ヌイさんの「Seraphic Blue」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

幸も不幸も感受せず闇に抱擁されながらたゆとい続けることと、 道中美しい道や陽気な小鳥の囀りに慰めながら、絶望の首つり台へと向かうかもしれない道を 歩み続けるのはどちらが幸せなのか―― 未だに自分の中で納得する答えを出せていない。
【印象的な場面】
登場人物が用意された言葉を諳んじているだけ。
ネットで時折そんな感想が散見された。
しかし、私はそうは思わない。
確かに劇を演じているようなセリフ回しをする場面はあるが、
懊悩し求不得苦しながらも生きているからこそ、発せられている片鱗を垣間見た。

例えばそれは、ダルムシュタットの地獄絵図を口では楽しんでいたと言いながらも、
エンデが童女を殺害した際には憤りを見せたケインや、引き換えにアイシャが救えるのなら
思い出など要らなかったと哀叫したレオナのような理論で組み立てられた予定調和の言動
ではなく、理屈抜きの感情上から発せられた言葉に人間味を感じた。
全体を通しては終わりの絶望を見据えている人物ほど、それゆえにカウンターパートである
生をより深く見据えており魅力を感じた。

このほか好きな場面としては、 EP17 ヘヴン・ザ・ホーイック 夕日に消えた天使たちに
おけるザーラ戦を挙げたい。
ここではニクソンが本当に子供たちを愛していたのが伝わってきて、やりきれなさで
胸がいっぱいになった。
「中々寝静まらない子もいましてね」
「私でないと、眠って呉れないのですよ」
「さあ、お休みなさい」
たとえ変わり果てた姿になってしまっても、平静の口調を崩さずに
最後まで優しい神父であり続けたニクソンのいじらしさに胸を打たれた。
その後の感情の氾濫。
彼の無念のすべてが伝わってきた。
この時ばかりはヴェーネの何の慰めにもならない非難に怒りがこみ上げてくるのを感じた。
(尤も、ヴェーネ自身はそのような感情の発露が許されてこなかったことを考えると、
仕方のないことではあったのだけれども。
道具としての記憶を思い出したがゆえに、ニクソンの所作を冷ややかな目で見てしまうと共に
心の奥底ではうらやましかったのかもしれない。)

ホーイックの幼天使たちは、ケイオスに生れ落ちるよりは遥かに幸せだった。
それは残された人間にとってはただの気休めでしかない。
彼らは結局、破滅の運命からは救済されなかったのだ。
逃れえぬ運命で中途半端な救済を与えられたこと。
それは彼らにとって幸せだったのだろうか。

答えは夕日と共に闇へと消えていった。

【描かれた「彼女」とクローズ・ウィズ・テイルズ】
物語は名もないヴェーネの絵について、ミネルヴァが「題名は、これを措いて他に無いわね」
と発し、締められる。
一体、このタイトルは何であったのだろうか。
私にはそのタイトルがわからない。
表現する言葉が見つからないと言う方が正確か。
それが唯一だと断言できるほど、絶対的なセンテンスが。
あえてつけるとすれば、「Fin」だろうか。

少なくとも私はSeraphic Blueでもヴェーネ・アンスバッハでもないと
考えている。
なぜならばそれら二つは彼女を縛り上げていたものだからだ。

Seraphic Blueはヴェーネの生きる道筋を示すものであり彼女という存在を示す澪標であったが、
同時に彼女を縛り上げる頸木であった。この名の為に、彼女は自分の命を道具としか
見なせなくなったのだから、Seraphic Blueなんて逆戻りになるような題名を、ミネルヴァはつけないと思う。

それはヴェーネ・アンスバッハに関しても同様だ。
エルという本質を捨ててまで、彼女は最後までヴェーネとして使命のために身を捧げ続けた。
いうなれば、ヴェーネ・アンスバッハとは彼女の生き様であり、軌跡であり、詰まる所のSeraphic Blueと
同義ではないだろうか。
仕方なく自己の意志など関係なしに世界を救おうとした彼女は、エルが表現したようにまさに「抜け殻」であった。
そもそもジークベルトと同じアンスバッハという苗字が、未だ支配の檻の中にあることを暗示している
ことになってしまう。
あの笑顔はジークベルトが描いた結末の青写真と同じ、道具として一つの仕事を成し遂げた後の規定された
仮面になってしまうだろう。
ジークベルトの教育方針は情動を排し、心を捨て去せるものだった。
それならば使命を果たした歓びを享受することもなく、長い旅路の果ての感慨に耽るでもなく、
のっぺりした無感情を貼り付けた顔の虚ろな目で世界を見下ろしているだろう。
だからヴェーネ・アンスバッハも違うのではないかと思った。

それに比べればより近いのは、記憶を失っていたころのペルソナであった頃の彼女を
表現したものだと思う。
過去の因果をはっきりと自覚しているかどうか、その違いはあまりにも大きいが、自分の使命を
喪った存在という点では近いように感じる。しかし、私にはそんな彼女を一言で包含できなかった。

そこで、絵が描かれた時の状況について考えてみた。
ガイアリバースの完遂。
それは自身の存在意義の終焉であった。
自己のアイデンティティーの喪失、使命からの解放、他者の視線からの解放。
世界を救済するSeraphic Blueの物語は幕を閉じ、多くの人が救済された。
しかし、この物語は紡ぎ手である彼女を救わなかった。
かくして物語はここで終わる。
彼女が考えていたように、誰も血まみれの心を抱いた一人の女の物語など望んではいなかったのだ。
責務から解放され、自刃しようが一時の快楽に耽溺しようが、もう彼女を気にする者はいない。
死んでしまおうが、クローンを用いて延命させられることもない。
99999のダメージを受けたら、復活させられることなくそこで力尽くことすら選択できる。
望むのならばどこにだって行ける。

あの結末は彼女が初めて選び取った自由。初めて許された選択。
それがたとえ退廃の道であったとしても、
彼女が自身で取捨した事実に意味がある。
その意味で「Fin」が一番、収まりがいいと思った。

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