはいえません。

 しかし、旅が進むにつれ、キャラの目を通しての情景は沁みこむようにして意味づけられていく。日ごと色合いを変えていくかのような夕陽、容赦ない日照りの合間を縫って作られるリボンや木彫り細工、現在へと溶けあってゆく古い記憶。そのどれもがここにしかない、得がたい旅の軌跡でした。また、音楽によって生命を吹き込まれた作品でもあり、砂を噛むようなテキストに水を与え続けたその仕事ぶりは目覚ましいものです。

 関連作である『銀色』は未プレイなので、むしろ『narcissu』を脳裏に浮かばせながらアラミスたちの旅を追って、次のようなことを書きました。

1, ひたすらに心情重視な話しぶりで、砂嵐はヒロインとの関係を描き出した。

2, アラミスの無声は主人公カダンとの一体感を生んでいた。

3, ひと足跳びに叶う願いについて、けしてそれを良しとしない旅物語である。

──────────────────

 1, 砂嵐のなかの子供

 かつて、砂に心を打ちのめされた経験があります。海を背にして、他の三方を砂丘にふさがれると、激しい風がわたしの目をねらって砂塵を投げつけてくる。それは重たい雲をも運んできて、目の前はうす暗い黄土色に埋められる。逃れようにも足元の砂が崩れるばかりで遅々として進まず、砂丘はただ押し黙ってドゥンとそびえ立つ。duneだけに。……いやさ、鳥取砂丘での話なのですが。子供の足でも遊べる観光地ですねw
 東京からの夜行寝台で到着して、フラフラした足どりで向かった鳥取砂丘でいきなり横殴りの雨にさらされ、ひ弱な心身を揺すぶられただけというのが事実。けれど、もろもろが折り重なっての個人的体感には恐ろしさがありました。翌朝に入った三徳山では、濡れてすべりやすくなった岩肌から覗く崖下に「あー、これ死ぬかも」と実感したものですが、かたや砂の色で塗りつぶされた視界というのはわけもなく圧迫される情景でした。

 本作『朱-Aka-』もまた、かなり心象風景によった物語です。街々の間隔はわりあい近くて、「長い旅になる」とか言いつつひと月もかかってないあたり、砂漠のお話にしてはこぢんまりとした舞台。箱入り娘だったラッテの足で厳しい旅に向かったこともあまり嘘くさくならない、物語らしい距離の伸び縮みがあったように感じます。そうして、同じ泉へと思い思いに立ち寄ったり、前のペアが越えられなかった丘陵や河を順ぐりに踏破していったり、ザッピングで東西に旅路を交差させたり。せまい地図がしわくちゃになるまで旅の軌跡を書き込むと、それぞれのシナリオを密な一本道へと束ねていきます。
 また "100,690days" もの莫大な日々がすでに過ぎてる上へと、アラミスたちの朝夕をひとつひとつ積み重ねていくため、そのカウントには進んでいる印象すら薄く、ほんのささやかなものとなっている。ルタの眷属たちの歴史である "100,690days" についてなどマクロ視点にはおよそ関心がなくて、リボンだとか草笛だとか、身近なものものへ何かしらの意味を刻みつけておこうと目線をそそぐ物語です。

 ルタの眷属などファンタジー設定については最小限のみを語っておく作風で、ほどよく秘密めかします。他方で、雰囲気から読みとらせていくゆえ時代考証などのツッコミどころはよけい目についてしまう。薬師のファウが子供を救えなかったことで責められるあたりの感覚なんて私たちと変わらないもので、なんだか憲法で生存権とか記されてそう。
 そこは作品の魅力ともつながってるからいじれないにせよ、枝葉のところであと少しだけ異国情緒を整えておいてもらえたなら嬉しかったかも。例えば、ラッテたちが安宿に泊まったとき「灯り油は贅沢品なのだぞ」とフレーバーテキストを出すかたわら、「お前がベッドを使え。俺はソファで寝るから」みたいなセリフを言ってしまう。ちゃんとしたベッドも驚きだけどソファまで用意されてるんかい中世の安宿! という点はさっくりスルーしておくにせよ、親が海外出張してる学園純愛エロゲ主人公っぽいセリフをそのまんま使ってしまうあたり、表現に変な手癖がついており、作風との微妙なチグハグさにつっかえてしまいました。
 それらの点も含めて、背景設定はわりと広漠としてます。それそのものを鑑賞するための背景というよりも、お話を動かすための背景。むしろこの作品の主眼は、アラミスたちの目を通してこその情景がひとつひとつ開かれていくさま。変わらず高みにある銀の月よりは、かたわらの誰かといっしょに見る夕陽に愛着をもっており、「この人は、今、何を見てるのだろう?」と思いやります。一章のアラミスが夕陽にいったい何を重ねているのか、プレイヤーはいぶかしむのだけども、後にはこれがくるり反転。夕陽に託しうる記憶を失くしたアラミスは臆病にほほえみ首をかしげるから、経緯を知るプレイヤーがもの哀しくなる。そんなセンチメンタルな構図を切ってゆく。

 シナリオもまた筋道立てて進むのではなく、情感の流れにのせることを優先させたもの。砂漠の旅の危険をさんざん説いていたはずのカダンなのに、一章の最後では旅を強行したりする。この時にカダンたちからにじみ出ている悲壮な使命感は『指輪物語 (ロード・オブ・ザ・リング) 』のようですらあります。あえて不吉な空気が漂ってくる方角へと足をひきずり、ひきずり、歩き続けて、手にあまるほど重大な力を「ルタ」のもとまで捨てに行こうとするお話となる。
 ただし、ここには神も悪魔もいない。ある意味で『指輪物語』よりさらに辛いのが、邪悪な黒の乗手が襲ってこないこと。何をしてみたところで、どうにも世界から無視されてます。ルタの眷属として、責務にしたがい悪い領主を "還して" も世の中はたいして変わらなかったし、自分たちは正しいのかと悩みながらハファザの良い領主を "還して" すら街は荒廃するでもなかった。来年にはまたお祭りが開かれそう。「ルタ」が "100,690days" もの日々を旅してたどりついた果てがこれであり、善意からはじまった眷属のシステムは結局のところ砂漠に水をまくことになってしまった。どこか事務的に街の指導者ばかり "還して" いた彼女は、すでにニヒリズムに沈みこんでいたのかもしれません。いたいけな子供ががんばったのだから、もうちょっと関心を向けてあげて欲しいものだけど、このお話は突き放す。世界は人々に背を向けたままそこにある。
 だから物語は「もっと、私を、見て!」という子供の叫びみたいになっていきます。「ルタ」が谷底に落としてしまった "名前" を取り戻すまでのお話になる。アラミスは、義務によってではなくカダン自身に向き合って欲しかったのに、彼はいつしか彼女を背にかばうと大人びて砂を噛むような口ぶりになっていたから、小さな不安は募り、彼女は "還す" ことをためらった。

 ねこねこソフトらしく子供時代の回想をはさみつつ、世の無情を、幼子の純真無垢とならべて見せていく作品です。共に成長してきたはずのカダンたちなのだけど、アラミスは「幼い」「羽根のように軽い身体」とくり返しくり返しに描写される(はじめは、眷属になると成長が止まる設定かと勘ぐりました)。"ぽんこつ" チュチュは転んで涙目になって見上げてくるし、ファウには専門技能ばかり伸ばしてしまったゆえの純朴さがあり、ラッテはそのまんま子供です。
 この作品のキービジュアルとなっているのが、砂漠を進むふたり。男が風よけとなって女子供を背にかばい、口を開けば砂を噛んでしまうといった様子です。infant(幼子) という語句は "話すことができない" という意のラテン語に由来するのだけど、この物語において、口をふさぐことで幼さを描いていく道具立てとなるのが砂嵐です。女の子はつかえつかえにしか喋れず、大人ぶった男のほうは砂嵐をタテにして耳にひりつく純真な言葉を遮ろうとしてる。「もう黙れ……砂を噛むから」彼女を守る立場からの正しい理屈です。それは頭ごなしに会話を拒否したわけでもなく、口に出さずともわかり合える関係だからこそなのだけど、男がその関係に寄りかかるうち言葉で伝えることはないがしろにされていた。これが端的に表れたのは、記憶をなくしたアラミスと再び旅に出るときの様子。
>>
「…風下へ」
「えっ、なにが?」
「…………」
「どうしたの?」
低く舞いあがる砂が足下を叩く中、また不思議そうな顔を向けるアラミス。
俺はもう一度、言い直しをした。
「…俺の風下へ」
「わ、わかった…」
<<
失われた関係をまざまざ見せつけられるのが切なくて、なればこそアラミスを (自分を) 見つめ直す契機ともなってゆく。
 これら砂嵐の中にあったふたりの情景が作品テーマには直結していき、やがて、純真な願いを口にしたいラッテとそれを諌めるルタにもなる。砂嵐の構図は物語を通して描かれつづけることとなり、各章とも、いとけない彼女たちを守る使命感を軸にした主人公像が似てることもあり、四組の男女がさまよう旅の共通項となってきます。あるいは、言いよどんではまた日をあらため口を開くことで、同じ会話をくり返して過ごされる日常感を、砂漠のただなかによく表現してもいました。

 余談ではあるけど、ダン・シモンズ『ハイペリオン』の「学者の物語」を思いなしたりも。子供に返りつつ記憶を失ってゆく奇病に冒された愛娘を背負い、願いを叶えて願った者は殺すといわれる神秘的な化け物のもとへと巡礼を行う物語。"See you later, alligator." "In a while, crocodile."(「またあしたね」「うん、またあした」)そんな英語の戯れ歌をくり返しては娘との絆をなぞるユダヤ人のお話。「もう黙れ……砂を噛むから」「あ、ご、ごめんね。でも、今日の夕陽がまた綺麗だよね?」何かを確かめるようにくり返し、わずかな語彙での同じ会話をしながら歩き続けるカダンたちの姿は、どこかそれと似て見えました。

 ところで、砂嵐とよく結びついていたのが一章でのアラミスたちのエロシーン。いたるところに入り込みアラミスの肌にこびりつく砂を、夜ごと拭きとり、目に入ってしまった砂粒は舐めのぞく。セックスはしないものの、そのゆったり優しい行為にはひそやかに高揚してしまいます。前述のように砂とは会話を遮るものであり、それをエクスキュースにした男が黙りこむと、それでも伝わるものやそれでは伝わらないものを描き出します。そんな砂を取り去るためにされるのが、身体を拭いてあげたり眼球舐めだったりの、どこか子供じみていながら艶めいた行為というのがほんとに素晴らしい。テキストは抑制の利いたものにとどめておいて、絵と音でもって共感をさそったこのエロゲらしい表現でもありました。



 2, 黙って手をつなぐ子供たち

 アラミスの声なしは面白い試みでした。二章で待ちかまえる籐野らんのぽんこつCVが、ひと息で雰囲気を塗り変えてしまうからよけいコントラストがすごいです。籐野らんは、異様なほどキャラが走っているのに奥ゆきをも含ませた不思議な声づかいをしており、これはファウ役・まきいづみも同様。砂漠を渡るというのに鉢植え抱えてたり、薬草とすり鉢を抱えていたりと、オアシスをしょって歩くかのようなヒロインたちにつけられた肥沃な声です。ときどき力づくに感情を揺すぶっていく演技が氾濫原ちっく。そんなふたりを中継ぎにおいたことで、アラミスの無声とラッテ役・安倍有紀の実直な声という、終わりと始まりのヒロインたちが対置されているさまはいっそう際立ちました。

 しかし、アラミスの無声のやりようは中途半端でもあります。他ヒロインにたいして特権的なのは確かだけど、男モブもまた無声なことが演出上のノイズとなっている。例えば、"還す" 能力の説明シーンとして、冒頭のハファザにおいて失恋やさぐれ男を登場させたのはシナリオが雑です。声を出さずとも通じるアラミスとの関係を際立たせたいのなら、一章ではもっと思いきりよく声なしモブを除いておいて良かったはず。また、ザッピングのHシーンでアラミスに「んんっ、あ、あんっ」とかいうセリフをつけてしまってるのも、片方だけをボイスなしで読まされると間抜けです(発売時期など考慮するとHシーンにツッコミいれるべきか微妙だけど)。
 結果として、今までどおりエロゲを作っておいてから最後にCVを抜いたようでもあり、「あえて声なし」と制作者が言ってみても説得力に欠けます。

 ただそれでもなお、わたし自身は、アラミスの無声がとても好きです。アラミスとの恋人とも妹とも幼なじみとも被保護者ともいえない心地よく謎めいた関係を、声というヒントが出ないことでわがままに読みとかせてもらえたのが嬉しい。
 さらには、感情移入しやすいというか、つまり、主人公が声なしであるのと同じ理屈をもってアラミスを自らの延長線上として感じやすかったです。必ずしもヒロインとして鑑賞してしまうのではなく、彼女を依り代にするかのようなプレイもまたやりやすい。やたら無愛想なカダンと、抑えようとはしても喜怒哀楽をふりまくアラミスだったので、なおのこと彼女は近しく感じられます。そうしてカダンやプレイヤーの内なる声にも寄りそって話すアラミスだからこそ、記憶を失くしてしまった後の様子は、ぽっかり欠けてしまった喪失感で身を切られるものになりました。

 また、本作システムは話者の名前を表示しないため、セリフを読んでいるとカダンとアラミスのどちらが喋ったのかが判然としない箇所が途中に出てくる。もちろん読みよさにまるで配慮がないわけでもなく、ふたりの言葉づかいには差異がついてます。例えばカダンはことさら三点リーダでの沈黙をするし、アラミスは「う、うん」「だ、ダメだよ」おっかなびっくり話しかける。しかしそれでも、ときおり判然としない場合は出てきます。不親切といえば不親切ですが、そこにあるテキストの多義性がちょっと面白くもありました。
 特に、立ち絵変化もなくなってしまう一枚絵のシーンで「…いい夜だね」ふいと呟かれたりすると、一瞬だけ迷う。頭についた三点リーダはカダンのいつものセリフの癖ですから、ぱっと見には話者がアラミスであると判りません。テキストの語尾を読みきるまでのわずかな合間には「…いい夜だな」とカダンが唐突にデレた可能性だって保留されている。そんなふうに、ヒロインの心を慮るのと主人公の心を確認することの両方が予見される瞬間が積み重なっていくと、知らず知らずのうちに、渾然一体とした "私たち" アラミスとカダンの息の長い関係を飲み込めていたような。このあたりの、読む途上に生まれては消えていく余地に面白みを感じます。

 この主人公とヒロインが "私たち" となる一体感は、ボイス付きのキャラを前にするとき必然的に際立つことになります。特にそれが鮮やかなのは幼い頃の過去回想。「お姉ちゃん」にだけボイスがあるところへ、ふたりして向き合っていた時間です。ここではカダンがまだ子供らしい口調をしていて、アラミスも屈託なくおしゃべりするため、ふたりに区別がつきにくいです。例えば、アラミスが踊りを教わることになる一幕でのこと(ch.1 sc.06 "眩しかった日のこと")。
>>
【姉】「あら、二人ともここに居たのね?」
   「あ、お姉ちゃん…」
【姉】「うん? アラミスどうしたの?」
   「え、な、なにが?」
【姉】「だってほら、顔が赤いわよ?」
   「あ……」
   「そ、そんなこと、ないよっ」
【姉】「あ、ほら、それよりもカダン」
【姉】「もう、アラミスに踊りは教えてあげたの?」
   「あ、そうだ。忘れてた」
【姉】「もう、しょうがないわね…」
【姉】「じゃあ、アラミス、私が教えてあげようか?」
   「えっ?」

(お姉ちゃんボイスのマークは引用注)
<<
この「えっ?」のタイミング。カダンに教わるという頭しかなかったアラミスが意表をつかれた声なのか、それとも、アラミスに得意で教えてやる役を取られちゃうのが不本意で少年カダンが横から上げた声なのかと、想像が広がりました。ここの「えっ?」はアラミスの声だったのだけど、この後、くっついて踊るアラミスとお姉ちゃんへと嫉妬して苛立っていくカダンと完璧に同調できたのは、わたしの想像のもう一方の軌跡をも物語に拾ってもらえたおかげ。
 アラミスとカダン、ふたりの子供が黙ってつないでた手はきっと離れえぬもので、つながった手を動かしつつ相手の踊りを導いてくところにはごく幼い一体感がきっとある。お人形なりガンプラなりで遊んでいるときにそれを自分の延長線上の手であるように認識しちゃうような、まだ自己に "のりしろ" を残したままの(神がかった)幼心が連想されます。いったん離されちゃうと、お姉ちゃんにアラミスを取られそうで、アラミスにお姉ちゃんを取られそうで不安になるのもまたよくわかる。そんな未熟な自意識こそ、アラミスのためにはいくらの犠牲をも払えるカダンの原点にあったものかもしれません。この頃からの屈託をもとに、彼は守護者となってからもお姉ちゃんへの義理立てにこだわり続け、アラミスとの微妙なすれ違い(先述した砂嵐の構図)は折り重なっていったのでしょう。

 シナリオ終盤となり、かつてのアラミスの言葉をカダンが借りてくる雪山でのシーンでも、この無声であるがゆえの混じり合った距離感がしっくりきています(ch.6 sc.05 "降る雪")。
>>
「お前はもう、只のアラミスになっているんだよ」
「…只のアラミス?」
「そう、眷属ではない、あの頃のアラミスに…」
いつだって嬉しそうに、楽しそうに、そして無邪気に笑っていた頃のアラミスになっている…
只、一つだけ違うことは、その中に俺がいないというだけ…
「取り戻すのはお前ではない、俺自身なんだよ」
「…カダンさんを?」
「ああ、そうだ…」
そう、俺だけがあの頃のカダンじゃない。只の、守護者でしか…
だから、取り戻すのは俺自身。そして、今度こそ…本当の只のカダンに…
「…愛している」
「…うん、わたしの言葉だよね?」
「ああ、そうだ…」
「だが、俺の言葉でもある」
「えっ、それは…」
<<
「…愛している」のタイミングではどちらの言葉とも判然としなかったのが、そのまま作中のカダンたち自身によってどちらの言葉でもあると言われてしまう。それまでずっと物語背景となっていた砂嵐のようにはひりつかず、雪のように触れると溶け合った "私たち" の感覚です。

 2015年現在は商業エロゲの多くがフルボイスですが、そのプレイ中の会話はわたしにとって、こんな手順をふんだ体験になっています。
{
(1) ボイスが鳴っていることによりヒロインの発言であるのが瞬間的にわかり
(2) テキストを理解する方が早いので会話内容がわかり(最速表示させてる)
(3) 声優さんがどんなお芝居をつけるのかを聴く
}
ボイス初めの響きなり、立ち絵変化なり、キャラごと異なるテキスト色なりのリッチな要素でもって、会話内容には関わらずにすばやく話者を同定できるとやはり便利です。特に、籐野らんのぽんこつCVのような極端な特徴をつけた声はそれだけで明確なマークになります。また、すでに文字で読んだ内容を、逐一にボイスが演じ直していくところが楽しいというのは、当たり前とはなっていることながらも奇妙な冗長性を感じます(近年ではセリフ途中の立ち絵変化もまた凝ってますよね)。
 そういったキャラクターボイスの性質をヒロインのなかでただひとり削ぎ落としてみたアラミスの言葉は、主人公の言葉とよく似た見かけになっていき、ときにそれと混濁することにより独特の近しさをもつヒロインを生み出している。あくまで奇策のたぐいではあるものの、ユニークな読感を楽しませていただきました。

 なお別の観点としては、アラミスが無声だったことでBGMによる演出もまた最大の効果を発揮しています。例えば「Desert」なんてとりわけ心地よかった。ラララ……ラララ……とスキャット(?) で歌われる曲だけど、やがてそこに追唱が入ってくるのが心にくい。同じ声によって意味のない音を投げかけ合うこの曲には、同じ無声であるカダンとアラミス、砂嵐によって言葉を遮られながらも身を寄せ合うふたりの声が託されているよう聴こえました。
 また、ヒロインボイスとぶつかってしまわない一章のうちにBGMへと耳を慣らせたのも良かった点。ピアノとかチェロといった歳若い楽器をしっとり歌わせてしまうのが、乾いた風景にややそぐわないようで初めは戸惑ったので、これはありがたかったです。もしもチュチュのぽんこつCVからの開幕だったりしたら、すんなりと世界観を聴きとれなかったと思う。
 クリア後、試みにダウランドのリュート曲とかデイヴィッド・マンロウの十字軍テーマアルバムを合わせてみれば、案の定なのだけどキャラ絵のほうが浮き上がってしまい。巧みなバランスをもって作風を調えていたBGMにあらためて感心させられます。テキストが平易に通していたこともあり、本当によく仕事をしたBGMでした。



 3, 行きて"還りし"物語

 ラストシーンは読者へと委ねられており、強く主張を突きつけてくるお話ではないのですが、そのメッセージにはまとまりが見えました。作品のキーワードとなっているのが、ひと足跳びで奇跡を実現してしまう銀糸へと疑問を投げかけるルタの言葉。
>>
「得る為の代償を払うからこそ…そこに価値が生まれるのではないだろうか?」
<<
これだけを切り出して見ると、個人的にちょっと肌に合わないセリフだったりはします。どうにもせせこましいというか、労力そのものが目的化してしまいそうで怖いというか。交換ばかり考えすぎていて純粋贈与の余地がなくなってしまってるというか、癒しの者の能力はやっぱりエグすぎるというか。というか直感的に何がイヤかって、こういった言葉がひとり歩きしていくから置物として居るためだけの残業とか発生するのぉ! なんもしないんならかえるっ! やだやだもうおうちかえるのぉぉぉ
 私事でした。すみません。

 さて、ルタとラッテがした問題提起はホワイトかブラックかで決めれるような話ではないですよね。答えはみんな違っていてみんな良い。……なのですが、わたし自身は『朱』がルタの考えにもとづいていたと信じることとします。

 理由は、これが旅のお話だったから。砂にまみれて歩いてくシーンを延々とし、それで行き先に待っているのは忘却だったり死だったりという、失うための旅でした。そうして不吉な方角へとアラミスたちを進ませながら、なおも日ごとの夕陽の美しさに、赤い石を集めていく出会いに価値を発見していく語り口だったから。誰にも見られることのなかった白い雪をアラミスとラッテに惜しませていたから。彼女らが踊りの上達ぶりをそれぞれの「お姉ちゃん」に披露することはついに叶わずとも、今まさに踊ってる姿はそれでしあわせだったから。たとえ飲み水を費やしてでも、すぐに崩れさる砂の城を建てたのだから。目的地はいつも決まってからっぽで、その道すがらに価値の生まれているお話でした。足を止めることない、歩きながらに言葉を交わしただけの物語。

 『朱』は、行きて"帰らず"物語といったところかもしれません。第一章のアラミスたちが旅の途上でもう進めなくなるとスタート地点まで飛ばされてリセットがかかりましたし、チュチュは道なかばで忘却し、ファウは道なかばで亡くなり、片道だけの旅がつづられています。
 もしくは、行きて"還りし"物語とでもいうか。あてどない歩みをやめた、運動をやめたキャラクターが少しずつ『朱』の旅物語から退場していくシナリオの流れとなっている。水鏡のお姉さん・イブラは故郷のおうちへ帰るために "還して" もらう。これまでずっと眷属として旅を続けてきたナンディニたちが街に留まれば、アラミスたちが派遣されて "還す" ことになる。"還った" チュチュたちは、もう海向こうへと渡ることもなく慣れ親しんだ風土に植木といっしょに根づいた。ファウたちが終に眠ることとなったのは、草笛の思い出によってハファザに心が帰っていくような、どこか懐かしい草場。

 そしてラッテ。プレイヤーが実際に目にするのはラッテの決意と、その結果としての失敗のみであり、本作の土台となった彼女の物語は見捨てられたままに終わってはいます。ただ、奇跡を否定するようなルタの言葉や、チュチュやファウの物語をその周りに配置していったからこその救いもついていた。四組の男女の旅路が似てることからは、ラッテの "100,690days" にもまた価値があっただろうと思いなせます。
 なかでも、ラッテをファウと並べてみれば思うところが色々と。ラッテは "父親" を失くす子であり、実父からは意にそぐわない安全な環境だけを与えられ置き去りにされているし、意思を尊重して旅へと連れ出してくれたルタにもやはり置き去りにされてしまう。それゆえにえらい子のラッテは世のすべてを救おうと決意する(すごい)。
 一方では母親を亡くしたのがファウですが、それゆえにけものの首をひねった彼女にはむしろ共感しやすかったです。あの年頃に母を取り上げられてしまい、「何で?」って訊いても大人は砂を噛むような答えしかくれなくて、「何で?」と食い下がって怒られたりもすれば、自分の手で生き死にに触れてみたくなるのはよくわかる。蟻の巣に水を流し込んだり、カエルのケツに爆竹を突っ込むよりはもの憂げだけれど、ありふれた感情です。もしもラッテが思わずけものの首をひねれる子でさえあったなら、『朱』の物語はそもそも生まれもしなかったような。
 ファウの物語はあっけなく斬り殺されてしまう終わり方でしたが、理不尽にけものの首をひねった始まりとが好対照です。そして、あそこで理不尽な "癒し" によって救われてしまうウェズはというと、ラッテにちょっと似てる。奇跡をもってルタにその目を癒されながら「だが俺は自然のまま死なせてくれ」彼をただただ看取らされるラッテ。問答無用に救われて、救うすべは封じられて、ひとり置いていかれることになる。ラッテもファウも定住者であったヒロインで、同じように皆を救うことのできる力を望んだのだけども、パートナーの理不尽な死・奇跡の渇望という因果については逆さまになったシナリオです。そうしてラッテは「ルタ」を名乗るけども、ウェズは「ファウ」を名乗ることを拒否する。物語のなかで、いちばん遠くて近いヒロインたちだったよう見えます。

 そうしてみると、ファウたちの旅の軌跡にだけは確かな意味が残ったように、ラッテの "100,690days" にもやはり意味はあっただろうと思いなせます。ぜんぶをしあわせにしようとした彼女はその途上で、きっと人を不幸にしながら、おそらく多くの人々を救っていた。あるいは、海の向こうから来た「ルタ」たることを辞めて "還った" ラッテなら、海を渡らずに "還った" チュチュたちと同じように、安住の地を見つけられるのでしょう。ラッテは、彼らの残していった赤い石を受け取ればこそ、彼女自身の長い物語からやっと退場できたわけで。
 こうして、たどりつけなかった旅ばかりを集めてきた『朱』は、彼らの石を継ぎながら物語の最後にまで来たアラミスたちの結末、どこに到着したのかもあえて語ろうとはしない。ひと足跳びに目的地につくことには黙って首をふると、ひとつひとつの旅の軌跡だけをいつまでも大事そうに抱えこむ、そんなお話でした。

──────────────────

 ErogameScapeの『朱 -Aka-』感想を参考にして書きました。特に影響を受けた感想を挙げさせていただきます。

denkiさん{
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=2798&uid=denki
}

hikoukigumoさん{
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=2798&uid=hikoukigumo
}

くるくすさん{
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=2798&uid=くるくす
}

ろふさん{
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=2798&uid=ろふ
}


Sek8483さんの「朱 -Aka-」の感想へのレス

※前置きが長いです! 本レビューに対する純然たる感想は

「朱」レビュー感想本文

で下段検索かけてご覧になってください!


 どうも残響です。お久しぶりです。いつぶりだったかしら、と前回のコメ履歴を確認してみたところ、去年の年末。ご無沙汰しております。
 その後お変わりありませんか。安易に「駄作」を薦めてしまって、これはひょっとしてSekさんのお嫌いな作品パティーンかしら……とおののいていました。はい。あの枢ルートにしても「解釈次第の純愛」といわれればそう、なのですから。でも枢ちゃんかわいいよぉ。

 相変わらず、レビュー楽しく読ませていただきました。というか、ここでぶっちゃけ話をすると、自分は「テキストストーカー」「ライター/レビュアーストーカー」みたいなとこがありまして……まあこの話をちょっと以下で説明してみたくて、具体的に書いたはいいものの、それをセルフ読み返してみたら、あまりの俺自身のキモさに、即刻テキストエディタから消した次第であります。
 というわけで、シンプルに「いつもレビュー、楽しく読んでます!」とのみ書かせてください。いや、Sekさんのレビューを、以上のテキストストーカー的に待ち望んでいる、ということを具体的に書くとすると、いくら好意に基づく賛辞であろうとも、キモくて残響を「気に入らないユーザリスト」にぶっこまれること確定ですから。大丈夫!怖くないよ!(この時点で怖いよ)

……ただまあ、ふと、今年に入ってから、Sekさん、エロスケでご活動される機会が減ったかしら……? と思ったのも事実。
 しかし、こうして再び丹念な筆をエロスケで叙述してくだすっているので、大丈夫だったか……何より、と思っています今日この頃。そういう意味での、「その後お変わりありませんか」でした。

なんだかこうやって書いてくと、どんどん残響の馬脚を現してしまうような……
で、「朱」レビューの感想のくせして、これからSekさんの過去レビューテキストの感想と、Sekさんがしてくだすった過去レスに対する更なるレス、という極道ぶりをさせていただきたく。

せ、Sekさん長文派だし大丈夫だよね……だよね……(cv北見立花……なずなんを汚すなぁああああ!)と恐れおののきながら、しかしやはりSekさんにはいろいろと語らせていただきたいことがありまして、勝手ながら、ここでまとめて語らせてください。えーと、このような形式に何か問題ありましたら、DMを……って、ここはtwitterじゃないんだった。えーと、レスでそろっとお知らせいただくなり、もしくは……(Sekさんを一方的に信用して)ghost24hyピピンアットマークyahoo.co.jpまでよろしくお願いします。



・P.K.ディックのはなし

 Sekさんに対する感想が遅れてしまったのは、まずもって、前回のレスから、ディックを読み返していたから、でした。
 とはいいつつも、手持ちのディック小説の中で、Sekさんが挙げてくだすったものはまたこの残響めは持ってなく……ええいまたかこのニアミス! あ、関係ない話から先にしとくと、「ディックの非長文タイトルの駄作率の高さ」って本当でしょうかね?
 
 しかし、それでも手持ちのディックを読み返してみて……まあ内実をいうと「流れよ涙」「電気羊」「マイノリティレポート」といったところで、蔵書量はザコみたいなもの。あたかもそれはゴス少女が
「ルイスキャロル大好きー!」
とかいっておきながら、
「アンタ何読んだの?」
「アリス!」
「他には?」
「………………(無限の沈黙)」
「……せめてスナーク狩りと、シルヴィーとブルーノくらいは読んでくれよん……(流れよ涙)」
というようなもので。

ああ、ネタばかりが増えていく。で、仰る「アンドロイドの無機質な闇めいたもの」への親近感、というので、「ああ……」と納得してしまいました。たといディック経験がなくても、さすがにこうやって読み返してみて、それをわからないようではどうかしている。

 ディックの非人間的人物像……というのは何か、と抽象して考えてみたところ、「人間がシステム化してしまう」ところにあるのかなぁ、と。
いわば、純然たる機械化キャラ、というのではなく。
 「本来は人間のためにあるものだった、システム」ちうものへ、何の因果か「システム化」してしまったキャラ……の、圧殺性というか、逆説的なロマンティシズム性、というか、あるいは暗がりというか、幻惑というか。

 そんなことを考えてしまったのは、やはりこれがエロゲ言説の中であるからして。というのも、Sekさんの「エロゲヒロインには人間が最初感じられなかった」というのが、自分、わかってしまうからです。僭越ながら。
 大学入って、自分は一時、エロゲブランクというか、オタク文物ブランク、とでも称すべき時期がありまして。そんななかエロゲをたまたま「どうだったかな……」という感じでやってみると、これがまあ、違和感の塊でして。
 そのころ思っていたのは「こんなキャラ造形、コミュ造形、近代フェミ議論なんか、もーどこにいってしまったんだ。こんな都合のいい連中……リアルじゃねえ!」
みたいな、変なこじらせ方をした似非フェミ論者のバカっぽい観点から見ていたものでした。

 しかしまあ、自分とジェンダー、自分と「リアル」というものは、結構厄介なものだったようで。ようは「少女が消費される」ということへの、違和感。エロス消費のニヒリズムだとか、「人間消費」へのニヒリズムだとか。
 Sekさんの感じておられたこととは違うでしょうが、自分はそういうことでもって、この「なんか人間っぽくねえ……エロゲキャラ」という感覚を切っていました。あくまで自分は、「ここには人間性がない」をフェミ議論で斬っていた、というだけの話でもありますが。

 しかし。仰る安心チューリングテスト、ですが、自分もしていただけに、共感というだけでは済まされないなにかがあります。
 結局はフィクションの強度、妄想の強度を信じきれなかった当時の自分とはなんなのか。そして、その不信の根拠たる「リアルに対する畏怖」とはなんだったのか、と、今更ながら思うのでした。
 そう、それは、ディックの作品がもたらす、「リアルとのコンフリクト」に通ずるもので。象徴的意味でも、実際的(作中での問題解決とか)においても。 
 リアルというものを、「そこにあるもの」として自然に受け取れない。さらには、その不自然性にさらに畏怖、恐怖感を感じてしまって、身動きとれなくなる。リアルが、システム、というものと手を組むと、余計に。

 そう考えると、一介の学生たる自分には……まして、当時闘病生活をしていた自分には、荷が重いテーマだったのかもしれません。
 当時の自分に、「ディックとは英語スラングで男根を指すのだよ……」といってあげたい自分です。そんな未来の俺を、学生俺は蹴り殺すでしょうが。


・教えていただく楽曲のはなし

ところで、教えていただいた、茶太「イイコ」はよかったですねえ……
ガール&ファンキィッ! カーティス・メイフィールドじみたワウギターとベースのR&Bがいいですねえ……。

で、Sekさんが、「キャッチーなところを拾ってくれてるのでしょうか」と仰いますが、実はそんな配慮は一切してなかったりw
というか配慮を少しはしろよな自分……と逆に失礼しました、と。
でも、楽しんでいただけたら嬉しいです。

というかSekさんも音楽の造詣が深いかたやで……現行邦楽ロックのリズム感覚を精緻に分析されておられて、それをエロゲ感想に生かしておられるというとこなんか……。

・PITのはなし

PIT採用のHOOKゲー2作のレビューも当然読んでいますよ。すいません、でもまだこの2作、この期に及んでまだやってなく……

しかし、興味が非常にわいたので(このレビューで)、いつかやります。

ふと思ったのが、多分暇と金を思いっきり海原にぶちこんだら、PITを完璧に使いこなしてくれるんじゃないかと……。Cドラにそんな余裕があるかはさておき……はよあのメーカはディスクレスをだな。

しかし、ストノレビューのとこで、
「読者はPITを読んでる保証がない」
のご指摘にはぞっとしました。そう、その保証なんて、どこにもない。もともと読み飛ばされることが前提のPIT。その議論は、その存在は、プレイスタイルによっては無化されてしまう。
往々にして、PITの存在ひとつありき、で、それは最後までプレイ感覚と同期している、という感じでレビューかかれることありますが、でも、あまねくHOOKゲーユーザはそれをしているか、といったら……。

ある意味で、それは2chというよりは、2chまとめブログのコメント欄の不毛さを思わせましたね。どこにも繋がらなさというか。
「繋がるようにトータルデザインしろよ!」の御説はごもっとも。でもそこまで強いトータルデザインは、結局は「息苦しさ」に繋がり、結果PIT2ch言説空間の自壊に繋がる、と思うと……。

・観客型・没入型のはなし( X Change Alternative2)

 僕はtwitterのほうでも結構発言しているテーマの中に「観客型」思考なのだ残響は、というのがありまして。
 それをこのゲームレビューにあわせて深く考えてみると、――もっともそれはこのゲーム特有のものかもしれませんが――、僕は「没入することを怖がっている」のかもしれません。どこかでそれを怖がっているからこその、観客型、というか
 このあたり、先に話した「リアルへの恐れ」というとこにも繋がってくるかもしれません。
 「視覚情報は上」「触覚・味覚情報は下」に位置する、という分析には圧巻でした。そしてそのアマルガム的なあやふや混じり感、というのにも。

・Backstageレビューのはなし

 このレビューにはいろいろとお話ししたいことが山盛りなのですが……それは当レビューでお話しさせていただきたいのですが、まずここでひとつさせていただくならば、

「芸術と俗世の対立」
ですね。

 ふと思ったのが、こういうテーマをエロゲはよくしますが、大体において「恋は死よりも強し」の論法でもって、死よりはいささか強くない芸術モチーフは、作中において恋愛に押し流されてしまう傾向にあり。
 そこのところの話は「恋ではなく」レビューでするべきなのかもしれませんが、この「恋>芸術」というシナリオ構成は、結局のところ、純愛エロゲの至上命題「ヒロインをかわいく描け!」の順法枠内から、芸術の高み、というものをオミットする傾向にある(上段落と同じこと書いてますね)。
 まあ「芸術を達成したところで、どれだけヒロインがかわいくなるんやねん」
という、残酷なエロゲ命題ですね。だったら最初から人間を描くにはどうしたら……ここにおいて、散々作中でイチャラブらせた挙句、最後のあたりで思い出したかのように「芸術にたちもどり、愛を経た芸術でもって大団円」というのがテンプレです。
 ……ですが、芸術とラブ、そして芸術と俗世、とは?と考えると……まあラブを俗世を簡単に並べることもまた問題ですが、しかし「芸術の崇高なる高み」とはまたフェーズを異なる位置にある、とはいえると思うのです。
 そこのところの解決はどうなされるのか。これは、個人的にはちょっと気にかかっているところです。もっとも、これも再三申し上げる「リアルへの恐れ」というとこと関わってきてまして、結局「リアルと芸術とをそれぞれコンフリクトさせる形で、お前さん(残響)は芸術の崇高性を担保しているのだ」といわれたら、これまた「むぐぐ……」となってしまうのですが。


――――「朱」レビュー感想本文――――

もう言い訳しようがないほどの長文前置きレスのあとで、ようやく本筋に入ります。

 今回、詩情を感じましたね……レビューにおいて。それはあたかもNHK「シルクロード」的な作中を描写するSekさんの筆に誘われて、はぁあああるぅううぅううかぁああぁあかぁあああなぁあああたぁあああぁああ(twitterで流れていた某「は●かかなた」というゲームへの怨嗟の声をサンプリングしました)の砂漠の地への思いを募らせたか。カモン喜多郎(ネタが古い)。

 ていうか今回なついゲームを選ばれましたね……自分の追っているエロスケレビュアーの方々のなかでも、Sekさんの「次にお選びになる」ゲームはマジ予測つかねえ……。

 その二つの要素……つまり、作品の同時代性超越と、Sekさんの仙人じみた同時代性超越プレイが重なって、このレビューはある……といったら明らかに言いすぎですが、しかし「当代的萌え」とは、明らかに異なるテイストを、読んでいて感じました。

 最初から後のほうの御説のことになるのですが、当代的ゲームボイスプレイ、というとこで、自分もSekさんと似たボイスプレイ感覚を覚えます。それは確かにリッチ。考えるだに、リッチな体験なのでしょう。ここまでボイス関連が、この10年で深化してくれたら。まったく、10年前のエロゲはボイスレスが普通、パートボイスも普通だったなんて信じられねえぜ、いまや同人だってフルボイス……嗚呼! だから制作費を切迫して切迫して、ただでさえ自転車操業なのが(略

 しかしボイス感覚をそれによって、鍛えるのを甘えさせていたら、今作のような作品を、Sekさんほどは味わえなかっただろうな、とも思うのです。
 無音、あるいは言葉の発せられる順番における「ズレ」。
 縦に積み重なっていくエクリチュール(書き言葉)とは異なり、パロール(話し言葉)とは横の関連性の無限さこそが肝心なのである……というポストモダン言説をちょっと借りるとするならば。しかしパロールも、「ことば」である以上、何らかの積み重ねを前提とするものであり、超越性もその何らかの積み重ねののちに現れるのではないか、と言う議論をしたくなります。
 そして、その裏にあるのは、すなわち「関係性の進行」という、これまた手垢がついたものですが、しかし「言葉を紡いでいく」とはすなわちこういうことではないかと。まあそのあたりはSekさんが本レビューでしっかりとご指摘なさったことですから、屋上屋はやめておきます。

 さて、砂。
 当方が今仮住まいしているとこは、某砂丘王国の隣の県なのですが、世ではこの二県の区別がされてなくてブツブツブツ……。
 
 しかし、残響、まだ鳥取砂丘いったことないのですよ。え、こんだけ近くていってないの? と思われそうですが、近いからこそ逆に、ということもあって。だからまだ「砂丘」というのにはロマンスを感じられます。

 ……そのロマンスが「ソファ」でぶち壊されるのはなんとも、ですねえ。ここ笑ってしまいました。
 しかし自分も、自分の小説でそんなミスをしかねないので、ここはちょっとした胸の痛みを覚えながら、にこっと鍵ゲー的諦念笑いをすることにします。



>『指輪物語』よりさらに辛いのが、邪悪な黒の乗手が襲ってこないこと

 この点、後代の指環物語の受容が、善悪二元論のシンプリティに陥ってしまったあたりと、好対照をなしていますね。
 中つ国を旅する一行。彼らの茫漠たる旅も、また一つのロマンスであり、ひとつのベクトルによって突き動かされていたものでありますが、さあそのベクトルを抽出してみて、よりエンターテイメント性を追及すると、まあいわゆる灰ファンタジーはライトファンタジーになり。クトゥルフでもダーレスが同じ処理を行ってだな……。

 じゃあその単純なマッチョ二元論を否定して、茫漠たるカオス、茫漠たる世界が、ただ存在してるだけ、で物語を成立させようとすると……また、これもこれで、仰るように、「黒の乗手」の試練が、困難がないだけに、超アンチクライマックスな物語になってしまって……単純にいえば、「ツマンネ」。
 これ、わたしが自作小説で一番苦労してるんですよね……自分自身が善悪二元論のあらゆるマッチョを否定し、リアルのマッチョや困難を否定するだけに、じゃあ作劇をオモロくするにはどうしたら? というとこで、今もなお悩んでいるところです。

 まあそんな残響のどうでもよさとは別に。


>3, 行きて"還りし"物語

 ロードムービー論のようだな……と思いました。このくだり。というか、その感じはレビューの最初からもありましたが。
 「行くところ」に意味があるのではなくて「行くという経験」に意味があるのだ、というロードムービー論は、こうやって残響が言語化してしまうとひどく陳腐なものですが……
 しかし、経験が一義的でない以上(ポスモダ言説はこの「経験」を、リアル、の名のもとに一義化さす傾向にあると知ったのは最近でした)、その無数の経験を「人の生=物語」として、ひとつひとつ丁寧に言語化していくこと。
 そう、残響が自作小説のツマンなさをくどくどいっているんだったら、この丁寧な言語化をさっさとしなさい、って話で。その点でも、Sekさんのレビューは、勝手ながらきわめて示唆的でありました。

 行きて、「帰」と「還」の細かな使い分けには、深く染み入るように感動した自分がいます。
 「還」とはなんなのか。それはゲームを実際にプレイしないとわからないものかもしれませんが、しかし茫漠たる世界に、一滴の水として還ること。その還り自体が、また新たなモノを生まれさすということ。
 こうして言語化さすと、また残響のアホさ加減により、陳腐になってしまうのですが、大事なのは、そんな「人の生=物語」を、還ったモノたちを、継いでいったモノたちを、

>ひとつひとつの旅の軌跡だけをいつまでも大事そうに抱えこむ
 
ように、していくだけの強さをいつまでも、ということなのでしょうか。いや、疑問系にしてどうする。「ことなのです」。……と、レビューを読んで、思いました。


またもや……というか過去最大級の長文になってしまいました。ごめんなさい。
もし何か拾っていただけるところがありましたら、お願いします。
2015年04月15日00時51分10秒
こんにちは。
自分が朱をプレイしたのはエロゲーをやるようになったはじめのことで、要するに中古価格が480円くらいで、なんかタイトルとパッケージのイメージに惹かれたからでした。ねこねこソフトというのが何なのかもわからず、単に安くて面白そうで絵がきれいだからやってみて、冒頭あたりでBGM「眷属」が流れてからはすっかりその空気に飲み込まれました。朱が特に音楽の評価が高い作品であることも知らなくて、予備知識もエロゲー文法の知識もほとんどないままにあの音楽と砂漠と情念の世界に浸れたのは幸福なプレイ体験で、自分の中ですごく美化された作品になりました。僕自身も当時は感想文の書き方もわからず、言葉未満の感覚を吐き出さずにためていられたのがよかったのかもしれません。アラミスやカダンのように先送りにしていた……なんてこうして言葉にすると陳腐ですけど。

だから他の方たちの評価が低かったりすると残念でしたが、そんなふうに勝手に思い入れを込められるのもまた、言葉少ない本作のよいところなのでしょう。たしかにすっきり気持ちよく終われる話ではないし、Sekさんも指摘しているように脇が甘いところもあるし、暴力的に断ち切られることで形を作られ、受け継がれているかのような思いが駆動する物語の終着点が、特に銀色を知らなかった自分には「なんじゃこりゃあ」となったところも多少はあったのですが、いつかきちんと感想を書きたいなと思いつつも果たせていませんでした(その後、長めの感想を書くのに慣れてからスカーレットやって、その感想でリベンジを果たそうとしたのですが、スカーレットは朱と違ってまともなストーリーがあるので非理性的な感じは比較的薄い)。

もう内容もだいぶ忘れてしまっていたので、こうしてSekさんが瑞々しい感想を書いてくださったのを読むことができて、僕の未練も消えてどこかに還っていきそうです。やっぱり一番印象的だったのはアラミスなので、そこらへんを語ってくださったのがありがたいです。あの肌を拭う儀式はいいですね。ストーリー上はなんの必然性もないけど、アラミスの物語を象徴するシーンのひとつになっている気がして、うまくできているなあと思います。言葉の不能性、口ごもることのテーマはロマン主義の十八番であり、そうした文脈で出てきてももはや陳腐にしかなりませんが、ストイックであると同時に狂気じみたところがあるこの作品は、そういう卑屈な見方からは離れたところにあるような気がします。文学史的にはたぶん、砂漠物のジャンルか何かの文法に回収しつつ、ノマドだの逃走線だの、生物の死に絶えた砂漠の無機質で無菌的なイメージがだとのいったようなことも言えるのでしょうが、それよりは「アラミスの褐色の肌はきれいだ」と一言いうほうが説得力があるのかもしれません。

Sekさんへのコメントというよりは自分の思い入れを一方的に書いただけになってしまいましたが、よい文章をどうもありがとうございました。いつか再プレイしたいなあ……。
2015年04月17日22時50分42秒
 >残響さんへ

 どうもです。時流からは取り残されつつ、砂に足をとられたカタツムリみたいにして書いてる感想なのですが、楽しんでいただけてるようで嬉しいです。マイペースで殻にこもりがちなエロゲ性活でして、TSものに興味があってやった『X Change Alternative2』では「ヒロインになりたい」願望みたいなものをマイペースにさらけ出してもしまいましたから、ドン引きされてなくてよかったです。マイマイ願望(雌雄同体)。
 わたし自身もプレイの回転はもうちょい速くしたかったりするのですけど、なかなか無理っぽい予感。生活に追われてたりもあるのですが、それはまぁそれ。むしろ主な理由は、エロゲ感想を書き始めてからこちらというもの、いちいち作品に愛着が付いてしまってなかなか剥がせず次に行きがたいという、しあわせな羽目に陥ってたりします。『Strawberry Nauts』とかでは、みかもの鎖骨をペロペロするだけの決意をもって書き始めたのですが、妙にシステムに言及したくなる作品で、結局のところ長めな感想となりまして。さかのぼって『PriministAr』なんて、短文感想だけですまそうとプレイ前から心に決めておいたのですけど、ままなりません。
 あらためまして、読んでいただいてありがとうございます。ねちっこく書いてる感想ですから、ねちっこく(?)読んでいただけるのも本望です。

 残響さんのレビューも、夜のひつじ作品だけ除いて読ませてもらってます。『BackStage』に感想をつけるのはずっとわたしの懸案だったのですけど、やる気になったのは、残響さんの『恋春アドレセンス』感想でやにわに出没した柳田翁がきっかけのひとつでした。なにやら古きうつくしいものを垣間見せていただいたので、それを自分の感想に持ち帰ってマネてみようという経緯もあっての「芸術と俗世の対立」と泉鏡花だったりします。
 そのあたりについては、わたしの場合、完全にただのファンタジー小説好きでして。残響さんのように文学について体系的なトレーニングを受けてないだけに、より素人らしくテキトーに放言してしまえます。……おっかねぇww そして、おっかないだけに、ガチガチに文章を組みきってから人に見せようとする臆病さがわたしにはあり、この点については「スイング」のある残響さんとは好対照になってるような。たまにTwitterを覗かせてもらっては、その「スイング」が自分には足りてないのかもと、よい刺激を受けてます。そんなわけもあって、拙文からも何かの示唆なりを拾っていってもらえるのなら嬉しいかぎりです。

 そんなこんなで、『ユリキラー』に残響さんが惨殺されてるとこもオモロく眺めさせてもらったのですけど、わたしの場合は、特に『きみはね』『その花』感想のほうに得るものが多かったりします。「カプ観測」というのはエロゲへのまだ知らない接し方でして、作品中の「まなざし」の投げかけ合いをそっと見守っていたりと、情のこもった傍観を示してもらえたのが面白かったです。
 最近、TSエロゲへと興味をもっている理由のひとつでもあるのですが、わたしも「少女が消費される」ことへは関心があったりします。ジェンダーを題材にしたSFなど、フィクションに端を発してる関心ではありますけれど。エロゲをやっているとごくまれに思い出すのが、コニー・ウィリス「わが愛しき娘たちよ」。少年少女たちの寄宿舎を舞台に、獣姦によるエロス消費というテーマをあざとい技巧によって書いて、ジェンダー論でもって物議をかもしたSF短編ですね。ディック作品まで含めて、ほの暗くてアンリアルなお話へのわたしのこだわりには、そのねじ曲がり方で、残響さんと似たところもあるかもと共感めいた気持ちになりました。

 ディック作品にはアンドロイドのような不気味なコピー品が溢れかえっているのですけど、時代・作者の背景もふまえ、これは消費社会批判(あるいはメディア批判)という文脈での受容が一般的かとは思います。「私はシステムから騙されてるかも?」という疑念。そして、誰かがアンドロイドなのかもと疑うのなら必然的に「あれ、私もアンドロイドかも?」という疑念に行き着き、今見えている世界がまるごとニセモノかもしれないという、存在論的なメタフィクション文脈でも作品は受容されることとなる。その二つの疑念が寄木細工の出来損ないみたいに入り組んでいき、作者すらもいずれの疑念か判ってなさそうなほどプロットまで混乱するというのが、ディック作品のひとつの姿であると考えます。
 すると、非人間的人物像を「人間がシステム化してしまう」ものと取る残響さんの見方は、肯けるものです。そして、そこでエロゲを例に取ってエロス消費への違和感を見据えるとするなら、「システム化」していってるのは私たちユーザーということにもなりそうで。怖い怖い。自分が自動的なアンドロイドであったことに気づくわけで、これはちょうど『流れよわが涙、と警官は言った』のストーリーですよね。
 けれど、『流れよ涙』を読んでみればディックなりの乾いた希望のムードもまたあったり。あの物語はどんでん返し的に、システム側だったはずの"警官"が涙を流すという血の通った人間味へときれいに収束していました。「ディックディック、ちんこちんこ」としょうもないダジャレを覚えちゃった今のわたしには、そのあたりがほどよい物語のオチとも感じれます。それで後はダウランドに耳を傾けちゃえるなら、まぁそう悪くもないかもですね。……バド・パウエルも良いかも。「Un poco loco」「A night in Tunisia」「Parisian thoroughfare」あたりが気に入りました。

 そろそろ明るい話をしましょう。小宮裕太のエロ漫画です。わたしも好きなのですけど、マッチョイズムへの違和感からもつながりえる嗜好と思ったりします。
 まずなにより、沢渡さんを始めとして、ほんのちょっぴり超然としてる少女が絶妙に愛らしいんですよね。痴女、幽霊、セミ、宇宙人etc。それらの設定が妙にハマっているのは、瞳をぼんやりとさせて、少女マンガっぽいスッキリとした線を引き、顔のパーツをあまり動かさない画風が、表情を読みきらせずにいるためかとも感じます。特に、モノクロイラストのとき瞳の中にはっきりした線を用いず、ほのかに濃淡をつけるだけの表現をしてるのが好きです(あえてエロゲを見るならFavorite『アストラエアの白き永遠』とかは似た印象になる瞳の彩色であったような)。
 その作品を見てみれば、カップルを並べて描く構図が多い。また、なよなよとした優男のほうも「なんでコイツ頬染めてんの?」状態。沢渡さんシリーズの初めにおいて、彼女の持った洗濯物カゴから自分のパンツを慌てて回収してる男の赤面っぷりといったら、もう。お前は乙女かと問いただしたくなるような、もう。
 沢渡さんは無駄口もなく仕事をこなしますし、「この淡いブルー 好きなんです かっちりしていて 着やすいし」そんなことを言う、襟元がいつも綺麗な人。そして前述の通りほんのりミステリアスであり、そんな彼女からキスされた男が目を丸くしていたりと一喜一憂だだもれな感激屋(emotional)だから、どうも生々しい男女関係は生まれてこない。でもその関係性もまた細やかに反転していって、沢渡さんが実のところ可愛いことばかり言う人なのもすぐにバレる。キスとかハグとかのカットでも、それをする役と、されて感動する役が、次々に入れ替わっていってる。そんな風だから、ふたりして頬染めていったところに、どこまでも優しく溶けあう空気が生まれているような。
 字面のストーリーだけを追っていくならチョロイとしか言いようのない展開をしてるのだけど、なるべくしてなった感がついてるのがすごい不思議。わたしにとっても、「クーデレ」やらの一言ではあまりに足りていない多幸感を分けてくれるふたりです。

 『朱』がロードムービーっぽいというのは、わたしの所感のとおりでして、実際の作品のインターフェイスでも上下に黒帯が付いていて(レターボックス)、まさに映画を想起させようとしているものです。その黒地のウインドウへと、話者の名前を表記せずに文章を書いていくのが、わたしとしては心地よいシンプルさのインターフェイスでした。
 Tarte『カタハネ』も同様のデザインを採用していましたよね。キャラが賑やかなこともあって『朱』ほどは地味ではないものの、しばしば「シロハネ編はちょっと退屈」とかもっともな評価をされるあたりでもまた似ており、旅物語をオモロくすることの難しさが思われます。

>>
ふと思ったのが、多分暇と金を思いっきり海原にぶちこんだら、PITを完璧に使いこなしてくれるんじゃないかと……。Cドラにそんな余裕があるかはさておき……はよあのメーカはディスクレスをだな。
<<
 海原版PIT! なんとも想像しがたいところが。PIT負けすることのないテキストとなるでしょうけど、テキストを複線にしてしまうとあの魅力は削がれる気もするし。……ボケとツッコミの流れが固定化され読み易くなることで、評価は上がる可能性も?
 同会社・別ブランドの、めろめろキュート『ドラクリウス』(2007)では新品対象にしてディスクレスパッチ配布してましたね。試験的に実施してその方式は結局とりやめた、という話なのでしょうか。
 わたしも配布を受けまして、フォームからゲームアワードコードを送ると、メールでもってパッチの取得方法が返信される方式でした。ところが、わたしの場合、送ってから二ヶ月くらいしてから返信きまして(笑) 買ったタイミングからして発売からすでに一年以上たってたので「まぁ送信ミスでもあったんだろう」と忘却のはるか彼方だったので、海外から船便で送られてきたかのような悠々たる感でした。

>>
「ディックの非長文タイトルの駄作率の高さ」って本当でしょうかね?
<<
 どうなのでしょうね。ファンとしては「全体的に駄作率が高いだけのことっ!」と言ってしまいたくなります。パルプ作家の鏡みたいにして多作ですし。ただ、長文タイトルにはプロットがまとまっていて評価の高い有名作が目立ってありますね。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『流れよわが涙、と警官は言った』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』。耳に残る長文タイトルに完成度の高い作品があるための印象論といった面が強いのかもしれません。
 ちなみに去年、ハヤカワのSFマガジンでやってた人気投票の上位はこんな結果。
{
1, ユービック / Ubik
2, アンドロイドは電気羊の夢を見るか? / Do Androids Dream of Electric Sheep?
3, 暗闇のスキャナー / A Scanner Darkly
4, 流れよわが涙、と警官は言った / Flow my Tears, the Policeman Said
5, 高い城の男 / The Man in the High Castle
6, パーマー・エルドリッチの三つの聖痕 / The Three Stigmata of Palmer Eldritch
7, 火星のタイム・スリップ / Martian Time-Slip
8, ヴァリス / VALIS
9, ブレードランナー(映画)
10, 虚空の眼 / Eye in the Sky
}

>>
縦に積み重なっていくエクリチュール(書き言葉)とは異なり、パロール(話し言葉)とは横の関連性の無限さこそが肝心なのである
<<
 わたしはポストモダン言説をよくわかってないので、このあたりでは用語の文脈を充分につかめてるのか怪しいことを、ここでゲロっておきます。これまでひとりプレイしてはそれで満足してきたユーザーなので、オタク的に受容されたポスモ言説とかもほとんど知らずで。ただ、そのぶん話を聞くのが面白かったりもしますし、自分がどのあたりで喋っているのかくらいは承知しておいたほうが便利かなという気はしていたり。
 あと、このあたりと関連するかもしれないチラシの裏な話を、vostokさんへのレスで少しだけ書こうと思ってるので、もしよろしければ読んでみてください。

>>
安易に「駄作」を薦めてしまって、これはひょっとしてSekさんのお嫌いな作品パティーンかしら……とおののいていました。
<<
 その後、菜々ヶ木アリス役の声優さんが、雪村とあの生き別れの妹さんであることを知って、むしろ心がさらに傾いたりしてました。あの堂々とあざとい声づくり、好きです。枕『サクラノ詩』にもキャスティングされていて、わきあがるわたしの歓喜の声。ぶひぃ。


 なんだか好き勝手なところだけ拾って、まとまりなく書いてしまいましたが、おゆるしを。
 それでは。
2015年04月18日09時05分44秒
 >vostokさんへ

 こんにちは。
 思い出のある一作とのことで、この感想が、アラミスたちを懐かしむときのただの呼び水としてあれたらよいなと願うばかりです。わたしも素直に好きといえる作品だったので、ここから十年後にはどのように覚えているものか、はたまた忘れ去っているのかが楽しみです。

 予断をもたずにプレイしていた頃の記憶は、やっぱり独特の色合いになりますよね。わたしの場合、体験版を何本かやってから最初に買ったエロゲが『最果てのイマ』という、ちょっと笑い話めいたチョイスでした。それも評判を聞いてというわけでもなく、ほぼ絵買いです。公式ページを見ながらにエロゲに手を出すのか踏みとどまるかと煩悶して、葉子のぼやけた瞳や「自分の大切なものだけ大切にして あとはさくっと切り捨てるタイプ」なる魅惑のキャラ紹介と、どれだけ睨めっこしたことか。
 そうしていざプレイに踏み切ってみれば、案の定のことポカーン。エロゲの文脈には最低限ながら予備知識があったし、田中ロミオらしく精力的にベタ展開も作るしプレイヤーの動線も作られてるシナリオなので、物語の構造はわかります。しかし、自身が手を動かして作品を完成させるような習慣がわたしには無かったので、物語の意図には戸惑うばかり。今もってプレイしきったと言えるのか微妙なところです。
 ただ、「あの田中ロミオ」と気負うことなしにあのストーリーラインを素直に読んで(……ライン?)、それで上手な意味付けができないまま内容が飛び飛びのイメージとなったままなのも、それはそれで幸せなのかもと。なんだか、シャーリーの親しい笑顔が浮かびます。脳裏では、今もって葉子が黙ったまま不可解な微笑みを浮かべてます。変な刷り込みを受けたのか、プレイ中のエロゲのBGMが気に入らないと代わりに「ジムノペディ」を流す癖がついてしまってもいたり。そして、ロミオといえば眼球舐め。最初に『イマ』でそれを見せられたときはその行為の存在すら知らなかったので、ゾッとしました。なのに今となってみれば、アラミスの瞳から砂を舐めのぞくことには懐かしさすら覚えるという。とても深いところに印象を残していった作品で、思い返してみると……うん、言葉になりませんね。

 そうして、あの当時に戻ってもやはり同じように『イマ』を選ぶだろうなと理由のわからない確信を得るのは、ヘプタポッドB言語で思考するのにもちょっとだけ似た経験なような。元ネタはvostokさんもご存知のとおり、テッド・チャン「あなたの人生の物語」。『恋愛ゲーム総合論集』に寄稿なさった「驚きのギズモ:猫撫ディストーションが見せる目的論と因果論」は残念ながら読めずにいるのですが、『朱』感想で(おそらく)似たようなアプローチを考えつつ断念したのがわたしです。
 チラシの裏なことを勝手に喋りますと、アラミスCVの有無について書いた箇所は、音声言語の線状性(話し言葉は時間に沿ってつなげて配列される)から考えを始めたトピックでした。それを「あなたの人生の物語」のように物語と合わせ見れないものかなと。キャラクターボイスのほうがテキストよりも強く持っている言語の線状性ですが、それを序盤からどこかしら絶望的な終着点を匂わせている片道の旅(宿命をなぞるかのようなカダンたちの狂信的な巡礼)、この作品の全体構造と見比べられないかなというアイデアでした。しかし、正確な話をするつもりがないにしても知識不足から形にできなさそうでしたし、実際のキャラクターボイスと合わせて考えるのは無理筋な予感もして。どうも、主人公とヒロインの一体感に話を集中させたほうが『朱』には良さそうだったので、結局のところ、そのアイデアはリサイクルボックスに放り込んでしまいました。
 だから何だよ、としかいえない話になりましたね。このままお蔵入りしかねないので、厚かましくも未練だけ聞いてもらいたかったんです(笑)

>>
文学史的にはたぶん、砂漠物のジャンルか何かの文法に回収しつつ、ノマドだの逃走線だの、生物の死に絶えた砂漠の無機質で無菌的なイメージがだとのいったようなことも言えるのでしょうが、それよりは「アラミスの褐色の肌はきれいだ」と一言いうほうが説得力があるのかもしれません。
<<
 この作品では、動物が出てこなかったという印象が強く残りました。ウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」がその名の由来といわれる、タクラマカン砂漠あたりが念頭にあったりするのでしょうか。サボテンに張り付くサソリとか、飲水が尽きたとき頭上を無神経に飛んでゆく鳥だとかが全く登場しなかったのは、むしろ不自然なほど。子供のときファウが"けもの"の首をひねったことがほとんど象徴的にすら感じます。それとともに、食べ物もあまり美味しくはなさそうだったというか、干し肉とか、挽いた粉から作るパンみたいな加工品となってから物語に登場してくる。意図されていたのかはわかりませんが、どこか現代都市じみた、ひたすら人間しかいない茫漠さを『朱』は見せつけている。
 ……という文章を、実は一度は書いていました。結局、そんな論を感想本文からキックしてしまったのは、わたしにもやはり魅力的な見方でなかったためです。最初に砂漠を渡るときBGM「砂の城」が鳴らされると単純に「おおっ!」ってなりましたし、日常的に積もっていく砂を眠る前には拭いとっておく儀式に安らぎ、「お姉ちゃん」との踊りのシーンで感動して。そうして一章のうちに完璧に引き込まれて、するともうアラミスたち以外が重要とは思えなくなっていました。あの無味乾燥な砂漠があればこその物語だけれど、彼女たちの目を通してない光景はあまりに意味が薄くて、そこに視点をやってしまった途端、もっと大事な情景を見逃してしまう気がして。いつにもまして思うがまま感想を書いていったら、上の文章を入れる文脈は失くなってました。この作品では、中世の安宿のソファにちゃんとツッコミ入れるのがもったいなく、そこでのキャラの感性にツッコミを入れるのはまぁアリかなという、そんな自分なりの判断ラインでした。

 そして、アラミスの褐色の肌はきれいですよね。ラテン系の美人さんっぽい、いかにもな色合い(国によっては、おもちゃ売り場のバービー人形たちこんな色合いで染まってるような)。けれども、ねこねこソフトだから、むしろ夏休み中を駆けまわってきた八月三十二日あたりの子供っぽくもあるような。女の子と男の子が同じ色に焼けてたあの頃をちょっと思い出します。年月のうちに大人しくなったアラミスなのだけど、その姿には子供時代にカダンと手をつないでたときの面影を残してるようでもある。ラッテたちや他の多数のエロゲヒロインたちとは異なるからこそ褐色の肌は目立つのだけども、ずっと見ていると、パートナーの男性と同じ彩色がなされているのだからむしろ自然な気もしてきて。かまびすしくない『朱』にはぴったりで、やっぱり、ただアラミスを見つめてたくなりました。

 それでは。



(2015/04/19訂正 最初の砂漠BGMは「砂銀」じゃなくて「砂の城-The Castle of Sand-」でした。十年どころか十日でも記憶が保ててない。)
2015年04月18日11時02分12秒

長文感想へのレスを書くには
 ・ユーザーIDを有している
 ・COOKIEが有効である
 ・COOKIEを有効にした状態でログインしたことがある
 ・5つ以上一言コメントを書いている
 ・長文感想を書いたユーザーが長文感想へのレスを許可している
の5つの条件を満たしている必要があります。

コメントデータ

このコメントはだいたい4470回くらい参照されています。

このコメントは2人の方に投票されています。