taigasevenさんの「金色ラブリッチェ」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

面白いシナリオではあるんだけど、何かが足りない・・・
何が足りないんだろうと、焼きおにぎりとコーヒー牛乳を手にしつつ考えること数十分、大団円なハッピーエンドが足りないんだという結論に至った.

大団円なハッピーエンド、すなわち理亜が生存するエンドのことですね.
こういうこと書くと、それは蛇足だよ、と今作に感動した多くの方々は思うかもしれません.
実際、大団円なエンドが今作のようなまとまりの良いシナリオを歪にし、感動した心を冷めさせる例は少なからず存在します.
しかし、たとえ蛇足と罵られようとも今作、金色ラブリッチェには大団円なハッピーエンドが必要だったと私は思います.
その理由は本編中における2つの理亜の主張にあります.

まず1つめは共通&個別ルートにて理亜がフランス映画を見た後、語ったセリフです.
理亜はヒロインと死別するフランス映画に対し、
「とりあえず収まりがいいから殺しとけー。ハイ死んだハイ感動~ってやつ、嫌いだわ」
「人が死ぬことが道具っていうか、イベントみたいになってるの、嫌い」
といったことを主人公の央路に対し、複数回言っています.
テーマ性のある作品において、キャラクターは作者の代弁者ともいえます.
上記のセリフは、捉えようによっては”死を通して生き方を考える”、すなわち死生観の批判ととることができ、また大きく見れば、死生観を題材にしてきた数多くの『泣きゲー』と呼ばれた作品への批判とも読むことができます.
理亜と同じく『意味もなく人が死ぬ話』が嫌いな私は上記のセリフを読んだとき、
『これは「キャラを殺さなくても、物語は作れる!」というシナリオライターの宣言なんだ』
と(勝手に)感じて、理亜ルートに対し期待を募らせました.
しかしながら、理亜の人生は私の予想に反し、終焉を迎えます.
この時点で私の口はあんぐりと開いていたのですが、あることに気づき、さらに頭を混乱させることになりました.
そのあることとは、理亜ルートと作中のフランス映画の類似についてです.

作中のフランス映画は主人公の央路によると、
『ヤリヤリな主人公が、地味なヒロインと出会うが、そのヒロインは死に、ラストにヒロインの母に思い出の品を届ける』
といったストーリー説明がされています.
このストーリーよくよく考えるとプレイヤー視点から見た理亜ルートに、ものすごく似ているんですよね.上記のストーリーを作中の人物に置き換えると以下のようになります.
『他ヒロインとエッチしまくった央路(=プレイヤー)が、センターヒロインではない理亜と出会うが、理亜は死んでしまい、最後に思い出の品である≪おもちゃの缶詰≫を理亜の母に渡す』
こう置き換えると理亜の半生=理亜が否定したフランス映画となり、先述の理亜のフランス映画批判は、いったいどんな意味を持つのかと考えさせられました.
勿論、私の予想は違います.では何のために?
勘繰って見たものも含め、思いついた理由が次の3つです.


1.安易な死を描くフランス映画との比較
 理亜が批判している映画と理亜の人生の充実さの違いを表現したかった場合ですね.
 ただこの理由の場合、映画の内容自体が詳細に語られていないので、
 映画に比べ、理亜の人生がどう違うのかの判断に迷います.
 また、本作における理亜の人生は美しく描かれていましたが、
 事象だけでみると、結局のところ映画の内容となんら変わりはしません.
 また、「死ぬ瞬間」を描かなかった差異が仮にあったとしても、
 大きな違いがあるようには感じにくいように思えます.
 なぜなら、この手のキャラクターの死を用いて人生観を表現する場合、
 重要なのは「死ぬまでの過ごし方」と「残された者の感情」であって、
 「死ぬ瞬間」はあまり重要ではないからです.
 「死ぬ瞬間」はあくまで物語をドラマティックに魅せるギミックであって、
 物語のテーマ性や感動を伝えることにおいては、ほぼ意味を成しません.
 作中のフランス映画においても、『ヒロインが主人公のもとを去る』、
 『病に苦しむ』といった「死ぬまでの過ごし方」を描いてるような
 描写はありますし、「残された者の感情」も『ヒロインの母に贈り物を届ける』
 というイベントがあるので、ある程度表現されていると考えるのが一般的と思われます.
 (映画の内容が詳しく語られていないので、あくまで想像の話となりますが・・・)
 こう考えると、映画と理亜ルートの内容に大きな差異は見られませんので、
 この考えは違うのかなと思います.


2.泣きシナリオに感動する私たちプレイヤーを揶揄している
 詳しく言うと、理亜がこれから送る半生を理亜自身に否定させることで、
 理亜ルートに感動したプレイヤーを婉曲的に批判している場合です.
 上記の勘繰った見方をした場合の理由がこれになります.
 私たちは恋愛ゲームに限らず、多くのジャンル・媒体の作品において、
 キャラの死、もしくは死ぬまでの行動に感動を覚えます.
 そして、それらのシーンは多くの場合において、非常にドラマティックに描かれます.
 しかし、いくら美しく、そして感動的な終焉を与えられたとしても、
 物語の都合で死なされるキャラの立場から見れば、たまったものではありません.
 死んだキャラ(人間)からしてみれば、死んだことが全てであり、
 そこで彼らの人生は終わってしまうわけです.
 また、理亜が本編でも語っていたように、彼らキャラクターの人生は、
 僕らプレイヤーを『泣かすために生きている』わけではないわけです.
 上記のものや「自分を死ぬものだと思って見ないで」といった理亜のセリフの多くは、
 キャラクター自身の生命の主張とも読むことができると思います.

 しかし、私たちプレイヤー、すなわち理亜の人生を画面という媒体を通し、
 見ている人間の中に、理亜の願いを実直に叶えられる人は一体どれほど
 いるでしょうか?
 『病気に苦しむ理亜の姿』や『生に満足したと言った理亜』を見て、
 『理亜』というキャラクターを『死にゆくもの』として見なかった人は、
 かなり少ないように思われます.
 また、フランス映画を見た央路と同じく「死ななかったら逆に気持ち悪い」と思った
 人も意外といるのではないでしょうか.
 結局のところ、理亜というキャラを『生きるもの』として見ず、
 『死にゆくもの』と見たからこそ、理亜の最期の1年にも感動できるわけです.

 理亜の死は結果的に≪金色ラブリッチェ≫という作品において、(描写こそないものの)
 イベントとなり、また理亜の人生は、私たちプレイヤーを感動させるためのものになりました.
 しかし、理亜の言葉を類推的に考えると、理亜の輝ける人生に涙した私たちプレイヤーは、
 人が死ぬ映画を「悪くない」と思った央路と同じ、もしくは、それ以上に
 理亜の生というものに目を向けていない酷い存在に理亜からは見えるのではないでしょうか?
 今作のメインライターであるさかき傘氏はこうした矛盾を孕んだシナリオを通し、
 私たちに今一度キャラの生命について考えてみろともしかしたら伝えたかったのかも
 しれません.
 邪推的に考えすぎると、そう思わざる負えないのです.

 ただ、さかき傘氏の過去作を見る限り、プレイヤー批判をするような人には思えませんし、
 また個人的には、商業作品におけるこの手のプレイヤーを揶揄する行為は、好ましくない
 と思っているので、この理由ではないといいなと思っています.


3.特に理由など存在しない
 ありえそうといえば、ありえそうな理由?ですが、いくらなんでも3回も同じ映画を
 観るシーンを入れるのに何も伏線がありませんというのは無理があるように思えます.


以上3つの考えをだらだらと書きましたが、上記の3つの中に答えがあるのか、それとも別の答えがあるのかも含めて、結論は出ませんでした.結局のところSAGAPLANETSさんか、さかき傘氏が公式に語らない限り本当のことはわからないんですよね.(じゃあ何で考えたとか、そういうツッコミはなしでお願いします)
しかし、言えることもあります.それは理亜が「人が死ぬ話は嫌い」と言ったことにより、理亜ルートのラストにケチがついたということです.
というか何でこんなセリフ入れたんでしょうかね?
このセリフが無いorフランス映画の内容が全くの別物だったら、もっと素直に理亜ルートを楽しめたと思います.
また、このセリフを入れるなら、理亜が生きているエンドを入れるべきだったと思います.加えて、恋愛ADVというジャンルは小説や漫画、映画などと違い、エンディングが1つでなければいけないという制約はありません.過去に発売された作品でも最初にビターエンドを見せた後、ハッピーエンドを見せる構成のものはいくつも存在します(ゆずソフトの夏空カナタなど).そのため、本作もこのような構成で良かったのではないかと思います.

また、そもそもの話、本作のテーマで理亜を死なせる必要は本当にあったのでしょうか?
個人的な印象では、今作のテーマは「カッコつけて生きること」と「金色の時間」であるように思います.ここで「金色の時間」は少しわかりにくいので、「一生懸命に生きた時間」と解釈することにします.
さて、この2つのテーマですが、前者はもちろんのこと、後者のほうも実はキャラを死なせる必要はないものなんですよね.
よく誤解されがちなんですが、「生きること」を伝えるのに死を描く必要性は実のところなく、大事なのは「人生を振り返る」ことなんです.
死というものはそのキャラの人生を振り返るイベントに使いやすいものであるだけで、描かなきゃいけないものではないのです(このようなテーマでキャラを生かしたまま終わった例としては〈W.L.O 世界恋愛機構〉のサラサルートなどがあります).
このように考えると、理亜というキャラに死の必要性は無いといえ、別に死ななくても、さかき傘氏の実力なら感動的な話は書けたのではないかなと思います.

ただ、これはあくまで好みの話ともいえます.
理亜が死ぬことにより物語の美しさがより鮮明になったと思う人もいるでしょうし、私のように死なないほうが綺麗に見えると思う人の両方がいます.もしくはこの2つとは違う新たな展開に思いを馳せる人もいるでしょう.そういった意味でも、演出方法に正解はないといえます.
しかし、それでも私は理亜の生きているエンドが見たかったと思います.
それは2つ目の理亜の主張にあります.

浜松湖の伝説について理亜と央路が話し合ったときに、理亜は央路が「タイムパラドックス的におかしい」といった御伽噺に対し、「ハッピーエンドでいい」と言っています.
これは多少ご都合主義でもハッピーエンドの方を理亜は望んでいるととることができます.
また、Amazon店舗特典のドラマCDでも同様のことが語られています.

ここでドラマCDの内容について軽く触れます.
基本的な内容としては、理亜と央路が央路の部屋で録画した映画を見るというもので、理亜たちが観た映画はスタジオジブリの有名作である〈となりのトトロ〉と推察できます.
さて、ご存知の方も多いと思いますが、〈となりのトトロ〉には有名な都市伝説があり、このドラマCD内においても、この都市伝説についても語られています.
都市伝説の内容を簡単に説明すると、『作中の姉妹は死んでいて、トトロは死神である』といった内容で、ハッピーエンドであるものをバッドエンドに変えるような内容となっています(ちなみにスタジオジブリ自体はこの都市伝説を完全否定しています).
理亜はこの都市伝説に対して、
「純粋な気持ちを忘れた大人になるとバッドエンドが嫌いじゃなくなってくる」
といったことを語っています.
これだけ聞くと、「あれ?理亜ってバッドエンドOKなのか・・・」と思いがちですが、ドラマCDのラストに、理亜は自身のことを『純粋な気持ちを忘れない大人』と評して話は終わります.
深読みしすぎといわれるかもしれませんが、この2つの大人を対比させると、理亜自身は基本的にハッピーエンドの方が好きなんだなというのがわかってきます.

浜松湖の伝説にしても、トトロの話にしても、内容的に考えて、理亜自身はハッピーエンドを望んでいると思われます.
恋愛ゲームのストーリーはヒロインが1番幸せであるものにしてほしいと思っている私にとって、今回の理亜ルートは良くてビターエンド、悪くとらえればバッドエンドともいえるものでした.少なくともヒロインが死なないハッピーエンドではありません.
だからこそ、私は理亜が生きるルートを作るべきだったと思いますし、もし可能ならば、FDやドラマCD、VFBのアペンドなどで≪理亜が生きる物語≫を作ってくれればいいなとも思います.
なぜなら、そのハッピーエンドこそ理亜自身が何よりも望んだものであるはずなんですから…


とまあ、ここまで拙い文章で長々と不平不満を書きましたが、決してこのゲームは詰まらないわけでもないですし、鬱ゲーというわけでもありません.
絵をはじめとして、BGMやキャラの魅力など、どれも最高水準といえるものでありますし、まテーマの1つでもある「人生における『カッコつけること』の重要性」も非常に共感しました.
間違いなく私の知る限り、SAGAPLANETSさんが出したゲームの中で最高峰といっても過言ではないと思います.

もし、この感想を読んで、このゲームをプレイしてみたいと思った方がいるのでしたら、ぜひプレイしてみてください.きっと後悔はしないはずです.

あ、でも絢華とミナが攻略できないという致命的なバグがありますので、そこにはご注意を
あとエキスナさん攻略してみたかった…

taigasevenさんの「金色ラブリッチェ」の感想へのレス

え、ここで論考終わりですか?

taigaseven様が仰る、
>理亜自身は基本的にハッピーエンドの方が好き
という点には全く異論がございません。

しかしこの論考を読んだ者には、「このゲームは"理亜の主観としては"ハッピーエンドだったのではないか?」という疑問が浮かぶはずです。

なぜなら、理亜はシルヴィルートのラストを「めでたしめでたし」と言っているからです。
他のルートでも、
「ならいい」「こんな時間もいいもんだな」(エルルート12月21日)
「お前ら、オレが思ってた以上に相性いいよな」「上手くバランス取れてるんだな」(玲奈ルート12月23日)
という風に彼女なりに納得したような台詞を残しています。

大団円についても、シルヴィルートの追加ENDで理亜がシルヴィと央路の娘として転生したとも思える描写があります。
理亜ルートのラストで金のラブリッチェマークを入れたOrohoraの箱を浜松湖に投げ入れることで、物語がループしハッピーエンドへと向かう「浜松湖の伝説」が再現されそうでもあります。

これらは確かにご都合主義的展開であるかもしれません。しかし理亜はそのご都合主義を容認しているわけですから、彼女の主観ではハッピーエンドになるとも言えそうです。

こうした疑問点へのtaigaseven様の回答をぜひ拝見したいです。私自身はtaigaseven様と同じく本作のシリアスを不完全だと思っているので、以上に述べたことはtaigaseven様の論考に対する反論ではなく、純粋な疑問です。

唐突に不躾なコメントをしたこと、平にご容赦ください。
2018年01月03日22時11分16秒
はじめましてdov様
感想へのコメントありがとうございます.
dov様の感想は私がこのサイトを利用し始めた当時から大変参考にさせていたただいており、こうして尊敬しているお方からコメントを頂けること大変うれしく思います.

またこの度、自分の中の意見をまとめるのに思った以上時間がかかってしまい、ご返信が遅れたこと申し訳ありませんでした.

以上拙い文章でのあいさつとなりましたが、ここからdov様の疑問点への私なりの回答を書かせていただきたいと思います.


① このゲームは"理亜の主観としては"ハッピーエンドだったのではないか?
 私個人としては、本作において一番難しく、またプレイヤーによってもっとも
 意見が分かれるであろうと思われるのがこの部分だと考えています.
 なぜなら、本作〈金色ラブリッチェ〉において、理亜の主観で描かれるシーンが
 少ないからです.そのため、多種多様な解釈ができます.

 昨今、ゆずソフトさんのゲームをはじめ、多くの作品で”Another view”と 
 名付けられるヒロイン主観でのシーンが多く作品内にて挿入されています.
 こういったヒロイン主観のシーンはヒロインの内面や伏線などを描写するのに
 非常に良く寄与し、さかき傘氏の作品でも〈しゅがてん!〉では多数、
 また本作においてもエロイナが女騎士凌辱物のゲームを買いにいくシーンなど、
 複数のシーンで使用されています.、

 さて話は戻りますが、個人的な感触として、理亜ルートにおける上述のヒロイン
 主観のシーンは非常に少ないように私は感じました.
 実際の理亜ルートを見ても、理亜の内面が直接的に描かれるシーンは冒頭における
 理亜の独白と、浜松湖で溺れる前後の入院での夢で振り返った幼少期の思い出くらい
 (しかも、どれも央路と付き合う前のもの)で、ほとんどのシーンが央路視点
 でのシーンで理亜ルートは構成されています.
 (理亜と絢華の三人称視点で描かれるシーンもあるが、これも少ない)
 また、本作における理亜が登場するシーンは基本的に理亜を含めて2人以上のキャラ
 で構成されており、理亜一人だけのシーンは前述のものを除き、ありません.
 まとめると、私たちプレイヤーが理亜の本音に直接的に触れられるシーンは少なく、
 それゆえに理亜の本音が私たちには分かりにくい構成となっているわけです.

 さて、こう書くと「結局、理亜の本音が分かりにくい構成がどう関係あるんだ?」
 と思われるかもしれません.
 実際のところ、ほとんどのシナリオにおいてヒロインの本音の分かりやすさなど
 意味を成しません.しかし、本作〈金色ラブリッチェ〉は違うといえます.
 その理由は本作のテーマにあります.

 感想本文でも書かせていただきましたが、本作のテーマの一つに「カッコつけること」
 というのがあります.
 この「カッコつける」というテーマに対し、作品本編でもシルヴィの
 「カッコよく生きること」をはじめ、多様な解釈がなされています.
 ただ、ここでは「カッコつける」の解釈を「人に見せたい自分になる」ということにして、
 話を進めていきたいと思います.
 さて、ここで重要視したい点は本作で一番カッコつけていたのはだれかというところです.
 王族となり、その身分に恥じないよう努力したシルヴィアでしょうか?
 それとも、理亜のことを見守り続け、理想の彼氏でいようとした央路でしょうか?
 私が思うに本作で一番カッコつけたのは理亜だったように思えます.
 それは別に病気に苦しむ中、クリスマスに歌を歌い切ったことではありません.
 理亜が央路、そして央路を通し理亜の人生を見てきた私たちプレイヤーに対し、
 カッコつけていたと思われるからです.
 一般的に考えて、死への恐怖というものは誰しもが持っているものと思われます.
 これはなにも『自分の生がそこで終わる』ということだけでなく、
 『残される知人・家族のその後』や『自分という存在の忘却』といった
 “自身がいない世界への不安”というものも含みます.
 そして、いくら死というものが身近にあった理亜とはいえ、これらの死の恐怖はあったと考えるべきです.

 (だからこそ理亜は、自分の存在意義を少しでも世界に残すために、シルヴィと央路の
 仲を取り持とうとしたり、娘の名前をマリアにしてくれと言ったのかもしれません.
 また、シルヴィルートにおける「めでたしめでたし」という言葉からもこのような傾向の思いが読み取れます.
 本来、「めでたしめでたし」という言葉は、物語の登場人物が用いる言葉ではなく、
 ナレーターなどの物語の観測者が発する言葉です.
 そして、理亜がこの言葉を使うということは、自らを“央路とシルヴィの幸せな物語”に
 寄与した観測者(作者)に落としこみ、それによって充実感を得たかったのかではないかと考えることもできます.)

 さて、理亜の最期の一年において央路は理亜の“理想の彼氏”でいようと理亜の目の前で精一杯カッコつけました.
 そして理亜も、そんな央路の姿を見届け、自分の人生に満足していたように見えます.
 しかしながら、あの場でカッコつけていたのは本当に央路だけだったのでしょうか?
 央路が理亜の“理想の彼氏”でいようとしたように、理亜もまた央路の“理想の彼女”でいようとしたとは考えられないでしょうか?
 こう考えると、理亜の「満足した」という言葉はそのままの額面通りの意味にはならず、
 央路に不安を与えぬよう先述の“死の恐怖”や“『まだ生きていたい』という望み”を隠した
 “精一杯の強がり”のだったかのようにも私には思えます.
 これはあくまで想像です.
 しかし、このような想像ができるほど本作は理亜自身の描写が薄く、またその想像を
 想起させるようなテーマと構成になっているといえます.
 ここまでが前提となります.


 以上、だらだらと『理亜の本心は分からない』という前提について書いてきましたが、
 ここで“本心が分からないから、ハッピーエンドかどうか考えない”というのは、あまりにも面白味がありません.
 そこで、上記の前提のもと、私が作中の理亜の言動から想像できる
 “本作のエンディングは理亜にとってハッピーエンドだったのか?”
 という考察を以下に書かせていただきます.


 これから書くことはあくまで私の想像の話です.
 まず、本作の理亜ルートにおける理亜が“不幸だったか?”と聞かれれば、答えは否となります.
 理由といたしましては、“子供時代の約束が叶えられた”ことや10年間思い続けた央路と恋仲になれたことが挙げられます.
 私が思うに理亜自身の性格は、かなり妥協しやすい性格のように思われます.
 これは当初シルヴィと央路を付き合わせようとしていたのに、央路が玲奈やエルを
 選ぶと「イチが幸せならそれでいい」と言って、あっさりと方針転換したことからも、そう考えられると思います.
 そんな現実に妥協しやすい性格、言い換えると諦めが早い性格ですから、予想だに
 しなかった央路の告白は、理亜が物語開始当初に予想していた自分の未来よりも、
 より輝かしいもののしたことは間違いないと思われます.
 そういった意味では本編理亜ルートは理亜にとってグッドエンドだったとは思われます.
 しかしながら、ハッピーエンドとは言えません.
 その理由は理亜が言った2つの“願い”にあります.

 1つめはクリスマスパーティー後に言った
 「マリア・ビショップも歌い飽きた顔はしていなかった」というセリフです.
 理亜のその後すぐにリップサービスと言っていましたが、そのあとのセリフなどを
 見ても元気ならば歌い続けたかったであろうということは容易に読み取れます.

 2つめは初体験後の「お前との赤ちゃんは欲しかった」と央路に対していったセリフです.
 理亜はその後、「赤ん坊の予約は他に入ってる」とシルヴィに央路の子供を生んでほしい
 と頼んだことを匂わせていますが、それはあくまで、央路の幸せを願ったもので、理亜自身の幸せには直接つながりません.

 結局本編中において、理亜は『今後も歌を歌う』、『央路の子供を産む』という願いを叶えることはできませんでした.
 そしてそれは理亜の未練ともいえると思います.
 未練がある以上、本編のエンドはハッピーエンド=ベストエンドとは言いにくいと思います.
 こう考えると理亜ルートでの大団円なハッピーエンドの必須条件とは、
 上記の二つの未練がない状態、すなわち、『“央路と理亜の子供がいて、
 理亜がまだ歌っている“というシーンがある』といえるのではないかなと思います

 また、私が考える大団円なハッピーエンドとは理亜だけの幸せだけではありません.
 そのエンドには当然のことながら、央路の幸せも含まれます.
 正直言って、理亜ルート後の央路とシルヴィが幸せになれるとは私には到底思えません.
 二人は理亜の遺言を受けて子供を作ると考えられますが、果たして央路はシルヴィを愛せるのでしょうか?
 理亜ルートの央路が好きだったのはあくまで理亜であって、その理亜が亡くなったからといって、
 それを割り切って次にシルヴィを愛すというのは央路の性格を考えると出来ないような気がします.
 また、仮に愛せて子供が産まれたとしても、その子供は央路にとって理亜を思い起こさせる存在と言えます.
 すなわち、その子供を見るたび央路は理亜との美しい思い出とつらかった別れを思い出す可能性があるといえます.
 そんな生活を送る央路は果たして幸せと言えるのでしょうか?

 またこのことは、シルヴィに関しても同様のことが言え、理亜ルート後の二人は義務感で付き合ってるような夫婦になりかねません.
 このような夫婦を不幸だというつもりは決してありませんが、恋愛を是とするエロゲにおいて、
 このような未来はあまりにも寂しいように感じます.
 また、そんな未来が想像できる状況で「めでたしめでたし」と言われても、納得できるものではありません.

 以上、まとめますと、dov様の「理亜主幹ではハッピーエンドと言えるのでは?」と
 いう質問に対しての私の答えは、「グッドエンドとは言えるが、ハッピーエンドとは言えない.
 なぜなら理亜の未練が残っているし、今後の央路が幸せになれるとも思えないから」という回答になります.



② シルヴィ追加エンドの娘を理亜の転生と考えれば大団円と言えるのでは?
 dov様のおっしゃる通り、捉えようによっては大団円なハッピーエンドと言えると思います.
 シルヴィと央路の娘である“マリア”を理亜の転生と捉えると①で書かせていただいた、
 理亜の未練の1つである『歌を歌い続ける』も叶っているからです.
 しかしながら、これは私の信念としてはハッピーエンドとは言えません.
 私が考えるに“人格”というものは、生まれ持ったものだけでなく、その人間が
 生きてきた経験や環境によって作られていくと考えています.
 これは一卵性の双子やクローン人間などの遺伝子だけでなく、魂などのスピリチュアルなものに関しても同様です.
 このように考えると、たとえ魂が同じでも央路とシルヴィの娘の“マリア”は、
 あくまで“マリア”であって“理亜”とは別の人間です.
 ですので、マリアの幸せ=理亜の幸せとならないので、ハッピーエンドとは言えないというのが、私の考えとなります.


③ 金のラブリッチェマークを入れたOrohoraの箱を浜松湖に投げ入れることで、『浜松湖の伝説』が再現されるのでは?
 このことに関しては自信をもって答えますが、伝説は再現されません.
 なぜなら、Orohoraの箱の中身が幼少期の央路たちが拾ったものとなにも変わっていないからです.
 本作のカウントダウンでもネタにされた〈君の名は。〉をはじめ、多くのタイムリープ、
 タイムスリップ作品において、過去や、それに連なる現在を変化させるのに必要なのは未来からの介入です.
 例として〈君の名は。〉では、未来を知っている瀧と過去の三葉の意識が入れ替わることで、
 過去の出来事に変化しハッピーエンドへと物語は向かいます.
 このように、最初提示された歴史とは異なる変化を加えることで、ご都合主義を起こさせるわけですが、
 本作では箱の中身が金のラブリッチェだけですので、変化も何も起こさず、
 ただ同じ歴史を繰り返すだけで、ご都合主義が起こりません.
 仮に箱の中身が金のラブリッチェだけでなく、指輪も入れていたのなら、
 指輪の数が3つとなり、変化が起きたかもしれません.
 しかし、央路はわざわざ指輪を抜いてしまったので、私個人と致しましては、
 この“箱を湖に向けて投げるシーン“はフランス映画のシーンと同じく、
 何で入れたのかよくわからないという印象を受けました.
 湖の逸話が時をかける系が多いといっていたのは、ほんとなんだったのだろうか…?


 また少し話はそれますが、本作はこういった設定や伏線において少々雑な印象を受けます.
 上述のシーンに加え、「食事は歯ごたえと香りが10割」と言っていた理亜が、
 共通や玲奈ルートでは、そのどちらも楽しめないようなコンビーフを食べていたり、
 エルルートでは忘れ去られたイロエの存在や、
 玲奈ルートと理亜ルートでは異なる央路の投良への思いなど、
 とても同じ人間が書いたとは思えない齟齬が本作には多いように思えます.
 
 このような雑なつくり込みが、dov様のおっしゃるシリアスの不完全さに繋がったのではないかと私は思いました.


以上がdov様の質問に対する私なりの回答となります.
ほんとはもっと簡潔に書くことができれば良かったのですが、私自身文章をあまり書きなれていなく、このような読みにくく長々とした、そして遅い返事になってしまい申し訳ありませんでした.
また今後、私の感想にdov様の気に入るものがありましたら、今回のようにレスしていただくと嬉しく思います.
今回は、感想読んでいただき本当にありがとうございました.
2018年01月11日07時22分33秒
 不躾な質問に大変丁寧な回答を賜り恐縮しております。

 私自身も転生オチを好まないということがあり、「理亜の本音が分かりにくい構成」「設定や伏線において少々雑な印象」というtaigaseven様のご指摘に納得したこともあって、全体的な主張にほぼ同意します。

 「理亜の本音が分かりにくい構成」というのは言われてみるとナルホドと思え、そこからtaigaseven様が推測した理亜の内心もあり得そうと感じます(私はプレイ中そこまで思いを馳せることができませんでしたが)。
 「設定や伏線において少々雑な印象」というのはプレイ中私もそう感じており、シルヴィルートをプレイした後エルルートに入ったところで、「ルートによってライターさんが違うのかな?」と疑いの目を向けたくらいでした(自己申告では同ライターのようです → http://amenikasawo.blog77.fc2.com/blog-entry-1209.html )。逆にミナが理亜の頭部に触れて怯えた理由など、設定や伏線を非常に上手く使ったと思えた部分もあったので、制作ペースの厳しさがこうした粗を残してしまったのではと思いました。

 ただ1点だけ考えの違う箇所があり、私個人は「理亜ルート後の央路とシルヴィが幸せになれる」可能性があると思っています(taigaseven様の考えを否定するものではありません)。
 シルヴィは初恋相手の理亜から女の子バレを喰らった後、おそらくすぐに央路へ気持ちを切り替えており、また彼女はミナに「自分は理亜を乗り越えた」という主旨の発言をしてもいます。央路は央路で幼い頃シルヴィに惹かれつつも本編開始時にはすっかり忘れており、共通で再びシルヴィに惹かれつつも個別でアッサリ別の子に乗り換え、あまつさえ3Pに及んだりするなど、彼も切替上手な印象があります。
 ついでに理亜が(taigaseven様の仰る通り圧し殺した思いというのがあったとしても)カッコ付けて「忘れないでイチ。いまは気づかなくても、『いつか』思い出したとき、『いま』は絶対輝いてる」「世界って、いつも金色だよ」みたいな遺言をしてしまったので、その言葉通り二人とも理亜のことは「金色の思い出」にしてしまって、まあ命日くらいはしんみりするんでしょうが普段はキャッキャうふふしててもおかしくないなーと。

 taigaseven様の感想を切っ掛けに作品を新たな目で見ることができ、感謝しております。またいつか関わることがあればどうぞよしなに。
2018年01月14日11時31分46秒

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