マルセルさんの「イブニクル」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

オタクが、増えすぎたエロゲをソシャゲーに移住させるようになって、既に5年が過ぎた。膨大なソシャゲーはオタの第二の故郷となり、エロゲオタは長年の尊厳と引き替えにデレマスで刹那の尊さを得て、そして、死んでいった。西暦2015年(だぶるおーせぶんてぃーないん)、アニメ自爆を経てもケッコンカッコカリは止まらず、オタは自分の艦むすゲームナラティブを共有生産する集団二次創作乱交体制を樹立し、母たるエロゲの独占生セックスから独立を宣言。エロゲ連邦の最古国アリスは新兵器の開発に着手する。巧みなゲームバランス調整で無駄のないキャラ育成&バトルを実現させたRPGによって、フィールド上にあらゆるサブイベントシーンを配置し、ゲーム性体験とストーリーをシームレスに繋げることで、エロゲの豊潤な物語とイチャラブを見事に融合させるケッコンカッコトゥルー嫁ハーレムエロゲのレゴンギスタを目指して……その名は「イブニクル」だ。
データー欄(簡易版……というのは、この手のゲーム性重視エロゲつまりテキストクリックだけじゃないタイプのエロゲでクリックデーターを載せても意味ないんで簡略verってことで)


・総CG枚数(差分無し)113枚 総回想数66枠

・キャラ別CG(エロCG)&回想数

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・嫁パーティーヒロイン

ラミアス 10枚(7)5回
リッシュ 11枚(5)4回
グリグラ 9枚 (5)4回
キャス 9枚 (5)4回

ラミアス&リッシュ 1枚 1回
リッシュ&クロア  1枚 1回
グリグラ&キャス 1枚 1回
キャス&rリッシュ 1枚 1回

(備考:彼女たちには陵辱エロはなし。ラミアスのCGにそれっぽいのがありますけど、アレは主人公がモンスター化してHしてるもの)


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・パーティ外嫁ヒロイン

ティオ      6枚(4)3回
キョウ&キノウ   8枚(5)3回
エリモ     5枚(4)3回
トワ      4枚(3) 2回
クロア        7枚(4)3回 

エリモ&トワ    2枚(2) 1回

(備考・エリモには陵辱未遂。クロアにはがっつりとした輪姦学校がひとつあり

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・その他女性キャラ

コルピス 3枚(3)3回
ナタール 5枚(4)4回
ソラ   5枚(5)1回


(コルピスは全陵辱エロでナタールは輪姦と悪堕ち他男逆レイプとおめでたイモムシと洗脳百合Hでソラは偽ソラとのパイズリが一回だけ。他にも主人公の嫁ヒロイン以外は基本碌な目に会いません系のエロがざっと5個くらいでしょうか
主人公とHできるキャラは他にも最後にセックスできる聖女様たちとか、妹退行化するドラゴンとかいるんですが、、そんなに出番があるキャラじゃないんで。あと「どらぺこ」の「見た目は同じ」ヒロイン二人が今作の主人公に犯されたりとか。


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☆作品の大まかな評価。

簡単な説明:これはもうそのまんまですな。一応Z~SSSまでの評価基準が存在するらしいのですが、大抵はC~Aの間に収まっているようです。
「C」がだいたい「やってもやらなくても別にいいんじゃね」。「B」が「やればけっこう面白いんじゃね」。Aが「やってないヤツは人生つまないんじゃね」。
といったかんじになっております。あと「全体評価」っていうのは、その項目における「作品全体」から感じる何となく駄目だとかイイとかそういう評価です。
あと、これは当たり前すぎて却って説明しにくいものですけど、僕の定義による「シナリオ評価」ってヤツは「感動させなきゃダメ」とか「深いテーマが無きゃダメ」とか、
そういうヤツではなくて、基本的には「その作品が目指していると思われるものが、どれくらい達成されているか?」というような「完成度」評価に近いものかも知れません。
ですから、原理的には抜きゲであろうと萌えゲであろうとシナリオゲであろうとも、その作品が目指しているものが完成されていると判断すれば、シナリオ評価は高くなるって話です。


・シナリオ評価  A
・イチャラブ評価 A+
・エロ評価    B+
・ゲーム性評価  B+



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(えーっと例によってまたマルセルたんの枕話でございまする。今回のネタは「ゲーム性重視エロゲ」とかまぁ「紙芝居エロゲ」以外のゲーム作品における「ストーリー」と「ゲーム性」の関係性ってなによ?ってお話ですな。とーぜん、そんなことは知っているぜ!ドラクエはゲーム性重視でFFはドラマ性重視なんだろ?ってレベルの人は読んだ方がよくて、さっきの話の何処がおかしいのか理路整然と答えられる人は(1)までスキップしてもらって構いません。(0)ですので、ここをスキップしても(1)以降の「イブニクル」レビューは読めるように書いておりますので。


(0)ゲーム性重視エロゲはゲーム性を重視することでどんな物語やエロを語ろうとしているのか?


いくらゼロ年代半ばあたりから現実認識やらエロゲ認識がちっとも進んでいないというか「なんか永遠に今のエロゲは長いみたいな伝統芸能語り」を繰り返しているようなエロ助ループ空間の読者の皆さまガチにおかれましても、2015年のエロゲを見て「エロゲでは数少ないゲーム性重視メーカーのアリスソフトの新作」みたいな伝統芸能を見ると、流石にちょっとそれはもう北朝鮮のニュース番組なんじゃニダ?っていう疑問は覚えると思うんですよね。そりゃまぁ「北朝鮮国内」の「一部の人民」に限定すればキムイルソンマンセーは事実なんでしょうから、それと同じように「商業エロゲ内」の「商業エロゲしかもエロ助偏差値の高い作品しかやらない人たち」に限定すれば「エロゲでは数少ないゲーム性重視メーカーのアリスソフトの新作」っていうのは、彼らにとっては事実なんでしょうけど。まぁざっとわかりやすーい一例をエロ助のデーターと、その同人エロRPGの販売サイトのデーター比較すれば……


http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/game.php?game=20251#ad

http://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ126019.html


あ、いや別に「自分の好きな作品がどーしてエロ助じゃ俺しか語っていないんだー」ってなことを言いたいわけじゃありませんよ? まぁそういう気持ちが全く無いとは言いませんけど、しかしそれよりもずっと大きいのは「エロ助と他のエロゲ世界は断絶しているなー」ってことですわな。もしもこの同人エロRPGがまぁ500本しか売れていないで、あんま評判になっていなかったら、データー数1っていうのも別におかしくは無いわけです。だけど、他のDLサイトも含めたらたぶん7000本くらいは売れていて、さらに新作も含めてそれくらいに売れていてかなり好評のサークルの作品がエロ助で「データー数1」っていうのは、これはもう良いとか悪いとかそういう話とは別に「エロ助では一部のエロゲでは全く評価というか、単純に語られていない」ってことを、端的に証明するものだとはおもうんですよねー。因みに商業エロゲが売れている作品で(フルプライスとかロープライスとか関係なく)ギリ一万本に届くか届かないか程度ですので、7000本っていうのはかなりデカイ数字だってことはご参考までに。僕が「自分の好きな作品がどーしてエロ助じゃ俺しか語っていないんだー」とは、特に思わないのも、それは単純に「だって他の場所で充分評判になって売れているんだから別に良いじゃん」だからなわけでしてー。

とはいえ、流石にエロ助しか見ていないようなエロゲオタの皆さんにも「もんむすくえすと!ぱらどっくすRPG」の評判くらいは聞いたことがあるでしょうし、そういうタイトルについては「どうせ例外的な傑作だろw」とかスルーしちゃう人が大半だとしても、そのもんむすRPGについてちょっと調べれば、僕が上に挙げたような作品はけっこう見つかって、同人エロRPGに限定する必要は無いけど、ゲーム性を用いた同人ゲーっていうのは、今やたぶん「商業エロゲの紙芝居エロゲ」と同じくらいの作品数が出ているし、売り上げもそれと同じくらいかちょっと下程度の販売規模を誇っているんじゃね?みたいな感覚はすぐに掴めると思うんですよ。まぁ商業エロゲ自体の本数や売り上げ自体が、だんだん縮小しているのが現状なので、別にそれと同じになるってことは「大したこと」ではないのですけど、この現状を踏まえると「エロゲでは数少ないゲーム性重視メーカーのアリスソフトの新作」っていうのは、流石にないなぁとは思うっていうのはこういうことですわな。

またさらに、エロゲではないにしても、ソシャゲーの興隆というのも「エロゲにはゲーム性重視作品ガーー」ってな伝統芸能をやりにくくしてるところもある。だってさーツイッターとかでエロゲクラスタのアカウント、あるいは「嘗ての」エロゲクラスタのアカウントを見ても、もはやソシャゲーBOTアイコン化しているのが大半じゃ無いですかこのヤロウ! まぁ「お前らむかしはエロゲ愛とかエラソーなことをいっていたくせに、今やデレマスに課金して尊いとかゆってるのって、結局はまわりのオタに流されやすく、自分ひとりのエロゲヒロインたちをずっと愛することも出来ない馴れ合いスキーのホモオタだったんですね」みたいな悪口やソシャゲー流行の賛否はさておくとしても、単純に何とかゲーの何とかキャラのレベルが上がったーとか、こういう攻略法が良いですねみたいな小学生的ゲーム会話タイムラインが永延と流れるような環境に身を置いちゃうと「紙芝居エロゲの方がオタ世間では圧倒的少数派なんじゃないの?」っていう気分にはなってくるし、たぶん事実としても遠からじだとは思うんですよね。オタはアニメを見たりエロゲをやったりラノベや漫画を読んでいるみたいなイメージから、ひたすらゲームをやってゲームの攻略情報やその二次創作をネタに盛り上がっているっていうのは、少なくともこの5年くらいに起きたそれなりの変化だとは思いまする。その変化が良いか悪いかって話になったら、しょせんオタクもオ容易くオッサン化するんですねーという残酷な事実にぶち当たるしかないわけですが。


まぁソシャゲーの興隆の「社会的な要因」みたいな話は、ここではスレ違いなので、ソシャゲーと同人エロRPGの「ゲーム性」……とは言い難い「ゲーム性を使った作品作り」のようなものについてお話を持っていきたい。流石にこの現状に対して「いや、ソシャゲーや同人エロRPGはゲーム性を用いているが、ゲーム性重視作品ではナーイ」みたいな強弁は、一部の人しか言わないとは思うんですけど、とはいえ「じゃあソシャゲーや同人エロRPGをやっている人は、純粋にゲーム性を楽しんでいるのか?」みたいなところも多少は残っていて、これらの作品を純粋におもいきって「ゲームとして楽しい」と言えないところも同時にあったりする。でも、それを踏まえてしまうと、エロゲのゲーム性重視作品と言われた作品だって、確かに思い切って「ゲームとして楽しい!」と言えるような作品もあるような気もするけど、ソシャゲー的とまでは言わないとしても、エロRPGと同じような「ゲーム性をエロとか物語とかキャラ描写」に使っているようなところが多い作品もあるよなぁって気もしてくる。嘗ての商業エロゲの「ゲーム性重視作品」っていうのは、単に「紙芝居エロゲ」と比べて「ゲーム性を重視してる」ってだけの相対的な区別でしかなくて、あちらこちらに色んなゲーム性があふれている現状では「ゲーム性重視」とは言いにくいんじゃね?って感じもしてくるわけだ。

ここらへんアリスソフトの作品はなかなかに微妙でして、まず「アリス作品トータル」で言えば、普通に紙芝居エロゲも出しているし、「エスカレイヤー」とか「どらべこ」とか「武想少女隊ぶれいどブライダーズ」みたいに「基本ADV+軽いゲーム性」作品っていうのがたぶんいちばん多いと思うし、ランスシリーズとか大シリーズみたいな基本RPGや地域制圧型SLGがメインを張っているようにも思えるけども、実のところその割合は全体の3割程度しかないと言える。さらに製作者たちが、そのランスや大シリーズと言った作品を「ゲーム性重視作品で物語とかは特にきにしちゃいねぇ!」みたいに思っているかというと、ランス6の有名なTADA氏のこの言葉を


>「RanceVI-ゼス崩壊-」は、エロゲーRPGなので、「エロを見る為のRPG」なのです。 全シリーズ通してそうなのですが。


を見る限り、まぁこのコメが適切かどうかは微妙としても、純粋なRPGとして作っていると言う意識は無さそうだ。さらに言えば「エスカレイヤー」や「どらぺこ」に比べて、ランスや大シリーズは「ゲーム性要素」が相対的に多いとは言えるけども、
後者の作品が前者よりも「物語やキャラクターが弱い」と感じる人は少ないだろう。両者ともゲーム性を上手いか下手かは兎も角として、ゲーム性を使って物語やキャラクターをエロを描こうとしているのは共通しており、違いは「ゲーム性をどのように物語とかに関係させているか」とゆったゲーム性の使い方の違いだと言える。

こういう話で思いだすのは、ゲーム議論における「ドラクエとFF」の違いみたいな話だ。曰く「ドラクエはゲーム性重視でFFはドラマ性重視」であったり「ドラクエは主人公に人格がないから感情移入できるが、FFは主人公にドラマや人格があるので感情移入できない」みたいなお話。こういう話はたいてい粗い話なので、結局は「ヒトそれぞれ違う」みたいな当たり前なオチになって収束するが、僕が見る限り、この手の話は相対的な話と絶対的な話を取り違えているところに問題があるとおもう。
確かにドラクエとFFを「どちらがドラマ性が高い」とか言われたら、そりゃFFだろうが、だからといって別にFFのドラマに「感動している人が多いのか?」と言われたらかなり微妙だろうし、別にドラマ性が高いからとゆって、ゲーム性が低くなるわけでもないだろう。また「主人公に感情移入できるのが良いゲームで、その感情移入には主人公の人格や情報は少ない方が良い」というのも良く言われる話であるが、じゃあランスシリーズのランスの人気はどうやって説明がつくのか?と言われると、かなり答えづらくなってくる。

またゲームにおける「物語」というのも、いったい何処から何処までの範囲を指すのか?っていうのも意外に難しい問題だ。たぶん一般的にゲームの物語と言われたら「主要攻略イベントの蓄積」一般的には「メインクエスト(シナリオ)」を指すと思われる。ようはそのゲームのクリアに必要なイベントだけを「物語」と言い、それ以外の「サブイベント」つまり「ゲームのクリアに直接必要のないイベント」はたぶん物語とはあまり言われいはずだ。「メインシナリオやメインクエストの方が多いゲーム」と「サブクエストやサブイベントの方が多いゲーム」だったら、前者の方がより「物語重視のゲーム」と言われて、後者はどちらかというと「キャラ育成ゲー」とか言われるのだろうが、後者のキャラシナリオ――アリスの地域制圧型SLGで言えば「キャラクリ」がゲームにおいて必要ではない物語だ――と言われたら、それは何か違うような気もしてくる。逆に言えば「キャラクリ」がないようなアリスの地域制圧型SLGなぞ単なるクソゲーにしか思えないだろう。

しかし、当然のことながら、そのキャラクリの「サブシナリオ」だけを、例えばADV形式でSLGゲーム性を一切抜いた形で「紙芝居」として読めば良いかというと、それもまたクソゲーな気がしてくる。どうしても見られない少数のイベントなら兎も角としても、ズル技を使っていきなりLV99の主人公で全てのイベントを見ても基本的には面白くないように、ゲームのシナリオやイベントは作品が用意するゲーム性を攻略するなかでやらなきゃ「ダメ」っていうよりも単純に面白くないわけだ。ここが、一般的なゲーム性を使っている作品の「ストーリー」と「ゲーム性」の関係性を語るうえで難しいポイントである。つまりゲームの「ゲーム性」には何らかのストーリーやキャラやそのイベントといった「物語に関係あるもの」が必要だし、そのようなゲームの「ストーリー」を美味しく味わうためには、そのゲーム性のゲーム攻略性を体験する必要があるという関係性。つまり「ゲーム性を用いるゲーム」には「ゲーム性」と「ストーリー」の「何らかの重なり合い」がその「ゲームの面白さ」を生みだしているわけだが、その「重なり合い」を理解したり表現するのが難しいという困難があるわけだ。


じつのところ、この手の話は非常に難しくて、本来ならば洒落抜きであと5万文字くらいは理論的な議論をする必要があるのだが、流石にエロゲレビューの枕話で「作品レビューを超える枕話」をやるのは、本末転倒なので、ここでは暫定的な答えをだしておこう。つまり「ゲーム性」と「ストーリー」の関係性を一文で要約すれば、、


>「ゲーム性」は「ゲーム世界」をつくり「ストーリー」は「ゲーム世界」の物事の進行のなかでゲーム性作品世界を描写していく。


ということになる。以下これを詳しく説明しよう。まずは「ゲーム性「ゲーム世界」をつくり……ってところから。


たとえば、あなたが基本的にはあまり知らない街の駅に降り立ったとよう。そこで「ドラクエ的な行動」をやってみると試みたとしたら、まぁ一番最初にぶち当たるのが「犯罪を取り締まる法律」であることは間違いないだろう。住居不法に関する法律だとかに引っかかり、土足で他人の家に堂々と入り込んでタンスやPCのなかの2chブラウザの履歴を覗こうとする(ヒント:ツボ)アナタを住民は引っ捕らえてケー殺に連行するであろう。そのような「犯罪行為」は慎むというルールを追加したとしても、このドラクエ行動を現実に適応するのは困難を極めるというかぶっちゃけ無理。町の人は、無愛想であるかどうかはさておき「こんにちわ。ここはトノイケダイスケが隠れ住んでいるアジトね!」なーんてゆってくれないだろうし、この街のイベントや世界に関する重要な情報を基本的に与えてくれない(そもそも、世界に関する重要なイベントってなんだ?)し、街に関する何らか情報を得ようと思ったら、普通はその街に長く住んでいると思しき店の人になんか買うのを切っ掛けに話しかけようとするかもしれないが、現実の街には武器屋も防具屋もなく、あるのはせいぜい道具屋しかない。もしもその道具屋の主人が街の歴史やらオススメスポットや運良く開催中の行事を教えてくれたとしても、あなたにとってはそれらは基本的にどーでもいいことだろう。散歩好きの方から、その見知らぬ街を歩いて何らかの感慨をえるかもしれないが、少なくとも「ドラクエの街を歩きまわる」ようには散歩を楽しむことは出来ない。エロRPGのようになら、性犯罪者にはとっては可能かもしれないが……

たぶん現実においてドラクエ行動をしようと思ったら、敢えて「ドラクエ」ナイの経験に例えれば、武器防具道具宿屋もタンスもツボも宝箱もなく、街の人はまばらで話しかけたとしても「……」しか返ってこないような「意味不明の街」に等しい経験になるだろう。むろんドラクエにおいては、もしもそういう街がゲーム内にあったとしたら「そこは何かのイベントのフラグや場所なのだから、何れ意味がわかるだろう」というような理解が為されるとおもう。仮に最後まで「全く何も起こらない」場所だったとしても、何らかの公式攻略情報や解析情報が明らかにされて「その街には何のゲーム的な意味が全くない」と認知されないかぎり、ネットのデマ情報の格好のターゲットになると思われる。その街でとある行為を行うと最後のダンジョンに繋がっているみたいな……

こうした現実とゲームの違いは、もちろん原理的に言えば「ゲームはフィクションだから」という答えに求めることは出来るが、もちろんこの答えは原理的過ぎて「ゲームならではのフィクションの様態」を語っていない。ドラクエに出てくる典型的な「街」を、例えば現実において特撮映画のように再現することも出来るし、役者を配置してその街の台詞を永遠と言わせることも出来るだろうが、そうしたことをやったとしても「ドラクエの街」が(ジオラマ的には兎角)再現不可能なのは、ドラクエの街は、あくまで「ドラクエというゲームフィクション」の「作品世界観」やそのRPGにおけるRPGゲーム性のなかで機能しているからだ。例えば道具屋や武器屋は「バトルゲーム性」との関係性において戦闘で装備する武器や使用するアイテムを買う目的において作られているし、街の人の会話も大半はゲーム性に関する攻略ヒントが語られたりする。アイテムもゲーム性との関係で規定されていて「やくそう」はHPを回復し、食べ物アイテムも基本的にはHPを回復する。現実世界では「おにぎり」を食べられる量は限度があるしすぐに腐るが、そのようなことがRPGにおいて普通ないのは「腐る」とか「満腹度」といったパラメーターがRPGには設定されていないからだ。HPという概念はまぁ現実に翻訳するのは可能だとしても、MPとか運の良さといったパラメーターは現実世界には存在しないし、現実世界の満腹度といった(パラメーター的な人間の状態)ものはRPGにおいてはきほん存在しない。全てはそのドラクエというゲーム性の機能と目的において「街」や「アイテム」や「能力値」は存在しうる。

以上のことからわかることは「ドラクエ世界」または「ゲーム世界」の、虚構的に存在し僕たちが認知するその作品世界のリアリティとでも言えるモノは、基本的にその作品のゲーム性から派生しその関係の上で意味と機能を与えられているということだ。
ドラクエみたいなRPG世界は一般的に「剣と魔法」の世界と言われて、ときにはその細かい物語的な世界観がアレコレ議論されたり、そのような細かい物語的設定が記述されるRPGもあるが、例えばドラクエ1みたいな「作品世界観に関する記述がきほん薄い」作品でも、RPG世界として僕らが認知し体験できるのは、それは「背後の物語的設定が豊富だから」という理由だけではなく(まぁゲームデザインの設定にそういう物語設定は必要だと思うが)また僕らが背後の「物語設定の全てを妄想している」からでもなく(多少の妄想はしてると思うが)基本的にはドラクエ世界のゲーム攻略性を自ら体験しているからに過ぎない。MPや魔法とゆったファンタジー概念についての物語的理解がなくても「魔法は兎に角ゲーム攻略に必要なコマンドで、ホイミはHPを回復するために使う」ということさえわかれば、ドラクエ作品を体験するのに不都合なことはないし、逆に言えばそのような「ゲーム攻略性において魔法を使う」というゲーム体験そのものがドラクエにおける魔法の基本的な作品リアリティ
なのだ。。例えば、ドラクエの作品世界を厳密に記述したなんらかの「設定本」だけを全部読んでいるが「ドラクエはプレイしていない」という人と、そんな設定本を読んでいないがドラクエは何本もクリアした人がいて、そのどちらがドラクエの魔法について理解しているのか?と問われれば、多くの人は感覚的に後者だと答えるだろう。その答えは正しい。ドラクエの作品世界は基本的にゲーム攻略性の体験との関係性や機能性において作られているので、ホイミが生まれた物語的設定をいくら本で理解しようとも、ドラクエの攻略性において「かいふく魔法」といったものが「どういうふうに役に立つのか?」という体験をしていない限り、その人は「ドラクエ」について殆ど知らないと言えるだろう。


以上の議論は、一般的に良く言われる「ゲームは自分で体験するから自分の経験となる」みたいなお話に似ているが、但しそれ「だけ」では「本を読んで読者が経験を得ることができるのは、人間の本を捲るという身体動作が脳の神経を刺激するから」とゆっているに等しい。プレイヤーがRPGを能動的に体験していたとしても、あるいは本の読者が本を能動的に捲っていたとしても、どちらも端的に「内容がつまならきゃ」積極的な経験は得られないだろう。程度の差はあれ人間は何かを体験するときに、
能動的な体験を行っていると言えるのだから。エロゲで言えば「ゲームクリックがエロゲを能動的に経験させる」みたいな議論も、それ「だけ」ではさして意味がない議論だ。

どちらかといえば、僕は「プレイヤーはゲーム性(のルール)を体験し(基本は)攻略するなかでゲーム世界のリアリティを『客観的』に把握する」とゆっていて、その客観的に把握された作品世界を良いと思うかその世界に嵌まれるかみたいな話は、基本的に別の問題である。このような体験感覚を適切に表現するのは難しいのだが、例えば「致命的なミスは犯さない程度には慣れているけど、なんか居心地の悪い独自のルールを持った職場」みたいのを想像すればわかりやすいかとおもう。自分はその職場のルールを色んなミスをしながらも経験したので、今はもうその世界でミスは犯さない程度に慣れているけども、しかしその職場のルールやそこから発生する雰囲気は好きでは無い、と言った感覚。体験からルールやリアリティを把握したからとゆって
だからといってその作品世界に完全にはまっている、というような議論は如何にも夜郎自大でしかない。その世界のルールを認識すると言うことと、その世界のルールに心の底まで従うと言うことはまったく別の話なのだ。

とはいえ、ゲームにおいて「ゲーム性(のルール)を体験し(基本は)攻略するなかでゲーム世界のリアリティを『客観的』に把握する」といった、強いて言えば「ゲーム性体験による作品世界構築」とでも言えるモノが「ゲーム世界」の基本的なありようなのは間違いない。「一般的なフィクション」において世界は記述された情報によって構築されるが「ゲーム」においては世界は体験されたゲーム性攻略によって構築されていく。例えば、ドラクエを「漫画化」や「アニメ化」したりする場合、端的に異なるのは、漫画やアニメのドラクエには「経験値稼ぎ」とゆった行為があまり描かれなかったり、読者にそのような体験を感じさせないところだろう。または「漫画」や「アニメ」でゲームにおけるような「ダンジョン探検を体験する」または「フィールドを歩きまわる」または「街の中のタンスを調べ回る」とゆった行為や体験を満足に記述することは出来ない。このような「経験値稼ぎ」や「ダンジョン探索」や「フィールド冒険」とゆったものが、RPGにおいて何故必要なのかという点をいきなり考えると難しいのだが、こういったゲーム行為がないドラクエの漫画のような「ボスキャラだけを倒していく」RPGを考えると、かなりなクソゲーだということは容易く想像できる。

こういった「経験値稼ぎ」や「ダンジョン探索」や「フィールド冒険」がRPGにおいて一般的に必要とされるのは、それはRPG世界の広さを味わうためだというような説明が為される。とはいってもこれは、別に作品世界の物語的な広さ(広い世界を舞台にしている)という事とは意味が異なるだろう。別にダンジョンを永延と潜り続けるようなRPGでもRPGとして面白ければ「RPG世界の広さを味わえる」とは言われるだろう。ここで言われてる「広さ」とは「ゲーム攻略体験のひろさ」であり、それは「ゲーム攻略においていろんな攻略体験を繰り返す」といったゲ-ム体験の蓄積から得られるゲーム世界への感情移入を意味している。これを逆に言えば、全てのダンジョンや隠しボスをクリアしたドラクエを、惰性でレベル上げをするような人間が一定数いて、そういう人はもう既に「ゲーム攻略性」という意味では「ゲームをやる意味がない」といえる。こう言う人が基本的には少数派で、さらに惰性レベル上げの人でも大抵が「追加ダンジョンをくれー」とゆっていることが「ゲーム」の「ゲーム世界」のありようを典型的に示しているように思われる。かなりやり込んだゲームにはその人なりのゲーム思い入れ経験を付与されるが、しかしゲームのゲーム世界のリアリティはきほん「ゲーム性(の攻略性)」によって維持されているので、もはや攻略すべき目標を失ったゲーム世界からはそのリアリティが消えていくのである。よって「ゲーム世界」を維持するためには、そこで「追加ダンジョン」みたいな、新たなる目標が必要となるわけだ。



さて『「ゲーム性」は「ゲーム世界」をつくり』は以上で説明が終わり、次の『「ストーリー」は「ゲーム世界」の物事の進行のなかで世界を描写する』するというところを説明しよう。

僕は先の議論で「ドラクエを完クリしたあとも惰性でレベル上げしてる」人の例を出して「ゲーム世界を維持する為にはゲーム的な目標が必要となる」と言った。多くの人はゲームにおける「ストーリー」というヤツは、その「目標の物語的説明」と思っているだろうが、確かにそのようなところ「も」あるけれども、ゲームにおけるストーリーの機能は「それだけ」ではない。これは先の例からもわかる。完クリ後の「追加ダンジョン」には特に物語的説明は必要ない。まぁあった方が良いかもしれないが、別にそんなのなくても「隠しダンジョン」の存在が明らかになり、洞窟の奥底に「うんこキングダム」みたいな馬鹿げた名前の最強のモンスターをおくだけで、その隠しダンジョンと「うんこキングダム」の物語的意味が全く語られなかったとしても、大半の人は特に不満を覚えたりはしないだろう。「ゲームにおいて特に感動的なストーリーは必要ない」というような、これまたよく聞く話が言わんとしているのは、基本的にはこういうことだろう。ゲームにおいてはそのゲーム攻略性があれば良いんだから、そのゲーム攻略性の目標を物語的に説明する(つまりRPGにおける「敵を倒す」を「魔王の敵を倒す」と説明すること)必要は特にないという話である。そのような物語的説明は読者が勝手に想像するとか、いやゲーム行為がそのまま自分の物語りになるんだという話もいろいろあるんだが、結果的に「特に明示的な物語は必要ない」と言うような作品や作品内ケースはあるだろう。別にそれが「ゲームの全て」だとはいえないとおもうが。

とはいえゲームにおける「ストーリー」は「ゲーム攻略性の目標に対して物語的記述を行う」ことに限定されているわけではない。それでは「メインシナリオ」は説明出来ても「サブシナリオ」の存在は上手く説明出来ないし、さらにクリティカルなことにを言えば、どうして「ゲームにおいてこうもいろんなストーリーを語っている作品が多いのか」という理由を明らかにすることができない。そのような場合、僕らはたいてい先の「ゲーム性はゲーム世界を作り」の論理を持ち出し、その「ゲーム世界を体験することでプレイヤーは自分の物語を作り出す」みたいなナラティブ議論を持ち出す。実はこの「ナラティブ議論」というのも、大きな問題があって4万文字くらい批判したいのだけど、端的に問題を指摘すれば、このナラティブ議論は「物語的説明が最小限の作品」を説明する場合にはそこそこ機能するが「物語的説明や物語がおおい」作品には全く機能しない。そうした作品にはナラティブを感じさせず別にゲームである必要は無いと言い放ってしまう。それでは「ランスシリーズ」の人気がこれまで高い理由をどーやって説明すれば良いのか?理解に苦しむわけだ。まさかユーザーがランスにフル感情移入しているとでも言うのだろうか。感情移入という言葉をフルに取れば「ランスにユーザーが感情移入している」というのもおkになるが、ランスがおkならば、たいてのRPG作品の主人公にもユーザーは感情移入出来ていると言えてしまう。

これよりもマシで、部分的には当たっているように思われるのは、強いて言えば「ゲーム性物語ブースト理論」とでもいえるものだ。ゲームによるゲーム性体験によってそのゲームの物語をよりよく楽しませることができる、みたいな話。つまりドラクエだったら「魔王を倒す物語」をプレイヤーがゲーム体験するために、通常のフィクションよりもその物語に感情移入できるみたいな話。これは「ゲーム性」と「ストーリー」がお互いに矛盾せず重なり合うという点では正しいが、やや微妙なのは「FFが登場人物のぶっ殺し感動物語をプレイヤーがゲーム体験するために、通常のメロドラマよりも物語に感情移入できる」みたいな話はちょっとありえないと思われるし、または「じゃあミニゲームエロゲが基本チープなのはどうしてなのか?」という問いには上手く応えられない点である。ミニゲームエロゲっていうのは、基本はADVで進んでいくんだけど、物語の要所要所にはミニゲームがあって、例えばバトルシーンにおいてだけRPG戦闘バトルになったりするようなゲームを想定すれば良い。もしもこの「ゲーム性物語ブースト理論」が正しければ、このような「物語のとある場面をミニゲーム化することで感情移入を促す」ことが出来るとは思うが、しかしこういう作品はあまり成功することはない。アリス作品で言えば「どらぺこ」や「武想少女隊ぶれいどブライダーズ」がそのような作品に属するが、基本的には評判はあまり宜しくない。

上のような議論が当て嵌まる作品も幾つは存在すると思うが、大半のゲームにそうした議論が上手く当て嵌まらないのは「ストーリー」という言葉を、それこそ「ストーリー」的に解釈しすぎているからだろう。「ストーリー的過ぎる」とは「物語の面白さや深いテーマ性や感動性」といったものを意味するといった解釈だが、ゲームにおける「ストーリー」というのは、どちらかというと「個々のイベントの集合体」といったところがある。この「メインシナリオ」には回収しにくい「個々のイベントの集合体」をどのようにゲーム性やストーリ―と関係づけるのかが、難しいのだ。一方における「ナラティブ議論」は「メインシナリオ」以外はだいたいユーザーのナラティブ経験つまりプレイヤーの妄想によって作られると定義する。なるほど、確かにそのような「妄想ナラティブ経験」はあり得るが、しかし妄想ではない個々のイベントも歴然と存在するし、いくら「艦これ」の二次創作界隈が個々のユーザーの妄想ナラティブ経験に依存するところが多いとは言え、個々の艦むすの乏しいフレーバーテキストやケッコンカッコカリといった「イベント」が無ければあそこまで妄想は広がらないだろう。ソシャゲー以外の普通のゲームだったらなおさら「イベントテキスト」は多いはずだ。とはいえ、もう片方の「ゲーム性物語ブースト理論」では「ストーリーに直接回収されないイベント」を基本シカトしてゲーム性体験をストーリーの物語的感動に直結するもとしてだけ見てる。おそらくはその中間点こそが大事なのだろう。

ゲームにおける「ストーリー」とは、強いて言えば「面白い物語を語る」だけではなくて「ゲーム世界のいろいろな物事(キャラクターや街やダンジョン)」といったものを「描写していく要素」についても注目する必要がある。これを別の言い方で語ると、ゲームをプレイしてるプレイヤーが自然と妄想するような「世界とキャラクターを描写するイベント」を繋げていくようなストーリーがゲームには存在するわけだ。ここで重要なのは「ストーリー」そのものというよりも、そのゲーム世界で起こる「イベント」そのものだ。ゲーム世界で「どんな感動的な物語を味わうか」というよりも「そのゲーム世界の出来事をもっとよく体験できるような」イベントを描くストーリーの方向性であり、ドラクエ6で言えばもう既に名前は忘れられている最後のボスを倒すよりも、ターニアを仲間にしてHするイベントがたくさんあった方がゲーマーにとっては嬉しいのだよっ! FFのような「メインシナリオ」が強いような作品も、別にそのメインシナリオの全てをユーザーが直接受け容れてると前提する必要は無い。FFのメインシナリオがクサ過ぎるなぁと感じる人でも、例えばこの僕のようにFF4のクルルちゃんのは可愛いなぁとか、女性ヒロインに関するイベントだけは見て、あとはエロイベントとか勝手に妄想したりするわけで、もちろん僕としてはそのエロイベントは「実際に」あった方が良いわけだが、ゲーム性(による作品世界の体験)とストーリーとユーザー妄想って言うのはゲームプレイではシームレスに働いている。まぁコンシューマーのエロ妄想は流石に半分は冗談だとしても、このような妄想はその全てがユーザーの意識的な妄想によってゼロから生み出されたものでは無くて、むしろそのような妄想を多かれ少なかれ刺激してしまうようなところが、ゲームにおける、強いて言えば「描写的サブイベントストーリー」にはあると言える。大雑把な図で説明すれば、今までの理論モデルは


>Aストーリー(目標……ダンジョンA問題を解決せよ話)→aゲーム性部分(ダンジョンAをクリアするみたいな)→Bストーリー→bゲーム性部分


みたいな感じだとしよう。大文字Aがストーリーで小文字aがゲーム性部分であり、ユーザーはAストーリーを認識したあと、そのAを解決する過程をaゲーム性によって体験しているみたいなモデルだ。だが僕の理論モデルを図式化するならば、


>Aストーリー→aゲーム性部分&a~?イベント→Bストーリー→bゲーム性部分&b~?イベント


みたいな感じだ。違いは「aゲーム性部分&a~?イベント」というところだが「a~?イベント」っていうのがなんだかわかりにくいとおもう。まず「aゲーム性部分&aイベント」ってところから説明すると、これはAストーリーの、例えば「魔法の鍵を手に入れるためにAダンジョンを捜索せよ」から始まる「aダンジョンに入るフラグ」が「立ってから起きるサブイベント」のことを指している。具体的に言えばAダンジョンへの扉が開いてから起こる、Aダンジョン内での会話イベントやAダンジョンに関係するキャラや街の人の会話や、直接Aダンジョンには関係しないものの「そこらへんまで進めばとあるサブイベントが開放される」といった「Aストーリーまで進むことによって開放されるサブイベント」を全て総合して「aゲーム性部分&aイベント」とゆっている。ここまで説明すれば「a~?イベント」というところもなんとなく掴めるとおもう。先ずこれは「Aストーリーまで進むことによって開放されるサブイベント」が「aゲーム性イベント」だけに留まるかどうか、基本的にはわからないというところを指している。RPGにおけるこの手の「サブイベント」というのは、大きく分けて物語に直接関係する(Aダンジョンのなかで起こる、それに関係したaイベントとかa会話)横軸イベントと、物語に直接関係ない(例えば好感度上昇やアイテムを手に入れると起こる)縦軸イベントがあると思うのだが、この二つのサブイベントも基本的にはストーリー進行(とは直接イベント内容が関係なかったとしても)とある時点で起こるように設定されている(フラグが設定されている)のには変わりはないが、なにしろ直接物語に関係ないために、どのようなサブイベントが起こるのかを予想するのは難しい。それがこの「~?」の意味だ。

そして、この「~?」は図では説明していないが、ここの「~?」部分はある種のユーザー妄想を引き起こす部分でもある。この「~?」的なサブイベントは、元々は「そのゲーム進行物語と間接的に関係あるサブイベントや関係はないイベントが起こるかも?」という明示的には存在が示されないものなので、そこにユーザーの期待や妄想が集まるわけだ。そのユーザーの期待や妄想はサブイベントの存在によって叶えられるときもあるが、大半は妄想のままで終わるものの、それはゲームをクリアしてというか、原理的には攻略サイトやイベント回想シーン(みたいなものがあれば)のコンプ率を見て「もうそのゲームのサブイベントは全部見た」と確認するまでは終わらない。だから、僕らはゲームのストーリー進行とゲーム性の体験によって「発生するサブイベントと発生するかもしれないサブイベント」を両方見つめながら、その実在するサブシーンのテキストと実在しない妄想サブシーンの妄想キャラ会話の両方によって、そのゲーム世界をストーリーの上で「起こる(ような)出来事」として経験していくわけだ。もちろん、これは「実在するテキスト」と「実在しないテキスト」の区別を付けることが出来ない、ということを意味するわけではない。実際のところ一部のアレな人を除けば、そのような区別はつけようと思えばつけられるだろう。ただし、それはあくまでプレイ現時点での暫定的な区別であって、その「実在しない自分の妄想テキスト」が最後までそうと言えるのかは未だにわからない(何故ならあとでそのようなサブイベントが発生するかもしれないから)というところがポイントなのだ。ゲームにおいては「実在する作品テキストと実在しない妄想テキスト」という対立よりも「自分が想像した妄想テキストが最後まで実在するのかしないのかわからない」というところが、ユーザーの妄想の養分となるわけだ。

ユーザーの妄想テキストやストーリーと聴くと、基本的には「ユーザーがゲーム性体験するなかで勝手に物語とは関係なく作り上げるモノ」と考えてしまうことが多いが、この「ストーリー未決状態から連想妄想するストーリーやイベント」という点も忘れてはならない。通常の一本道フィクションにおいても「これから先どうなるんだろうな?」的な予期や期待と言った読者の先読み妄想は存在するし、ゲームにおいてもそのような「メインストーリー先読み妄想」というのは存在するわけだが、ゲーム性作品がそのような通常のフィクションと異なるのは、メインストーリー以外の膨大なサブイベントが存在するところだ。そのサブイベントの数が増えれば増えるほど、ユーザーは「もしかしたからこんなサブイベントもあるのでは無いか?」と言うような先読み妄想をしていくので、ユーザーは通常のメインストーリーとは直接関係ない作品の色んな細かいところにまで「先読み妄想の結果」として作品世界の妄想を広げていくことになる。「~?」で説明したように、ゲーム上のサブイベントまたは断片的なテキストというのは、そもそもメインシナリオとの関係性が「その時点では」不明なことが多かったり、最終的にゲームが終わった時点でも上手く関連づけることが出来ないものもあるので、その「無数のメインシナリオとはあまり関係なさそうなサブイベントやテキストの断片」をなんとかユーザーのなかで適当に補正したりする。このような妄想物語は、確かに「ユーザーの脳内のなかにしか存在しないことが多い」という意味では、ユーザーが勝手に作り上げたと言えるのだが、しかし何もユーザーはゼロから全てを妄想しているわけではなく、ユーザーの妄想の作品のストーリーやゲーム性やサブイベントにあくまで規定されているとも言えるわけだ。


以上の議論を前提すれば、これを逆に利用することによって「ゲーム性重視作品のゲーム性そのものが面白い作品」と「ゲーム性を用いてゲーム性を独自のストーリーや世界観やエロを語ろうとしている作品」の違いを、ある程度は判断することが出来る。
前者は、端的に「メインまたはサブ」シナリオの各種テキストを「最初から」基本スキップしても面白いと言えるような作品であり、後者はそのような「メインまたはサブ」シナリオのテキストを各種スキップしたら詰まらない作品だと言える。商業エロゲで言えば、どちらかといえば九尾系列の作品が前者にあたり、おおむねそれ以外のメーカーの作品は後者に値すると言えるだろうか。とはいえ、この議論で重要なのは、別に九尾ゲーのシナリオが詰まらないとか、あるいは九尾ゲーこそが純粋なゲーム性作品で偉いみたいな話ではなくて、「ゲーム性重視作品」でも「ゲーム性を用いたゲーム作品」でもどちらでも良いが、そのようなエロゲが語ろうとして、ユーザーの多くが体験したいと思っている「ゲーム世界物語」とは、どのようなものなのか?という話が必要になるわけだ。

強いて下世話な例えを言えば、ゲームにおけるゲーム性というのは「コスプレプレイ」における「学校の制服」とか「ナースの衣裳」みたいな「シチュエーション設定に入り込むため」の儀式とは言える。この時点で僕らは「自分は学校の性徒なんだ」くらいには感情移入するものの、まだ学校の生徒になっただけであり、そりゃまぁ毎日学校に行って授業を受ける、みたいなことは体験している。ゲーム性において他のフィクションよりも優れている点は、このような「反復的な日常行動」」を体験させるところだが、問題はその学生になって何をするのか?と言うところだろう。その「コスプレプレイで○○になりきったあと」に「なにを体験したいのか?」というところが、ゲームにおける「ストーリー」部分と言えようか。

このように考えると、例えばソシャゲーの多くは、基本的には「○○になって」の部分だけをゲーム性の日常的な反復によって、なにを「体験したのか?」という「具体的な物語描写」についてはフレーバーテキストくらいに留まっていると言える。ここは前に批判した「ナラティブ議論」がある程度は当て嵌まるところで、基本的にはそのゲーム性の日常的な反復、例えば艦これならば育成&バトルと乏しいフレーバーテキストがプレイヤーのなかにゲーム作内では「直接的には描かれないが、暗示されているとおぼしき」プレイヤーの妄想を刺激し、その妄想を二次創作的に共有することで現状のような活況を呈しているわけだ。これは普通のゲームにおける「ストーリー」部分をプレイヤーの妄想に委ねていると言うか、結果的には「プレイヤー共同体の妄想に委ねている」とでも言えて、むろんゲーム本体にもいろいろと重要なところはあるかもしれないが、このように作品外のネットワーク外部性に依存している現状を「ゲーム本体」だけの分析で説明するのは難しい。これは別にソシャゲーがゲームとしては詰まらないということを意味しているわけでは無く、その作品の機能性がゲームによって得られたゲーム経験そのものや、二次創作的な妄想を「ネットワーク外部性によって共有する」ことを中心に置いていると言うことで、まぁそういうことを「ゲームをやる」と規定している人もいるだろうけど、普通のゲームを楽しんでいるとは一般的には言いがたいわけである。


ただしエロRPGの分析は比較的に容易い。エロRPGはその「RPGのゲーム性を利用して、RPG世界観ならではエロを満喫させる」というような先のモデルがもの凄く当て嵌まる。それなりに評判の良いエロRPGまたは近接ジャンル作品つーのは、
まずは一般的な言い方だとRPGとしてそれなりに面白いつーのがある。例えば「もんむすくえすとRPG」の場合、アレはエロシーンを抜いて一般コンシューマー向けに出しても、たぶん遜色のない出来であることは間違いない。だからこそRPGとして優れ、RPGとしての世界観を普通に味わえる作品世界だからこそ「もんむすに負けるとHされてしまう」というようなエロシーンに格別のリアリティが生じるわけだ。これは言ってみればFFやDQにストーリーや世界観とあったエロシーンを入れるようなタイプと言えようか。エロRPGと聞くと、なんだかRPGにエロ要素を加えただけじゃんみたいな侮蔑的な反応を示す人がたまに居るのだが、まず大半の評判の良い作品は「RPGとして普通に優れているから」こそエロが際立つと言うことを
覚えておいて損はないだろう。

ただもう一方の方向性というか、これは上の「普通にRPGとして優れている」作品の一要素といえるようなところはあるのだが、そのRPGのゲーム性の一部分だけを抜き取ってやたらに強調したり、あるゲーム性部分を無くしたり弱体化したりして、エロやシチュエーションに役立たせようみたいな作品も結構ある。例えば「戦闘シーンがない(或いはイベントバトル限定の)RPG」みたいなもの。この場合は、まぁいろいろとやりようはあるとおもうが、基本的にはRPGにおけるMAP移動を利用して、昔の同級生や下級生みたいに「街を移動して街の中の人と交流を深めたり、エロいイベントを探索しよう」みたいな作品になるわけ。そこにRPGの育成要素やゴールド稼ぎ要素を入れれば、例えば経験値稼ぎで得たレベルをサキュバスにエナジードレインされるのがキモチイイ誘惑エロRPGになるし、ゴールドによってヒロインを買春したり或いは売春させてお金を得るような売春RPGになったりする。また、戦闘シーンのダメージバトルの数値の意味をエロ化する(つまり物理的ダメージを快感ダメージに痴漢じゃなかった置換させる)バトルファック(BF)作品というのもある。これらの作品もやったことが無い人には、いっけん「色物」に見えるわけだが、少なくとも評判のそれなりに良い作品に限って言えば(そうじゃないクソゲーもたくさんあるのは商業エロゲと同じだが)うえで言ったようにゲームとしてもそこそこ面白いのだ。これは冷静に考えるとその理由がわかる。BFにエロを感じる人でも、敵が弱すぎたり或いは理不尽に強すぎたりする、つまり「RPGとして普通に詰まらないゲームバランス」だったらBFとしても基本詰まらないし、MAP探索系や誘惑エロまたは売春RPGでも、イベントフラグの組み立て方が下手だったり、エロと経験値のトレードオフや、RPGにおけるゴールドの価値がゲーム性によって確立していないければ、それらのエロ行為自体にエロさがなくなってしまうのだから。そう考えると、TADA氏の前に引用したこの言葉は、


>「RanceVI-ゼス崩壊-」は、エロゲーRPGなので、「エロを見る為のRPG」なのです。 全シリーズ通してそうなのですが


まぁランス6がエロを見るためのRPGとして優れているかどうかはさておき(結果としてはランスシリーズのなかでいちばん優れたシナリオでエロは陵辱以外イマイチだったけど)RPGというゲーム性を用いて「エロや何らかのシチュエーションや物語を描こうとする」という今現在のエロRPG流行を予言しているというか、ある意味でアリスソフトがその先陣を努めていたといえる。アリス信者さんの大半は、ゼロ年代の紙芝居エロゲ全盛期のアンチとかゲーム右翼的な意味を含めて「アリスソフトはハードなゲーム性を持ったゲーム性重視エロゲなんだ」みたいなことを、先のまぁ「政治的な立場」として良く言っていたんだけど、実のところ作品の内容としてはずっと「ゲーム性を用いていかなるエロやシチュエーションや物語を語り得るか?」に腐心していたメーカーだと言える。そして「ゲーム性重視作品」とか「やりこみげー」といったものが、ソシャゲーによってパチンコ中毒化され、大半のオタが毎日まいにちレベル上げのケッコンカッコカリ妄想共有に明け暮れているなか、今回の新作「イブニクル」を出したわけだ。

さぁ、枕はこれくらにして本題に入ろう。果たしてこのアリスソフトの新作「イブニクル」は、どのようなゲーム性によってどのようなゲーム世界を作り出し、そのゲーム世界の中でどのような物語やエロやイチャラブを描こうとしているのだろうか?


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(1)特にハーレムをテーマとしないのに基本全ヒロインとやりまくるだけのハクオロキングダムゲーム性重視エロゲと、ハーレムをテーマとして全ヒロインを嫁にするイブニクルのちがい。



くっそアクアプラスも自分たちがインポテンツ気味だからって「うたわれ2」をコンシューマー限定で出すことはねーじゃねぇか!とイキなり勝手な決めつけをしちゃうマルセルたんで御座いますが、御無礼の勢いを借りて、ここで「もしもドラクエ5がハーレムエロゲだったら?」というアレなイフを考えて頂きたい。え?もちろん「ビアンカとフローラーのどちらを選ぶ?」イベントは基本消滅の方向性で。あの結婚イベントではゼロ年代の初期の萌え漫画主人公ヨロしく「もう!どっちも好きすぎて、一人を選ぶなんて出来ないよぉ」と言わんばかりに、主人公がビアンカとフローラの二人の間を行ったり来たりして、そのあまりにもピュアな心に打たれた名前忘れたお金持ちおじさんが「おお、ひとりではなく二人を選ぶとはなんと型破りな男じゃ。世界を救うにはこのような男が相応しい」とかゆって、ここでフローラとビアンカの二人が同時に仲間になる。以降のストーリーは基本いっしょで、主人公とビアンカとフローラが石にされて数年後、青髪の男の子と金髪の女の子が石になった主人公の前にあらわれて……

ね?別に物語全体としては、ドラクエ5を一夫多妻設定にしても、さして大きな変化は無いわけだ。これはどのドラクエも基本は同じで、仮に「主人公は女性ヒロインを全員とHしてた」という設定を入れても、物語の大筋にはさして影響を与えないはずである。こりゃFFにしてもそうっすね。むしろFF7なんかはクラウド君が全ヒロインとやりまくっていて、嫉妬に駆られたセフィロスくんが死ね死ね団よろしくクラウドやティファに八つ当たりしていた!みたいなストーリーのほうが僕は説得力があるんじゃないかとー。

と言っても誤解しないで欲しいのは、これは別に僕がハーレム推しエロゲオタだから「コンシューマーゲームもハーレムに親和性あるぞ」ってバカ話をしたいわけじゃなくて、単にコレは「いくらヒロインを選ぶドラクエ5であろうと、物語全体から見れば恋愛要素は非常に薄い」と言うことを示しているだけなんですよ。ドラクエ5で言えば、結果的に「フローラを選ぼうとビアンカを選ぼう」と物語自体は殆ど変わりはない。二人とも天空の血を引くヒロインで、主人公とどちらがケッコンしその子供を産むっていうのが、ドラクエ5の大まかな物語において重要なところなんですから、その相手がビアンカだろうがフローラだろうが3Pだろうが大まかなプロットでは特に変化は起こらないわけだ。。結局のところ「フローラかビアンカか」というのが話題になるのは、その選択による物語変化ゆえに議論を呼んでいるのでは無く、単にヒロインに対するユーザーの思い入れ妄想がそうさせているに過ぎない。まぁ3P選択肢を挟んだところで、先の議論が収まりが付くとは思えませんが(大半の人は3Pをしてみんな大満足って話よりも、ひとりのヒロインを選ぶ自分の自我の苦悩と選ばれなかったヒロインをみて同情するという変態性欲に身を任せたいのであーる。なんて鬼畜な連中なんだぁ!)

これはそれこそ、まぁ今さら「ときメモ」を「ゲーム性重視作品の恋愛SLG]の代表例として挙げるのはどうかと思うけども、この手の恋愛SLGでも「複数ヒロインと付き合う」とまでも言わなくても「複数ヒロインにちょっかいを出す」ことが許されているというか、むしろときメモなんかは「複数ヒロインのご機嫌を取りしなきゃクリアできない」作品だと言える。こういうことが起こるのは、基本的にゲーム性の部分つまりヒロインに対する好感度上げの部分においては「好感度上げの恋愛描写」が為されていたとしても、ストーリー部分については「最後」を除いて「たったひとりのヒロインを選ばなきゃ逝けない」またそのような貞操倫理を前提とした物語が作内においては書かれていないからですな。


このような事情は、基本的に「ゲーム性重視エロゲ」についても、全く同じことが言えるわけですよ。「ゲーム性重視エロゲ」の大多数は、あまり言われないことではありますけど、別に主人公が鬼畜設定やハーレム主義設定で無くても「全ヒロインとエッチする」まで言わない場合でも、複数のヒロインとわりと普通にエッチしてしまう。全ヒロインとエッチするは良いモノの5クリックで早漏れしてしまう「うたわれるもの」のハクオロキングダム先生が一部では有名ですけど、例えば九尾のVBシリーズは主人公が鬼畜君ですから「鬼畜ゲーだから全ヒロインとHしてるだけなんです♪」ということで納得しそうになるものの、別にエウ作品でもサブヒロインとはわりと簡単にHしちゃったりするわけだ。アリスゲーだってランス君だけが「鬼畜王だから全ヒロインとエッチしてる」わけでは全くなく、むしろ大シリーズの主人公の方がランス君よりも幅広く色んなヒロインとエッチしていると言えるでしょう。和姦的なエッチ、鬼畜的なエッチとかはエッチの内容は関係なく、ゲーム性重視エロゲの主人公はたいてい「いろんなヒロイン」とエッチしている。その原因は、さきほどのコンシュマーゲーと同様に「作品の物語において恋愛または倫理貞操が中心となっていない」からだと言える。

これは、抜きゲを除く紙芝居エロゲとは逆パターンですよね。紙芝居エロゲにおいては、多少の例外を除き「個別ルートに入ったら」そのヒロインの恋愛描写が中心になり、例外を除いて主人公とヒロインはお互いに他異性とエッチしなくなる。これに関しては、エロゲユーザーの大半が純愛嗜好だから~みたいな説明が為されますが、まぁ僕は3割近くはそういう「メタ純愛嗜好の持ち主だ」っていうのはその通りだと思いますけど、原因と結果を取り違えていると思ってまする。確かに「○○ヒロインと純愛する物語ルートで複数エッチして欲しくない」ってのはほぼ100%のユーザーがそう思っているでしょうが、それは別に「ヒロインとのエッチは純愛じゃ無いといけないから」ではなくて、単に「純愛ルートなら純愛すべき」言うだけに過ぎないんじゃ無いかと。だって、そうじゃなきゃ「ゲーム性重視エロゲ」において、こうにも主人公が基本やりまくりなエウゲーが、たぶん今月のエロゲでいちばん売れていたり、それ以外のゲーム性重視エロゲが結構売れている事実を良く証明できない。

むろん、この「主人公が基本やりまくり」っていうのも、別に積極的な意味で「そういうやりまくりエチをユーザーが望んでいる」とも解釈しにくい。この主人公やりまくりっていうのは、どちらかといえばこの手の作品では「消極的ハーレム」とでも言えるモノだろう。つまり作内においては主人公は「結果的に複数のヒロインとエッチしている」んだけど、別にそのことを強くというか意識的に望んでいるワケでもない状態。自分が二股を掛けているという意識もあまり無く、来るモノ拒まずの感覚でエッチしているっていうのが一番近いですかね。作内においてこのような複数エロを正当化するような設定が語れることはありますが、それも別に複数のヒロインと「エッチしてもいい」をゆってるだけのことが多く、別に主人公がエッチ「したい」と思っているわけでも無い。だから複数のヒロインとエッチしている状況でも、それは別に「ハーレム」とは意識されず描写もされず、ただ単に「複数のヒロインと関係を持っているが、そのことについて関係を持ったヒロインも主人公も特に意識してない」みたいな、普通の紙芝居エロゲで考えたらかなり不思議な関係がそこにあらわれる。

でもそれが「ゲーム性重視エロゲ」では特に不思議では無いのは、先にも言ったようにその作品の「物語自体」が特に「ひとりのヒロインの恋愛関係」やはたまた「ハーレム関係」を前提していないからに過ぎない。極論を言ってしまえば、ゲーム性重視エロゲにおいて恋愛とかエッチみたいな異性関係は本筋の物語からすればオマケに過ぎないようなところすらある。上であげたような「複数ヒロインとのエッチシーン」は主に直接メインストーリーとは関わりは無い、ある種のサブイベントのなかで語られ「見ても良いし見なくても良い」エッチシーンなんですな。九尾作品のように「個別ヒロインエンド」や「個別ヒロインシナリオ」を用意している作品だって、それらはあくまで「ラストのエンディングがちょっと変わるだけ」のサブシナリオ的なそれにすぎないわけで。簡単に図式化すれば、これらの作品の物語とエロの関係は、


>Aメインシナリオ→Aキャラサブシナリオエッチ(他キャラサブシナリオエッチ)→Bメインシナリオ→Bキャラサブシナリオエッチ(他キャラサブシナリオエッチ)→


といった感じだ。確かにAメインシナリオで描かれたAキャラとはエッチしても「いい」という意味では、シナリオとエロは片切れでくっついているけど、それは「してもいい」というサブシナリオでしかなく、さらにAに続くBシナリオにおいては、Aキャラのエッチは前提とされていないことが多く、AキャラのエチとBメインシナリオは基本的に繋がっていない。上のサブシナリオのエチを全部実行すれば、結果的に主人公は全ヒロインとHしてるハーレム状態にはなるけど、そのサブシナリオエッチの集積はメインシナリオと直接関係はないので、結果的にハーレム状態になったとしても、せいぜい最後のエンディングがハーレムエンドになるくらいの変化しか物語には及ぼさないわけですなー。これは「HがサブシナリオH」ではない場合も似たようなことが言えて、確かにメインシナリオにおいて全ヒロインとエッチしていたとしても、その事実は先のサブシナリオHと同じくらいに扱われることが多いのだ。エッチはしたけどヒロインまたは主人公はそのことに強く拘束されないみたいな。

例として、同じアリスソフトの「武想少女隊ぶれいどブライダーズ」を上げよう。この作品はタイトル名からわかるように「全ヒロインと主人公がHして嫁に」した上で宇宙怪獣たちと戦う物語で、基本一本道ルートであり、途中の選択イベントで好きなヒロインのイベントを見ていくフラグの作品だ。物語の内容としては先にゆったように、主人公は全ヒロインを嫁にしているし、戦隊モノのパロディかどうかはよくわからないけど、各話ごとに各ヒロインにスポットが当たり、最終的には主人公と仲間たちの助けによって「嫁戦隊」たちは勝利を収めるといった話になっている。これは、他のゲーム性重視エロゲに比べたら、遙かに「嫁ハーレム環境を生かした物語」だとはいえるものの、根本的なところでは他ゲーム性作品とあまり変わらないように思える。基本的に「メイン物語」と「ヒロインたちの各話のメインシナリオ+各話の選択サブイベント」が分断されているんですなー。作品の作りとしては別に悪くはないんだけど、これは「嫁ハーレム環境にて、ひとりひとりのヒロインの話をしながら、宇宙怪獣を倒す物語に繋げている」と言うことなので、複数のヒロインと「ひとりひとり」仲を深めていく感じはあったとしても、複数のヒロインを嫁にしている環境を描いているとは言い難いところがある。


そこで今作「イブニクル」の登場となるわけだ。この作品は主人公が始めからメインヒロイン達を全員嫁にすると決めており、物語設定もハーレムを築くためには騎士にならなきゃイケナイみたいな世界観設定やらを構築している、まさに「嫁ハーレムエロゲ」のために作られた作品と言えよう!とか、デカイ事を言いたいし、コレから長々と褒めるように結果的にはそのようなデカイ事を言っても大丈夫な作品なんだけど、偉大な事業は繊細なテクニックの積み重ねから出来ているように、この作品は別に「そういう物語設定をやったから傑作エロゲ」になり得たわけではない(だったら前作の武想もきほん同じだし)、と言うことをこれから証明せねばならないわけですよー。

まず全物語の進行と嫁ハーレムの形成の大雑把な見取り図から始めよう。実のところ、これは他ゲーム性重視エロゲと「進行展開だけは」あまり変わっていないのだ。簡単に図式化すれば、



>Aメインシナリオ→Aキャラシナリオエッチ→BAメインシナリオ→ABキャラシナリオエッチ(AorBorABサブシナリオエッチ)→CABメインシナリオ→CABキャラシナリオエッチ(AorBorCorABCサブキャラエッチ)


つまり基本的には一本道の○○章形式で、その章においては何らかのヒロインの話が語られ、そこでそのヒロインとメインシナリオHをするかサブイベントHをするといった「構成自体」はそれほど変化は無いと言える。

だが大いなる変化と言えるのが、上の図を見ればわかるよぅに、その章の物語において、確かにメインとなるキャラは最初のアルファベット大文字のようにAとかBとかCとか決まっているわけだが、それ以外の、少なくともパーティーメンバーに入ってるメインヒロインもお話のなかに基本組み込まれているところ。まぁ細かく言えば、例えば一章だったら前半から後半に掛けてはラミアスの話がメインになり、次にリッシュの話がメインになって、二章になるとグリグラの話がメインになるんだが、
その章でメインヒロインになったヒロインは続く章に置いても準メインヒロイン的に露出度が多くなる傾向がある。まるまる一章を使ってメインヒロインのストーリーを描いたあとに、もちろん他のヒロインとの絡みを中心としながらではあるんだが、続く章で前章のメインストーリーを若干引き継ぎながら、ヒロインが主人公の家族に溶け込んでいく様子を描くと言った構成になっている。

これを先の「武想少女隊」との比較で言えば、武装的な作品構成だと、その章のストーリーは基本的にヒロインストーリーと、またはユーザーが任意に選択するヒロインのサブシナリオに分断されているので、物語において主人公が全ヒロインと一夫多妻の関係を持っていたとしても、それは「それぞれの嫁ヒロインの物語やサブイベントをひとりひとり順繰り」に見ていくような話にしかならないわけだ。「イブニクル」の構成だと、確かに「その章のストーリーは基本的にヒロインストーリー」というところは同じだが、その「ヒロインストーリー」は「Aヒロインだけ」と言う話ではなくて、その章の主役ともいえるAヒロインと、主人公の嫁ヒロイン「たち」A以外のB~Dまでが「サブシナリオ」だけではなく「メインシナリオ」においてちゃんと前面に出るわけだ。もちろん「イブニクル」の場合も、サブシナリオイベントのようなヒロイン選択はあるのだが、そこにおいてすらあくまで「主人公たちの嫁ヒロイン達が住む」実家でのお話にきほん限定されており、選択ヒロイン以外のヒロインもイベントに結構露出してる。あくまでこの「イブニクル」はひとりのヒロインの物語やサブイベントを描くときも、主人公の嫁ハーレム家族との連続性を基本的に切り離さない。

この前の「ミライカノジョ」のレビューでも書いたことではあるんだけど、基本的にゲーム性重視エロゲ作品は、どのような物語を取るにしても、大半のヒロインとHしまくる傾向があって、結果的に大半のヒロインと愛人関係だが一夫多妻制なんだかまぁ作品内では明確に語られることは少ないような、強いて言えば「消極的ハーレム」関係を築いてると言える。これはその関係性をちゃんと「嫁達」と物語る武想のような作品であったとしても、基本的には印象は大して変わらなくて、そこでは「メイン物語(またはメインヒロイン物語)と「その他のHしたヒロイン」の関係性が語られない構成になっているので、良く言えば「後腐れ無く色んなヒロインとHできる」と言えるし、悪く言えば「色んなヒロインとHしたあとのハーレム関係性」をせいぜいオマケ的な3Pエロイベントでしか描けなかったわけだ。だけど、この「イブニクル」は「メイン物語(またはメインヒロイン物語」と「その他のHしたヒロイン」の関係性を構成の上で常に密接に繋げて「色んなヒロインとHできる」という意味では
確かに章ごとに「新しい嫁ヒロイン」が増えていく構成には成っているが、嫁が増えるたびに新しい嫁と今までの嫁とのイベントも増えていくので、常に主人公とその嫁ハーレム家族とのイチャラブが物語の主役となるわけだ。
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(2)RPGゲーム性とストーリーをフィールドMAPにおいて融合させる。


大まかな構成については上で語ったわけだが、とはいえ、この作品で重要なのは、もっと細かいレベルでの拘りと言うよりは、ある種の発想の転換と言える部分だろう。「メイン物語と主人公の嫁ハーレム家族とのイチャラブが物語の主役」となると、僕は先に書いたけれども、この物語というのは、通常の意味における紙芝居テキスト記述とは微妙に異なる。それは抽象的に言えば「ゲーム性部分」と「ストーリー部分(紙芝居テキスト記述)」の中間部分において存在する。

その「ゲーム性」と「ストーリー」部分の原理的関係については、詳しくは(0)で長々と書いたので、ここではザックリ説明すると、例えばRPGにおいて「ストーリー」と言える部分は基本は今だと紙芝居テキストで表示される、ゲーム性の目標とされるものの短期目標の提示(○○ダンジョンを攻略せよ)と、その目標クリアにおいて概ね進行する長期的目標物語(魔王を倒せ)が「メインシナリオ」と言われるものだろう。ゲーム性はその「メインシナリオ」の物語を「体験させる」ものであり、魔王を倒す物語なら、その魔王を倒すまでの色んな試練をRPG部分において主人公=ユーザーが体験することで作品の物語に感情移入する。その「RPGゲーム性体験」と「RPGにおいて語られる物語」が融合したものこそが、まぁ一般的なRPG経験だと一般的に了解されているとおもう。つまりRPGにおいてキモは「ストーリー」ではなくて「そのストーリー部分をユーザーがRPGゲーム性部分で体験する」ものこそ真のRPGだ!ってな感じのアレである。

ただ、この理論というかまぁ俗流理論にはひとつの弱点がある。このような理論は「ユーザーのRPG体験」というものが「自分自身のゲーム体験を作り上げる」というユーザーのナラティブ効果を前面に押し出す傾向があるので、では「その作品で語られる物語とは何か?」とか、もっとクリティカルに言えば「ユーザーが『作品の物語との関係性』の上で自分のゲーム体験とするものは何か?」とゆった「ゲーム性とストーリー性」が混じり合ったゲームの面白さを、なんでも「ユーザーが自分で作品に感情移入して色々妄想するから面白い」ってな具合にごちゃ混ぜにしちゃうわけだ。これではアリス作品で言えば、ランスシリーズが面白いのは、エロゲオタはエッチでスケベなのでランス君に感情移入出来るからだ!みたいなアレな議論になってしまう。
また、別の側面で言えば、このような「ユーザーはゲーム性での体験から自分だけの妄想を楽しむ」系の議論は、なぜ「サブイベントが必要なのか?」という疑問には上手く応えられない。もしもゲーム性体験だけで自分の妄想を膨らませるのが楽しいのだとしたら、別に作品内にそのようなゲーム性と関係したサブイベント(○○キャラをレベル上げしたらイベント発生)は必要ないはずだが、一般的にRPGとかに求められるサブイベントはそう言うものである。ユーザーのゲーム体験とそこから発生するユーザーの妄想がゲーム性作品の楽しみであるというのはその通りだが、そのゲーム性とまたはそこから発生する妄想やそのナラティブと、作品内の記述されたメインイベントやサブイベントの物語群の関係について、この手の理論やその理論を前提とした一般的なゲーム語りは、上手くそれらを整理しその諸関係を語ることができないのだ。


さて、その伝で言えば、この「イブニクル」はまず最初に遇えて極論的なことを言えば「ストーリーを物語るためにRPG要素を利用している作品である」と言ったあとで、なんだよそれはFF7みたいな「映画を目指したRPGかよっ!」と思わせておきながら、いそいで「嫁ハーレムイチャラブを満喫させるためにRPG要素を利用している作品である」と訂正したほうが良いだろう。ここのでのポイントは「ストーリーを物語る」と「嫁ハーレムイチャラブを満喫させる」ための差異と、それを実現させるためのRPG形式の使用法だ。

まず例えば、普通のRPGにて主人公以外女のパーティーを組んで、そのRPGゲーム性経験から自分で主人公とヒロインズのハーレム物語を勝手に色々と妄想していたのは小学生時代の自分である……って告白はさておくとしても、このような場合には端的にユーザーが勝手に作品に対して色々と妄想を膨らませてるだけである。主人公と女性ヒロインズのパーティでRPGゲーム性体験するということが、多かれ少なかれそのような妄想を刺激させるところはあるにしても、作品内のベタの「明確に記述
されているテキスト」にそのようなハーレム関係性が記述されていなかったとしたら、それは単なる普通のRPGでしかないし、一部を除いてそのような妄想を積極的にする人間は少ないともいえる(だったら他の萌え系RPGとかエロRPGでもやった方が良いのだから)。ここをさらに一歩進めて、主人公とヒロインズが「一夫多妻の夫婦の関係である」という設定を記述して、それに関係する物語やサブイベントちょくちょく入れて、始めてその作品は「ハーレムRPG」と名乗ることは出来るだろう。
もちろん、これはその作内で「明確にテキスト化される一夫多妻設定のテキストだけ」が、その作品のユーザーにおけるイチャラブ体験となるわけではない。そのようなハーレム設定やハーレムミニイベントといった「明確にテキスト記述されるものがあるからこそ」同時にそのようなユーザーのハーレム妄想も刺激されるわけだ。ユーザーのゲーム性体験(から連想されるナラティブ妄想)と作品の記述テキストやストーリーは排他的な関係性にあるのでは無く、むしろ相互補完的である(まぁFF7みたいにユーザーの妄想を裏切った形になったら排他的になると思うが)。

この作品「イブニクル」はまず前にも言ったように、メインシナリオストーリー部分において、主人公の嫁ハーレム家族が主役とも言えるストーリーなので、この点で「メインストーリーがハーレムストーリーなのでユーザーもゲーム性体験からハーレム妄想を膨らませることは出来るとは「まずは」言えるわけだが、この作品のハーレム要素はそれだけではないのだ。

この作品は「サブイベントシーン」というか、強いて言えば「ミニイベントシーン」の方が、ある意味で重要な意味を占めていると言える。細かく言えば、フィールドマップのイベントも「物語進行イベント」から「イチャラブシーンイベント」から「MAP景観イベント」やら色々と種類はあるんだけども、ここでは「フィールドMAP」にてそのようなイベントが大量にある、と言うことが重要だということを強調しておこう。「MAP探索」という点だけで言えば、実のところこの「フィールドMAPイベント」つーのは、基本的には普通のRPGで言えば「街の中の探索」を「フィールドMAP探索」に置き換えただけと言える。フィールドMAPに大量のミニイベントが置かれるのに比べて、この作品の街はMAP探索表示では無く、単に武器屋と道具屋や教会といったコマンド選択移動になっているからだ。街の中のタンスやツボに隠された小さなメダルみたいのを探すように、フィールMAPに隠された宝箱やミニイベントを探すようなものなので{MAP」探索という純粋な面から言えば、この仕様にはべつだん大したものはないと言える。

ただし、このフィールドMAPイベントつーのは、純粋なMAP探索って楽しいな♪レベルの話ではない。フィールMAP探索と街のミニイベント探索が異なるのは、まず第一に前者の方がゲーム進行に大きく関わることだ。街の中の「ミニイベント」探索は、あくまで街の中だけの話であり、ゲーム進行には直接関係ないオマケ的要素が強かったりする(小さなメダル集めとか)。一方でフィールドMAPのそれは、確かにゲーム進行には直接関係ない(モノが多い)という点では同じだが、とはいえ、○○ダンジョンに行け!のフィールドで起こるそれや、或いは○○ダンジョンのなかのそれは「ゲーム進行と繋がりのある、またはゲーム進行のど真ん中」で起こることだ。街の中のミニイベント探索が「街はゲーム進行と直接関わりないオマケを楽しむ」ものだとしたら、フィールドMAPのそれは「ゲーム進行といっしょの形で、そして多くはゲーム進行物語と関係のあるミニイベントが起こる」という繋がりがある。普通のRPGにおいてフィールド探索と言うのは、基本的に目的地に辿り着くまでの雑魚キャラ退治くらいの意味しか無いわけだが、この作品の場合はその「目的地に辿り着くまでのフィールド移動」のなかでその「目的地に辿り着く」といった物語要素や、あるいはそのフィールドの世界観と言った「キャラクターが作品世界を観光しているような」ミニイベントを配置する。ミニイベントの内容も、直接フィールドMAPで起こる戦闘シーンやフィールド内での体力回復といったゲーム性に関係あるものがおおい。

つまりフィールドMAPに置いて、RPGのゲーム性部分と直接関係のある世界感設定や物語要素をミニイベントにおいて「明確にテキスト化(イベント化」すると言うことは、RPGにおけるゲーム性部分とストーリーをシームレスに繋げると言うことを意図しているわけだ。。普通のRPGの場合、ゲーム性部分つまりはフィールド探索やダンジョン攻略においては、少なくともミニイベントはそんなには発生しない。そこの部分はあくまで「ゲーム性部分」であり、そのダンジョン内で戦っているゲーム性体験を、ユーザーがあれこれ妄想で補うことはあったとしても、少なくとも「明確にテキスト化」されたミニイベントとしては作内に存在しないわけだ。それをこの作品イブニクルでは、ゲーム性部分とストーリー部分のその断絶を大量のミニイベントで補完する。むろん基本的な大まかな構図は、普通のRPGとさして変わらない。所謂「お使いRPG」であり、メインストーリーにおいてゲーム性目標が示されて、ユーザーはRPGゲーム性においてダンジョンをクリアしたりフィール内のイベントをクリアするというところは。だがその「フィールドMAPにおけるゲーム性攻略」の部分にそのフィールドやMAP攻略に関するイチャラブからシリアスまでのミニイベントテキストを大量に導入することによって、ユーザーがRPGゲーム性体験によってキャラに感情移入するようなユーザー妄想を見事にテキスト化することによって、この作品は通常のRPGでは得られなかった、但しRPGでしか体験できないような、嫁ヒロイン達といっしょに頑張りながらイチャラブもできるという夢のような体験を味わうことが出来るわけだ。

「ゲーム攻略性の中で起こる物事を、作品の世界観や作中の日常描写に巧みに織り込む」というのはアリスの十八番であり、まぁこの作品の場合はランスシリーズの世界観を部分的に導入しているからアリスファンには親しみやすいというのもあるのだが、
この作品くらいそのようなゲーム攻略性と各種レベルの物語テキストが上手く融合しているのはアリス作品の中でも珍しい。この作品は「古き良きRPGを彷彿とさせる」と評価されているみたいだが、なるほど、この作品が描こうとしているのは確かにそのような「ゲーム攻略性がそのまま作品の物語世界に繋がっていくような」RPGを目的としてる。そんな古い世代のRPGの「雰囲気を伝えようとしている」のは全くその通りだが、その手法は全く古い世代のRPGのような素朴なものでは全くないのは注意が必要だろう。強いて言えばベートーヴェンの第六交響曲のような作品であり、確かに「田園」と言って良い牧歌的な雰囲気が伝わってくるようなところあるが、その田園を構築している手法は極端なまでに論理的なメカニズムによってその人口庭園は形づくられている。それと同じようにこの「イブニクル」も今の御時世に古く良きRPGを復活させればそのままウケルと思って、そのまま昔のドラクエだのPC98時代のアリスゲーをリメイクしたような単純な作品ではない。


もちろん、ただ単にフィールドMAPに大量のミニイベントを撒けば、このようなエロゲが完成できるという話ではない。他にもいろいろと細かいテクニックは必要なのだが、大きなモノを上げれば「絶妙なゲームバランスのストーリー展開主導の最適化」というのがある。「ストーリー展開主導」と聴くと、先に挙げたようなFF7みたいな作品を連想するかもしれないが、ここで僕が言わんとしているのは「育成主導とかアイテム集め主導のRPG]の対立項としての「ストーリー展開主導」という意味で、レベル上げとかアイテム集めとか、そういうストーリーに直接関わらない、強いて言えばある種のコンプリート要素を抑えて、ストーリー展開の邪魔になるべくさせないということだ。

何故これが、少なくともこの作品においては必要なのか?というところから始めよう。上で説明したように、この作品はゲーム性体験とストーリー展開をユーザーにシームレスに体験させることを目的として、フィールドに大量のイベントをばらまいた。しかしレベル上げやアイテム集めというのは、まぁ普通のRPGを前提とするなら、どこぞの「経験値稼ぎが最適な場所」で狩りをしたり、レアアイテムをゲットするまで特定の敵を刈り続けるような行動だと思われる。このような行為は、基本的にストーリー展開をいったん中断させ、ゲーム性体験だけにユーザーの意識がシフトするのは否めない。○○ダンジョンに行け!と物語はゆっているのに、自分は別のダンジョンで経験値稼ぎをしているわけだから。これは普通のRPGだったら別に良いのだが、あいにくこの「イブニクル」は普通のRPGではなくて、RPGのゲーム性体験とその各種レベルの物語テキストを繋げてようとしている作品だ。それなのにユーザーが経験値稼ぎやらにハマってしまったら、ユーザーは「大量のミニイベントをみたあとに、経験値稼ぎに邁進する」みたいなプレイをしてしまうので、せっかくシームレスに繋げたゲーム性部分とストーリー展開がまた分離してしまうわけだ。なんとしても、これは「出来るだけ」避けなくてはいけないが、とはいえこれをあまりにも「強制的に限定プレイ」させたら、それはそれでRPGとしての面白みが失われてしまう。アリスのミニゲーム的な作品の不評はここらへんにあり、単にストーリーを物語るためだけに「限定的なゲーム性を用意します」あるいは極端なヌルゲー化では、RPGならRPGを前提としたユーザーのゲーム性体験が得られなくなってしまい、、それを前提とした物語やミニイベントも釣られてクソゲー化してしまう。この「イブニクル」のゲームデザインの目的は「ストーリーを読ませる為にRPGを利用する」ということではなくて、あくまで「RPGのゲーム性攻略体験と色んなストーリーのレベルをシームレスに繋げること」を目的にしている。この両者を混同してはならない

ここでこの「イブニクル」がやっている解決策は、実のところこれは「ゲーム性重視の他アリスゲー」と似たようなところがあるのだが、基本的には絶妙なゲームバランスの調整だ。これは大きく分ければ五つのポイントがある。


「1」ダンジョンをきほん短めにする
「2」雑魚キャラやボスキャラを常にやや強めにする
「3」習得経験値を多めにする
「4」回復アイテムをプレミアまたはレア化する(買うたび&章が進むたびに値段が上がる)
「5」オマケの巨大怪獣オマケボスキャラは、初見で戦うと高難易度だが、後に回すと普通の難易度。


まずダンジョンがそれほど長くは無いので、ダンジョンの攻略自体にはさほど難易度やめんどくささを感じさせない。この作品のダンジョンは後半のそれを除けば、普通のRPGで言えば街の中を歩き回るのとおなじ程度の時間しか掛からない。よって敵とのバトルもたぶん戦闘回数で言えば普通のRPGの半分くらいしかないだろう。だけどその割には雑魚キャラは、まぁこれはユーザーのレベルにもよるが、レベル上げをしていない状況では結構つよく感じるし、即死攻撃だの厄介な攻撃を第二章から仕掛けてきたりするので、短めダンジョンでもそれなりに歯ごたえがあるように感じる。同時に習得経験値も多いので、特に経験値稼ぎをしなくても自然に適正レベルくらいには上がってることが多い。このままじゃきほんヌルゲー化するんだけど、しかし普通のRPGと違って、この作品は回復アイテムがプレミア価格なので「HPを回復するのが難しい」という縛りが、適度な緊張感を与え続ける(結局ダンジョンのラストには回復の泉があるんだけど)。んで最後の「オマケボス」キャラの存在は、硬派ユーザーと軟弱ユーザーのバランサー装置ともいえる。硬派ユーザーは「章が進めば進むほど回復アイテムがレア化するので今のうちに撃破するか」になるし、軟弱ユーザーはスキルが揃ってから戦うのが一番良いと思えるオマケボスキャラだ。

結果的には「ヌルゲー」と言ってもおかしくは無い難易度なんだけど、常に「いや回復アイテムがキツイから、油断は出来ないぞ」との緊張感は最後まで失わせず「オマケ巨大怪獣ボスキャラ」の存在が、硬派ユーザーには先の回復アイテムの都合上で早期撃破を、軟弱ユーザーには何時かは勝てるとゲーム性目標を残すことによって、RPGとしての緊張感を最後まで失わせない。またキャラ育成やレアアイテムゲットも、基本的にはストーリーを進めて「フィールドMAP探索をしたほうが効果的」と思わせてメーカーが臨むプレイスタイルに誘導させてるのもなかなか上手い。どの道ストーリーが進んで、フィールドMAPで色んなミニイベントクリアすれば、たいていのアイテムは手に入るし、その過程で敵と戦って経験値も上がるし、イベントをクリアすることで経験値が手に入ることだってあるんだから。

実際のところ、このようなゲームバランスはアリス作品としては特別珍しくはないとは言える。アリス作品はエロゲ批評的な言説においては(0)で詳しく述べたように、相対的な意味で「ゲーム性重視作品」と言われていたのであるが、少なくとも九尾やエウや大半のソシャゲーのように「キャラ育成やらトレハン」に特化したゲームバランスではなくて、いかに特定の物語や膨大なキャライベントを上手く見せるかを意識したゲームバランスだったのだ。ランクエみたいなお祭り作品は兎も角、ランス9みたいな「レベルを上げてもキャラの基本能力はさほど変化しない」といったゲームバランスはその典型である。レベルを上げても良いし、そのことによって可能になるオマケボスキャラ撃破みたいのも存在するが、基本は製作者の意図通りのゲームデザインの中でキャラクターを動かすことを前提としている。そうじゃなきゃ、ランス君のランスアタックやまそーさんの白色破壊光線といった「キャラクター描写と密接に関係したゲーム攻略性スキル描写」があそこまで印象的に伝わってこないだろう。もしもランス君やまそーさんが「平等なキャラ育成によって他のキャラでも代用可能」になってしまったら、それはもうアリス作品ではないと言っても良い。

このような「物語や複数キャラ描写イベントのために、それと上手く融合したゲーム攻略性を用いるゲームデザイン」というのは2015年の現状において、僕が見る限り「商業エロゲー」と「同人エロRPG」と「ソシャゲー(ブラウザゲー)」との明確な差異化を行ううえで、商業エロゲにとって非常に適切な戦略だと言える。まず同人エロRPGには予算の都合によって、少なくとも「大量のCGやボイス」を用いることは出来ない。もんむすRPGみたいな規格外同人ゲーでもボイス無しだし、いくらアップデートで新規イベントやダンジョンを追加したところで限界がある。単純なゲーム性やワンアイデアを生かすような作品は同人エロRPGの方がやりやすいが、そのゲーム性やワンアイデアを「フルプライス作品として膨らませる」ことはなかなかに難しい。ソシャゲーの場合は、まずこれらの作品は直線的な物語を語ることは基本無理で、あるのは個々のサブイベントのみだ。そのサブイベントは何らかの「育成ゲーム的なやりこみ」によって行われ、これは理論的に数字を倍加すれば永遠に継続可能なので「育成ゲーム的なやり込み」においてソシャゲーと張り会おうとするのは筋が悪い。「アイマス」のような課金中毒や「艦これ」のような外部ネットワーク依存といった「リアルタイム消費」との差異化と対抗の為には、ソシャゲー的な「ゲーム性攻略からユーザーをゲームに感情移入させる」方法を巧みにパクリつつも、とはいえ、クローズゲーにおいて可能な「直線的(むろん別に分岐しても良い)な物語」を何とか融合させなければならないわけだ。

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(3)イチャラブと所謂「シリアスなストーリー」がエロ助的常識から外れてここまで綺麗に嵌まるのは何故か?


エロ助的常識理論で言えば、基本的に「イチャラブとシナリオ」または「イチャラブとシリアスなストーリー」というのは基本的に相性が悪く「イチャラブというものはただ単にイチャラブしていれば良い」ということになるらしい。

このような議論は「理論」ではなくて単なる「経験則」としてはかなりの妥当性があると言える。確かに「途中までのイチャラブは良かったのにうんこなシリアスストーリー」によって台無しにされたエロゲは枚挙に暇がないだろう。実際のところ、僕もこの前の「ミライカノジョ」にて、まぁそこまで致命的ではないものの、もう既に3Pセックスしまくっているのに、やっぱどちらを選ばなきゃ逝けないんだ!みたいなありがちな話を持ってくるなよ!とは思ったものだから。とはいえ、これは「イチャラブにシリアスなストーリーが合わない」ということを原理的に意味するわけではない。

別の見方をしてみよう。イチャラブ作品じゃなかったとして「3Pしまくっている主人公が急にどちらかを選ばなくてはならないと言い出す」とか「実妹とセックスしまくってる主人公が急にこんなHはダメだと言い出す」ような作品は、まぁ一般的に言って「説得力がある」と言えるだろうか? 僕としては風刺的な意味で「エロゲのダメ主人公をディする」作品ならばアリだとしても、少なくとも「その主人公の葛藤が正しい」と思わせるような作品だとしたら、基本的には説得力が無いと言えるだろう。
「イチャラブにシリアスは合わない」という理論には「シリアス作品なら良いとしても」みたいなワケシリ顔がわりと付随するのであるが、僕はこれこそが「ダメシリアス」の原因のひとつだとおもう。つまり「シリアスなことを書けばシリアス作品になれる」みたいな、物語内容と作品完成度を峻別しないような考え方だ。「イチャラブ作品は作品完成度はアレでもイチャラブしていればいい」と「シリアス作品は作品完成度はアレでもシリアスしていればいい」と言うような思考パターンは根本において同等であって、その「イチャラブ」や「シリアス」がその作品の物語においてどのような意味を持っており、だからこそ「イチャラブ」や「シリアス」がいいと言った、部分と全体の関係が考慮されていないわけだ。

「イチャラブ」と「シリアス」が経験則において相性が悪いと言われる理由は、それほど難しい話ではない。簡単な理論モデルを使えば、作品の物語には横線と縦線があって、横線は主に物語進行を指し、縦線は主にキャラクター描写を指すとする。比喩的に言えば横線は「電車が進む方向」(○○方面逝き)で、縦線はその「電車の窓から見える風景」だとしよう。物語はその何らかの方向性によって進みながら、同時にその進んでいく方向性と速度によってキャラクターや作品世界を書き出していく。「イチャラブには物語は要らない」という、良く言われるお話は、このモデルで言えば「横線を廃止する」というわけではなくて、単に「横線の速度」を落としたり、横線の方向性を変えるという話しに過ぎない。

とはいえ「イチャラブの縦線を上手く描くために横線を調整する」というのは、基本的には結構むずかしい。まずこれは世間一般的な物語需要とは基本的に異なる。エロ助で良く言われる「シナリオ重視」というのは、基本的には「横線の物語的展開がサクサク進むような」作品を前提としていることが多いのだが「イチャラブを上手く描写する」というのは、そのような「横線の物語展開をテンポ良く進める」というテクニックとは、まぁ無関係では無いだろうけど親和性の高い話でも無い。人は「色んな物語展開を思いついたりそれを転がすような」ことは「それがうまく出来るかどうかは」別としても、基本的にはそれなりに出来るのだけど「物語展開にあまり依存しないかたちでキャラクターを描写する」ことは特定の才能や修練を必要とする。比喩的に言えば二転三転するストーリーの「プロット」だけを思いつくことが誰でもできるが、二転三転しないでずっと主人公とヒロインのイチャラブテキストを書くのはかなり難しい。だから「評判の悪い駄目シリアスシナリオ」というのは、基本的には「物語を続けたり物語のオチをつける為に、或いは本末転倒なことにイチャラブ描写を描くために、在り来たりな物語展開を描く」ために起こることだと言える。理論的に言えば、物語を続けるためには「少なくとも紙芝居エロゲにおいては」何らかの横線は絶対に必要になるのだが、その横線の物語が縦線の「イチャラブ描写」と不協和音を発するような現象が「イチャラブゲの駄目シリアス」と言われるモノだろう。まぁその横線と縦線の関係をあまり考えずにベタな物語展開を入れちゃっている時点で「イチャラブ作品ではなくてもアレ」という評価にはなるって話だが。


さて、この「イブニクル」は、今まで述べてきたように基本的には「イチャラブゲ」ともいえるし、更には「嫁ハーレムエロゲ」とも言える作品なのだが、幸か不幸か、一般的な「イチャラブゲ」には、似つかわしくないシリアス要素が「ぱっと見」はゴマンと入っている。最初のデーター欄を見ればわかるように、メインヒロインには陵辱やNTRは無いにしても、嫁になるサブヒロインにはレイープ未遂が一件と完璧レイープが一件があるし、ヒロインと関係しないメインストーリーにもそれなりにダークなイベントは揃っている。ランス9はバットエンド系にメインヒロイン陵辱があるので、単純な比較はしにくいんだけど「メインヒロイン陵辱」という点を抜かしたら、たぶんランス9よりも、このイブニクルのほうが結構キツイ描写は多いだろう。まぁ「アリス作品のダークな世界観が好き」とゆっている人の大半は、単にのNTRや陵辱エロが見たいが為にそうゆってるだけの話なので「メインヒロイン陵辱無し」って時点でヌルアリスゲーとか言うんだろうけども。アリスは結構萌え系のオタクをディするテキストを書いたりするのものだが、自社の上のようなお得意様ユーザーのご都合主義をディすることはしないのが流石老舗メーカーと言ったところである。

嫌味はさておき、このような「シリアスなストーリー」であったとしても、この「イブニクル」がイチャラブエロゲまたは嫁ハーレムエロゲとして、僕としては最高峰の評価が出来るのは、幾つかの理由がある。これは段階的に話をしたほうがわかりやすいと思うので、まずは一番下の土台となるレベルから説明しよう。第一に(2)で説明したような「物語やキャラクター描写を描くためのゲーム攻略性ゲームデザイン」が土台となるわけだが、これを説明する前にもう一段階下の「イブニクル」以前の「そもそもゲーム性作品とイチャラブ描写は結構相性がイイ」ってところから話をしたほうが「イブニクル」の特異点を含めて理解しやすいかもしれない。

何故ゲーム性重視作品がイチャラブと基本的に相性が良いのか。これはソシャゲーレベルの話から始めた方が良いかもしれないが、まず基本的に「直線的な物語無し」のデザインで「ユーザーのゲーム性攻略とその結果のサブイベントだけ」で成り立つような作品は、まぁそれを「イチャラブ」と言うべきか?って議論はさておくとしても「イチャラブを阻害する物語無し」で「ユーザーのゲーム性攻略とサブイベント」だけでヒロインに萌えることが出来るとは言える。同日発売のプリティケ2がそのような作品かどうかはやっていないのでよくわからないが、恋愛SLG系の作品はこのような構造を取っていることが多い。直線的な物語がそもそも無かったり薄いので「駄目シリアス」的な状況がそもそも発生しようがないわけだ。その物語に該当するモノは、ユーザーによる好感度調整という名のゲーム攻略性体験なので、良く言われるようにユーザーは作中の主人公とゲーム攻略性のなかで感情移入しているのか、はたまた物語抜きでサブイベントだけを楽しんでいるかはわらかないとしても、どちらにせよ「直線的な物語による駄目シリアス化」を避けることが出来て「サブイベントのイチャラブ描写だけ」を記述しやすい形式なのは間違いない。先の「縦線」と「横線」の理論モデルで言えば、ゲーム性体験を「物語の横線」として捉えれば「縦線」においてイチャラブテキスト「のみを描く」ことは容易になるんだから。

この「イブニクル」においても、上のような要素は少なからず存在する。フィールドMAPにおける「イチャラブイベント」がメインストーリーとは「関係ない」とは言えないし、後述するように実は微妙に関係はしているのだが、しかし形式的には「見ても見なくても良いサブイベント」として独立はしているので、横線のメインストーリに関係しているか関係していないかは兎も角としても、それとは別の形でフィールドMAPのイチャラブイベントを楽しむことは出来る。実はこのような構成は「嫁ハーレムエロゲ」にも密接に関係している。むろん、これも「メインストーリーと嫁ハーレム展開は関係ない」と言うことでは無いのだが、しかしその「章」の「メインストーリー」からは少し離れたかたちで、複数の嫁ヒロインとのイチャラブを満喫できるのは、以上のようなフィールド上のイチャラブサブイベントの存在によるところが大きい。紙芝居エロゲだと、あくまで「ひとつの物語(ルート)にはひとりのヒロイン」という定石から離れることは難しいのだが、このようにひとつのメインストーリーの上で、ミニ自由選択できるかたちで色んなヒロインのイチャラブイベントを緩やかにゲーム攻略性の中で繋げることで、ある特定のヒロインを巡るお話が進んでいたとしても、そのお話の試練や問題を嫁ヒロインたちといっしょに解決するという形で「特定(ヒロイン)のストーリー」と「複数嫁ヒロインのイチャラブ描写」をスマートに繋げることが出来る。

具体的なそこらへんのゲームシステムで言えば、この「イブニクル」の場合は「フィールドMAPのサブイベント」と「好感度システム」の二段重ねになっている。フィールドMAPのお話は先に紹介したとおりで、好感度システムっていうのは、戦闘をするたびに主人公の愛情ゲージが高まって、MAXになると選択したヒロインのイベントを見ることができるもの。この後者の好感度システムには章進行による制限はあるものの、基本的にはその章のメインストーリーと関係はわりと薄いヒロインイベントやイチャラブやエロを見ることが出来るという典型的な選択サブイベントだと言える。これだけだと「武想」と同じように、メインストーリーと切り離された個別のサブヒロインイベントが存在するだけになってしまうのだが、この「イブニクル」の場合はそこにフィールドMAP上のサブイベントという「メインストーリーとゲーム攻略性を媒介させるもの」を導入することで、物語とゲーム攻略性の中で嫁ヒロインといっしょに頑張っているを様子を巧みにテキスト化しながらも、それでいて時々は自宅に戻ってパーティー嫁ヒロインやそれ以外の嫁ヒロインともイチャイチャするといったような、オンとオフのイチャラブを同時に両立させるわけだ。


しかしもちろん、この「イブニクル」は「メインシナリオ」と上に挙げたようなイチャラブ的な「サブシナリオ」が分断されている作品ではない。メインシナリオとサブシナリオとゲーム攻略性はフィールドMAP上においてシームレスに繋がっていると言うことは先に述べたが、ここでは「メインシナリオ」と「サブシナリオ」の物語連関にスポットを当ててみよう。

この「イブニクル」のメインシナリオは何か?と言う問いに答えるには、ある意味でランス作品のメインシナリオとは何か?と言うのと同じような難しさを持っている。まぁイブニクルの方が各章において「明確な物語的目標と章ごとのメインヒロインみたいの」を持っているという意味ではそれなりにわかりやすいところはある。特に前半から中盤にかけては、それぞれの章において嫁パーティのメインヒロイン(ラミアス、リッシュ、グリグラ、キャス)が仲間になるまでのヒロインシナリオと、その章の御国事情が絡み合うという構成を取っているので、その章のメインシナリオが何を語ろうとしていて何処に向かっているのか?ってところは比較的に説明しやすいのだ。とはいえ、その「メインシナリオ」の物語的内容が、そのままその章の「サブシナリオ」まで含めた作品雰囲気と一致するか?というと、そうとも言い切れないところが難しい。ここらへんはランスシリーズのコメディとシリアスの入り混じった独特の雰囲気を説明するのが難しいのと多少は似ている。

まず、前半から中盤にかけて「その章のメインヒロイン」が設定されている物語でも、この作品ではそれ以外のヒロイン、特にその「前の章で仲間になったヒロイン」が準メインヒロイン並に活躍する。第二章では「グリグラが仲間になるまで」のお話を描くとしたら、第三章では「キャスが仲間になるまでのお話」という横線の物語において「グリグラが嫁ハーレムパーティに馴染むまで」っていう縦線の描写を強調するわけだ。この点をもっと大きな枠組みで言えば、嫁パーティヒロインでもパーティ外嫁ヒロインの両方について言えることではあるが「ヒロインが仲間&嫁になるまで」の「その章に置けるメインヒロインシナリオ」のあとにも、それらのヒロインのミニストーリーやミニイベントといったものが、それ以降の章のメインシナリオにもちょくちょく絡んでくる構成を取っている。ラミアスは第一章でメインを張ったあとに、予期せぬ形で第六章のとある四天王に絡んでくるし、リッシュも第一章のメインのあと、これまた第四章から第五章のメインヒロインに絡んでくると言ったように。サブシナリオ的なイチャラブイベントだけではなく、メインシナリオにおいても嫁ヒロインたちは目立つ形であれ目立たぬ形であれメインシナリオに巧みに食い込んでくる。この作品のそれぞれの章のメインシナリオは、確かにその半分くらいはその章の物語とヒロインを語ることに費やされているが、もう半分くらいには必ず「主人公の嫁ハーレム家族たちの物語」が密接に関係している。もちろん、この「嫁ハーレム家族たちのメインシナリオ」と先に記述した「フィールド上でのサブイベントやイチャラブイベント」も相互に繋がっている。遇えて紙芝居エロゲ的な概念で言えば「フィールド上のサブイベント」という「日常描写」が存在するからこそ「メインシナリオ上に分散された嫁ヒロインたちの物語」に説得力を与えているし、その逆もまた真なりともいえる。

何度かこのレビューでも「主人公の嫁ハーレム家族」という表現は使っていると思うが、この「イブニクル」が、少なくとも現状において「ハーレムエロゲの最高傑作」と言えるとしたら、それは「主人公の嫁ハーレム家族」とでも言えるような、主人公とヒロインたちの関係性を、物語レベルから日常描写レベルからそしてゲーム性レベルまでを使って描き切っているところだろう。こうした関係性は紙芝居エロゲにおいて「物語レベルだけで」つまり「主人公のハーレムが形成されるまで」の関係を描くのは比較的に容易い。だが、このような物語は「ハーレムが形成されるまで」を描くことは出来ても「ハーレムが形成されてから」の物語は描き切れないところがある。一方のゲーム性重視エロゲの場合は「物語レベル(メインシナリオ)」と「日常描写やエロ描写(サブイベント))」を切り離すことが比較的に容易なので「物語レベル抜き」で「主人公とヒロインたちのエロやイチャラブ」だけを描くことはできるけども、それだと主人公とヒロイン達が物語のなかで生きていく姿を描くことは難しい。この「イブニクル」はまずは物語レベルでヒロインたちの物語を最初から最後まで語りながらも、同時に物語から少し外れたり、あるいは物語のなかで起こるような様々な日常描写やイチャラブをサブとメインのシナリオで同時進行的に展開させることで、
彼らの作中の全ての体験がまるでひとつの家族の年代記のようにユーザーには伝わってくる。

もちろん、物語の本筋には家族とは何か?みたいな辛気くさいテーマはほんの少し匂わせているだけであるが、個人的に特に秀逸だと思ったのがグリグラ関係の描写だ。詳しくはネタバレになるので抽象的にボカさせてもらうが、基本的には身寄りの無いヒロインで、主人公も含めて全ヒロインからも妹のように可愛がられるキャラだ。もちろん主人公のアスタ君も容赦なく性的な意味で日常的にグリグラを可愛がるし、グリグラもグリグラも多少は恥ずかしながらもわりと素直に反応するようなところをみて、他ヒロインたちもちょっとエッチな気分になったりする。こういう描写がとても素晴らしい。特に家族的な役割をしているわけでもないのに、自然にそういう位置づけが決まっていって、家族的なコミュニケーションを取りながらも、肝心なところでは主人公とヒロインは男女の関係なので、家族的なコミュニケーションが少しずつ性的なコミュニケーションへと移行してしまうような不自然さを、ヒロインや主人公たちは充分意識ながらも「ハーレム家族なんだから仕方が無い!」と抜きゲ的に割り切るのでもなく、また萌えゲ的にやっぱひとりのヒロインを選ばなきゃ逝けない!みたいな決断話になるのでもなく、夜中に別ヒロインとアスタ君のHをこそこそ覗き見しながら、じぶんもグリグラちゃんみたいにお姫様抱っこエッチしてもらいなーと妄想オナニーに耽るリッシュちゃんみたいなリアリティがこれまた素晴らしい。ハーレムだからといってみんながまるまるその関係性で大満足しているわけでもなく、かといってその関係性を我慢して受け容れるわけでもなくて、それぞれのヒロインがそれぞれのヒロインの立場や性格のうえで、ハーレムという一つ屋根の下で主人公と他のヒロインたちの生活や性活を過ごしているような雰囲気がRPGゲーム世界観の中で語られていく……この彼らの嫁ハーレム家族そのものが、後生には一つの神話として伝えられましたとさ、みたいなオチをつい想像してしまったくらい、他の体随を許さないハーレム描写なのだ。


とはいえ、この作品のオチはそんな生易しいものではない。この作品の全体メインプロットのひとつの物語目標として「主人公のアスタ君が世界中の可愛い女の子を嫁にする!}というものがあるが、コレはランス6の有名なTADA氏の発言


>「RanceVI-ゼス崩壊-」は、エロゲーRPGなので、「エロを見る為のRPG」なのです。 全シリーズ通してそうなのですが


を比べることで、ランスシリーズとこのイブニクルの「似ているところ」と「違うところ」が明確にすることができる。コレはすぐに「ランス君は鬼畜だけどアスタ君は優しい独占厨」とか言いたくなってしまうが、実のところ重大な差異はそこでは無い。まず「似ている」のは、ランス君とアスタ君の「主人公の目標(可愛い女の子と基本エッチしたい!)」」と「その作品で語られる物語」が「偶然に一致していくような関係性」みたいなお話。まぁ未だアスタ君の多少の責任感みたいなものはあると言えるが、とはいえランス君もアスタ君も「世界を救う」のは「次いで」であり、始めの目標には可愛い女の子とエッチしたり嫁にする」まずあるということで、これを別の言い方で言えば「世界やその国の事情を解決する物語目標」と「主人公がヒロインたちとエッチしたりイチャラブするような物語描写」がアリス作品ならではのシリアスとコメディが入り混じった独特の雰囲気のなかで一致していようなところか。

但し「違うところ」と言えば、ランス君の場合は先の「エロを見る」と言う独特な表現からもわかるように、最新作のランス9を除いてランス君のエロは「がはは、いいぞいいぞ、うっ、でる、どぴゅー」で糸冬であり、まぁこんな風にヒロインを乱暴に扱ってるようでいながら、メイン級のヒロインだけはちゃっかり大切にするようなところが、あいつは不良なんだけど実は良い奴でエロエロな俺だけど本命の女の子には優しくするぜぇwみたいなエロゲユーザーの実は古風な隠れDQN性癖にアピールするケッコンカッコカリなわけだガーっていう嫌味はさておくとしても、本質的なところを言えば、ランスシリーズの場合は「大量の捨てエロ関係のなかに本命ヒロイン物語」を隠すようなところはある。つまりランス君は色んなヒロインとエッチしまくるんだけど、その作品またはシリーズにおいて「ランス君との運命のヒロイン」は既に決まっていて、ランス君は色んなヒロインとHしながらも、最終的には特定のヒロインとの物語を選んでいくようなところがあるわけだ。まぁランス9でここらへんは微妙に方向転換したようだから、最終的にどーなるかはわからないにしても。

だけどアスタ君の場合は、「エロを見る為のRPG]とでも言えるところは多少は残っているとしても、基本的には「イチャラブをするためのRPG」の為に生まれた主人公だ。ランス君のエロ構図が「大量のヤリ棄ての中からある種の純愛を物語る」ものだとしたら、アスタ君のエロ構図は「大量のヒロインを嫁にする中からひとりひとりの嫁ヒロインと嫁家族の物語を成立させる」ものだと言えようか。確かにアスタ君もランス君と同じように、可愛いヒロインとHするために作中物語を解決していくのは変わりは無いし、章が進むたびにアスタ君の嫁ヒロインも少しずつ増えていくわけだが、アスタ君はヒロインとHして嫁にするだけじゃ満足しないし、物語のほうも主人公とそれぞれの嫁ヒロインのその後のイチャラブやエロだけでは満足せずに、嫁になったヒロインと別のヒロインの関係性や物語までも語りだしていく。遇えてエロシーン的に例えれば、ランス君はあー見えて以外に3Pをしない男だし、エロ以外のイチャラブイベントも皆無に等しいのだが、アスタ君は普通に3Pをするだけではなくて、大きいおっぱいに挟まれて安眠するのがエロよりキモチイイ良いかもしんないみたいなイベントがエロシーンと同じくらいの比重を占めるような、エロ音声だけじゃなく安眠エロ音声作品のイチャラブ癒し快感までも手中に治めている。まさに2010年代のエロゲ主人公に相応しい人物なのだぁ。

このアスタ君の「嫁ハーレム思考&思想」が物語のコア部分において密かに重要な意味を持つというのも、なかなかに気が利いている。この(3)の最初に述べたように、この「イブニクル」のメインシナリオにおいては、それなりにシリアスなというか「ダークな陵辱描写やグロ描写」が結構あったりする。こうした「シリアスやダークな描写」が「ヒロインとのイチャラブ」においてマイナスに作用しないのは、まず基本的には「メインヒロインの9割(嫁パーティーヒロインなら10割)は陵辱の対象にならない」という独占厨仕様が守られているからだと言うことは、「独占厨仕様はカッコ悪くてイクナイ!」と言いながらも、基本その手の作品しかやらん偽善的なエロ助シナリオ重視主義者の皆さまガタにはきっちりとお伝えせねばならないわけだが、とはいえ、残りの1~2割程度には「ダークな陵辱描写があるからこそ、主人公の独占ハーレム思考が正当化される」とでもいえるところはある。これはアリス信者さんや古参エロゲオタさんが大好きな物言いである「ダークな描写があるからこそ純愛のリアリティが確保されるのだ」みたいな話(これに対してテメぇは単にNTRや陵辱シチュでシコりたいだけだろ!とは突っ込んではいけない)とは少し違っていて、勧善懲悪なエロ嗜好というか「勧独占厨懲NTR厨」みたいなエロ嗜好&思想を物語るのがこの作品だからだ。

先の「主人公のアスタ君が世界中の可愛い女の子を嫁にする!というメインシナリオの対となるのが「悪の組織の蛇紋との対決」であり、前半から中盤にかけては、この悪の組織が巻き起こしている問題を解決していくのが基本的な流れではあるんだけど、そこはそれでこの「悪の組織」が体現しているのは、人間の様々な欲望であり、彼らが破壊しようとしている聖母イブの「戒律」みたいなものも、元は人間の欲望……というか聖母イブの欲望が人間を作り出したんじゃね?みたいな話しにはなってきて「基本的には蛇紋のやっていることは悪いことなんだけど、その蛇紋を生みだした欲望そのものは否定できるのか?」とか「良い欲望と悪い欲望の違いってなんだ?」みたいな問題系列が物語プロットとして立ち現れるようにはなってくる。まぁこの抽象的なお話をこの作品の物語で言えば、確かに女の子をレーイブするような「欲望のままに振る舞うことは悪い」ことかもしれないけど、じゃあそのお前の独占厨的な欲望は悪い事じゃ無いのか?それって単にこの作品で言えば、聖母イブの戒律的にはその欲望おkって話であり、原理的にそのレイープ欲望を否定すること出来ないハズだー、だいたいこの世界を作り出した聖母イブだって結局ヤリ○○だったじゃーん!っていうのが悪の組織の論理なわけだ。先の「シリアスやダークな描写」つーのは、その欲望が陵辱方向に生かされた結果はそーなると言う話であり、んでこの作品の「イチャラブ描写やハーレム描写」というのはその欲望がアスタ君方向に生かされた場合にはこーなると言うわけで、陵辱であれ恋愛であれ、その根底には個人の欲望があるっていうのが、この作品の基本命題的な世界観にはなっている。

では、その「悪の組織の欲望論理」に対して、主人公のアスタ君やその嫁たちはどのように立ち向かうのか?……なーんて考えちゃうようなアナタこそが結構「蛇紋」っぽいかもしれないつーのが、まずはこの作品の出している答えのようなものだ。「人間の根底の欲望は皆同じなんだから一皮剥けば人間なんてみんな醜いものなのよ!」っていうのは、単に杜撰な「欲望の本質論」にハマっているだけで、これは人間は食欲という共通欲望を持っているから、好きな食べ物はみんな同じだと言っているに等しい。確かに人間には「なんらかの共通する欲望」は持っていると言えるが、それは抽象的なレベルの概念で実際の現れ方としてはヒトそれぞれ異なっているわけで、その抽象レベルの欲望の同一性で人間が駄目だといっている人は、自分の欲望を他人に投影しているだけか、あるいは自分を含めた人間全てが駄目なんだぁと言っているに等しく、それらを引っくるめて言えば単純に自己中な他人知らずとゆーことになる。

じゃあアスタ君の独占厨的な性欲だって「自己中そのものだろ!」と言われたら確かにそうだけど決して他人知らずではない。確かにアスタ君は「可愛くて自分のことを好きだと言ってくれる女の子は全員嫁にしたい」っていうような自己中性欲の持ち主であるが、アスタ君は少なくとも自分の嗜好にしたがってではあれ「他人である人の可愛いさやエロさ」ということをよぉく知っている、言い換えれば「自分以外の人間の良いところ」をちゃんとしてフルボッキ反応できるという意味では、決して蛇紋のような「人間はみんな欲望が中心にあるから同じなんだー」的な空論には陥らないのだ。何遍繰り返せば気が済むんだ?ってレベルのテンプレオタク批判するような人たちが「オタクは自己厨で他者を消費するばかりの汚い人間だ」という「自分に都合の良い現実には全くない存在オタクイメージ」でオナニーしているとするならば、アスタ君や我々オタクは「現実の人間としては存在しないかもしれないものの、しかし現実の二次元として確実に存在する二次元ヒロインとちゃんとセックスする」という意味では、自分以外の世界と他者に向けて堂々と窓を開いているわけである。その窓オープンがが大半において社会の窓であったとしても、それは猥褻物陳列罪でタイホーされる罪ではあるかもしれないが、決して自分以外の世界や他者を頭ごなしにを否定する恐ろしいまでの傲慢には陥らない。アスタ君の罪はそんなチョロいものではないからである。

この作品のエピローグにて明かされる「アスタ君の罪」であると同時に「最大の力」の正体というのも、この作品が「ハーレム作品」であることを見事なまでに証明すると言えるだろう。ハーレムの元になったトルコ語の語源を辿れば、たちどころにそのギャップは氷解するだろうし、僕が以上の長文でここまでクダクダとしつこくこの作品の緻密さを語った理由もなんとなくわかると思う。「なんでハーレム作品なのに、こんな細かいゲーム性とか物語性の関係とか知らなきゃいけないんだよ!ハーレムなんて女の子とやりまくるだけで良いんじゃ無いか!」と思ってしまったアナタはこの作品で言え所詮アウトロークラスの雑魚欲望しか持っていないわけである。この「イブニクル」が今後シリーズ化するかはどうかはわからないものの、この「イブニクル」または「ハーレム」の申し子である主人公とこの作品の厳密な構造が「戒律」という、人間の最大の欲望のひとつによって貫かれていることはけだし必然なのだ。最強のエロは戒律から逸脱によって得られるものでは無い。そんなものは所詮短期的な快楽を与えるに過ぎないし、NTR厨とて戒律を完全に放棄したら戒律に刃向かう快楽も味わえなくなる戒律の寄生虫に等しいのだから。人間の最大の欲望は自分で自分の欲望のレベルを人工的に永遠に高め続けるような「戒律」を自分に課すことが出来るというものであり、これこそが人類の性欲の頂点とも言えるクローズエロゲーに残された道のひとつであることを、この「イブニクル」というハーレムエロゲの最大傑作は高らかに宣言しているのだぁ! 
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(4)「エロシーン」というか「エロの配分」については、他の完成度には及ばないんだよねぇまたは、ゲーム性重視エロゲ業界に蔓延する「九尾病」を如何に根絶すべきか?



まぁ察しの良い読者の皆さまには、上のデーター欄のそれぞれの「エロシーン回数」をみれば、僕がこれから言わんとすることはなんとなくわかるんじゃ無いか?とは思うのだが、先ずは批判話からでは無くて褒め褒めモードから入ろう。


とはいっても「アリスのエロ」を語る上では、どーしても最初は批判モードから入ってしまうんだけども、基本的にアリス作品は「陵辱エロゲ」つまりはエスカレイヤーやハルカといった陵辱抜きゲ以外のエロは、あまり評価されていないというか、ぶっちゃけ使えねーレベルなのはわりと衆目の一致するところだとおもう。これは「ランスシリーズ」の「がはは、いいぞいいぞ、うっ、でる、どぴゅー」といったランス様ギャグエロテキストによってなんかネタ誤魔化しされているところはあるんだけど、別にランスシリーズ以外の作品でも言えることだ。「大シリーズ」まで遡れば、当時としては「悪くない」程度の評価はできるわけだが、まぁだいたいゼロ年代後半からのパスチャ3とか大帝国とか武想といった、基本的には和姦エロが大半を占める作品の「エロのイマイチ」ぶりというのは、これらの作品の他の不満点に隠れてあまり言及はされないものの、どうにかならんのか?レベルなのは否めない。

どーして、このようなことが起きるのか?というと、これはまず第一に「陵辱エロゲを出しているメーカーの純愛または和姦系エロゲのエロはイチイチなことが多い」という、僕としては「九尾の法則」とでも名付けたいものが原因だとおもう。それが具体的にどういうモノか?については、九尾作品で言えばVBHの和姦エロを見ればわかるとおもうが、端的に言えば陵辱エロで淫語とか卑語とか御下劣なことを言わせるようなエロテキストを書いているメーカーは、純愛または和姦エロになると途端にお上品なというか、まぁ喘ぎ声中心の詰まらないエロテキストに堕してしまうというのが典型だろう。これは萌えゲでも「抜き毛ー系のライターさんにエロシーンのヘルプ」を頼むときによく起こるアクシンデントではあるのだが、そのライターさんの実力とは別のところで「陵辱系のエロテキストに慣れた」人がその正反対のものとして「和姦エロテキスト」を描こうとすると、単に抑え目なエロテキストになって終わるというのはありがちな光景である。たぶんアリスの詰まらん和姦エロテキストも、ライターさんの実力とは別のところで「陵辱と純愛は別だから」みたいな割り切りによって起こっているものでは無いだろかと。

とはいえ「ランス9」やこの「イブニクル」でエロシーンを描いていると言われる「ヨイドレドラゴン」氏が参加している作品は、概ね上のような惨状を回避しており、今作もエロシーン自体はかなりの数があるものの単調さからは免れている。ランス9のエロシーンテキストの良さについては当該レビューで書いたから繰り返さないけど、このイブニクルでも全ヒロインの性格を自然に性癖化しており、普通だったらドン引きしかねないオール性癖対応ラミアスのようなヒロインから、嫁パーティーの中ではいちばん常識人で性癖的にもいちばんマトモだけど、挿入されるとアッサリよがり始めるのがいちばん早いといったキャサリンまで、全ヒロインの性癖と性格をダブり無しに配置するその手腕には感服する……と素直に褒めたかったんだけど……いや実際にB+と評価しているくらいだから、良いエロシーンは本当に良いし、悪いエロシーンは殆どないという意味では平均点は結構高いのだが……


だがしかーし、アリスソフト、ここまで褒めてきてここでいきなりブチ切れさせてもらうが、テメぇの作品にはエロの「選択と集中」が全く足りねぇんだよゴルぁ。もっとぶっちゃけてしまえば、もうそろそろ「古参から新参まで幅広いユーザーの皆さまに愛されるアリスソフトのエロ」っていう八方美人性作をそろそろ辞めるべきなんじゃねーか!と今作に限ってはマジで思ったわ。陵辱大杉っていう話しも多少はあるんだけど、それ以上に「全キャラにエロを入れなきゃいけないプレッシャー」っていうのが、その作品の目指しているエロ方向の勢いを殺いでいるのよね。

上のデーター覧を見ればわかるように、まず端的に「嫁になるヒロインのエッチ」だけカウントすれば約36シーンであり、これはエロ回数の半分程度の回数だ。もうなんかこの時点で間違っては居ないだろうか。むろん、残りのエロが全部陵辱エロだとかそういう単純な話ではなく、最後の方になると別にヒロインを嫁にしないでも流れでHできるみたいなシーンも10数個はあったりするわけだが、これもこれでさらに間違っている。この作品は「ヒロインたちを嫁にしていっぱいエッチしまくるアスタ君の物語」だったはずなのに、肝心の最後の方では、メインヒロインのエロはほぼ消滅し、残ったのは百合陵辱エロとかオマケキャラの聖女のエロを探せ!っていうのは、いくらなんでもこれはありえないだろう。エロシーンの約半分くらいがこのような「作品のウリにしていたエロとは無関係」であるといえてしまうのだから。仮に陵辱シーンをこの作品の物語にはある程度は必要なものだと認めたとしても、嫁ヒロイン以外の女性キャラは必ず林間学校を入れるみたいな話は、陵辱の好き嫌いを超えて「単なる惰性でやっているんでしょ?」レベルだ。こんなメインヒロインでもサブヒロインでもない、単なる一般市民またはその章に置ける重要人物の恋人みたいな「他人」キャラのしかも「一回限り」の陵辱を見てすげぇ興奮するって人は、正直どれくらいいるのだろうか? こういうことを言うと「純愛エロゲだったら他に一杯あるじゃん」とか言う話をする人がいるが、そういうお話をするんだったら、そんな「他人程度のモブキャラが陵辱される」ような抜きゲーだのエロCG集作品だのの方が世の中には一杯あるわけでー。そりゃまぁ「ひたすらエロを求める冒険物語」っていうのが謳い文句だから、そういう「嫁ヒロイン以外のキャラは全陵辱」っていう「エロを求める」人もどこかにはいるかもしれないが、そう言う人はもう半分の嫁ヒロインたちの和姦エロシーンが邪魔だろうし、嫁ヒロインたちにはクロアを除いてNTRや陵辱は無いんだから、こおりゃもう基本的には客層を狙っているのか全くワケわからないエロシーン配分ではないだろうか。

これは九尾作品でも言えることだと思うだけど、好い加減この手の「いろんなエロがあるからどのお客さんでも満足できますよ」系のエロ配分が良いと思っているメーカーさんは、じゃあその「どのお客さん」みたいな客層が、ふだんその「どういうエロゲ」をやっているのか?一度でも考えたり、その手のエロゲを実際にやってみた方が良いと思う。例えば、萌えゲ的なお客さんだとしたら、もちろんエロ回数が多ければ多いほど良いというのは基本的には間違いではあるが「和姦エロがキャラ毎に3回くらいしかない」ようなエロゲなんぞは、基本的にエロ薄ゲーだろうし、陵辱エロゲに至ってはもっと回数は重視されるに違いない。「いろんなエロがあるからどのお客さんも満足できる」というのは、実際のところ「そのエロを専用に消費しているお客さんからは中途半端だなぁ」と思われていることに好い加減気が付くべきだ。ランス9みたいに陵辱エロはバットエンドだけに限定されるくらいの数だって割合なら、別に僕もさして不満は覚えないんだけど、今回のエロ配分はエロ以外の作品の狙いとエロの配分の向性が完全にミスマッチと言うほかは無い。100歩譲って「大」シリーズみたいに超大作作品ならエロ回想数の分母がデカイのでそれでも良いとしても、この「イブニクル」はせいぜい中から大作クラスなんだから、エロとヒロインの選択と集中はもっと注意を払うべきだったのに「アリスソフトはいろんなエロを満足させるメーカーですよぉ」みたいなブランドイメージに縛られてそのような合理的な行動が出来なかったとしたら、そこれこそ老舗メーカーの致命的な病だと言えるだろう。

むろん、こういうことをいったところで、このようなメーカーはそのブランドイメージが「昔からずっと続いている」というだけで「うるせぇよ。アリスはアリスのママで良いんだよ」みたいな感じになんの理窟も抜きに正当化されちゃうので、その結果「昔からのブランドイメージ」の長所と短所の区別も出来なくなり、やがて下級生2のカタストロフィに繋がるのだから信者の道は地獄へと続いているわけだ。「アリスソフトらしさ」みたいのは「全てが上手く回っているときには」素晴らしく聞こえるフレーズであるし、だからその「アリスソフトらしさ」だけで全てマンセーできるからこそ信者さんも寄ってくるわけだが「全てが上手く回らなくなった」ときには文節批判の障害になり作品の改善を妨げ始め「アリスソフトらしさ」でマンセーしていた人たちはいつの間にかメーカーから離れ艦これでもやっているというのが、エロゲオタの畜生道の一形態ではあるんだが。この「イブニクル」は全体的な出来がもの凄く良いので、その評価だけでエロ方面の批判をする人間は少ないと思うし、例によって「アリスソフトらしさがあるからいいんじゃないのw」的な訳知り顔で基本スルーされると想うが(エロゲオタの大半は勝ち組作品には批判しないものだから))今回のイブニクルほどには出来の良くない萌え系の作品で、今回のようなエロ配分をやったらそれこそ「下級生2」の二の舞いになるかもしれないと不吉な予言をここで下しておこう。


話をエロに戻すと、特にパーティーメンバーのエロに関しては、圧倒的に数が不足していると言える。女の子モンスターのエロCGやら、どーでもいい眼鏡ヒロイン陵辱だのモブキャラのエロCG陵辱だのをまるまる削るなりして、今の2倍の10回くらいの回数は最低限でも必要だったのではないか。基本的にパーティーヒロインのエロはイベントエロと好感度サブイベントエロの二つにわかれていて、イベントエロが3でサブイベントエロが2くらいだと思うんだが、パーティー外ヒロインのエロはイベントエロが1つで、サブイベントエロが2つである。んで、イベントエロつーのは最初の処女喪失エロを除くと、基本的にはダンジョンの中で「エロイ儀式をする」とか、他人にエッチを見せるみたいな、まぁどちらかというとギャグっぽいエロシーンが多い。それはそれで良いとしても、じゃあ残るマトモっぽい和姦エロはサブイベントの2つのエロシーンくらいしかなくなり、それじゃあパーティー外の嫁ヒロインと基本的には変わらないじゃないか!ってことになってしまう。元からイベントの数が限定されている、パーティー外嫁ヒロインだったら、せいぜいあと一回くらいエロシーンをつけ足せば良いくらいだとは思うんだけど、もうフルタイムイチャイチャしまくりなパーティー嫁ヒロインに、まともな和姦エロシーンが「2つしかない」っていうのは、こりゃもう普通の萌えゲだったらシコりきれなくて怒った萌えオタどもが近くの小学校から検尿セットをパクってきて、アリスソフトにてめぇのザーメンを送りつけられても文句はいえねぇレベルの大失態であーる。

だいたいこの作品には「イチャラブイベントやイチャラブ描写をすげぇ良い感じのエロを期待だけさせておいてスルー」みたいな嫌がらせが非常に多すぎるのだ。普通のエロゲだったら「どうせあとのエロシーンでの伏線だろw」とニヤニヤしながら股間をオッキさせるところを全スルーだもんね。僕は第一章の終わりでリッシュとラミアスがふたり揃って裸エプロンで3Pエッチしようと誘うのを、あのアスタ君が驚くべきところに拒否するところをみて、あー、これは第二章のエロ伏線に繋がるんだなぁとは思ったものだが、裸エプロンどころかラミアスとリッシュのマトモな3Pエロも最後まで無かったからねこのやろうぉぉぉ! もー、ほんとこの作品の「イチャラブイベントでイチャラブエロイベントをガンスルー」はイチャラブイベントの質自体が滅茶苦茶良いがゆえに酷すぎるのだ。この作品は僕が上でかなり褒めたようにゲーム性も物語性もイチャラブ描写もエロゲのありとあらゆる部分が非常に高い完成度で繋がっている作品なのは間違いない。だけど「イチャラブ描写」と「エロ描写」の繋がりだけは、もうそこらへんの萌えゲをもう一度勉強して出直してこいのレベルなのだ。なんつーか「ヒロインの恋愛描写イベント」と「エロイベント」は「全くの別物」として捉えているような、ゼロ年代初期のエロゲーをやっているような古くささすら感じてしまうほどに。いくらイチャラブイベントそのものが良かったとしても、そこにエロがリンクしていないってことが明らかになってしまうと、イチャラブイベントにおいてエロネタを取り扱っているものを見た時に「どーせ、エロはギャグイベント的なものしか無いんでしょ」ってな感じで冷めてきてしまうのだから。個人的な提案としては、フィールドMAPのイチャラブイベント100個のうちの10個くらいには、そのままヒロインとのエッチに発展するものがあってもよかったとおもう。「イチャラブ」とは「エロだけではない」ことは確かだが「エロを完全に欠いて関連性を持たない」イチャラブイベントなど、少なくともイッツエロゲーメーカーを自負するところが作るべきエロゲだとは僕は絶対に思わない。

さらに「ハーレム作品」にしては3P系のエロシーンが、キョウとキノウのエロシーンを除いて基本的に弱めなのも気にはなる。いちおう、上のデーター欄では「リッシュ&ラミアス」とか「キャス&グリグラ」といった3Pエロが載っているけども、これもマッサージ器的な触手に絡まれた状態で、とか、主人公が分裂した状態で儀式のために仕方がなく、といったギャグイベント的なシチュが多くて、日常描写ではちゃんとラブラブした3Pをやりまくっているらしいのに、そこらへんの「普通の3P描写」がキョウとキノウ以外を除いて全くないのは問題だろう。

またエロCGの点も上と関連する欠点がある。「普通のCGは可愛いんだけどエロCGはイマイチ」という不評はそれなりに聴くが、まずこれはメインヒロインにエロ服装備立ち絵CGを書いておいて、しかしそのエロ服エロシーンは無いという悪逆非道
を鑑みれば当たり前の評価だと言えるのだが、これを本質論的に言い換えると「エロCGは全裸で挿入だけしていればいいや」みたいなエロ感覚がもはやインポテンツなのである。これはエロCGの構図や表情といった全レベルにおいてそうなんだけど、非エロCGにおいて多彩な表情やエロっぽい構図を書くことができる人でも、立ち絵ではスラっとしたヒロイン下半身が安売り大根みたいにデブ化したりするようなゲンガーっていうのはけっこう多い。これはエロCGを書くのが下手糞つーよりも、エロCGと非エロCGを別物として捉えているような所に問題があるとおもう。特にこのゲンガーさんの場合、多少は塗りも関係しているかもしれないけど、ヒロインの肉体を中心に構成するようなCGになると、非エロCGとのギャップもあってなんだか血の気の薄い肉の塊のように見えてしまうようなところがあるのよねー。非エロCGだと基本的には引き気味の視点で完成されているCGなのに、それをエロCGで思いっきり肉体を拡大ズームするようなCGを書くと大味な肉の塊に見えてしまうような感じかなぁ。逆に言えばロリキャラのCGは好印象で、こちらは全裸または半裸になっても、ボディラインの微妙な陰影がぺったんこだから強調されるような繊細があるし、ソラやグリグラのように無邪気に主人公を挑発するようなエロ構図もこのゲンガーさんには合っているように思える.個人的に言えば「どらぺこ」のようなエロ構図やエロ表情の方が良いような気はするはするんだよねぇ。「どらぺこ」は「どらぺこ」で確かに挑発的なエロ構図に拘りすぎたあまりに、なんか軟体運動をしてるみたいな構図や表情が多かったから、今回のイブニクル路線にしたんだろうけども「イブニクル」と「どらぺこ」の中間あたりを狙うのが一番良いのかなぁ。

あとちょろっと言っておくと、今回のランス主人公編とかあるいは最後の方の「クゥ」と「アーサー」の出張オマケエチみたいなものは、まぁ前者みたいな特典オマケくらいだったら別に良いけど、後者を組み込むのはさすがにどうかと思う。別に僕は「どらぺこ」のファンではないから特にそれ自体は批判はしないけど、これってほか作品のヒロインもほか作品の主人公とHするかも知れない疑惑を悪戯に広めるだけだと思う。こういうのは古参のアリス信者さんとか古参のエロゲオタクから「さすがアリス!」とか悪ガキぶった感じで褒められたり文句は言われないかもしれないけど、フツーに新参ユーザーとかアリス初心者の人にはドン引きってことをお忘れなく。ただでさえ「基本は独占ゲーなのに初っ端なから陵辱エロCG全公開」でその手の人たちからドン引きされているというのに、ますますその手の人たちを不安がらせる要素を、しかも「オマケ的なサービスエロ」みたいな形で入れているのは端的に言って馬鹿げていると思うし、こういうのを「流石アリス。独占厨に媚びたような作品でも実は媚びていなーい!」とかゆった感じで持てはやすのもマジくだらねぇとおもう。最後の某メインヒロインみたいなお話とエロを「だから陵辱エロは必要なんだ」みたいに言うのは構わないし、僕もアレはアレで良いとは思うけど、こういうストーリーにも一切関係ない部分でほか作品のヒロインを悪戯に弄ぶような真似は、少なくとも一部の人には強い反感を覚えるので辞めた方が良いんじゃないっすかね。


まぁアレコレ文句は言っているものの、これらは「もっと良くなるハズなのに!」的な文句であり、基本的には先に言ったようにエロシーン自体の質は高い。まずパーティ嫁ヒロインで言えば、ラミアス改めアスタ君の並ぶほどのド変態性癖は流石に僕の趣味では無いし、残念なことにリッシュは「本当はムッツリスケベ系だから、建て前を遵守すればエロエロになれる」っていう性格と性癖を生かしたエロシーンが無かったというか単純にギャグ以外のエロシーンが少ないのが残念だけども、グリグラとキャスはなかなかよかった。グリグラの場合は無邪気ロリっ娘でアスタ君の為なら多少は恥ずかしがりながらも素直にエッチしちゃうっていう性格が、基本ギャグ的なイベントエロシーンにおいても「グリグラだけは常識とかあまり気にせずに、大好きなお兄ちゃんとHできて嬉しい」となって、どんなエロシチュにおいても安定的にロリキャラの無邪気素直エロを味わえるようなところが良いですね。キャスの場合はエッチする前はアレコレ文句を言いながらも、またエッチしているときにモノローグでアレコレ葛藤しながらも、アスタ君のアレを突っ込まれるといちばん早く反応しらめぇ♪口調で感じまくってしまうところが素敵。捻くれた秋野花ボイスを普段は演じながら、Hシーンでアレを突っ込まれるとロリ秋野花ボイスになってキャンキャン喘くところがキャスちゃんの屁タレで素直なところを良く表現しているとおもう。チョロインのエロシーンはこう出なくては!

とはいえ、この作品の場合、前にも書いたけど結果的には「パーティヒロイン外の嫁ヒロイン」のエロシーンのほうが出来が良いというか、まぁ和姦または萌えエロシーンとしては素直で使いやすいところはある。嫁パーティーのエロシーンはなんだかギャグっぽいイベントエロシーンだから、ちゃんとした和姦エロシーンになっても先のギャグの印象が強くなってしまうが、パーティヒロイン外の嫁にはちゃんとした流れでエロシーンに入ることが多いし、エッチシーン的にも「王道」的なものが揃っている。リアルではいちばん年長のティオさんは、最初はノーマークだったものの、最初にパーティ以外では嫁になるヒロインで主人公たちの留主を任せた家政婦的ヒロインという立場をフルに発揮し、その巨乳を生かした真面目だけど実は御奉仕キャラという美味しいエロ性癖をゲットしているし、エリモは金髪ロリで耳年増なバイブで処女喪失したとか豪語してるキャラの癖に実は奥まで入っていないで主人公の責めにメロメロになっちゃうキャラだし、トワは逆にオナニーなんか一回もしたことがない真面目奥手純粋キャラが、世界を救うために主人公にオナニーを覚えさせられた結果、バイブオナニー体験談が世界中の雑誌に以下略しながらも、これまた主人公のエロ教育によってグリグラと同じように純粋無垢なエロ娘に育ってしまう。さらにはキノウ&キョウあるいはクロワといった年上組は、主人公を積極的に甘やかすオネショタ系エロシーンまで揃っていて、クロワに至ってはアスタ君を真に性的に満足させられるにはクロワ姫だけですたーみたいなエチを最後の方に見せられると、なんだかまぁ嫁パーティヒロインたちのエロ存在感が霞んで見えてしまうわけだ。普通はメインヒロインにお約束的なエロ性癖を用意して、サブにちょっと変なモノを配置するんだけど、それがすっかり逆になっている感じなのよねー。

これには上で言ったように、パーティメンバーに関してはフィールド上のイチャラブイベントでは普通に良いイチャラブエロっぽいイベントを書いているのに、エロシーンの大半はそうじゃないギャグ方面ってギャップも大きいんだけど、別の側面から言えば、このライターさんはギャクっぽいエロシーンでもギャグエロシーンとしてそれなりに面白い物をかけてしまうって言うのが大きいのよね。特にこの人はヒロインのモノローグを多用するのが上手くて、エロシーンの表面上の台詞とその内心のモノローグのギャップでギャグやエロを演出するのが上手い。でも、これはある程度はお約束のエロ性癖の範疇に嵌まっている場合にはまだエロいの範疇になるけど、それがヘンテコな性癖にシフトしすぎるとエロを飛び越えてギャグにしか感じなくなってしまうところがある。これは「そういうエロテキストを書く方が問題」のエロシーンライターの問題なのか、それとも「そういうギャグっぽいエロシーンを書いてくれ」と頼むプロットライターの指示が悪いのかよくわからないが。


このイブニクルは最近のアリス作品にしてはかなり売れていて、かなりの好評らしいからFDみたいのは出ると思うので、その時は嫁パーティーヒロインのちゃんとした和姦Hやエロ衣裳Hをお願いすると同時に、今後のアリスにはこのイブニクルのような「ゲーム性と物語性とイチャラブとエロ」が融合するような作品を変わらず出してもらいたいなとご注文を。正直言ってこの「イブニクル」ですらTADAさんの協力無しでは作れなかっただろうってところはなんだか不味い話で、アリスはTADAさん抜きでも「本格的なゲーム性を用いながら」も、それを物語性なりイチャラブなりエロなりを生かすような作品を作れないところが問題なのよねー。そういう発想で行くと、せいぜいミニゲームクラスのゲーム性にストーリーをくっつけただけ、みたいな作品になってしまうしー。たぶんアリスの狙いだと、基本的にはクリエイターの自主性を尊重するようなやり方で作品を作っているんだろうけど、それより前に、例えば地域拠点SLGなり、またはこの「イブニクル」とおなじようゲームデザインといった「枯れた安定的な既存のゲームデザイン」をある程度は使い回したり、ミニ改善するような作品を作った方が良いんじゃ無いかとは思うんだけど、たぶんそうは逝かないんだよねぇ。

何はともあれ、この「イブニクル」はソシャゲーや同人エロRPGと言った作品群では語ることができない「ゲーム性重視エロゲならでは」の作品のありようを示すことが出来たという意味では、本当に素晴らしい作品でした。他エロゲメーカーも、まぁたぶん九尾はあの調子でトレハン&キャラ育成ゲーに邁進するしかないんだろうけど、ソシャゲーボットになりつつあるツイッターのエロゲアカウント勢を華麗にスルーしながらも、安易な一時の流行に流されないで、ちゃんとクローズエロゲにしか出来ない作品を作って欲しいと思いましたさ。今こそエロゲの未来は我が道を行くエロゲメーカーとエロゲオタクたちの手に委ねられていると言っても過言ではないのだから。

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