vostokさんの「和香様の座する世界」の感想

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八重垣作る その八重垣を
 ビックリマンシールは僕が小学1~3年生くらいの頃に流行っていた気がする。大量に買ってチョコをゴミ箱に捨てる問題も話題になった直撃世代だった。一番かっこいいのはヘッドロココ。ホログラムの迫力があったのは魔肖ネロ。ググってみたら、他にもサタンマリアとか聖フェニックスとかシャーマンカーンとか懐かしい画像が出てきた。ヘッドシールのきらきらした背景装飾は、あの時代に子供だった自分には宝石のようにきれいだった。ビックリマンチョコはそんなにたくさん買った覚えはないし、買えるほどお小遣いがあったわけではなかったけど、気がついたら最終的には1000枚くらいはあったと思う。飽きた人からもらったりしたのかな。それも中学生の頃にはなくなっていた。

 どこかから来て、どこかへと去っていった小さな神々たち。裏の変な説明文は全く意味が分からなくて、何かの呪文のように個々の単語から断片的に雰囲気を感じ取っていただけだった。確かマンガとかアニメとかあった気がするが、そちらには関心は向かなかった(ビックリマンシールのキャラクターが動いたり、声を出したり、自我があったりするということがなんだか不気味だった)。

 ビックリマンのシステムが周到に考え抜かれた凝ったものだったと知ったのは、ビックリマンなどすっかり忘れていた大学生の頃、大塚英志の本を読んでだった。どんな趣旨だったか詳しくは忘れてしまったが、体系的な情報をあえて断片化して「大きな物語」を想像させる技術としての疑似的な神話、みたいな話だったと思う。ビックリマン世界の全貌を示す必要はない。おおもとのストーリーで勝負するのではなく(ストーリーは終わってしまうのでビジネスとして問題がある)、ディティールで何となく気を引く。日常の細部に溶け込んだ風習。思い出してみると、ビックリマンでかっこよかったのは西洋風の名前や格好をしたキャラクターたちばかりだった気がする。和風のキャラクターもいたが、マージナルなのが多かったと思う。

 そういうどこかインパクトが弱い存在が、日本の八百万であり、ぬらりひょんや都市伝説に出てくる妖怪たちだ。そのおおもとである古事記の神々など子供の日常では全く聞くことがないし(少なくとも我が家では)、聞いたとしても、例えば天照大神が何をやった神なのかよくわからない、というか聞いてもピンとこない。せいぜい浦島太郎や桃太郎みたいな昔ばなしが記憶に残るくらいだ。だいたい神様は神様であって、神様に固有名があるということ自体が奇妙に思えた。

 そういうよくわからない神々の話を、古代世界における歴史の書き換えや宗教学・神話学的な要素のずれやねじれを発見しながら再構成していくのは、世界の裏側を覗き見るような面白い作業であり、もっと眺めていたかった。そして小さな疑似的神話であるこの作品にビックリマンシールシステムが導入されているのは巧みな仕掛けだ。

 もう一つの思い出は、高千穂牧場だ。高校生くらいの頃だったかな。一家及び祖父母と夏の高千穂牧場(宮崎県)に行って、散歩してアイスクリームを食べてきた。それだけ。起伏に富んだ緑の草地が遠く広がる、明るくて気持ちの良い場所だった。天孫降臨の地の碑文のようなものも見たかもしれないが、当時は全く関心がなかったし、覚えていない。アイスクリーム以外で覚えているのは草木の緑と山、草地を渡る風といった自然だ。あれから20年以上がたち、祖父は亡くなり、祖母は寝たきりの痴呆。家族は散り散りになり、会えなくなった者もいるし、会っても昔のように気楽に笑えない。さして楽しかったわけでもないが、あの明るい高千穂に、若くて平穏だったかつての自分たちを思い出したくなる。遠くなってしまったけど、遠くはないような記憶。日本の曙の時代もそんな風に若くて平穏だったのかなという幻想。実際、日本人は昔から古事記や万葉集を読んでそんな幻想を大切にしてきたのではないか。最初の和歌といわれる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」は幻想の歌であって、僕にとっては行ったことのない出雲ではなく、記憶と空想の中の高千穂の風景とどこかつながっている。

 さらに付け加えるなら、僕が学生の頃に家族で登った富士山だ。ブログにも昔書いたと思うが、富士山でも日本の風景を神話と結び付けられる。頂上は月面のクレーターのようなので風情があるというよりは異界じみているのだが、それでも美しい女神だという木花之佐久夜毘売を祭る神社がありご褒美となっている。家族にとっては最後の大きな旅行だった。当時、家族はすでにばらばらになりかけていたが(僕もまもなく一人暮らしになった)、あの山頂の時間と空間を共有したのは意味があったと思う。

 もう一つ思い出した。ザ・モモタロウだ。確か小学校4~5年生くらいの頃に連載していたと思う。当時はプロレスなんて子供のじゃれあいとしてしか知らず、興行としてのプロレスシステムにはまったく関心がなかったが、僕にとってザ・モモタロウは絵柄にしてもギャグにおいてもお色気においても教養や情報においてもちょっと背伸びして読める最高の教科書だった(ドラゴンボールは背伸びが不要だし、他には身の回りにはギャグが面白いマンガはなかった)。特に印象に残ったのは、うらしまマリン編とシュテンドルフ・ヤマトタケル編だった。うらしま編は元ネタが、シュテンドルフ編はそれ自体が、いずれも時間をテーマにした少し悲しい話で、今に至る自分の好みの一部を形成している。

 他にもまだ何かあるかもしれないが、僕と日本の神話のつながりはこんなものだと思う。あとはすべて成人してから本を読んで得た知識だ。日本神話は僕の日常生活からはあまりにも遠い。結婚して妻の実家に行ったら、床の間に天照大神を描いた日本画の掛け軸みたいなのがあって、本当に一般人が日常的に跪拝しているのだ知ってびびった。こうしたことのすべてが詰め込まれ、僕にとっては重層的になっているように見えるのがこの『和香様の座する世界』だ。

 やっと前置きが終わった。が、他に書きたいことはもうあまりない。

 一つあった。江の島だ。江の島や湘南といった地名は僕のようなオタクにとっては最も縁遠い場所のように思われるし、今でも基本的にはそう思う。しかし、妻と出会って初めて出かけたのが江の島だった(というか、それ以外にはほとんどデートをしなかった)。カップルがいっぱいいてうざいだろうけど(自分もその一部なのだがとてもそうは思えない)、そんなに遠くないし、いっかという程度の気持ちだった。実際、江の島には何かとても美しいものやとんでもないものがあるわけではなく、ちょっとした散歩ができるだけだ。あとは水族館があるので、間が持たないということはない。まあ、当時はそんな知った風なことをいえる余裕もなく、ただ単純に相手が自分に関心を持って、楽しく話そうとしてくれているということだけで驚きであり、ちょっと感激していたわけだが(今はお互いわがままになった)。

 今考えてみても、江の島は特に厳かであるとか、神気に満ちているとかいうことはない。ただのデートスポットだ。狭い島に狭い道があって神社がごちゃごちゃしているので、何かしらの運動の感覚はあるし、島までの細い道を渡るという水平運動もあるので、適度に疲れるのだが、何しろ人が多いので空気が緩んでいる。そんなわけだから、あんなふうにべんてん様が江の島を愛していると考えると優しい気持ちになれる。神様との緩いきずなだ。そういうきずなを和香様も受け入れている。僕は人の多い行楽地の空気が嫌いだし、もう好きになることもないだろうが、そういうストレスの中だからこそ記憶に残るような楽しい瞬間や温かい気持ちってのもあるんだよな。

 たぶんギリシャ神話も同じような温かさを持つのだろうが、僕はギリシャ語が分からないので神の名や事物のニュアンスを感覚的に受け取ることができない。今回『和香様』を進める中でウィキペディアやら何やらを見ながら、日本神話にも(様々な編集を経たにせよ)きちんとした設定があってストーリーもあったんだと知って勉強になった。

 神々と同じ時間の流れの中を生きるというのは、僕たち人間の、あるいは日本人のオタクの、一つの夢だ。神話の再演はそのようにして古代から延々と続けられてきた。そもそもは、ままならない世界の物理に介入し、世界や自分を解釈しなおすことでコントロールするための技術だ。それは世界や自分を安定させるための功利的な技術だが、他方で、本当の神話の中に埋没して沈殿してしまいたいという思いもどこかにあったと思う。巻き込まれ、巻き取られようが、都ちゃんとの国生みや琉々葉様との竜宮や地上での穏やかな暮らしに安らぎをみる。神代とはいつまでも続いてほしい時代であって、現在へとつながってほしくはない。それはこの物語が鏡の中の物語として閉じ込められていることで達成されているのかもしれない。海の神、不老不死のニライカナイのイメージは、和香様たちに似つかわしい。タイトル画面の和香様と琉々葉様は、赤く染まった空の光の中にいるが、あれは若さに満ちた古代の曙の光だろうか。それとも去り行く神々の黄昏の光だろうか。どちらにしても、神様たちはそのなかで頼もしく不敵な笑みを浮かべている。


 感想のさらに余白に。
・和香様と琉々葉様の神様モードの装束が非常に残念。
・最後にやはりいい一枚絵が欲しかった。
・全体的にせっかく古代や神々が題材なのだから、Fateみたいなアクションの絵ではなく、もっと大人向きの幻想的な景色やシーンの絵などが欲しかった。
・冒頭の和香様がポンと飛び出してくる絵は好き。
・北都南さんと一色ヒカルさんと青山ゆかりさんは神代の声優。僕のエロゲー神話時代の息吹を感じた。
・久々に男声ボイスも切らずに聞いた作品だった。
・なかなか仕事をさせてくれないエッチシーン(都ちゃんを除く)。恋人というよりは上司だから、あるいは家族だから、という感じでドキドキがない。テキストも照れ気味で中途半端であり、ロミオ作品にしてはフェチシズムがあまりなかった気がする。神々のエロスはからっとしていて、文章で表すのは難しいのかな。メーカーの方針で男っぽいヒロインが多いというイメージだが、そのせいで僕の好みから外れているのかもしれない。
・これまでやった古代日本に取材した作品だと、『天紡ぐ祝詞』と『うたわれるもの』だが、『和香様』も含めて、どれも寂しさと優しさを感じられてよい。自分にとって初めての古事記ファンタジーがこの作品だったのは幸せだ。大ボリュームの続編や外伝も読んでみたいけど、きりがないかな。
・無理に他のロミオ作品と比較する必要はないが、苦労して自分の空間を作り上げようとした『最果てのイマ』とは対照的に、群像劇物の『和香様』では空間は多少の分節を含みつつもどこまでも連続しており、その中を神や人が招き招かれ自由に行き来している温かい世界。
・他にも良質な日本神話ファンタジーを読んでみたい。いつか出雲など古代の聖地に行ってみたい。江の島は次に行く時が楽しみ。
・八重垣の歌の作者とされるスサノオの本作での立ち回りはショックといえばショックだが、このスサノオにはまた違う物語があったのだと思いたいところだ。思えば目から生まれたとされるアマテラスとツクヨミと比べると、鼻から生まれたスサノオは動物じみていて、前半生の乱暴者と天界追放・ヤマタノオロチ退治以降の神はもともとは別人でそれを一つの神につなげた神話であるか、あるいは動物的で精神的に病んだ状態からの回復を象徴する儀礼の神話なのか(ヤマタノオロチはスサノオ自身という解釈)、あるいは何らかの編集がなされた神話のようにも思える。ものの本を読んだわけではないのでただの戯言だが。いずれにせよ、本作ではスサノオ本人は登場しなかったが、アマテラスのシナリオにより琉々葉様と藤子が再演した。八重垣の歌はそうしたことがすべて終わったあとのことだ。

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