tsubame30さんの「最悪なる災厄人間に捧ぐ」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

ホントにすごいゲームだった。文章の引力と、立ち絵の演出力と、声優さんの演技力が尋常じゃない。惜しいとこすらもない、ケチのつけようもない素晴らしい完成度。そう思ってしまうくらいにはこの物語に没入できたし、シナリオにも設定にも演出にも結末にも共感と納得感があった。
※僕がプレイしたのはiOS版です。大きく変わらないと高をくくって、ここに投稿します。参考にする際は念のためご注意ください。


 さささぐユーザーは、皆一様に「クロかわいい」と口を揃えて言っていますが、そのとおりなんですよとにかくめっちゃわいいんですよ(オタク早口)。キャラ的にはみーちゃんが一番すき。エピソード的にはにゅーちゃんのお泊り会のやつがすき。なっちゃんも後半の展開で魅力に深みが出た。キナちゃんジト目あざとかわいい。ふーちゃんもかわいいのだが他の子と並べると王道の限界を感じなくもない(笑)。
 物語のモチベーションとしては、クロに魅力を感じなければ、救いたいと思えなければ、すべてが終わってしまいます。クロがかわいく見えることがこのゲームの根幹といっても過言ではありません。そこに抜かりが無かったのがまず素晴らしいところです。序盤にしっかり尺を取って豹馬とクロの関係を描き、年月を重ねます。そして、起こったエビソードがそれぞれのクロの個性へと繋がっていきます。お泊り会のでの子守唄を契機ににゅーちゃんは寝ることが大好きになったりと、起こったエピソードとクロの性格とがリンクしていることがすごく強い。全体を通した構成としてもクロへの愛着を抱かせることに成功しているし、部分的に見てもクロが首輪を外すことを決意し、母親と戦い、自由を獲得するまでの流れは美しかった。物語的にはまだ前フリの段階であるここまででも僕の満足度はめちゃくちゃ高かった。

 クロのかわいさを支えたのは、小鳥遊ゆめさんの迫真の演技と立ち絵演出であったと思います。
 小鳥遊ゆめさんのCVが素晴らしかったのは論を俟たないところでしょう。幼少期および数多のクロの演じ分けはお見事というしかありません。トゥルーの「私はまだ、生きたいっ!」の迫力は、何度でも泣いてしまう。
 立ち絵の差分量はおそろしく膨大で贅沢なつくりをしていました。表情がすさまじく豊かで、目も口も眉もとにかく動く動く! 左右を見たり、腕を広げたり、スケッチブックを前に掲げたりと首も腕も指もとにかく動く動く! 立ち絵の表現力を思い知らされました。あークロかわいい。個性が出てからのクロはニュートラルな表情でも目尻に微妙な違いがあったりするし、服装も個性を反映していました。(にゅーちゃんだけおっぱいが大きく見えるのは服装の違いによる錯覚なのかそうでないのか。)
 さらにはそれらの素材を細かく切り替える演出が巧みでした。5人のクロが同時にばんざいするだけでかわいい。真ん中の子がしゃべってるときに左右の子が中央を向くのが微笑ましい。立ち絵素材の量とそれを生かす演出が本当にポイント高いと思う。ここまでやってるノベルゲームって何気にあんまりみないですよ。
 たぶんここまでやってるのがあまりないのはマンパワーがめっちゃかかるからだろうなぁと思います。要はデバッグ死ぬほど大変だったのではないだろうかという。ただ、誤字も含めその辺のミスらしいミスがほぼほぼ観測できなかったので、本当に丁寧に作っていてすげぇなぁと思うのです。

 このゲームの魅力はクロのかわいさおよびそれらを支える要因のみに在らずです。次の一文を読ませる力が非常に強く熱中させます。それらを支える要因は、人物描写の生々しさと構成の妙にあると思いました。
 人物の発言や行動の細かい部分がリアルというか生々しいんですよね。クロと母親とのやりとりなんか、クロの母親を憎みきらないところというか、ちょっと優しい言葉をかけただけで喜んでしまうところが、本当に虐待児とその母って感じがして胸に刺さります……。他にも、「せきにん、とれよ!」にずっと捕らわれ続けた豹馬や、いじめられっこがいじめっこに反逆するのではなく豹馬を逆恨みするあたりなど、人間がいかに弱いか、捕われやすいか、合理的に行動できないところの表現にめちゃくちゃ説得力があるんですよね。「しーね、しーね」のボイスは胸がザワついて連打してしまいましたし、クロの母親への胸糞ゲージも上がりっぱなしです。描写の生々しさが世界観を損なわせず、感情を揺さぶり、没入度を高めていきます。
 構成についてもお見事といいますか、度重なるループで意図的に心を折りにきてはいるものの、少しずつ世界の情報が開示されるので、辛いのだけども先が気になる状態が続きます。(ギャンブル漫画「アカギ」では、「焼かれながらも人は、そこに希望があればついてくる」というセリフがありますが、まさにそんな感じで、ほどほどに希望のちらつかせてくるのが上手だなぁと思ったのです。)

 クロと豹馬の幸せな世界を探すのですが、どうしても自殺を選ばなければならないときがやってきます。自殺を肯定しなければ前に進まない。さらには出会わないことを選ばなければトゥルーに進まない。その決断が冒頭に繋がっていることに気づいたときにははっとさせられました。
 面白いなぁと思ったのはエンドリストです。おそらく多くの人が辿るように、1番のバッドエンドを踏まずに2番のバッドエンドを迎えました。それで僕は1番がトゥルーエンドなんだなって誤解をするのです。ノベルゲームに慣れている人ほど1番のバッドエンドはまず引きません。だからこそ2番の手前にバッドエンドがあることを全く疑わなかったのです。トゥルーを見た後に初めて冒頭を疑うと、1番のバッドエンド(リーダーにとってのベストエンディング)が待っている。そしてそれを確認することになるのは、おそらくは「最悪に捧ぐ」を読んだ後。これがすべて計算づくだとしたら、本当に秀逸だと思うのです。
 周回の多い物語ゆえのじれったさはありますが、それもおそらくは計算づく。無駄なシーンはどこにもなかったのではないかというのが僕の意見です。

 こんな素晴らしいゲームが3000円前後で買えてよかですかと。なっちゃんのセリフを借りるならば、「お買い得。かかくはかい。ぎょーかい最安値!」といったところでしょうか。






最後に、この物語を読み終えた上で僕なりに考えたことを。

 このゲームにおける平行世界は、そっくりそのまま可能性を指しています。死んでしまうことをが正しいと思っていたが、自分の可能性をつぶしてきただけだと豹馬は気付きました。クロと出会わない選択をしたことで別の世界が発生したと石版が言いました。これは選択によって新たな可能性が生まれるということを指すし、それゆえに、他のソフトクリームを渡すことで世界の上書きができるという理屈に繋がります。
 つまりは、このゲームでいう死ぬ(自殺する)は、単純に生命活動として死ぬという意味のほかに、可能性をつぶすという意味がある。可能性をつぶしてはいけない。こんなことはありえないと考えてはいけない。これ以外ありえないと考えてはいけない。
 そして同時に、可能性は選択することであらたに作ることができる。いくらでも。無数に。豆腐世界の災厄でさまざまなクロが迎えに来ることが、その考え方のアピールになっていると僕は思うのです。膨大な新規衣装立ち絵を用意する労力を割いてまで、いろんなクロがやってくるのは、さまざまな可能性が存在している事実をはっきり可視化したかったからなのではないかと思います。
 可能性であるとも同時にそれらはすべて自分の一面でもあります。サイコロの例えがありましたが、その面はとうふキナコみそ納豆豆乳の5つだけじゃない。誰にも見えない面を足した6つだけでもない。サイコロの面数はもっと膨大である。

 なつとキナが喧嘩をするエピソード(Ⅱ-5~Ⅱ-7)がありました。成長したクロのただのほのぼのシーンに見えるのですが、すべて終わったあとにこのエピソードを改めて読むと、初回と全く違う景色がありました。(クリア済みの人はぜひ再読してみてほしい。)

【豹馬】
「なあ、クロ。なつをよく見てくれ
彼女はちょっと自由奔放で、考えなしで、ワガママなところもある。
ダメな存在に見えるかもしれない。
だが、そんなクロも良いと思う
たとえ勝手に動いて気持ち悪いとしても、腹立たしく思っても
それも大事な、君の一部じゃないか?
それこそ許すとか、許さない、って事じゃない。
許せない、でもない。そもそもそんな話じゃない。
なつの性質は、クロの一部として、ただそこにあるだけだ。
あとは、君がそれを認めることができるのか
君がそんな自分を、好きになれるのか、嫌いになってしまうのか
……それだけじゃないか、と俺は思う」
【ふー】
「そうそう。これはけっきょく視覚的に捉えることのできる自己嫌悪
自分という存在を客観的に見るから、その自分の嫌な部分が目につく。嫌いになる
でも、その分客観的に、自分の良いところも見えるんだよ」
(Ⅱ-7:透明な心 より)


 あらゆる可能性。良い自分。クソみたいな自分。でもそれぞれすべて自分。
その自分の多様性のようなものとどうつきあっていくのか。認めるのか、認めないのか、好きになれるのか、嫌いになるのか。
 自殺した豹馬は、豹馬の多様性を嫌い、自己嫌悪の果てに災厄世界をつくりました。
そう考えると、「自殺した豹馬に同調すると災厄に見舞われる」というのは、「自分が嫌いになると可能性が閉ざされる」と考えることもできます。
 しかし、だからといって、そんな最悪な豹馬を否定することもできません。それをやっては、「なつは必要のないクロだ」と言ってしまったキナと同じ過ちを犯すことになる、ということもありますが、それ以前にトゥルーエンドにたどり着いた人間には、災厄人間を否定する資格はない。なぜなら「自殺する」選択肢を絶対に選んでいるはずだから。前述のとおり、このゲームは一度自殺を選択し肯定ししなければ先に進みません。自殺する/諦めないの2択で、バッドエンドを迎えたその後も「諦めない」を幾度となく選び続けたプレイヤーなど果たして居るのでしょうか?

 可能性を広げよう。それは選択し行動することでいくらでもできる。同時に、弱い自分の可能性、卑怯な自分の可能性、臆病な自分の可能性、選ぶことすらできない自分の可能性も認めよう。客観的には災厄のような嫌で嫌で仕方ない自分も、それも自分の一面であると受け入れて「そーだよ、甘いよ!」といって許してあげよう。


【キナ】
「私はまだ、なっちゃんが嫌い。
クロが、嫌い。
それでも少しずつ……いろんなクロが好きになれたらいい、と思う
そんな気持ちが、湧いてきたわ」
(Ⅱ-7:透明な心 より)


『最悪なる災厄人間に捧ぐ』は特殊な世界観の物語だけども、ただそういう世界観の話というわけではない。シビアな現実の中で、それでも幸せな可能性を求めて戦ったクロと豹馬の物語。人の弱さと多様性を肯定し受け入れようとする人間の物語。
 だからこそ僕は、この作品に出会えて本当に良かったと、心からそう思うのです。



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