マルセルさんの「ニュートンと林檎の樹」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

「テンポよく読み進められるエロゲ」は「チンポよく勃起できないエロゲである」し「マンコよく突っ込みたくなるヒロイン」も描けないような「よぉく読むとちっとも良いシナリオではない」を立証してしまった作品だ。「一日くらいでコンプリートした」人が評価が高くなるのは頷ける。確かに「引き込む力だけ」で「細部の雑な部分」をスルー出来る力は持っており、軽妙なテキストは常に予想外の方向に進んでいくプロットにスムーズに繋がっていくしなやかさは、これら全て「共通ルート」への美点となり、そうして「個別ルート」においては全て地獄に堕ちてゆく。個別ルートが通常エロゲの半分以下の長さで、更には葉鍵時代を思い出されるような恐怖のエロイッカイズツに等しい構成は、ヒロイン感情移入だけではなく、実は「シナリオ重視」にもマイナスであり「ぜんぶ童貞のせいだ」は「早漏だから前戯が上手いだけのふにゃちんシナリオ」を隠蔽してるに過ぎない。
・総CG枚数(差分無し)95枚 総回想数 23枠

・キャラ別CG(エロCG)&回想数 

アリス    21枚(10) 6回
四五     19枚(10) 5回
ラビ     17枚(11) 5回
春      17枚(10) 5回
エミー    17枚(10) 5回

その他  15枚

(備考:その他は基本ギャグ向けのSD絵っすね。)


・クリック数

簡単な説明:クリック数つーのは、既読スキップオン+テキスト速度ノーウェイト環境下で計った、ゲーム開始時から作品を終えるまで各シナリオ毎のクリックの合計回数のこと。以下そのメリットについて。

(1)初回プレイ時の「共通」+「個別」のシナリオの総容量が分かる
(2)2周目以降の、共通シナリオを除いた個別シナリオの総容量が分かる。

(ゆえに、一周目のヒロインルートはクリ数が多く、二周目以降はたぶん半減するが、一周目の「個別ルート」が他よりも長いというわけではないので注意)

(3)エロテキストのクリ数と。それを含んだ全シナリオのクリ数を比較すれば、両者の割合もある程度はわかる。
(4)テキスト速度の環境さえ同じなら、プレイ時間と違ってユーザーによる計測誤差は少ない。

といった四点が指標として役に立つとバッチャが言っていたような気がしないでもない。

(5)BCは主人公とヒロインが恋人になる前までのクリック数で、ACは恋人になったあとのクリック数ね。
「その恋人になった「まえ/あと」ってどう定義するの?というのはなかなかにむずかしい話であるが、大抵のエロゲには告白CGなるものがありますからそこを基準にします
そういうCGがなかったり、なんかズルズルだらしない感じでずっこんばっこんなシナリオの場合は、まぁ僕がテキトーに判断しますが、その場合は「?AC6992」みたいに?をつけまつ。
そういや「誰とも付き合わないシナリオ」っていうのもあらわな。そう言う場合は特にACとかBCとかは書きません。




・総CG枚数(差分無し)77枚 総回想数枠20

・キャラ別CG(エロCG)&回想数

アリス   18枚(9) 5回
四五    16枚(7) 4回 
春     15枚(7) 4回 
ラビ    16枚(8) 4回 
エミー   12枚(6) 3回 
その他 20枚 

(備考:各ヒロインの本編エッチは2回で、残りエチはオマケシナリオで解放。エミーの最後の一回は夢の中でのアリスとの3P)



・各ヒロインシナリオのクリック数

1周目 ラビ    「15732」BC13455AC2277
2周目 春     「3577」 BC1543 AC2034
3周目 四五    「32961
4周目 アリス   「26251」
5周目 エミー   「1488]
6週目 強くて 「1099]

(備考:ラビルートは二つに分岐するんですが、基本的に似ているところも多いので、二つあわせてACにカウントしております。あと各ヒロインのオマケシナリオもAC込みですね。
今回、特に、ACとかBCが無いヒロインが多いのは、まぁルート入って即告白系のうえ、お互いに恋人認定もしないようなシナリオだと思ってくださいませ。尺も短いので分ける意味も少ないし


・各キャラのHシーンのクリック数

・アリス         1:283 2:245 3:258 4:188 5:203  
・四五         1:420 2:251 3:285 4:272
・春          1:313 2:285 3:245 4:325 5:361 6:308  
・ラビ         1:312 2:267 3:286 4:305
・エミー        1:189 2:198 3:286 4:315  




☆作品の大まかな評価。

簡単な説明:これはもうそのまんまですな。一応Z~SSSまでの評価基準が存在するらしいのですが、大抵はC~Aの間に収まっているようです。
「C」がだいたい「やってもやらなくても別にいいんじゃね」。「B」が「やればけっこう面白いんじゃね」。Aが「やってないヤツは人生つまないんじゃね」。
といったかんじになっております。あと「全体評価」っていうのは、その項目における「作品全体」から感じる何となく駄目だとかイイとかそういう評価です。
あと、これは当たり前すぎて却って説明しにくいものですけど、僕の定義による「シナリオ評価」ってヤツは「感動させなきゃダメ」とか「深いテーマが無きゃダメ」とか、
そういうヤツではなくて、基本的には「その作品が目指していると思われるものが、どれくらい達成されているか?」というような「完成度」評価に近いものかも知れません。
ですから、原理的には抜きゲであろうと萌えゲであろうとシナリオゲであろうとも、その作品が目指しているものが完成されていると判断すれば、シナリオ評価は高くなるって話です。

・シナリオ評価

アリス    D
エミー    C
春      C
四五     C
ラビ     C
    
全体評価   C
(今回は特例として)
共通ルート  A


・イチャラブ評価   

アリス    E
エミー    D
春      D
四五     E
ラビ     E
    

全体評価   E+


・エロ評価

アリス    C
エミー    C+
春      C
四五     C
ラビ     C
    
全体評価  C 


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(0)「ぜんぶ信者のせいだ」

エロゲをやっていて「ああ、この人はこういうシーンやこういう展開を描くのは得意なんだろうけど、こういうシーンやこういう展開を描くのは苦手なんだろうなぁ」と思ってしまうことは、結構あったりする。

例えば、ヒロインたちと主人公の「集団の会話」を描くのは得意で、かれこれ100クリックくらい、そのような会話をしたあと(個別ルートにおいて)攻略ヒロインと主人公の会話が、いまいち盛り上がらない時とか(又はその逆)、
或いは、伏線を過度に張りまくって、ミステリー的引っ張りで物語を進めるのが上手いなぁと思っていると、いざヒロインと主人公が二人きりになるような日常描写になると、途端に精彩を失ったりとか(又はその逆)
エチシーンでいえば、愛撫のシーンでは主人公とヒロインが生き生きとしたイチャラブ描写を描けているのに、その後の挿入シーンになると、喘ぎ声オンリーになってすぐに果ててしまう、みたいなエロゲーの悲喜こもごもである。

もちろん、こういう問題に対しては「いや、別に全てのエロゲが同じようなエロゲを作る必要はあるまい。ライターは自分の美点を際立たせるような作品を作ればいいのである」と言えばいい「公平な批評家」に見えるだろうし、、
これを露悪的に言えば「つまり、エロゲライターは、自分の弱点がなるべく目立たないような作品を作り、その弱点を寧ろ美点と解釈してくれるようなファンを集めるのが成功の道」となるわけだが、
これはこれで、そこまで上手く行かないことがおおい。その理由は、僕を含めて、アンチであれ、信者であれ、こうした「評価言説」というのは、その評価言説以外の「こう言っておけば得だろう」みたいな戦略性があるからだ。
これについて、ここ数日でいい研究結果が上がっているので、その説明をしたいところであるが、横道にそれそうなのでリンクだけ張って、結論だけ述べるとしよう。


>なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:
http://wired.jp/2016/10/16/conspiracy-theory/


>極論から主流へ:如何に社会規範は崩壊するか
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170529/From_Extreme_to_Mainstream


これを先の問題に引き付けるならば、例えばこの作品において「これはシナリオゲーなので、萌え描写や普通のエロゲのように量が少ないのも問題がない」というような評価は、先の記事でいえば、


>「わたしたちは、セオリーがデータによりサポートされているかどうかなど、合理的なレヴェルでものを考えません。あくまでも、自分のオンラインアイデンティティに沿った情報を探し出すのです」


に値する。これをエロ助に言い換えると、


>「わたしたちは、自分の評価が自分の主観によってサポートされているかどうかなど、合理的なレヴェルでものを考えません。あくまでも、自分のオンラインアイデンティティに沿った情報を作り出したり、探し出すのです」


と言うことである。これは一般的に「信者的な偏った意見」と言われるが、こらは一般的に理解されているように「信者はアホなので、悪いところに目が付かず、良いところだけを見る」ということでは、実はない。
優先順位は「自分の主観的評価」よりも「自分のオンラインアインティティ」にあり、信者的な前提を敷衍すれば「いかに○○信者として、適切な言動をしているように周りにアピールするか?」が優先されるわけだ。
○○信者と言われるものが、実は信者を自称していない人よりも、言動や行動に一貫性が無く、まるで新興宗教の信者のように、次々と帰依対象を変えていくのも、これが大半の要因であろう
これは極論を言えば「自分の嫌いな作品でも、周りの友達が褒めていれば、自分も褒める」ということである。むろん、これは極論なので、このようなケースは滅多にあり得ないといってもいい。
しかし「作品のいいところだけは言及して」そして「悪いところを全く言わない」であれば、これは実に広くあてはまる事象になるだろう。だれだって、敵を作るよりも、味方を増やしたいのだから。

そして、これが先の

>「これはシナリオゲーなので、萌え描写や普通のエロゲのように量が少ないのも問題がない」

が虚偽であり、

>「いや、別に全てのエロゲが同じようなエロゲを作る必要はあるまい。ライターは自分の美点を際立たせるような作品を作ればいいのである」


があまり成立しない大きな理由である。もう察しのいい読者にはお分かりだと思うが、最大限に信者オタを信じるとして、その「美点」は大いに信者オタによって「認められる」としても、
「欠点」については、信者オタは「わかっていてもそれを指摘しない」だけではなく、多くの場合、その「欠点」までも「ライターの味」とか言って、それを美点に含めてしまうからだ。
それはその信者オタが「本当にそう思っている」場合には、それは単に信者とそれ以外のユーザーの「主観的な評価の違い」でしかなく、信者は相変わらずそのメーカーを信仰し続けることができる。
しかし、これが致命的なのは「その信者オタは実際にはそう思っていない」ところだ。
だから、彼らは信者として、何らかの利益が得られそうにないな、と思った途端、そのメーカーから離れ始める。かつて巨大だったエロゲメーカーが潰れ始めるような事例をよく見ると、
あの「下級生2」のエルフですら、あの作品を擁護していた人間は多く存在する。彼らがその後、どのような行動をとったのか? 歴史の半分は常に「語られない闇」によって支配されているわけだ。

このメーカーは「ニューリン批評空間」なるイベントを開催していて、まぁそれはそれで結構なことだし、また別に嫌味を言うつもりもないが、肯定的な意見ばかりRTするのも、それはそれで良い宣伝だとは思う。
が、感想や批評というものは、このように純粋無垢なモノではない。そこには必ず、ある種の戦略性が秘められており、メーカーにRTされたいから「わざと文句は書かない」というのも、ひとつのそれではある。
もちろん、メーカー側が「きちんとわかっていて」そのような振る舞いをしているなら、それはそれで勝手にすればいいだろう。しかし、そこらへんを全く分かっていなかったとしたら?

たくさんの「いいね」に囲まれてご満悦なメーカーが、その「いいね」を信じて次回作も「いいね」通りに作って大失敗し「いいね」を言っていたユーザーはいつの間にか消えていた...なーんてことにならなきゃいいけど!

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(1)タイムパラドックスとエロゲのツリー

さて、本題に入ろう。この作品の評価は今のところ(たぶんこの後においても)、

>「シナリオにおける引き込まれる力はすごい(=シナリオが優れている)」



>「短すぎてエロゲとして色々失敗してる」

といった意見の対立となって現れているように見える。これは発売日からリアルタイム観測している自分からすると、なかなかに興味深いデーターの変化が見て取れて、
この作品、発売日から数日ばかりか「数時間後」にクリアした人間(これは上のクリック数を見ればわかるように、無理しなくても可能な長さ)は概ね高評価をしていて、
発売日から離れれば離れるほどに、低い評価を下す人間が増えていく、といった現象が見られた。これは、各SNSメディアの違いも分析の対象に含めて(0)の知見を加えると、
なかなかに興味深い議論ができそうであるが(そのSNSの支配的な論調がエコーチェンバーしていくみたいな)ここでは、あくまで作品内在的な議論をおこなおう。

まず、肯定的意見の「シナリオにおける引き込まれる力はすごい」というのは、まぁ最初に嫌味を言っておけば「それって中身がないと言っているようなもんなんだけどナー」と言う話はさておき、
「それ自体の意見」としては、概ね正しい。これも嫌味として「体験版が楽しめた人には合うはず」というのも「それって単に内容を吟味しなくてフェイクニュースで騙されるようなバカなら楽しめる」と言ってるようなもんだが、
客層に対するチョイスとしては正しい議論だろう。以下、その表面的な正しさと、深層的な嫌味について語っていくつもりだ。

このシナリオの「引き込まれる力」を構成するのは、物語的に言えばだいたい以下の四点である。


「1」そもそもの(タイムスリップ)事件の発端を含めた、物語全体を包み込む(ようでいて、実は包み込んでいない)タイムパラドックスに関するミステリー(とそれに付随するテーマ性
「2」常に小さい事件を発生させて、その都度読者の予想を絶妙に裏切っていくようなスリリングな展開。
「3」1と2のテンポに綺麗に挟まっていく、映画的な意味で視覚的な心理描写(言い変えると、キメの一枚絵の巧さ)
「4」科学というか「科学史」に詳しい人なら楽しめるような、○○の史実にはなんと××が隠されたていたのだぁ的な史実の過剰解釈。


んで、否定的な意見を持っている僕からすると、全体的に見るとこれは「逆順」から評価した方が正しいとは思えるのだが、確かに「初回」や「体験版」では「順繰り」にこれらが機能しているといっていい。


まず「1」から言おう。この作品のタイムスリップ設定は、実のところ「ご都合主義的」つまり「ライターの物語進行によって都合よく変わるもの」だと僕は思っているが、とはいえ「初回」ぐらいまでは、
この「タイムスリップ設定が、どういうものか?」という「設定それ自体に対するミステリー」によって、ユーザーを強力に牽引しているというのは、まぁこの作品の功績と言ってもいいだろう。
あらすじ的にその部分だけ「共通ルート」の部分を引っ張ると、だいたい以下のような感じになる(当たり前だが、以下ネタバレ注意だ。


>主人公と幼馴染の四五は、祖父の修一郎が残した手紙に従ってイギリスのケンブリッジ大学に行き、そこでタイムスリップ装置をみつけ、1687年のイギリスにタイムスリップしてしまい、
ニュートンが万有引力のアイデアを発見した林檎の木を燃やしてしまい、ニュートンはそのアイデアを思いつかなくなる。主人公たちが、未来から持ってきた科学雑誌「ニュートン」を見ると、
その雑誌名が「「純愛ゲームはHOOKが完成させる」と変化しており(半分嘘)この作品の「タイムスリップ」の設定が「並行世界」ではなく「上書き世界」設定であることが確認される。
さらにその後、未来の世界で失踪した修一郎がこの時代にいるという情報を聴き某所に行くと、若い頃の修一郎に出会い、彼は(主人公たちの時間軸)で過去の世界から「違うタイムマシン」に乗ってこの時代に来たという。
しかしこの後に四五はこれは「親殺しのパラドックス」ではないか?と疑義を呈する。
もしも、修一郎が過去の時代にタイムスリップして、彼の発言通りに「修一郎が過去の時代にとどまった」としたら、この世界が上書き保存設定である限り、祖父である修一郎が未来に帰らないと「孫」は生まれないはずだ。
これを聞いた主人公は、ある事実を四五に伝えるのを躊躇って、そのまま流したのであった...


こうした設定を見るだけで、SF(少し不思議)スキーは「この物語はなにか面白そうだ」と思うだろうし、ハードSFスキーは「酷い子供だましだな」と思いながら、そこら辺をフルボッコする為だけに購入を検討するだろう。
まぁ別に僕はどちらの人間でもない、とは断っておくが、この作品の「引っ張る力」として機能しているのは「設定」そのものではなく「設定を微妙に変えていくこと」で「設定に対する興味を維持」させていく手法である。
さらに物語が進んでいくと、この設定は以下のような変質を被る。共通ルートから若干外れて、ラビルートに突入してしまうが、紹介しよう。


>タイムマシンの重要な部品と原理をゲットした主人公たち。これで「ニュートンが万有引力の法則を忘れてしまった」前に戻り、歴史を史実通りに変えようとするが、タイムマシンがラビに奪われてしまう。
(以下、ラビルートまたは別ルート)その数日後、主人公たちの目の前に現れたのは、亡くなったはずのラビの母親と主人公たちを知らないラビ、そして、過去にタイムスリップした主人公たちのラビであった..


と、このように、この作品では「タイムスリップ」設定が、物語が進むことによって「変質する」という言い方が正確ではないとしたら「常に新しい情報が加わっていく」。
このような状況では「この作品のタイムスリップの基本設定は何か?」みたいな「設定の整合性」を問われることは少なくなる。或いは、その意識はわきに追いやられるといったほうが正しい。
何故かと言うに「常に新しい情報によって、今までの前提が崩壊するような状態」であるならば、人は「その場における整合性」をいちいち考えるよりも「新しい情報を得てから考える」方が効率的だと思ってしまう。
強いていうなら、これは週間連載漫画(あるいはネットの連載小説)にありがちな手法であり、否定的な意見の「こんなのはネット小説云々だ」というのは、そういう意味では結構正しい。

一面においては「確定コード」を地道に固めていくような物語を取りながらも(クロノボックスのように、見え見えな不確定コードを乱発はしない)、
その「確定コード」は度重なる展開によって「実は少しずつその設定は変わっていく)という「確定コードがまた別の確定コードによって塗り替えられて」いくような物語。
このような手法のメリットは、クロノボックスのような「あからさまに不確定コードの乱発」の場合だと、読者はその解釈コードゲームに「乗らない」とそこで「楽しみ」を得ることができないわけだが、
このように「単にプロットの変化によって確定コードが変わるだけ」の場合、読者は完全に受動的な参加であっても「わぁ。目まぐるしい展開で楽しいなぁ」と言うような楽しみは得ることができる。
「たった一日でコンプリートした」と言う人は、そういう意味での「楽しさ」がメインだったように思われる。「引っ張る力だけで読み進められる」というのは、そのような注意力を欠いた状態に読者を思考低下させる機能性はあるだろう。

さて、このような説明は、作品の面白さを露悪的に記述することで、いっけん「褒めているようでありながら、こんな姑息な手段を用いやがって」的な嫌味を僕が言おうとしているのは事実であるのだが、
僕が素直に関心した部分も無いわけでもない。それもあくまで「部分」であって、全体的にはあまり生かされていないのは残念であるのだが、それはタイムスリップとエロゲの「ルート構造」が上手く絡んでいるところだ。
この作品のルート構造は、図で説明すると、大まかに言ってこのようになっている。



共通ルート→→→→→分岐A→→→→→分岐B→→→→→→分岐C→→→→→分岐D→→アリスルート                   
          ↓       ↓       ↓       ↓
          ↓       ↓       ↓       ↓ 
          四五ルート   ラビルート   春ルート    エミールート


これ自体は特に独創的な発想ではない。別にこうしたルートに対する一般的な合意が確立されているというわけではないが、一般的には「途中下車」フラグ構造と言われているものに近く、
これから推測できるように、四五ちゃんは本人ルート以外「毎回降られる」し、最終的にはアリスルーとが「物語的には正解」とされているような感じはあり、この構造の弊害については以下の(2)と(3)で指摘する予定である。
ただ、ラビルートというか「ラビルートと、その(クリア後)のラビのフラグ構造の位置づけ」に関しては、まぁこれもよく考えたら、はったり破綻しているわけだが、その点だけ見ても評価に値するというか、
正直なところ、この作品の「先を引っ張る力」で最大限に評価できるのは、結果的に見ても「これしか無いんじゃないか?」とはいえる出来だ。

ラビルートでは、主人公たちがニュートンに万有引力を思い出せるのに失敗(というか、他に色々とあるわけだがまぁ省略)し、最終的に主人公は最後の手段として、
完成したタイムマシンに乗って「ニュートンが万有引力を忘れる」前にタイムスリップすることに決めようとするが、そこでラビが...と言った塩梅であり、
まぁ正直ルート自体の完成度は決して高くはないが、この後が重要なのだ。ここらへんは解釈次第と言えるようなボカシは入ってるものの、このラビは「自分の攻略ルートを超えた存在」になる。
これは何かの比喩ではなく、字義通りの意味合いであり、ラビルートのラビが、分岐B以降のシナリオに登場する。これをまた図で説明すれば、


共通ルート(ラビA)→→→→→分岐A→→(ラビA1)→→→分岐B→→→→→→分岐C→→→→→分岐D→→アリスルート                   
          ↓       ↓        ↓        ↓
          ↓       ↓        ↓        ↓ 
          四五ルート   ラビルート    春ルート     エミールート
                  (ラビA1に変化) 

となるわけだ。もちろん、これには例の「タイムスリップ設定」が絡んでいるわけだが、それ以上にここでの「面白さ」というか「ハッタリ」は、


>「もしかして、この作品は主人公=プレイヤーのヒロイン攻略(ルート確定)までもが、他のルートの物語に影響を与えるような、壮大な伏線がっ!」


みたいな「壮大さ」を妄想させてくれるわけだ。まぁ実際これは「単なるハッタリ以上の何物でもなかった」わけだが、一週目にラビルートをクリアした時点は「もしかしたら傑作かもっ」くらいにはドキドキさせられたものだ。
さらに言うと、これも「単なるハッタリ」以下略なわけだが、タイムスリップという「選択」の「犠牲」として、ラビのようなヒロインが生まれてしまう、というのも、
エロゲのメタシリアススキーには、彼らの大好物の(大抵はそれを毎回捏造して勝手に喜ぶ悪趣味としか言いようがない)「何かを選択すると誰かか必ず犠牲になる」ゼロサムゲーム感が出ていて、懐かしさすら覚える。
この作品が、一部のシナリオゲオタには大好評で、それ同じくらいの一部のシナリオゲオタには大不評なのは、ここらへんの「シナリオゲっぽさ」に対する評価の違いがあるのだろう。
この作品の評価が結構荒れ気味になるとは思うんだけども、その原因はその「っぽさ」を巡る「藻前らにはわかるまい」があるかもしれませんね。

それでは、お前はどっちなんだ?と言う話をすれば、まぁ読者のお察しのように、僕は「これ、シナリオゲっぽいだけで、単に伏線ばらまいて投げっぱなし系ですよね」とは答えよう。
この伏線はいろいろあるんだけども、ここでは「タイムスリップ設定」だけに限定すれば、基本的にはこの作品の設定は単純に破綻しているように思える。
クリティカルな点としては、四五ルートのように「修一郎が現代に戻らない」ルートを許している時点で、修一郎が現代に戻らないと、現代の世界にはタイムマシンは存在しないのだから、この物語は崩壊してしまう。
ここで「実は主人公は、修一郎の血のつながった孫ではなかった」というのは、実は全く関係ない。確かに、修二自体が「修一郎」とは無関係に生まれたとしても、修一郎が現代に帰らないとタイムマシンは存在しない。

(もっと細かい話をするなら、このお話はアリスルートですら自己矛盾を犯しているように思える。アリスルートにおける事件の順列を整理するなら、

(1)アリスルートの物語において修一郎が未来に戻る→(2)アリスルートの物語を実現するために、修一郎がタイムマシンを発明してお膳立てをする→(3)主人公が本編のアリスルートを辿って(1)に戻る、

といった説明がなされているように思えるが、これは「一回目の(1)が「誰によって引き起こされたのか?」という問題をスルーしている。

アリスシナリオでは「アリスルートの修一郎が未来に帰って、そのままお爺ちゃんになった修一郎が、ニュートンの事件を解決するためにすべてを仕組んだ」という説明になっているが、これは単なる循環論法以上の何物でもない。
上のような循環が発生するとしても、それを(3)の段階から始めるのは時系列に無理で、
まず最初に(1)を発生させないと、この循環は発生しない。例えタイムマシンやタイムパラドックスを弄ったところで、未来の事件が過去を引き起こすというのは、論理的に考えて絶対にありえないだろう。
そして、この作品は、結局その(1)の「誰が最初にタイムマシンを作ったのか?」という謎については、まともに答えを出していないように思われる。その他の解釈を考えたとしても、これはなかなかに絶望的な袋小路である。
仮に「修一郎」がアリスルートとは違う経由で、タイムマシンを作ったと仮定したとしても、外ならぬ「未来の主人公たちに」で会わなければ「タイムマシン」を完成することはできないし、
よしんば、主人公たちに出会わずに、自力でタイムマシンを完成させて未来に帰ることができたとしても、その場合には「修一郎は未来の主人公」たちのことを知らないので、今回の事件のお膳立てをする必要は全くない。

もちろん、別にこの作品の弱点のキモが「このような設定の矛盾」にあるわけではないので、僕もこの点は深く追及しないし、ライターが仮に全てをクリアにするキーを提出したとしても、このシナリオの評価が上がることはないだろう。
この作品の売りは「あくまで先を引っ張る力」にあり、その弱点は「その伏線が解消されない」と言うことよりも「先を引っ張る力で、何処に連れて行って、何を描くのかが漠然としている」ところにあるのだから。


が、実のところ、僕は別に所謂「設定厨」と呼ばれる人間ではないので、設定に何らかの矛盾があることには、さしてマイナス点をつける人間ではない。この作品のマイナスは別に設定に細かい矛盾があることよりも、


>「設定に関する伏線で読者を釣っておきながら、別の言い方をすると設定に対するミステリーという「正解と言う返済が期待される借金」をして物語を生き延びさせながら、その返済をしない」こと


と言うか、単純に「最初は伏線回収返済という期待があるから読み進められるけど、それが返済されないと分かった時点で、単にハッタリかましてるだけじゃねーか」と冷めてしまうことが問題なのである。
この点を「テーマ論的」に言えば、この作品「並行世界は存在しない」というような、一見「ハード」な「選択による犠牲と自己決断」みたいな話を展開しているように見えながら、
「よぉく考えてみると」実はそんなものが存在しない。この「見かけはシリアスだけど、中身を見ると実は茶番劇」と思えてしまうところも大問題だろう。

単純に考えて欲しい。並行世界が存在せずに、過去の行動は未来に必ず影響を与えて、これは作中の修一郎くんが適切に述べているように、

>「俺たちの目的は、俺たちの世界になるべく近いような、ニセモノの世界を作り出すこと」

だとしよう。実はこの場合も、タイムパラドックス的に厳密に考えると「ニセモノの世界が出来てしまう以上、親殺しのタイムパラドックスが発生する可能性は高いんじゃ?」みたいな話はできるが、まぁここはスルーしてもいい。
さて、そうなると、実は「主人公たちが現在の世界に帰る意味」というのは、非常に薄くなるわけだ。もっとキツイことを言えば「ニュートンに万有引力を思い出させる意味」もかなり薄くなってしまう。
なるほど、後者を実現するほどに「主人公たちの元の世界には近くなる」がそれは原理的にいえば「ニセモノの世界」であり、完璧な元の世界には戻れない。だとすると、これは結果論的に見ると「並行世界モノ」と非常に近くなってしまう。
「並行世界モノ」というのは、タイムスリップの場合だと、過去に起きた事件ごとに「無数の別世界」が生じるという物語であり、この場合においては、主人公の主観的な選択が称揚される。
この作品では、いっけんそのような並行世界物語は否定されていて、主人公たちの選択は自分たちの未来に影響を与えるので、本来のニュートンを取り戻すという「縛り」が生じているわけだが、
この作品の最大の難点は、作品全体として「その縛りの意義」を描けていないばかりか、アリスルートですら(強くてニューゲームを否定したとしても)「なぜ本来の未来を取り戻す必要があるのか?」にきちんと答えられていないことだ。

単純に分けると、この作品では未来に主人公が帰るのは「四五ルート」と「アリスルート」でそれ以外では、主人公は過去に残ってしまうことになる。
まず「主人公が過去に戻ってOK]を認めている時点で「主人公が未来に帰らなきゃいけない」絶対的な理由は消失するので、その決断は主人公の選択意思に任せられる(結局は並行世界モノと同じだ)
まぁそこで、その主人公の選択意思が雄弁に語られているなら物語としてはアリだろうが、四五ルートであれ、アリスルートであれ、どちらも主人公の積極的な意思や理由は全く語られないままだ。
この中でマシなのは、四五ルートであり、まぁルーとしては「単に四五がペストに掛かったから未来に戻って治療しなきゃ」以上の何物でもないのだが、消極的な理由としては説得力はある。

やはり一番ひどいのはアリスルートになってしまうんだな。ここでは、主人公が「未来に帰らなきゃいけない」理由がちっとも語れずに、強いて言えばエロゲの糞近親相姦シナリオや現実の糞緊縮財政政策と同じく
「未来に帰らなきゃいけない理由は未来に帰らなきゃいけないからだ」以上の何物でもなく、例によって主人公とアリスは「お互いに本心とは異なる苦渋の選択」をしたことに青汁を流し続けるという自己満足極まりない醜態を晒すのみだ。
いや、別に僕が「こういう非恋シナリオは嫌だ」と言うだけの話ではない。いやまぁ嫌なのはその通りであるが、ここで僕が批判しているのは、他のシナリオで、特にこのアリスと対となるエミーさんシナリオで、


>「エミーさんが一人でかわいそうだから、おれはこのの世界に戻る」


という選択を下している主人公が、何故このアリスルートでは同じような選択を下さないのか?、仮に「アリスルート」のような悲恋シナリオを認めるとした場合には、


>「主人公が、生身のアリスを振り切って、主人公たちの世界に存在した偉大なニュートンを選び取る」


というような、まさしく作品のテーマでいえば「科学的な普遍性」を選ぶことの正当性を、タイムパラドックスの倫理的なテーマと絡めて、このアリスシナリオできちんと描かなくてはならなかったはずだ。
それを描けずに、さらにこともあろうに「強くてニューゲーム」という「おふざけシナリオ」と言う形で「アリスと結ばれるハッピーエンドを描こう」と言うのは、これは「悪ふざけ」ではなく「卑怯な言い訳」に過ぎないと思う。


>「これはメーカーによる二次創作であり、原作レイプ云々」


というのは、まずこのような「ハッピーエンドを望んだ」ユーザーに対して失礼であろう。僕はこのオマケシナリオでほんの少しは「よかったなぁ」とは安堵したものの、それを原作レイプとメーカーから名指しされたらとても不愉快だ。
ここで、メーカーがやっているのは、まず自分たちが「作った正史シナリオ」をこれは「正史」だと確定させておいて、しかしその「正史」シナリオに納得できないユーザーに対する「ガス」抜きとして、
「これは原作レイプです」という形を取りながらも「まともなハッピーエンドを語って」ユーザーを納得させようという話に過ぎない。キミユメの「ギャグ80%」の最後シナリオに比べたら、非常に言い訳がましく、フッ切れていない。

もちろん、僕だって大人なので「ユーザーの批判が怖いから、何らかの対策を」というメーカーの怯懦は分からなくもない。だから「結ばれる」と「解れる」の二つのエンドを用意するくらいは認めてもいい。
だけどこの「おふざけの形」を取った、この対処は本当にユーザーに対しても、いや「物語」に対しても、失礼だとは思わないのだろうか?
いったい、このメーカーは「主人公に会えず、3年間も寂しい思いをした」という、この「おふざけルート」の「アリスちゃんの思い」までも「これは御ふざけルートで原作レイプです」と「創作者の立場」でいうつもりなのだろうか?
「創作者がどのようなルートを作るのか?」というのは、これは自由であり、極論を言えば「創作者が自分の作った物語に対して、どのようなコメントをつけるのか?」というのも、まぁ自由と言えば自由である。
しかし、自分の作った物語に対して「こんなのはおふざけで、まともに相手をすることはありません」と言うような創作者は、そりゃユーザーから見ても「まともに相手にされなくなる」のは当然と言わなければならないだろう。


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(2)「テンポのいい作品はチンポを勃たせることができない」」

https://www.youtube.com/watch?v=3jy-AAnIgj8

>「大いに笑って少しホロリ」それがLaplacianのプランドコンセプトです。
今作でもそのバランスは崩さず、前作で好評だったギャグシーンの数々は顕在です!
今作のタイムトラベルには、下半身を大人しくさせてしまう難しい設定ナシです!
Laplacianが描くのは、あくまでヒロイン達の身近な悩み。
それを、セックスをしながら解放してあげるのです。

2:軽快なギャグとひたむきな女の子の本気な恋

>自分の夢に「ひたむきなヒロイン達」は、インテリだけどどこか抜けています。
そんなヒロインと主人公の軽快な掛け合いから生み出すボケとツッコミの化学反応!
そして、個別ルートに入ってから見せる、恋する女の子の顔。
結局はギャップなんですよ、女の子の魅力は!

http://laplacian.jp/newrin/concept.php


よくもまぁこんな嘘をヌケヌケと並びたてたものである。流石に「詐欺」まで言うつもりはないし、作品のOPに関しては、きちんと作品内容を伝えていると思うが、他の説明に関しては嘘半分だといったほうが正しい。
まぁなんでこういう嘘が堂々と通じるのかと言うと、エロゲオタの言説として「一点だけ突き抜けた○○がある」場合それは「その他の部分」を度外視して、これは「○○ゲー」とされて、それが作品内容を示すことになってしまい、
前作のキミユメなら「ギャグが一番面白かった」から「キミユメはギャグゲー」ということになり、このニューリンも「ギャグが一番面白かったら」この二つの作品は同じ「ギャグゲー」だ、みたいな話になるわけだ。
この話の何処が馬鹿げているかと言うと、その「作品の一番面白かった部分は何か?」と言う話と「その作品の作品内容」が、そのままイコールになるわきゃない、という単純な事実を忘れているところ。
おいしいアンパンを買って食べて「アンコが甘くて美味しかった」からといって、そのアンパンが「アンコだけで出来ている」わけはないだろう。その美味しさは、アンコとパンのバランスによって生じているのだから。

これについては、このメーカーも「一般用語的な慣用表現」と「その理論的な意味合い」を大いに間違えていると言えるだろう。例えば、上で引用した文章で言えば、

>そして、個別ルートに入ってから見せる、恋する女の子の顔。結局はギャップなんですよ、女の子の魅力は!

こうしたモノが、この作品で「ほとんど感じられなかった」のは、結論から言えば、


「1」単にそうした「ギャップしか感じられない」ほどに、唐突に始まって唐突に終わる個別ルートの短さ。
「2」ルート構造によって、いきなり「個別ルート」に入るので、時間を置いてプレイしている人間はその「ギャップ」すら感じられない。


と言うことになる。まぁこの「個別ルート」の短さについては、それこそ上のクリック数のデーターを見れば一目でわかるとは思うのだが、ここでは物語的に説明すると、

>Laplacianが描くのは、あくまでヒロイン達の身近な悩み。それを、セックスをしながら解放してあげるのです。

実のところ、こんなシナリオは存在しないと言える。前者はまぁあるのだが、それを「セックスしながら」は解放していない。
殆どのシナリオにおいて、まぁ強いて言えば四五ルートを除いては、主人公とヒロインは「結ばれる前」にヒロインの悩みはほぼ解決されている。
これは、そういう意味において、ゼロ年代エロゲと言うか、いやそれ以前の「東鳩」時代の「エロイッカイズツ」の物語構造と基本的には同じであって、

>共通ルート→個別ルート突入→主人公がヒロインの悩みを解決する→告白して即エッチ→デートとエッチを一日くらいやる→急展開シリアス→エンディング

という流れである。もちろん、この流れだって、丁寧に時間をかけて描写すれば「ギャップ萌え」みたいなモノも生じるかもしれないが、これを一時間たらずでやった場合には、唐突さしか感じないだろう。
一週目なら「共通ルートのヒロインの比較」して「個別ルート」で「恋する女の子の顔」になるのが嬉しい、みたいな反応もあり得るかもしれないが、
先に述べたように、この作品のルート分岐構造では「いきなり個別ルートに入って、いきなり恋愛展開どこから、場合によっては即セックス」展開なので、悪い意味のギャップしか感じられないわけだ。

一応そこら辺を丁寧に説明しておくならば、まず四五ルートでは「四五の告白を受け入るか否か」がルート分岐になり、受け入れた場合には即セックスとなる。これは確かに初回で受け入れないと唐突感がすさまじい。
しかして、こんな唐突な告白話をやった割には、四五ルートは恋愛物語的な意味では、一番報われない。告白を受け入れて、恋人同士になった二人は、一日デートとセックスをした後、ちょっとした痴話喧嘩を起こして、
その後すぐに仲直りしたと思ったら、四五がペストに掛かり、それを直すために現代に戻るために修一郎のタイムマシンを取り戻すという、半分以上は四五が蚊帳の外に置かれるシナリオでイチャラブは皆無だ。

「別にイチャラブなんか必要ないだろ」が当て嵌まりそうなシナリオは、ラビルートくらいだろうか。これはラビがタイムマシンを盗んだあと、本来は存在しないはずのラビと母親を再開させる展開に発展し、
前半までは、実のところ「主人公が唯一カッコいい」シナリオであるのだが、こちらも結ばれた後は、すぐさま事件が起きて、タイムリミットが過ぎた主人公がひとり過去に戻らなくてはいけなくなり...で終了であり、
そもそも「ラビとの恋愛を描こう」とすら思っていないシナリオである。このシナリオが一番完成度が高いというのは、正直「恋愛ゲーム」として、かなりどうか?と思える所はある。
アリスルートに関しては、先に描いたので省略気味にするが、これもルートの導入が「アリスとエミーの仲を取り持つ」話から分岐して発展するので、恋愛シナリオとしてはかなり弱い。

とはいえ、これらの「本来ならばイチャラブや恋愛シナリオ」ではないシナリオにおいて「それらが弱い」というのは、そもそも論としては「別にそんなものを描く必要はない。そんなシナリオじゃない」しとはいえるだろう。
この作品において「恋愛やイチャラブ描写が足りない」と真に批判されるべきなのは「春ルート」と「エミー」シナリオだろう。
この二つのシナリオは、二つとも「主人公が未来に帰らない」シナリオであり、その理由が「ヒロインのそばにいると約束した」というのだから、できるだけ「主人公とヒロインがそばにいる」日常を丁寧に描く必要があるはずだ。
恋愛描写においても、春の場合は、現状では全く説得力に欠けている。
このシナリオでは、色々あって「主人公が自分をニュートン」だと偽って、ニュートンをある理由で憎んでいる春は主人公に対して微妙な態度を取りづけるものの、アリスがニュートンだとわかったら、
何故か主人公に対しは急にデレ始めて速攻で告白である。その後のイチャラブも、特にシナリオ的なタイムリミットもないのに、一日デートして「春の元にいる」と決意して終了という、起伏が無ければイチャぐらい丁寧に書けよ話だ。
エミーさんも良かったのは「告白と同時にフェラ」くらいであって、せっかく主人公が怪我をしてメイドのエミーさんがお世話するという「メイドヒロインの絶好の活躍描写」であるのに、そこらへんは残酷にもスルーで、一回デートして終了だ。

因みに、前作「キミユメ」で何かと話題になった「作中でのキャラムービー挿入」については、正直いって「キミユメ」から退化している、と断じてもよろしい。
キミユメの「時雨ディクショナリー」が傑作だったのは、あのムービーと本編の物語の関係性が「あるかないか?」の微妙なラインを衝いてきているからだった。
だが、今作におけるムービーの存在は、単に「作中イベントの代替」である。例えば、春のそれのように「作中のデートイベントや登場人物の心理描写」をそのままムービーによって「語らせてる」だけなら未だしも、
作中における描写においては「それを全くしない」という手抜きっぷりだ。本編での充分な描写があって初めて、このような「本編の余剰」としてのムービーは生きてくるというのが、時雨ディクショナリーの発見であったが、
ここにおいても「全て信者が悪い」の法則が発動する。彼らは、ある「単体のそれ」だけを称揚して、その「単体のそれ」が「全体とどのような関係を持っているか?」を問わないから、このような失態が生じるのである。


こうまで「個別ルート」の弱点を語ると、この作品が「テンポのいい作品」として褒められているのは何故か?という、ごく尤もな疑問が浮かんでくるが、この答えは、
今までの僕の記述もフェアではなく、作品マンセー者の記述もやはりフェアではない、と言うものだ。言い換えると「テンポは良い」は共通ルートにおいて当て嵌まり、個別ルートにおいては全くの裏目になる。

この「テンポが良い」というのは、ここ数年のエロゲにおいて、おそらく「一番好まれている作品肯定レトリック」だと思われる。
その理由としては、このレトリックそのものは、特に「特定の作品内容」を記述しているわけではなく、ある種の中立的な「作品傾向」だけを記述しているので「万人に受け入れやすい」という算段が働くからだろう。
つまり「テンポが良い泣きゲー」ですとか「テンポが良いシリアスゲー」ですといった「特定の作品内容」を記述する場合、その特定の作品内容が苦手な人には「受け入れられない」わけだが、
単に「テンポが良い」だけなら、その作品がどんな内容なのかはわからないので、自分が他人に嫌いな作品を推すという不愉快さから免れることができるわけだ。その分だけ「テンポが良い」は無意味化していくわけだが。

実際に「テンポが良い」作品と言うのは、何らかの共通する特徴があるわけではなくて、この作品のテンポの良さは、よく言われるように「軽妙なテキスト」だけに起因するわけではない。(1)の繰り返しになってしまうが、


>「1」そもそもの(タイムスリップ)事件の発端を含めた、物語全体を包み込む(ようでいて、実は包み込んでいない)タイムパラドックスに関するミステリー(とそれに付随するテーマ性
「2」常に小さい事件を発生させて、その都度読者の予想を絶妙に裏切っていくようなスリリングな展開。


第一に「物語全体」のレベルでいうところの「タイムスリップ設定に関するミステリー引っ張り」というのがあって、その次のプロットレベルで「予想を少しずつ」裏切る展開があり、
そのような「プロットの方向性」を軽妙に繋げていく、テキストの巧さがあると理解した方がいいだろう。これは何故「共通ルート」が面白くて「個別ルート」が詰まらないのか、の説明になる。
もしもテキストそのものが「純粋に面白い」ならば、僕が上で指摘した「駄目なプロット」でも、面白く描けるはずだ。そうではないのは、共通ルートの「テンポの良さ」は、まず第一にプロットレベルの牽引力に求めるべきだろう。
「1」の部分については(1)で述べたので、今回は「2」について語ってみよう。実のところ、この作品の共通ルートの「大まかなプロット」それ自体は、物凄く単純である。あくまで「大まかに」にその点を要約すれば、


>1:主人公と四五が祖父の手紙に従ってケンブリッジに行き、1Aタイマシンに乗って1687年のケンブリッジに向かう。
2:ニュートンもといアリスが、主人公たちの所為で万有引力のアイデアを忘れる。2Aその後、ヒロイン達と出会い彼らの寮に定住する。
3:主人公の祖父の修一郎がこの時代にタイムスリップしていることを知り、若いころの修一郎に出会う。3A色々あって修一郎もタイムマシン修理を手伝う。
4:タイムマシンの修理に必要な素材をラビが持っていると知る。4Aタイムマシンの修理は終わったが、ラビにそれを盗まれてしまう。


と言ったような流れであり「大まかな流れ」自体はそこまで複雑ではないし「先を引っ張る力が凄い」というコメントから予想されるような「目まぐるしい展開」と言えようなものは実は少ない。
それでは、この物語の、どこが「先を引っ張る力が凄い」のかと言うと、上の「大まかなプロットの要約」でいえば「本筋の流れ」そのものよりも、僕が不自然に「1A」とか付けた、
強いて言えば「サブプロット」まぁこのサブプロットは実は「ヒロインの個別ルート」に繋がるのだから、それを「サブ」と呼んでいいのか?みたいな疑問はあり得るとしても、
便宜上の呼び名として「サブプロット」と言う言葉を使わせてもらおう。この「ニューリン」の「先を引っ張る力」の大半は、この「サブプロット」によって生み出されていると言っていい。
正確にいえば、このメインプロットのサブプロットのクロスチャンネルが、この部分だけは「もろ手を挙げてマンセー」していいくらいには、べらぼうに巧い。

まず、サブプロットであれ、メインプロットであれ、どちらのプロットに共通している手法としては「ジグザグ進行」とでも言えるようなプロット展開だ。
これはその名の通り「ある方向に向かうプロット」が「ジグザグ」する、つまりは「色々と思いも寄らない事件が起きる」んだけども、実は「プロット自体」の方向性は「そんなに変わっていない」という手法である。
メインプロットだけで言っても、主人公たちの「メイン目的」それ自体は、上の要約を見ればわかるように「元の歴史に戻すこと」であり、実は個別ルートの終盤に至るまでも、全く変わっていないのだ。
確かに色々と細かい事件は起きて、その度に主人公は「細かい行動の変更」を何度も迫られる。が、毎回必ず「元の歴史に戻すこと」のレールには戻る。事件発生により読者の刺激を与えながら、物語の方向性は失わないってわけ。

次にサブプロットのレベルでいうと、変な言い方だと思われるかもしれないが、この共通ルートの大半は「日常描写」に割り振られていると言ってもいい。
もちろん、それは単に「ヒロインの日常だけを描写する」と言うよりも「事件の進行とともに日常の描写が語られる」といった次第であるのだが、これも図で説明した方がわかりやすいだろう。
「プロット」ではなくて、ここでは「シーンの順列」を並べるような図解を一例として描く。

>一日の始まり→寮での朝の食事(基本ラビ以外のヒロインとの会話=サブプロット進行→地下のタイムマシン置き場で修一郎とラビとの会話(メインプロット進行)→昼間または夜のイベントでサブまたはメインプロット進行。


これを「物語的」に言い直すと「主人公と四五と修一郎とラビは、今現在タイムマシンの修理をしていて、それと並行的にその他のヒロイン達との生活を送っている」一日が描写されている。
この「常にメインプロットが進行しながら」も、それとは無関係に「ヒロイン達のサブプロット」が「予想の付かない感じで」進んでいくようなバランスが実に絶妙なのである。
上の要約を見ればわかるように、この作品では、メインプロットに参加するのは主人公と四五と修一郎とラビであり、その他ヒロインのアリスとエミーと春さんは「最後まで主人公たちの正体」を知らないのであるが、
彼らヒロインが思わぬかたちで「メインプロットに絡んでくる」(例えば、春さんが実はニュートンの出版と絡んでいたり)と言った形で、メインプロットがジクザク動いたり、
またはメインプロットの進行中に、例えば、修一郎は「俺はこの時代に残るつもりだった」と言い出して、そこから主人公の祖父に対するコンプレックスが語られていき、事件と登場人物の心理描写がさり気なく結びついていく。

この作品の「引っ張る力」は、どちらかと言うと「辞め時がない」というか、あえて悪い言い方をすれば「全てのストーリーがズルズルと繋がって」いて「ここから先がこのテーマを語って、次はこれ」といったような「区切り」は薄い。
メインプロットは常に「問題が発生している」状況だし、サブプロットのレベルでも「ヒロインのこの悩みはこのように解決されました!}というよりも「ヒロインがちょっと悩み事を話して気が楽になった」というような、
全てのイベントは「一時解決」と「一時表明」の連続で、そうした小さな解決や伏線や表明が一日の描写の中に散りばめられて「先が気になる」というよりも「次は何が起こるんだろう?」という小さな期待の集積が「引っ張る力」を形作る。

ゆえに、こうしたナラティブは「個別ルート」においては、一様に「マイナス」に機能せざるを得ない。上のようなナラティブの本質は、悪く言えば「無限の先送り」であるが、
個別ルートにおける、ヒロインの恋愛やイチャラブ描写においては「無限の先送り」は機能せずに、常にその場その場での「ヒロインとイチャラブ」という現金支払いをしなくてはならないからだ。
さらに、物語のエンディングには、最終的には今まで「無限の先送り」によって高まった利子を払わなくてはいけない。
この作品の主人公が不評であり、さらには個別ルートに対してあまり良い意見を聞かないのも、逃げ続けることによって好評を得たストーリーの論理的な帰結はこの逃げ続けた主人公でしかなかった、と考えると実に納得ではある。


最後に纏めらしきものを、今後のメーカーに対する希望と共に書いておきたい。
色々と他の人の意見を見る限り、中庸的な見解としては「色々と問題ある作品だが、確実に前作のキミユメよりはよくなっている。メーカーの今後の発展に期待」というのが「落としどころ」になりそうな感じではあるが、
僕としては「部分的にはキミユメよりもよくなっている部分はあるとしても、全体としてはキミユメよりも遥かに悪くなっている。ライター氏はもう一回、モモケンの包茎を被って出直してこい」という意見を主張しておこう。

良くなってる部分というのは、これは「他の人の意見」とだいたい、同じで共通ルートにおける「メインプロットとサブプロットを絶妙に交錯させる」ような「先に引っ張る」(だけの)構成力。ここだけは一流メーカーだと言ってもいいし、
ここではあまり言及できなったけど、各シーンの演出の巧さも大したものだ。このような部分は「確実にキミユメ」よりもよくなっているとはいえるので、この点だけは次回作も期待できるところではある。

が、それ以外の部分、端的にいえば「エロゲとしての総合的なグランドデザイン」を構成する能力については、これはもう圧倒的にキミユメの方が優れている。キミユメはその点で二流だとしたら、今作は四流くらいにランクダウンしてる。
キミユメの場合、色々と欠点はあるとしても「主人公の夢を見る能力が、ヒロインの恋愛に繋がっていく」という基本構成は、きちんと「ヒロインと恋愛やエッチをする」という物語と接続していたと評価できる。
それじゃ今作はどうだ?
確かに、この作品は科学をテーマにして、ロバートフックやニュートンやハレーといった実在上の人物の「史実に隠された物語を探る」というストーリーはそれなりに機能しているし、科学小ネタもそれなりに上手く料理してると言えなくもない。
が、このような「側面」だけを見て「この作品は科学をエロゲに上手く落とし込んでいる」と評価する人は、少なくとも、僕とそのエロゲ観を大いに異としている、と言わざるを得ない。
この批評と言うか、もうすでに檄文と化していると言っていい文章で僕が何度も訴えかけたように、この作品には、圧倒的に恋愛とイチャラブとエロスが足りていないし、当然のことながら「科学」とそれらが全く結びついていない!

もっとクリティカルなことを言えば、この「ニューリン」は「キミユメ」に比べると、圧倒的に「柔軟性」に欠けた作品だとはおもう。
キミユメの場合、まぁどこまで作者の意図通りであったかは不明だが、結果的には「ヒロインシナリオの目的によって、シナリオの描き方を変えていた」ところがあって、


>由衣は本編シナリオの伏線解決ルート→七ノ羽はストーリーライン重視の恋愛シナリオ→真梨奈は日常描写の反復シナリオ→時雨はスポーツを題材にしたイチャラブシナリオ。


といったように、これは左から順に「シナリオの尺が伸びていく」のであるが「シナリオの内容に即した尺の長さやその描き方」を変えているところがあって、これが作品世界の豊かさと繋がっている。
ところが、今作では全てのシナリオが「テンポの良さ」一辺倒の単純バカへと成り下がっている。エロゲでいえば、あんあんあん喘ぎ声しか描けない、又はマンコを激しく突くことしか能がないるいす君のようなセックスシナリオと化している
今作でいえば、ラビまたは四五のような「急展開に持ち込まざるを得ない」シナリオ「だけ」が、これくらいの短さだというのは、まだわからなくもない。
しかし春またはエミーシナリオは、基本的には急展開シナリオではないので、もっと余裕をもってイチャラブや恋愛描写を描けたはずなのだ。アリスだって悲愴シナリオをやるにしても、この短さでは皮相シナリオでしかない。
このような「欠点」を「いや、今作はシナリオ重視でサクサク読み進めることが重要だから、短くてもOKなんだ」という、別に心の底からそう思っているわけでもないような「信者のフリ」をするだけのコメントをまことに受けて次回作を作ったら、
たぶん「ああ、あそこは信者の言うことだけ聞いているような駄目ブランドなんだな」と一発で見放されるだろう。

とはいえ、あくまで個人的な事情で言わせてもらうならば、今作は「基本的に失望した」と言わざるを得ない内容ではあるものの、次回作にまた「どうなるかわからねぇ」感を残しているという意味では予想外に良かったと言える。
いや、僕は体験版をやって「あー、これはスタイリッシュにサクサク読める普通に面白いエロゲ」が出来上がったなぁと思って、ある意味で興ざめしたのだ。僕は、そういう作品にはあまり「興味が持てない」から。
故に、この不評が多い新作に対して、しかもメーカーは基本的に好評しか聞かないみたいなへたれ状態において、次回作はどのような作品を出してくるか、もう一度ニューリンに感じた期待と不安を味わえるというのは、誠に贅沢であろう。

今作は良くも悪くもエロゲ世間の注目を浴びたようで、ここ最近はエロゲをプレイしていないやや引退気味の皆さんもこの作品をプレイしたようで、まぁ僕はそこにもある種の「嫌味」は感じなくはないのだが、
なにかと注目や期待を浴びるブランドへと変身したのは、だれもが認めざるを得ないだろう。その注目や期待を「どうしてくれるのか?」は、今後のブランドの展開次第だと思うので、それが成功するにしても失敗するにしても、
今までのエロゲ業界の「駄目なデジャブ」を感じてしまうような、凡庸な失敗だけは避けて欲しいものである。そういう意味じゃ「ニューリン批評空間」は良いリトマス試験紙になるかもしれないので、生暖かく見守っていきたい。

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☆エロについて

いやまぁ、こんなのはクリック数を見れば「早漏れしすぎ。使えん」で終了だと思うんですけど、その他にもいろいろと文句があるので色々と。

Twitter界隈だと「ラビのおちんこエッチがグロすぎて駄目」みたいな話で盛り上がっていたりしますが、アレですよね。こういう時に僕は、本当にTwitterのエロゲクラスタは度胸が無いなぁと思うわけでして、
これってつまりは「エロシチュだけの賛否表明」だけはやっても大丈夫、みたいなヌルさがあるじゃないですか。いやいや、この作品のエロの問題は「なんかそれ以前」の話で、
まず、エロシーンそれ自体が短すぎるし、さらにエロシーンの方向性も「変化球を投げている」だけで実は全く尖っていないし、さらにはエロシーンと本編の関係性も最悪じゃないですかぁっていうのが抜け落ちてる。
もちろん、そこらへんを真面目に語ると「マジの好き嫌い」の議論になるので、取り合えず「ちんこ生やしエロだけはねーだろw」でお茶を濁そうとするような社交的な態度、みなさん、ほんと大人やわぁと思いますですハイ。

本編とエロの関係がダメダメっていうのは、基本和姦が占めるこの作品において「圧倒的にイチャラブが足りない」と言う以前に「そんなの全く存在しねぇ」という、
ゼロ年代エロゲを超えて90年代の「葉鍵シナリオ」を連想させるシナリオでは、どんな早漏れエロゲでも「シコった」と言ってくれる、Twitterのシコ猿アカウントでも皆それについては「沈黙」状態になってしまうわけだ。
昔から言い続けている事であるが、ある種のシナリオエロゲをやろうという話なら「足りないエッチシーンは本編後オマケエロで補完」は、一つの手段として僕は正しいと思うのだが、
イチャラブゲーなら当たり前なこと、まして僕は「萌えゲー」でも「キャラゲー」であったとしても、基本的に「足りないエッチシーンは本編後オマケエロで補完」は絶対にやめた方がいいと思う。
これをやると、この作品のように「本編の物語とエロシーン」が完全に分離してしまって、エロシーンと本編の物語を上手く繋げようという方向に作品が向かわずに、
単にエロシーンで変化球を投げて「その変化球が受ければOK,ダメだったらNG」みたいに、単にエロの評価が「シーン単体」になってしまうわけだ。抜きゲならさておき、これを萌えゲの堕落と言わずとして何だろう。

さて、エロシーン単体でいえば、まずエロシーンの尺が短いって話は先に述べたとおりであるが、これをもっと明確にするために、主人公が早漏れである証左として、以下のデーターを上げておこう。

(ニューリン)
アリス         1:98 2:106 3:65 4:56 5:76
四五          1:101 2:46  3:57 4:82
エミー         1:72 2:53
     
(俺と彼女の恋愛日常)
アリス         1:92 2:46 3:211 4:107 5:116
結花          1:105 2:89 3:146 4:98 5:92 6:162

遥           1:168 2:211 3:89 4:98 5:212 6:203 7:189: 

このクリック数は「主人公がヒロインのあそこに突っ込んでから果てるまで」のデーターである。一応、ここでの「挿入」は女性器またはアナルオンリーで、フェラとかパイズリはこの対象に含まれていない。3Pも除外してる。
また「二回戦目」の場合は、それを連続したセックスと捉えているので、とうぜんクリック数は多めにカウントされることに留意してほしい。まぁこのニューリンには「二回連続挿入」なんてエチシーンは皆無だけどね!
さて、このように他のエロゲと比較してみると、初回の処女喪失エッチは他のエロゲと同じくらいの長さだとしても、それ以外のエッチシーンが、他のエロゲの半分以下くらいのチンポ耐久力しかないことがわかる。
これは、別のエロゲを持ってきても同じことで「普通の萌えゲ」基準でいうと、だいたい挿入テキストは100クリック前後であり、それに二回戦が加わると150前後に増加する。
エロシーンの長さやその癖と言うのは、ライターによって随分差が出るもので、ニューリンは単独ライターだが、恋愛日常はライターが「アリス&結花」と「遥」で異なっており、遥のライターは通常の二倍近い長さを描いている。

もちろん、このようにデーターを示したところで「いや、別に挿入時の長さが多いからと言って、エロいわけではない」としたり顔の省エネな「相対論」を述べる人間が出てくるわけだが、
確かに同じ100クリックの挿入エロテキストを「恋愛日常」と「ニューリン」で比べた場合、恋愛日常の方が遥かにヒロインの性格をエロ台詞で生かしており「ある程度の長さを確保したうえで」は、そのような相対論は正しいと言える。
しかし、経験則から言えば「50」クリック前後くらいになってくると、こうした短さは「何らかの意図があって」というものではなくて、これは単なる「手抜き」であることの方が圧倒的に多いのだ。
それもそのはず「長さ」ではなくて、そのテキストを見てみれば、ニューリンの挿入セックス描写は、本当に「単に女性器を突いてるだけ」に等しくて、その上でおっぱいをもんだり、キスをしたりといったやり取りが圧倒的に欠けている。

さらに問題なのは、僕の苦手な69を入れすぎじゃゴルアって話はさておくとして、「なんか基本的にマゾ気味なシチュエーションを用意しているのに、最終的には逆転しちゃう」感じの、中途半端さが問題だろう。のだ。
どうも、この点も「微妙に言い訳がましい」というか「誤魔化してる」ようなところはあって、ラビに「ちんちん生やしたり」みたいな変化球も「シチュの奇抜さ」を前面に押し出すことによって、
「きちんとしたマゾっぽいエロシーンを描けないこと」を「うちはギャグ専門ですから!」って感じで誤魔化しているようなところはあるんですよねー^。
TLでライター氏が「自分の描くエロシーンが、自分の描いてるエロコラムと似ていると言われて苦しかった」みたいなことを言っているけど、エロシーン全体にそういう「妙にメタ的な」逃げというかチンポに童貞が詰まったような息苦しさがある。
せっかく、エロシーンの大半が「ヒロインに押し倒されるような」流れなんだから、そこで「セックスはお互いに同時に気持ち良くなければいけないんだ!」みたいな思い込みは捨てて、
少なくとも「一回戦目はヒロインにリードされて、二回戦目は主人公がリードする」みたいな流れにすれば、このライターさんの軽妙なテキストも生きてくるとは思うのだが、こんな中途半端なエロテキストじゃエロゲオタは逝けねぇYO!

さらに、本編でのエロシーンがこんな体たらくなのに「店頭特典追加エッチシーンシナリオ?」が存在するというか、まぁ?をつけているのは、僕は買ってないし、ツイ検索しても、
それがエッチシーンシナリオなのかわからないので、このような表記をしているんだけども、どちらにしてもダメだと思うのだ。エッチシナリオでは無かったとしても、この短さで「追加シナリオ」を有料で出すのはどうなのか?
仮にエッチシナリオだとしたら「本編のエロシーンでちっとも抜けない」ような状態で、追加シナリオを出すというのは、殆ど商品としては詐欺に等しいと思う。こういうのは本編で満足できる状態の「うえ」で出すのが基本だろう。


せいぜい良かったところと言えば、前作から大幅に進化した「エロCGの塗り」と、それ以降が基本駄目なので評価に値するわけではないのだが、それだけに「エロシーンの導入」が主人公受け気味に押し倒されているところくらいかのう。
まぁ今作のエロで面白かったのは、作品内容そのものよりも、ネットでの評判かなぁ。
僕の観測範囲内、しかもけっこう「シコった」系の動物系な感想が多いようなエロゲオタまで含めても、誰も「シコった」みたいな感想を上げていないのに、Twitterでの評判がマンセー一色に染まっていたというね。
いやまぁ、エロゲクラスタの大半は、所詮そんなものではあるが「エロゲ以上にエロが軽視されているジャンルはない」と改めて知りたいエロゲオタの皆様には、是非プレイをお勧めしたい作品である。

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