残響さんの「トラベリングスターズ -Traveling Stars-」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

ぼくはイチャラブとファンタジーをこれからも信じ続けるだろう。たとえ幾億の星の果てにやってくるのが手痛い裏切りだったとしても。
もくじ

・はじめに ~筆者がこのゲームを手にとったtwitter事情

・序論/補論 ~異世界とファンタジーと神話
(a)ファンタジーとリアリズム
(b)神話、宗教、機能不全に陥ったシステム
(c)ハイファンタジーとゲームファンタジー

・本論 
(1)この物語の構造的欠陥、序説
(2)外部要因と内部要因

・各論
(a)ジルルート
(b)サヤルート
(c)リズルート
(d)レアルート
(e)サブヒロインルート
(f)フィンルート
(g)クロエルート
(h)システム上の諸問題

・結論
(1)イチャラブと設定後出しジャンケン無駄シリアス
(2)イチャラブの真実性


・はじめに ~筆者がこのゲームを手にとったtwitter事情

(わりとどうでもいい話なのでスルー可で)

いま、twitterがすごい。
いや、そんな「いまインターネットがすごい」とか「いま焼きたてのハンバーグがすごい」とかっていうのとほぼおんなじくらいの意味合いしかもっていない叙述なんですが。今のインターネット事情、およびソーシャル言説空間を見るにおいて。

もっとも、このエロスケを見ているひとで、twitterやってない、ってことがいるのは知っている。けど、各レビュアーのサマリー欄見てみて、「個人HP」の次に、フェイスブックでもなく、あくまで「twitterアカウント」が紐付けられている時点で、やはりエロゲーマーとtwitter、エロゲソーシャル言説空間とtwitter、の親和性は高い、というのが一般的見方、であろう(とまあ、言い切っても差し支えはあるまい)

で、実際、ぼく(筆者・残響)もまた、例によってtwitterアカウントを保有していて、エロゲクラスタの仲間に入れてももらってる塩梅である。かれこれ……この言説空間に入って2年半くらいになるかなぁ。いや、それはぼくがtwitterエロゲ言説空間の古参とかタツジン!とかっていうつもりではなく、一応はそのなかのひとり、にいつの間にかなってる、っていうだけのことです。

かつて、エロゲを語る「場」としては、表のネット空間では、個人エロゲレビューサイト/ブログ、及びコメント欄。そしてここエロゲー批評空間、及びコメント欄、投票欄。裏のネット空間では、そう、2ch。そんな感じだろう。個別の名をばあげないが、それらの総体として、エロゲ言説空間は成り立っていた。(リアルでのコミュニケーションについて言及するのはさておく。ただでさえ長い話がさらに煩雑になるから)

ここで、我らエロゲマは、ネットを介して「布教」される。こと、twitter言説空間では、それは「ネタ」と共に布教される。一例を挙げれば、ぼくは百合者(百合エロゲ愛好)としてtwitterで「その道の者」として発言を繰り返していたのだが、まあこういう人間に与えられるのは、よりにもよって「ユリキラー」である。もちろんこれはイジメではなく、twitterエロゲクラスタの愛ある爆弾である。乗るも八卦、乗らぬも八卦。
言い換えれば、twitter言説空間においては、従来のあり方……ようするに
・個人HPにおいては、管理人、対、常連さん
・2chにおいては、名無しさん 対 名無しさん
の図式、が、おおよそ「割合個人HP的付き合い」のそれに近くなった、といえるだろう。
ただし、ある種の匿名性は消えてはいない。「クラスタ」という言葉が象徴しているように、ぼくの見立てでは、よほど定期的に個人間のインナー的連絡(DMとかメールとか)をとっていない限り、「クラスタの中の○○さん」という島社会的なコミュニケートをとっているようだ。簡単にいいかえれば「そこまで深くはつっこまねえぞ」という。
さらにこれを言い換えれば、各アカウントが個人個人で「ネタの仮面」をかぶることとなる。このようなクラスタ社会においては、「ああ、あの話題の○○さんね」という認知のされかたが一般的であり、もっとも話が早い。前述のユリキラーでいえば、俺なんてtwitterエロゲ界隈では、ユリキラー芸人扱いですよ!
ぼくがここで言おうとしているのは、そのような状況の是非ではない。「そういう言説空間」として成り立っているのだから、その流儀でもって「たのしめば」いい。それをことさらヘイトするのもなぁ、っていう感じ。

かくして、今日もtwitterには、「このゲームシコい!」「クソゲーがぁぁぁぁぁ!」「これは○○さんに薦めなくちゃだわ(ゲス眼)」「気の利いた言葉(キャプ画像をアップしながら)」が繰り返される……あたかも ブリューゲルが描いた、中世に栄えた、都市の中心部におけるバザールのように……。

そんななかで、あるとき、とあるクラシックマニアにしてロシア通にして文学に精通している平均数万字超長文レビュアー(えろすけ通にはここまで書けば分かるだろうなぁ、答え合わせはあとでするけど)が、HOOKのゲームの、とあるキャプをあげた。
誰もがそのゲームは「いつものHOOK」として、アンパイだと思っていた。だってさ、HOOKだよ。みなさんご存知の、ね。

……このキャプが上げられるまでは

https://pbs.twimg.com/media/COqkOYpU8AAsAqb.jpg:large

で、そのレビュアーは、さんざっぱらこのゲームに対する呪詛を並べ立て……最終的には、半ば冗談、半ば「イチャラブの反面教師的ゲーム」として、ぼくに本作「トラベリングスターズ」を薦めたのです。

ぼくだって暇じゃない。こんな長文書いてるくせして、暇じゃない。具体的には、仕事で今までのにプラスして、別部署のことを掛け持ちすることになって、新しい技術を覚えなくちゃならなくて、研修じみたこと(=丁稚仕事)に励まなくちゃならないというリアル事情があった。それに、この時期に、何をトチ狂ったか、作曲なんぞを趣味ではじめてしまって、一ヶ月でM3(同人音楽即売会)に出すCDを作成するハメになった。暇じゃないのである。

でも、そのレビュアーとぼくとの間には、ひとつの共通項があった。
「イチャラブ好き」
という。
もちろん、微妙に趣味は違う。彼がクラシック好きならば、自分はジャズ者だ、ってくらいの差はある。けれど、音楽をお互い好きであるように、ぼくとそのレビュアーもまた、イチャラブが好きなのである。

ゆえに、彼はイチャラブアンパイとして目していたこのトラベリングスターズが、盛大に裏切ってくれたのに怨嗟を放った。
んで、ぼくにお鉢が回ってきたというわけである。まあtwitter言説空間におけるネタなんだけどさ、いつもの。

しかしぼくもぼくで、「何かがある!」という直感を働かせたのは事実である。
キャプ、そしてtwitterでの怨嗟から、「これは逆にイチャラブを深く考えるうえで、何かを汲み取れるかもしれない」というヨカンをかもしだして……

ある意味で、twitter言説空間は魔術空間である。
こういうゲームをまんまとやってしまう、独特のノリがあるのだから。
けれども、このゲームをプレイして、確かに学ぶところはあった。始終頭をおもっきし抱えながらも。



・序論/補論 ~異世界とファンタジーと神話

(ここで書くことは、筆者が独断と偏見で見ている、「ファンタジーの系譜」「神話の系譜」「俺TUEEEラノベの系譜」を一本でつなごうとする論です。あらかじめいっときますが、通説じゃないので。俺説。それと、おもっきし補論なので、レビュー本編じゃないです。まあそれをいったら、上のtwitter言説空間も補論だけどさー。だから、この序/補論はスルーしてくださって結構です。ただし、以下のレビューでここで書いた結論は参照します。その部分を疑問に思ったり、そこにいたるまでの理由、論証がほしかったら、ここを参照してみてください)


(a)ファンタジーとリアリズム

我々はなぜファンタジーを欲するか? 「現代においては」ひとえに「現実から離れるため」というのが第一義である。

「だからこそ」ファンタジーは下流文学である、サブカルである、という蔑視がこれまでされてきた。夢物語の夢想だろ、と。
リアリズム信仰おそるべし。もっともこの「リアリズム」なるものも、こと国内にいたっては、フランス文学、ロシア文学の影響を受けた明治期自然主義文学が、「ひとつの現実の切り取り方」として提示した、ドグマ……といったら言いすぎだけど、しかし一つの「見方に基づいた描写の仕方」である、とまずは予防線を引いておこう。

文学の意義はなにか、というと、概ねの最大公約数的意見としては、「ひとをわずかでも正の方向に前進さすもの」との意見があげられるだろう。
それに対して上げられる反論としては
「無頼派はどうなのよ、ウツウツな私小説はどうなんよ、そして今あげた自然主義文学はどうなのよ、人のナマ、リアルを描いて、結局は破滅に至ったケースが多いじゃない」
というのがあると思うは、筆者(ぼく)はこれを「バカいっちゃいけない」と切り捨てる。

単に文学者に結果的に自殺者が多かろうと、その作品を作ってるとき、そして作品に込めた思いは、「ひとを苦しませよう、絶望させよう」としているわけがあるものか。あったとしても、それは
「物語上、読者をヴァーチャルな絶望を擬似体験さすことによって、そこから物語の力によって、読者の魂を飛翔さすこと」
というシークエンスを必ず経由する。
結局、文学とはこの営みを、自覚的に、あるいは無自覚のうちにこなしているシロモノであり、それがない、ただ鬱をまきちらしてひとにイヤーな顔をさせるようなのは、ただひとこと「オナニー」と断じてよろしいのである。ぼくらは文学者の文学には頭を下げるが(義務ではないにせよ、下げるだけの価値はあるが)、文学者がゴミ箱に捨てたティッシュに礼賛する義理はないのである。

さて、ファンタジー(幻想文学)も、リアリズム文学(純文学、ないし、リアリズムに拠点を置くエンターティメント)も、その「おおざっぱに、最終的に」目指すところは、以上の「読者をわずかでも前進さすこと」である、と述べた。

では…………だがしかし、まだ「文学上の技法(テクニック)」の話には持ち込まない。ファンタジーとリアリズム文学が、「では具体的に、どういう地平を目指すのか」の話をしなくてはならない。これは、大仰な言い方をすれば、真理に対して、原理原則の話をする、ということである。

ファンタジーの原理原則とは何か? これがこの序論を貫くテーマである。

まず、さっき述べた「夢物語の機能しかファンタジーは有していない」ということを検証してみよう。
ようするにそれは、読者をイイ気分にさせるアヘン文学、と、こころない人はいう。その理由を「リアリズムのなさ」に求めるひともいれば、もちっと深くして「リアリズムに立脚していないイイ気分など、所詮は一夜の夢。人間はもっと壮大で崇高で論理的な野望を抱かねばならないのだ」というブラック企業的ステートメントを放つひともいる。

それに対するぼくの反論としては、「……読者をイイ気分にすんのだって、結構大変なもんだぜ。ましてや、読者が自らイイ気分になろう、と積極的に作品を読み込むのも」と返そう。
なにせ、それが機能不全を起こしている作品が、本「トラベリングスターズ」なのだから!

話が先にいってしまったが、いわゆるファンタジー作品は、「リアリズム(現実性)でもって、文学的理想を描こうとは考えない」ということを、まずはキモに命ずる必用があるだろう。カレー屋にいって「ざる蕎麦出せ!」という奴はナンセンスを通りこしてバカなのと同じように。

当たり前のことを言ってるじゃないか、といわれそうだが、ことファンタジーを巡る言説においては、このバカ発言がまかり通っているのが実情なのである。
そしてもうひとつ。「リアリズムに立脚していないイイ気分など、所詮は一夜の夢。人間はもっと壮大で崇高で論理的な野望を抱かねばならないのだ」というステートメントに関してであるが、この「崇高」とか「壮大」とか……あるいは「俗世間の野望」ってもんとは、別の価値観がこの世にある、ということを示すのも、またファンタジーなのである。

さて、さんざっぱら迂遠な議論をしてきたが、ここまでの議論で「いわゆるリアリズム文芸とは、どーやら違うとこを見てるらしいぜ、ファンタジーは」と、理解してくだすったなら幸い。
では、話を先に進めよう。

「魂の深み」という言葉で、何を連想するだろうか。
それは、数字でも、論理でもない。超論理……となると、一気にオカルトっぽくなるのであるが、ファンタジーの意味を、このあたりに求めるひとたちもいる。

小説家・村上春樹と心理療法家・河合隼雄は、幾たびか対談を重ねているが(対談集、「村上春樹、河合隼雄に合いにいく」および、その後の村上のエッセイ、インタビュー集、メモワールにおける記述)、その中で、河合も村上も一貫して、ファンタジーに対して「論理性をただロジカルに追求しただけでは「降りる」ことの出来ない、魂の深み、そこを穿ち、新たな価値を提示することに、ファンタジー(ファンタジー的論理、解決を有する物語)には強力な力がある」と主張する。

「では」、魂の深みにどうやって到達したらいいか。村上はその後の諸作において「壁抜け」というモチーフで語っているのだが、いわばそれは「論理以上の力を用いるブレイクスルーでないと、真に人間の闇を浄化することはできない」というモチーフであり、その「力がいる」「力を用いる(論理性「なんぞ」はすでに検証されたあとである)」という描写が「海辺のカフカ」でのホシノ青年の「圧倒的な偏見でもって、この悪を倒すんだ、という最後の対決」だと、ぼく(筆者)は考えている。

だがこれでもまだ答えにはなっていない。「その方向への意志を喚起し、生き様を提示する」ということでは、村上の仕事は素晴らしいものであるが(世間もノーベル文学賞云々の議論をしたいのならば、最低限このくだりには触れてほしいのだけどー)、「では具体的にどうすればいいのよ?」という反論もあるだろう。事実、ぼくも先の怨嗟をこぼしたレビュアー、マルセル氏(はい、ここで答え合わせ!)と、とあるtwitter上の議論で、村上のこういう「その方向への意志を喚起し、生き様を提示する」を引用して、ぼくの意思表明を語ったことがあったのだが、マルセル氏は「じゃあ具体的にはどうなのよ?」と反論された。そう、具体的にはどう行動に移すのよ。

ファンタジーは、「魂の深みに下りる」「論理以上の解決をする」……では、具体的には、どうなのか?
ここで、議論は「神話」を巡る議論に降りていかざるを得ない。



(b)神話、宗教、機能不全に陥ったシステム

ファンタジーの源流は神話にある。……ことトールキンの「指環物語」をルーツとする、ヨーロピアンファンタジーの源流は、神話にある。(まあ大体お国柄をビンビン押し出す類の各国ファンタジーは、神話に典拠を求めるのだけど)
「だから、ファンタジーはリアルじゃないのだ」のバカ反論であるが…………うん、ぼくもこれを切り捨てていた人間なのだが、しかしここにはもうひとつ別のレイヤの問題提起が含まれている。

「神話のリアリズムとはなにか?」
の問題だ。

よく言われるように(あるいは世界史の受験勉強暗記的意味合いで)、神話の「意味」とは、せいぜい「古代の当時の事実を、誇大広告でもってフィクショナイズしたもの」というのが、一般的解釈であろう。いや、これマジですよ。所詮世間さまの認識なんて、こんなもんですよ。一応はハイカルチャー文脈で語られてるからまだマシなんであって。

シュリーマンの発掘を例に挙げるが、神話の記述は「まるっきり嘘」ではない。そこには確かに誇大広告がある。
だがこの意見には見過ごされている部分があることは、神話学、歴史学、果ては精神分析の領域においてすら、指摘されている。
ようは「なぜ誇大広告を用いてまで、その事実を後世に伝える必要があったのか」ということだ。

神話をめぐる記述には、「こ、こんなんどうして神話は描写する必要があった……こんなの意味ねえだろ」ってのが結構あったりする。我が国の神話でも、スサノオノミコトが、あるモブヒロインの頭上から馬の死体をぶちまけて、モブヒロインのアーンがクライシスして死んでしまったというランス様ですらしねえよ的描写とか(「天岩戸」の神事を読んでみよう!)。あと、死体からさまざまな食物が生まれでたよ万歳!とか(「保食神(うけもちのかみ)で調べてみよう!)

しかし、問題は記述がどう、というよりは、「そこから何を解釈するか」である。「やーいスサノオの野郎、結局は神のくせして、こんな外道してるんじゃねーか! あーこんな物語ツマンネ」という態度だけとるのは、2chまとめブログを見て「ツマンネ」と言っているのに等しい。この神話の意味は何か? と「能動的に検討してはじめて」意味がある。

確かに、神話はカリカチュアであり、誇大広告である。だが、後世に伝える意味はあるのだ。意味があるからこそ、カリカチュアライズして、誇大広告までする意味がある、という循環論法じみたロジックすら成り立つ。関根正雄は岩波文庫版「創世記(旧約聖書)」の解説で、このくだりを、

「口碑はもちろん合理的な思惟をもってする歴史認識ではない。しかしそこに働くものはかえってより全存在的な人間の自己理解であり得る。論理的思惟の未発達の段階において一つの民族がかえって直覚的な深い洞察をもって自己と歴史の現実との関わりを問題にするのが口碑である。それゆえ口碑は過去をそれ自身として問題にするよりも、現在との関わりにおいて問題とし、過去から規定されている歴史的存在としての自己を単なる合理的思惟よりも深い濃度において探るのである。歴史記述が主として民族の外的運命を戦争や国家の盛衰の観点から描くに対し、口碑は民族が自己の体験を通じ広く人間の内的運命を掘り下げていくものである」

口碑=神話、と読み解いてください。自分のいーたいことすべて言われちまったなぁコンチクショウw

しかし、この「民族性をより深い形で一気に知る術」というだけでは、実はまだ片手落ちなのである(関根の名誉のために言うが、以下でぼくが叙述することなど関根はもう考えていただろう。あくまで引用文献中に書かれていなかっただけの話である)。
神話は、民族に対して、循環的な形でもって、影響を及ぼす。

上の引用で語られており、これまでぼくが語ってきた部分においては、アクセスの図式は

「民族(民衆)」→「神話」

という「読み解き」の図式である。能動的な図式、といってもよい。これに対し、あまねく価値有るテキスト……まあそこまでいうと話が煩雑になるので、神話に「今は」限定するが、神話は

「神話」→「民族(民衆)」

の形で、神話のほうから民族のあり方を、決定論的・受動的に規定する。これは、難しくいってるからワケワカメなんであって、ようは「ぼくらは神話を解釈するけど、結局は知らず知らずの間にぼくら民衆って、神話的価値観で動かされてるよね」って話です。

まだ難しくいってるな……ごめんね、ぼくの説明が下手で。
たとえば、日本の風土の苛烈さってありますよね。台風きたり、地震がきたり、雷なったり、エロゲが延期したり(嘘)。
この「荒ぶる自然」を、神話が「そりゃ仕方ないよ、神様の動きなんだから……」として「あきらめ」でもって語るような価値観。これが中世になって「無常観」に進化して、結実して、その後の日本人の意識を規定したように。
ほかにも、日本的「空気」の構造とか、一神教的「契約」の概念とか、キリスト教的一夫一妻とか、イスラム的一夫多妻とか、中国神話的「陰陽バランス」とか。
おそらく、この矢印影響関係は、どっちかが最初、というよりは(神話/民族)、どっちもが同時発生的に生まれた、と考えるのが妥当でしょう……とはいっても、もうン千年まえのことなんだからわかんねーんだけどさw

太古の時点で、すでにこの「民族→神話」「神話→民族」のかたちは出来上がっていた。
でも、人間の作り上げるものは、形あるものであろうと、形ないシステムであろうと、いつかは壊れ、機能不全を起こすものです。関根は旧約の神々=旧約神話を、ひとびとが「人間が記述する歴史」のはじめにおいたせいで「神話の歴史化」がなされていた、と指摘します(それがやがてはシステムと結びついて権威化、硬直化にいたるのはいうまでもなく)。
ここで、この補論のテーマのふたつめ、「宗教」がでてきます。とくにキリスト教。と、く、にキリスト教。

結局、トールキン的ファンタジーの世界は、それまでのキリスト教一元的文学世界に対するアンチテーゼでありました。
「……そればっかじゃないよ?」と。
でも、そこを語るまえに、大急ぎでキリスト教と神話の関係性について語ります。補助線として。

「ツァラトゥストラ」まで書いたニーチェはキリスト教/文化について反逆したものですが、ニーチェもまた、キリストがいかにそれまでの社会……古き神話が機能不全を起こしていたシステムに反逆したか、を知っていたひとりでした。

サドカイ/パリサイの律法主義者や、ヘロデ王に代表される「旧来の硬直化したシステム」を打破する社会革命者としてのキリスト。
「神の国はきたれり」の言葉でもって、現世価値より尊いアガペーの価値を言い放ち、「旧来の硬直化した人間精神」を打破する人文/精神革命、解放者としてのキリスト。

ようはキリスト教の革命とは、それまでの機能不全に陥っていた神話体系/社会システムの打破だったわけです。我々はキリスト教以後の世界に生きていますから(西暦、2015年、ヒューッ!)、この「機能不全」の社会というものをうまく想像できませんが、そうでなければキリストが「新たな価値」を十字架にかけられてまで主張しなければならなかった理由にはなりません。そう、旧来の神話体系/社会がきちーんと動いていて、大多数の人々が幸せなら、宗教は別にいらんのです。つまり、一面的な暴論をかませば、宗教は「新しい神話」だといえる。

以上の論議をまとめるいいテキストとして、ジョーゼフ・キャンベルは「神話の機能」として次のようにまとめています。
1)神秘への畏怖
2)宇宙の姿を神秘の次元で示すこと
3)社会秩序に妥当性を与えること(基礎付ける)
4)人間的に生きるにはどうしたらよいかを教える

えーと、これまでの議論で、(3)と(4)は循環的なかたちで、相互作用してるっていうのは説明しましたね。
で、これがファンタジーとどう関わってくるか、というと、ファンタジーもまた、「硬直化した神話システム/社会に対するアゲインスト」である、ということです。いやー、長かった!この結論にくるまでは!

もっとも、村上/河合流のファンタジー解釈を、ここまでひっぱらんでも、「ファンタジーには力がある!」ってんでいうてもいいんですが、トールキンやC.S.ルイスといった近代/現代ファンタジーの祖が抗おうとしたのは、まずもってこの「硬直化したキリスト教的一神教神話システム/社会」ということです。ニーチェの反逆も、このシステム/社会に圧殺されるひとがあまりに多かったからこそ、旧来のシステムの機能不全として「神は死んだ」というたのです。

現実(機能不全に陥っているリアル)に対するアゲインスト。それがファンタジーが具体的に追求するやり方です。



(c)ハイファンタジーとゲームファンタジー

幻想文学のフィールドでは、いわゆる「ドラクエだったり、FFだったり、ウィザードリィだったり……」の、いわゆるぼくらオタクが「まずもって思い浮かべる」類のを、「それはジャンクフードなファンタジーだッッッ!」という感じで、分ける。
そして、そのファンタジーの源流になった、トールキン「指環物語」、C.S.ルイス「ナルニア国物語」、アーシュラ・K・ル=グィン「ゲド戦記」、ダンセイニ卿(ロード・ダンセイニ)の諸作、稲垣足穂の諸作、澁澤龍彦の諸作……もしくはゴシック・ロマン(メアリ・シェリーとか)だったり、あるいはもっとも~っと古い古典文学のファンタジック要素濃いものとかを、まとめて「ハイ・ファンタジー」と呼称し、「こっちのが正道だかんね!」というてやまない。「本当のファンタジー」とはこっちだ、と。

まあぼくはどっちも好きだし、それにハイ・ファンタジーにエンタメ要素ないって、絶対にいえんし……と玉虫色のコメントをしちゃうけど、「ドラクエだったり、FFだったり、ウィザードリィだったり……」を、とりあえずは「ゲームファンタジー」と呼称したい。いや、文学史上ではもっときちんとした言葉があるんだけど、このへん各論者によってブレブレでさー。だったらとりあえずわかりやすい言葉のほうがいいかなーって。

あるいは「ラノベファンタジー」みたいな言葉でもいいかもしんない。要するに剣と魔法がうんぬんでワーオ!ってやつである。
このあたりの祖をどこに求めるか、というと……うーん、そのあたりを詳しくやってくといつになっても話が終わらんので、ここでは「ロードス島とかスレイヤーズとか、スーファミ時代までのドラクエとかFFとか」なファンタジー、をとりあえず「もうオタクのゲームファンタジーは決定したな……」って頃合を想起してください。

確かに「指環」や「ナルニア」は、リアリズム文学に対するアンチテーゼであったけれど、なんだかんだでこれもまた「古いなぁ……」って感じで固着する。
いや、この場合は、先の神話/宗教のような、機能不全、というとすげー言い過ぎなんだけど、しかし現代日本オタク文化の快楽最前線が、「よりスピーディに!より分かりやすく!快楽を!」という感じで、要素を抜き出して魔改造した、っていう系譜のこと。
だからコレは、純然たるエンタメ快楽の問題ではある。

だがこのエンタメ快楽フォーマット、ゲームファンタジーは、「お約束」になって、テンプレ化していったのも事実。では、新世代のファンタジーはどうなったか。ここで、格好の事例がある。今現在の「なろう小説」「異世界転生俺TUEEEEもの」に絶対影響を及ぼしたといって差し支えない、橙乃ままれ「まおゆう 魔王勇者」の存在だ。三田誠の四巻巻末解説から引用する。

「この形式がネット上で好まれるのが、「ドラゴンクエスト」によるものなのは論を待ちません。もとより「まおゆう」も、特に「ドラゴンクエスト3」に影響されたということは、作者のままれさん自身が話してますね。登場する一部の単語は、ファンならにやりとするところです。
 そして、この「魔王と勇者」は、現代では非常に強力なストーリーテンプレートです。子供から壮年を迎えた方々まで、誰でも知っている物語といっていいでしょう」


 ……「まおゆう」は、既存のゲームファンタジー……それこそ、勇者と魔王、というモロにゲームファンタジーである。これを、フォーマットにして、壮大すぎる「戦後処理」「戦争とは」「人権とは」……その他もろもろを描いた。 
 トールキンから数十年、ファンタジーはすでに「入れ物」となった。
 いいか悪いかは別にして、ひとつの事例として。それはもう歴史のひとつである。
 またもや「まおゆう」第三巻の付録、笹本祐一、新城カズマ、山北篤の対談から。


笹本「まず世界を変えようとするためには、変えなきゃいけない世界をきっちり描く必要があります。これは異世界ファンタジーだから、みんなが知ってる世界ですんでる。だから、世界の説明を逆にしなくてすんでるっていうのがある。みんなが知ってるあの世界だから、こういう話が成立したのかもしれない。これがまったくの架空の世界でやるんだったら、すごい大変で、それこそトールキン並の力量が必要になるんだと思う。」

山北「でもこれって逆にいうと、みんなが知ってる世界の”はず”なのを、掘ってみたらこうだったって話ですよね。普通の人は掘ってないわけです、これを」

新城「だから、今までものすごいたくさんの異世界ファンタジーが、キャラ対キャラの話をやり尽くしてくれたからこそできたわけですyほ。もしこれを、トールキンの後の1957年ぐらいにやってたら、なんじゃこりゃ? ってみんなが頭をひねって終わったと思うんです」

笹本「逆に中世風の歴史物語にしかならなかったと思うよ」

新城「本当に、この数十年のあれやこれやがあった上にこれはあるんだなあ、ということをあらためて感じるわけですよ」

……つまり、ままれが行ったのは、
(1)既存のテンプレートを簒奪する(なにしろ、「まおゆう」はままれによる「2chのネタスレ乗っ取り」からはじまった!w)
(2)その中に、豊穣な物語を入れ込んで、展開する

というシークエンスを使った、極めてオマージュ、本歌取り、引用/サンプリング作品でありながら、同時に痛烈すぎるほどの現代性を兼ね備えたものだといえる。
ここにきて、ようやく「ファンタジーは、村上/河合的意気込みをそのままに、どうすればいいのか」のひとつの答えが見えてきたのではないか。
つまり、現代において「なろう小説」「異世界もの」「俺TUEEEEE」と呼ばれているものは、既存のファンタジー設定を簒奪して、都合のよいように設定しなおして、そのなかで「遊ぶ」ことが第一として求められる。これは作者の作劇を楽にすると同時に、読者の参入をも楽にさせる。
しかしそれでありながら……いや、そうして「敷居を下げた」ぶんだけ、力のあるコンテンツを入れ込まなければならない。テン年代の言論シーンにおいて、なろう小説、異世界もの、俺TUEEEEは、そのような要素が「本質」とみさなれているが、実際のところは、そのような要素を「フォーマット」として、そこにいかに力のある物語を入れ込むから、なによりの重大事となっている。いかに最初がネタではじまってもののように見えても、最終的には「力のある物語」である。

そのためには、ジョーゼフ・キャンベルがいった「神話の機能」……を、ここでは、作劇に用いることが肝腎となる。もっかい引用すると、

1)神秘への畏怖
2)宇宙の姿を神秘の次元で示すこと
3)社会秩序に妥当性を与えること(基礎付ける)
4)人間的に生きるにはどうしたらよいかを教える

それは、モロにすんじゃなくて、いろいろと分割してね。
どちらにせよ、既存の神話体系/社会システムは硬直する。現代はそれが加速していき、10年単位(ディケイド)で何もかも陳腐化していく。だが基本原理……神話を物語る、神話の必要性の基本原理は変わらない。
んで、現代におけるファンタジーの原理原則とは、「ひとを前進さすこと」であり、それを実際に「為す」ために、既存フォーマットを用いて敷居を下げに下げ、現実にアゲインストし、新たな価値観を創造することなんである。

…………そして。
俺がこの補論を、なぜ補論にしたか、というと、
トラベリングスターズの異世界「サンサルネ」は……以上の議論を、すべてクソの中に放り込んだシロモノなんである。
つまり、列挙すると、

・ひとをわずかでも正の方向に前進さすもの
・魂の深み
・「神話→民衆」「民衆→神話」循環
・硬直化したシステムに対するアゲインスト
・民族性をより深く知るための術としての神話
・神秘への畏怖
・宇宙の姿を神秘の次元で示すこと
・社会秩序に妥当性を与えること(基礎付ける)
・人間的に生きるにはどうしたらよいかを教える
・テンプレの中に力のある物語
 
……これら、これら、これら……今まで10000字書いてきて、ファンタジーの美点と言祝いできた数々を、サンサルネは、トラベリングスターズは、表層的に描くだけで、その実は実に空虚なものでしかない、テンプレファンタジーの悪例だ、ということで、俺はガクーーーーーッときているのだっ!!


・本論

(1)この物語の構造的欠陥、序説

ぼくは思うに、このゲームの欠陥を分けるとするならば、二種類の欠陥に分けられると思う。すなわち……ここで俺用語、俺設定用語を繰り出すけど、ここで一発出すだけだから安心してほしい。
それは、

・外部要因

・内部要因

である。この二者が、それぞれ欠陥を抱えている。
この「外部要因」ってのは、いわゆる「異世界サンサルネ世界観」であり、騎士協会や、既知世界(人間世界)の魔女設定とか、学園とかといった「世界観」「異世界そのもの」と見てもらうと同時に、それらがもたらす「シナリオ作劇上、それを出したら避け得ない描写」までも含んでいる、と考えてもらいたい。

後者の動機要因がちょっとわからないかもしれないけど、ようは単純な話で、例えばシナリオ中で、主人公とサヤが「今日は騎士協会の仕事いくから!」と一緒に言ったあと、さすがに即座に主人公とジル姉とパスカル酒乱せんせいでレッツ3Pお姉ちゃんs乱交をするわけにはいかない、ってだけの話です。単純に「騎士協会って名前が出されたら、話の文脈上騎士協会のことを話さなきゃいけない」ってだけの……ごく簡単な話でしょう?はっきり言って、どんな子供でもわかるロジックです。

……これが。この時点ですでに亀裂を起こしているのが、トラベリングスターズという物語だといったら、皆様どう思うでしょうね……?

さて、不吉なことを言ったけど(あとでフラグは回収するよ)、それに対して「内部要因」とはなにか、というと、
「キャラの心理」「キャラの抱えるこれまでの過去歴史や、過去に基づく約束事」「行動原理」「キャラの個性」といったものです。簡単ですよね?

……これも……この時点ですでに亀裂を起こしているのも、トラベリングスターズという物語だといったら、皆様どう思うでしょうね……?

さあ暗雲がたちこめてまいりました。ともかく、ここからはこの「外部要因」と「内部要因」に、このトラベリングスターズの作中エレメントを振り分けて考察していきたいと思います。

そもそも、なんでそんなことをするか、ということ……つまり、本レビューがトラベリングスターズをどう攻略・分析していくかを、まずはここでネタばらししましょうか。

あのー、ぼくは最初、このゲームをやる前に、
マルセルさんの実況ツイートで、「なんかゲームが機能不全を起こしてる」っていう前情報は得ていたわけです。
それはわかっていた。だから、最初から「何がキチってるのだろう?」という解明を目論んでいました。
……ところが、実際プレイするにつれ、「何かひとつがおかしくなっているだけではないんじゃないか?」って思うようになったのです。

物語の一般的パターンとして、外部要因がもたらす「逆境」に、キャラが内部要因に基づく行動をしながら、内部要因を鍛えていって、外部要因に変革を求める(解決する)っていうのが、いわゆる成長物語(ビルディングス・ロマン)だったりします。またの名を鍵ゲー的泣きゲー構造。
また、そもそも逆に外部要因は内部要因の反映だったりするパターンもあります。例を挙げれば、……実は恐るべきことに「ユリキラー」もこの類型だったりするんですよねー。あの話は「男性ヘイトで凝り固まった女性たちのトラウマをほぐしていくことにより、アンチ男性社会の百合学園を攻略していく」っていう図式ですから。それを好むと好まないとは別にして(滝のような血涙)
そんでもって、ここで示しているように、そもそも外部要因と、内部要因は、バキっとわけられるモンじゃないです。鍵ゲーだって、内部要因が外部要因と化してる点バリバリですし(「過去」を巡るKanon問題)、ユリキラーだってやはり基本構造は「アンチ男性の百合学園に対するアゲインスト」ですし。混ざり合っているのです。

……そんな問題を孕んだ概念だというのに、ぼくがこのトラベリングスターズにおいて「外部要因」「内部要因」と分けたいのは……そうじゃなかったら、このゲームの悪いとこって、まったく整理つかんのです!

もちろん最終的には、外部/内部要因が交じり合って、クソな結果になってるグラウンド・ゼロ・ポイントを見極める、っていうのがこのレビュ-の目的ですが、それにしたって、各エレメントが「それは主人公がそもそも構造的、世界観的にどーにかできるモンだったのか?」「そこはやっぱり、基本的には個人の意志によって裁量が任される部分だろ」というふうに、最低限の分割をしないと、進む論理がすすまねえ! トラベリングスターズの「おかしさ」っていうのは、その………………あのー、ぼくがいま言ってるのって、難しく言ってますが、すごーい単純で低レベルなことで、結局は、

外部要因=「おいメーカー(HOOK)! 俺の○○たんにイミフな逆境用意してイミフな努力を強いるなよ!」
ちうのと、
内部要因=「おいキャラ! お前、お前なぁ……どーしてそんな発言するんだよっっっ!!」

ということを、滅茶苦茶ヘイトしたいだけなんです。だって……だっておかしいもん……。


(2)外部要因、内部要因

では、具体的に語っていきましょうか。もちろん、このあとで各論としてキャラ論(人物論)が待っているので、内部要因についてはさらっと流して、あとでギッチリガッチリ追求しますが。逃さねえぜ。

そもそも、このゲーム、事前設定がきちんとあります。
というか、そもそもHOOKは「異世界交流」を描き、その中でのこころのふれあい、イチャラブを描こう!という目論みだった……らしい。

その異世界の舞台こそ、さっきからディスってる「サンサルネ」という世界から召喚され、日本からちょいと離れた洋上に、魔法の力で空に浮かんでいる島……えーと、名前忘れたw でも俺の記憶では、一番最初にこの島の名前出たっきりで、あとはサンサルネって時たま言われ、主に「異世界」「あっちの世界」ってくらいしか呼ばれていない感じなんだけどー。

ともかく、「現代日本と繋がりがあって、異世界とも繋がりがある」という、神話でいうとこの「リンボ(周辺部)」的位置であります。

ひょんなことから、異世界とこっちの世界(既知世界=人間世界)がつながった! 異世界と交流して生きていかねばならんべえ! さあがんばるぞー!

……というのが、お話開始時点での状況で、異世界人も、人間(人間界人)も、お互いおっかなびっくり、というのが、設定(外部要因)では、ある。


さて……一応の異世界/人間界、という世界設定の説明を終えたところで、さっそくディスろうか。あ、これはファンタジー好きの人間としてね。

まず、ぼくはこの「サンサルネ異世界」に、最後まで「ファンタジー愛」を抱くことができなかった。
お話しそのものがオソマツだというのもあるけど、まあそれは各キャラ論でとっとくとして……今さっき、この作品のえろすけのレビューを一通り読んでみたんだけど、「背景が綺麗」とかってよく見るんですな。
そりゃ、背景は綺麗だと思う。浮遊石とか、浮遊する大陸とか、水の描写とか。空は青く、曇り空ひとつない。町の描写は「うーんいかにも木とかで作っているドルイド的な感じだなぁ」とか「そこに先端科学の有機性をかまして、SF風味にちょい寄りながらも、ファンタジー個性を出している」と、確かに思います。

この「SF風味にちょい寄りながらも、ファンタジー個性」というのは、作中アイテムにも現れていて。スマッホを模した魔法電話アイテムだとか、小物のスミまでデザインされている。ようは……とてもよく「細部まで世界観デザインされている」と、見受けられるのです。

それのどこが悪い?
結果的に、魅力的でないのが悪い。

何しろ、この島/町は、雑菌がない。すごく、きれい。でも、淀みがない。臭さがない。ひいては、人の息遣いがない。都市のうごめきがない。樹々や水も、自然はどこまでも美しいが……屋久島の樹々のような「なんだかなんだかうごごごご!」な凄みが、どこを見ても見受けられない。

正直、発想は面白いと思った世界観なのだけど、このキレイキレイ感がファンタジー好きとしてすげーキツかった。

それは実は、もうひとつの外部要因たる「作中の組織」にも言えることで。
この島/町には、自治組織たる「騎士協会」ってのがあるんだけど、じゃあそれって実際を見てみると、そのファンタジックな名前とは違く、ただの「お助け隊」じゃないかと。
学園にしたってそうだ。異世界と人間世界を結ぶための、ひとつの実験的意味合いをもった場所、と説明はされているが……どうにも……どうにもキレイキレイすぎる。

……いや、理由はキレイ感に終始するんじゃない、のかもしれない。おそらく……メーカ側がこの世界観を「愛しすぎた」とこが悪いのだろうな、と。

作り手がオリジナル世界を愛して何が悪い? いや、愛すのは結構なんですが、それがどーも本作を通じて「溺愛」の感覚を思わせる。

このサンサルネ異世界には、汚れたもの、穢れたものは絶対持ち込ませないぞ!という意志。それが如実に現れているのが「異世界ギャグネタ」です。

まー、このゲームには、ことあるたんびに「現代日本ではこれが常識だけど、サンサルネ異世界では非常識」って小ネタが出てくるのです。
そりゃあ、異世界なんだから、「ここ違う!」ネタをかますのは当たりまえですが、……それが20も30もずーっと続くのは、どうかと思いますよ。
「この世界観ステキでしょ!見て見て!どう?」と無邪気にこっち向いてキラキラ瞳で見ているような感じ。デュラハンは帽子をかぶれないんだよ!(わーおもしろーい)、マンドラゴラのパンチラは、絶叫で死だよ!(わーおもしろーい)……これの連続はなぁ……。
何回も「知らんがな」と、ファンタジー好きのくせに思ってしまった俺。つまりこういう時点で、愛を抱けていない。

結局、異世界と人間世界の交流、ということで、そも異世界側に魅力を抱けなかった時点で、本末転倒なのですが、じゃあ人間世界のほうはどうか、っていうと……いやー……人間世界のことって、ほっとんど描かれないんですなー。まあこれはもっとも、俺らは人間世界のことをよーく知ってるから、という理屈ではあるから、ここは非難しない。しないが……やっぱり「人間世界よりサンサルネだぜ!」というふうに対比のひとつもなかったのは、お粗末かなぁと。

……ぼくの意見は苛烈に過ぎるだろうか。ただ、この領域では、ぼくもまだ許せる範囲なんですよ。世界観設定、雰囲気設定をミスったファンタジーって結構あります。それをいっちゃったら、ほとんどが大同小異な世界観のラノベや、なろう小説なんてとても読めたものではありません。
だから、「最低限は作っている」世界、ということで、見切りをつければ、確かにファンタジーの舞台にはなっている。前論で「まおゆう」における「ゲームファンタジー」フォーマット、この機能性は、働いている。

ただ、はっきり言って、息苦しい。ファンタジーなのに、魂を飛翔させ、自由にさせる空間なのに、息苦しい。「融通無碍」ななんでもありさ、がありそうでない。すべてはこっちが疑問に思うまえに、作中人物が小ネタで説明してくる。もっと聞いて、この世界のこともっと知ってぇ……

ようするに「俺設定(外部要因)」のごり押しである。「知らんがな」と僕がいいたいのはそこだ。神話が息づく土地でありながら、別に「神話→民衆」「民衆→神話」のダイナミクスが存在していない。すべては設定、紙に書かれた設定……出来の悪いTRPGといったら言い過ぎだろうか。


さて、では、「せ、世界観はおそまつかもしれない! だけど、ヒロインズには罪はない!」の反論は、もちろんです。
そしてこの一点においてだけ、世間にどんだけいるかわからんトラベル擁護者と、ぼくの意見は一致するわけです。

「ただ単純に、ヒロインのキャラデザとか、声とか、性格とか、日常における行動とか」……いわゆる「キャラクター」の範疇においては、ぼくはこのゲームのヒロインズに好感を抱いているんです。そこは嘘じゃない。

……問題は、そのように「愛されたキャラ」でありながら、シナリオが……シナリオが……異常などんでん返しを見せるのです。そう、これが「内部要因」のおかしさである。しかも……ほぼ毎回だぜ、ほぼ「毎回」!シナリオはどんでん返しをして、キャラのこれまでっちゅうものをご破算にする! いやーこれにはまいった。キャラには罪はない、というのはわかる。切り離せ、という意見もわかる。わかるが……えとね、たとえ話をすると、シナリオ中で、一枚絵つきで「ヒロインがうんこをする場面」ってのがあったとする(トラベリングスターズにはないけど、まあ例として。おんなじくらいアレなシーンは後で語る)。そうしたら、もうそのうんこシーンが頭からちらついて離れないじゃないっすか。ヒロインの一部はうんこですよ。それをリアリティ遵守のために苦難の道を歩むんDA!とかっていうバカモノは萌えゲーなんかすんじゃないよ。……って類の意味合いの話ですよ、このトラベリングスターズのどんでん返しがもたらすキャラ壊し/汚しっていうのは。

・各論

(1)ジル姉ルート

さて、このレビューを書くにあたって、ひとつ、非常に参考になったレビューがあるのです。
「the 次にどんなエロゲを掘ってくるかワカンネェ」系若きエロゲーマーにして、ぼくと同じ銃器マニアの「メルトン」さん(えろすけアカウント:merunonia)の「遥かに仰ぎ、麗しの」の長文感想です。

http://erogamescape.ddo.jp/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=7402&uid=merunonia

え、トラベリングスターズのレビューで、「かにしの」のレビュー? 関係ないやん、と思われることと思う。

実は、ぼくはこのトラベリングスターズレビューを書き始める際に、さあ本論(今読んでるこのセクションですね)をどっから書き始めようかなー、と、結構悩んでいたのです。
いつもぼくは、先行するレビューや、なんかの文芸作品や、歌詞を引用して、それを手がかりにして論を進めてレビュー書く、っていう「引用ヤロウ」なんだけど(オリジナリティがないともいう)、今回はさすがにエモノが大きく、さあどこから突き崩そうか……と悩んだ。

そんなとき、ふとメルトンさんの「かにしの」レビューを読んだ。このレビューは、物語の筋をすっきりした形で記述し、筋を追いながら、台詞を見るのですが、要所要所で「うーむ」と唸ってしまう。
「これは「かにしの」だけにとどまらない、物語の普遍的見地だな……」と思わせる、いわば「メルトン語録」が随所に見受けられる、丁寧ながらも、自分にとっては非常に価値有るレビューなのでした。

「うーん、このメルトン語録、「かにしの」に当てはめるとブラヴォーなんだけど、トラベリングスターズに当てはめると、結構キッツい言葉の数々だぜ……」
金言っつーものは、傑作を輝かせ、駄作を裁くものなんだなー、と改めて思うのですが、じゃあそのメルトン語録に従って、トラベリングスターズが「具体的にどうおかしいのか」、検討していきたいと思う。あ、メルトンさんご本人から、俺がここでメルトン語録引用するのは、許可とってあるので、ノークレームノータッチで4649!

さて、では、早速メルトン語録から引用してキャラ論を進めていくことにしましょうか。

>結局全部勘違いの話で。みさきちがその内容を知れば全部解決するという。
>主人公がしたことは、結局は勘違いを知らせるために、実家に説明しただけ。

ではトラベリングスターズに当てはめて検証してみましょう。この場合の「みさきち」を「トラベリングスターズ主人公」、「かにしの主人公」を「ジル姉」と当てはめてみたら、このジル姉シナリオの問題点がクリアになります。ようは、

「主人公がその内容を知れば全部解決する話。ジル姉がしたことは、結局は事実を知らせるのを遅めたか早めたかの違いだけ」

と翻案しましょうか。
そう、ジル姉ルートにおける問題点は、「お、お姉ちゃん、お前、その瀕死状態のこと、はよ言えや!」ってことなんです。瀕死状態にあることの告白(外部要因)も、それを告げるタイミング(内部要因)も、いろんな意味で処理がおかしい!
ジル姉のシナリオに少しはいったときに、主人公が「実は」瀕死状態になってて、「実は」ジル姉自身の魔力をずんどこ主人公に注入して、「実は」ジル姉が逆に瀕死状態になっちまってたーい、って話なんですが、どう見ても僕からは「はよいえや!」としかいえなかった!
しかもこのくだり、シナリオ後半になって「実は」って感じで明かされるですぜ。

これの何が問題か、っていうと、「ジル姉、お前実は瀕死状態だっつーのに、それ隠して「きゃぁ~!ソウく~ん(はぁと)イチャラブせっくすちゅっちゅ!」ってやってたんかい!」ってことですよ。さすがにそれはどうかと思う。目の前で「きゃぁ~(はぁと以下略)」ってやってるひとが、裏では末期結核病人もかくやってほどの苦痛を耐え忍んでいたんなら……「いえよ!恋人の主人公によぅ!」と突っ込みたくもなりますよ、それが人間ってもんでしょう!

それから、これはジル姉ルートで語るよりも、もっと他のルートで語ったほうがいいかもしれませんが、まあ補助線として語るとすれば、「外部要因」の話なんですが、ジル姉は「戦場の女神」という二つ名を持ってまして。それは、戦争状態だったサンサルネにおいて、ナイチンゲール的な役割を果たしたから、とか。
……えーと、このくだりの過去描写って、ぜーんぜん、されないんですな。え?戦場の女神って、そんな軽い過去なの?主人公にもジル姉にもこの世界にも? そのあたりでポカーンとしてしまった俺だぜ。
ちなみに、この「戦争に関わった」くだりに関係するキャラっているんですが、お察しの通り、ジル姉のこの描写とおんなじよーなシークエンスを辿ります。さらっと流されます。えーーーー。おいメーカさんよ、あんたら異世界サンサルネを愛していたんじゃないんかい。これじゃ「異世界の暗部は、年表つくっただけで、最初から描写する気皆無かい」と思われても仕方がない。実際俺はそう思った。ああそうか……このメーカは「闇」を描写する気ないんだな……そして「闇」でもって溺愛する世界を鍛えることもしないんだな……。

キャラとしては、ダダ甘お姉ちゃんとしてはよかったですよ……ただ、そんなふうに頭なでなーで、いいこいーこ、おっぱいあげましょーねー、してる最中にも、結局は「瀕死ゲボォ」な状態と知れたら、弟たる俺は俺は。「逆に」ダダ甘お姉ちゃん属性たる俺にはキツかったわこのどんでん返し!

(b)サヤルート

「物語が足りない」。

これがぼくがトラベリングスターズを全編通して思ったことなんですが、とくにサヤルートはひどい。
先にも述べましたね、「異世界小ネタがサムい」って。これも、いってしまえば「物語が足りない」で説明つくことなんすよ。
ようは「説明しすぎ!」ってことです。知らんがな、と。でも、そこに……説明を省いて、物語を組み込めば、まだマシになったのではないかと。もうこうなったら過度の笑いでなくてもいいや。ただサヤと一緒にひなたぼっこするだけのシーンとか。そう……HOOKはほかのどのメーカよりも、「それ」が可能だったはずのメーカではなかったのですか!?

一例をあげれば、1シーンだけサヤがオーディオ趣味を開陳するシーンがあるんだけど、ここで思ったのが「あー、ただのオーディオ薀蓄だなー」とか「あー、きっと特典のハイレゾ音源ってここで使ったんだなー」とかって感慨しか湧きませんでしたよ。……ハッキリいって、ぼくのtwitter相互フォロワーでオーディオマニアのエロゲオタがいるのですが、その人のトークをずーっと聞いてたほうが、自分としては素直にたのしい……。
……そう、ここでも、「ただ一緒に、ゆっくりした時間を音楽とともに過ごす」ことのひとつやふたつ、HOOKなら、HOOKならっ!!

しかし真の問題はここではない。結局は「外部要因」と「内部要因」の話になっちまうのですが、まずもって「物語が足りない!」を俺の独断でさらに推し進めるとしたら、サヤの第一の「外部要因」=「再会型幼馴染設定」が機能不全を起こしてるとこですよ。
ぼくはあんま幼馴染に特別の感慨を抱いてはいないのですが、再会型だけは別だ。(そのことは、ぼくのえろすけ長文感想でも、「幼馴染と十年、夏」「その花びらにくちづけを わたしの王子様」で結構しっかり書いてあります。お暇だったらどうぞ)

……もとガキ大将の「男の子」と主人公には認識されていたサヤ。ところが成長して会ってみたら、お前かわいい女の子だったの! うーんテンプレ。しかし嫌いじゃない、嫌いじゃないぞー!

……しかし、この「もとガキ大将」のに「物語が足りない!」。ただ情報でのみエピソードを叙述して、あのころ男も女もなしにキラめいていたころを、まーったく叙述しないことに俺の属性は静かなるアイスランド・ヴォルケイノですよ。

まあそれは俺の屈託だとして、しかしな……それを抜かしたとしても、やはり外部要因にも、内部要因にも、物語が足りない!
正確にいえば「物語が脱臼起こしてる!」という。
この物語がおかしいのは、まず、作劇進行が全部「後付け後付けの内部要因(心理的「実は……」設定)」で進んでいくところ。
結局は、最後の後輩ちゃんとの論戦も、ジル姉といっしょで「……え、後輩のことって、今まで別に意識の外にあったよね?」と頭に疑問疑問ギモーン符がつかざるを得ない状況。さあ入りましたー、トラベリングスターズ恒例のどんでん返しでございまーす。

またこの後輩ちゃんとの論戦で、結構言っちゃアカン類のことをサヤは言っちゃうのですね。「おまえ……それ言ったらすべてご破算だろうが……」的なこと。まあ、ひととの論戦や口げんかでは、結構この「そ、それ言ったら何もかもおしまいだぞ、相手にそれ言っちゃあかんだろうが……」ってことをサラりと言ってしまって(口滑らして)、この世のカタストロフが起こるわけなんですが(俺にも覚えがある)、そこんとこのイヤーなリアルを追求せんでもなぁ。

そんでもって、外部要因も内部要因も最大級の「??????」を起こす展開がラストで待ってるぜ! ふつう「過去にケリをつけるために、主人公とバトルする!」ってなったら、ふつうバトルシーン入るじゃないですか。それまで、「別にこのシーン、そんなにバトル入れなくてもいいのになー」と思ってても、入れるのが筋じゃないですか。
……なのに入れない! モノローグで流す!このあたりのスルー技術にもおどろきもものき山椒の木ですが、さらに驚愕の事実!
……ケリをつけたサヤちゃん、今まで「ただの1回も作中で言わなかった」……「先生になりたい!」ってことを言う!

知  ら  ん  が  な。

作中人物ですら「え、聞いてなかったんだけど」とマジツッコミする始末。俺は……今ゲーム内人物とシンクロしている……!

このガクーッ!感は相当なもんがありました。これまで「変な外部要因(論戦とか)」「変な内部要因(後輩を巡る後付け心理論理)」が脱臼しながら進んできたものの、最後はこれかいっ!心の底からの、キング・オブ・何もかもどーでもよかったんかい。

(c)リズルート

これもひどいぜー。さあメルトン語録を引用します。


>どちらも、一般人の主人公が解決できるわけがない問題でした。
>そこを、問題を遠まわしにせず、主人公がもし存在していたらどうなるのかを真摯に描いていたと思います。

>主人公が解決できる問題じゃない。
だから、主人公ができることは、闇雲に走り回り、ときにはヒロインとHに溺れ、傍にいてあげること。
改めて、非情な現実的な話を描いていると感じます。

>それに、言ってしまえば、どのルートも主人公がいなくても解決します。
(他ルートで他ヒロインは基本解決、邑那も恐らく解決するでしょう)

>主人公の存在意義がない。というのがこのシナリオの特徴だと思います。(少し言い過ぎ・・かも)
>ただ、彼女たちのこれからのあり方は変わってくるはずなので、必要ない、とは違います。


メルトンさんって、基本すっごい丁寧な読みをしますし、twitterから見える人柄も穏やかなひとなんですが、時折すんげえガラっと違う風景を見る、というか。その視線において容赦がないというか。

「主人公が解決できる問題じゃない」
これは他ルートでもいえることなんですが、とにかく駄目な意味でこの主人公って「役不足」なんです。
主人公のスペックは高く設定されてるんですが、いかんせん与えられるタスクが「ジル姉を瀕死から救え」とか「リズの祖先を探して幸せにしよう!」とか、外部要因のタスクの大きさに対して、主人公のちっぽけさが目立つばっかり。さらに、主人公がとれる行動っていうのは、「説教」と「頑張る!」しかないからなぁ。

「影響されて変わっていく」とリズは主人公に明言するんだけど、それって傍から見てても「買いかぶりじゃねえの」とサラっと思ってしまう段階でなぁ。
かなりいろんなとこで「ギャフン」と思ったシナリオでしたが、大きく分けて、とくに「グギャア」なのは二つでしょうか。

・リズの祖先が異世界に行ったらしく、リズは追っかけて異世界本拠地に行くけど、主人公ついていかない。そればかりかガチ異世界アドヴェンチャーの描写がスルーされる

・リズが自己嫌悪に陥る。もう私なんて私なんて、に対して主人公ビンタ


きちんと論点を追っていきますと、まず「異世界のマジを知るいい機会」だったわけですよね。外部要因の掘り下げ!
はっきりいってそこをスルーしたのは、「開発費がないのか!」と超失礼なことさえ思い浮かんだほど。いやあ拍子抜けでした。

さらにシーンを遡ると、クラスメイトとリズがケンカをするのがあるんですが、ここでリズの「打たれ弱さ」を演出するんですが、どー見てもリズの側に煽り耐性低すぎね? それ「どうしても許せない」の範疇になかろ? と。

さらに、自己嫌悪の発端となる、自暴自棄のシーンなんだけど、まーたいきなり「実は悲しい過去がありまして……」のどんでん返し。3度め! もっとも自己嫌悪、自暴自棄をぐーるぐる繰り返すシークエンスにはぼくも覚えがあります。が……そこでリアルを追求されてもなぁ。結局立ち直るのはビンタ一発だし。

そもそも。そもそもでありますが、やっぱりジル姉とかと一緒で「最初からいえ」の一言であります。そしてそれをビンタで解決して「俺についてこい」したところで、「いや……その後、お前なにもしてないやん」というのが事実ですからね。ギャフン。

(d)レアルート

ちなみにこのルートも、レアの使い魔(四天王)、ルーフスさんが「もっと早いタイミングで言えや」話になるんですが。
あまりにふがいない我らがロリバカ王レア様に見切りをつけて、いきなり

https://pbs.twimg.com/media/COqkOYpU8AAsAqb.jpg:large

これになるわけですが、それまでの過程がミョーに唐突で、これになった後もずーっとバトルが続いて……。

ただ、このルートと、フィンルートは、ある意味「ファンタジー世界観とは?」の反証として面白いといえなくもないのです。イチャラブという点ではドン底の極みを見ますが。

結局これは「異世界/ファンタジー設定の必要性」ってところに行き着くことなんですが。じゃ露骨に問題提起/Q&Aをしましょう。


(Q)このトラベリングスターズにとって「異世界」って設定、ほんとに必要あった?


おーっとここにきてそもそも論の展開であります。で、ぼくがこのレビューの前のほうですげーくどくどと語った「異世界とファンタジーと神話」論を援用して語るのですが。
(まあ別に読んでなくても、なんとなくアトモスフィア的に感じられる書き方はします。どーせヘイトですし。補論きちんと読んでくれたひと、あんたマジ天使)

ではここからアンサー。

(A)ぼくの意見になるが、「別に必要じゃなかった」

まあ極端なことを言ってしまえば「僕と恋するポンコツアクマ。」形式でもよかったわけです。よーするに「現実世界ベースで、なんか不思議要素が入ったりするけど、やっぱ現実のなかで生きてる」
という。それは翻せば、ファンタジー設定のお粗末さ……ファンタジー設定が「生きていない」ことに帰結するわけなんですが。

異世界ものとは何か? 結論を急げば、それは「無神論の既知世界の凡人民族vs神話の世界の異民族」とまとめることができます。
「凡人」というのを、ひとつの偉大な現代民族と捉えた場合、異世界交流というこのゲームのそもそものテーマは、やはり「民族vs民族」の対話とコンフリクトを無視して語ることはできません。
だって、そもそも「異世界交流ってワクワクするね!」というHOOKの公式HPに書いてある目論見としては、ただ「うっひょう天使の羽は性感帯!」「うっひょうエルフの耳は性感帯!」で終わらせる類のもんでしょうか。もしそれが「So Yes!!」だったら、そもそもこんなふうに設定作りこむことなしに、「僕クマ。」形式にしなさい……っていうかアンタらHOOKには「Like Life」という先達があるだろーがと。

そうではない。「うっひょう天使の羽は性感帯!」で終わらない、サンサルネ異世界をひとつの「サーガ」として、ランスシリーズのルドラサウム世界並み……とまではいかなくても、なんか1回こっきりで使い潰すような設定で満足するのが、設定好きのクリエイターかい、ってぼくは疑問を呈したい。

神話が民族を規定し、民族が神話を規定する、この循環。ようは神話が息づいている、という感覚です。神秘感、とはここからきます。
それには、サンサルネの住民を、やはり神話のただなかに生きさせることが必要だったでしょう。それをせずに、ただ書き割りの「いわゆるファンタジー要素」を付与しただけで終わる、というのなら、やはり異世界交流、というのをマジに追及するのは悪い意味で「役不足」だったといわざるを得ない。
はっきり言って、ラストシーンでレアたちが「世界と世界をかけて」戦うのですが、そこに「世界」「民族」「神話」が感じられない。さらに言えば、別にルーフスさんがあれに覚醒する必要もなかった。ただ「れあたんはかわいいなぁ。時折見せる王の器だぜ」で、別に全部片付けてもすむ話じゃね。そしてソレを言えばジル姉に甘やかされて終わるだけの話であったり、サヤと気持ちよくバトって終わるだけの話であったり、リズとチョロくデートしてお茶を飲むだけの話であっても別によかったんじゃね。HOOKはそれを出来るメーカだと誰もが認めているでしょう。

新機軸。そうか。これから挑戦していくのだなHOOKは。
……だったら異世界ファンタジーなめんな、といいたい。

「別にオタクゲームファンタジーにマジになんなよwwww」ってか?
じゃなんでここまでファンタジー世界観を作りこんだ? そして中途半端で意味の無いシリアス入れた? それをひとは設定オナニーと呼ぶ。

設定は捨てるだけのモンか?
その設定を器として、よりよき物語を入れる意気込みもなしに。そうか、そうか。

下品だがクリティカルなことを言えば、「その外部要因(俺設定)に金使うなら、シナリオをマシなモンにしてくれ、キャラがかわいそうだ」ってとこである。

さらに言えば、ファンタジーが提示するはずの「現実に対するアゲインスト」要素ちうもんは、上記ルートにおいてはぜーんぜんなく、ただヒロインの内部要素が無軌道パンクロケンローして終わり……うーん、これだったらほんとーに「異世界ファンタジー必要ないよね」といわざるを得ない。

……そして、一番の問題は。
「トラベリングスターズは、いったい何を伝えようとして作られたのか」という究極のそもそも論が待っているのだが、それは末尾の「結論」のイチャラブ論で語りたい。


(e)サブヒロインルート

(a)トリスルート

結構、サブヒロインルート入るの苦労しましたよ……フラグ管理が厳しくてなー。
まあ入ったはいいものの、このシナリオ2つは特筆すべきことはありません。「主人公サブヒロインを落とす→3Pせくーす」という流れですから。トリスの場合はリズね。

ただそれだけあって、外部要因の後付けとか捩れとかもなく、内部要因の「すきすき!」もすげーシンプルだったので、「こ、これでほぼよかったんじゃねえか……」とうっすら思った時点で俺の負けですなー。キャラ萌え専念、というか。やればできる……キャラメイキングが勃起不能めいたサビついたりはしていない……ってここで確認してもなぁ。

(b)パスカル先生&さっちん先生ルート

ほとんど異種族おねーちゃんたちと3Pするだけのルートですな、おしまい!(とってつけたような「愛はどこから芽生えるか?」論議がありますが、いいや)

(C)ミーシャルート

パッチがある初回限定版買ったのですが、「もういいや……」って感じでやってません。別に……いいよね……。



(f)フィンルート

一番マシな出来でござった……。
このルートが一番マシっていうのは、「外部要因が定点として物語を規定してた」からっちゅう要素が大きい。
どういうことか、というと、そもそも神様がフィンの成長を、えーっと、何ヶ月後だったっけ。ともかく、時間日にち期限つけて、「その間にフィンちゃん成長して頑張ってねー」というプロットです。
この間、別にこれ以上の外部要因は入らないわけです。あとはひたすらフィンの内部要因が変化していくのを見守るだけ。
……これでええねん! ぶっちゃけ、外部要因はひとつくらいでええねん! なぜか他のルートでは外部要因がいくつも出てきて、ごちゃまぜにするねん!

メルトン語録ですが、

父性を知らない少女、と彼女のために父親であろうとした主人公の物語。
 
>殿子「私のわがままを受け入れるだけの父親が欲しかったわけじゃない。
    失敗したら怒って欲しかった
    まちがいそうになったらたしなめて惜しかった
    ただ尊敬できる人物であってほしかったのだ。
    ただ誠実で、他人を解ろうとする人であってくれれば
    私は構わなかった。」

>主人公の姿を見て殿子が変わっていく姿、照れる姿、
>お父さんを望みながら、好きになってしまったことに困惑する姿。

>お父さんとしての姿であろうとする主人公がかっこよかったりもして、ほんと楽しかったです。

>自由な世界はあるかどうかわからない。でもなんどでも挑戦すればいい。

ウーン、あんま俺付け加える余地ねえなぁ。フィンルートは「主人公が父性をちょい出すルート」でありましたが、それが嫌味になってない。で、もひとつメルトン語録。

>手を差し伸べたなら最後ま責任を持て、最後まで私たちを信じろという
泣きながらも、訴えかける、二人のことが大切なことが伝わってきました。

そう、この精神性だよ、フィンルートに小さく咲いた白い花は。



(g)クロエルート

メルトン語録。

>このルートのみさきちの言っていた
 「日本の正しいお姉ちゃんは、妹が嫌がることをしないのだ」
というセリフは、みさきちがすみすみを愛していることも伝わってくる大好きなシーンです。

ドチクショオオオオオオォォォオオ!!!
なんで俺が慟哭してるのか、というと、クロエルートのお姉ちゃん、クロエは、義妹のリンネに、最初からこーいう態度でせまればいーものを!という慟哭ですよ! それをしなかったからシナリオが破綻しとる!
逆に言えば姉妹シナリオで「これ」さえ守っていれば、そこに信頼というものが生まれ、シナリオは破綻しないっ! ある意味百合でもよくあるパターン! メルトンさんがこのシーンを「姉妹」の象徴として選んだのは正しいっ!

いや、クロエは確かに悪い姉ではなく、妹を溺愛している。そこは間違いないのだけど、リンネを「実は人間……」(またか!)ということで、人間世界に戻す、というのがシナリオの大軸なのですが、そもそも的疑問が。

「……リンネの意志って?」

驚くなかれ、ラスト直前のチャプターになるまで、リンネの意志聞かねーでやんの、主人公もクロエも! ドスコォイ! 聞  け  よ!!

それから、もっともっとツッコミどころはありますよー。途中から出る吸血衝動って作劇上必要だった? それを理由にしてリンネと別れるっていうのも、いい理由見つけたから、みたいにしか見えませんよ。
また、主人公がなんか具体的にクロエを救ったか、ということについては、もはや語るまでもなく、たいしたことしてません!それでTUEEEEEと褒められるんだからいい職業だよなぁエロゲ主人公。

それから、結局、このルートでも「異世界の戦争」は描写されませんでしたね!結局異世界描写は最後の最後まで詳しく言及されなかったぜ! まあこのあたりはレアルートでさんざんボヤいたのでもうやめるけど。

それから、後半になってことあるごとにクロエが「自分は吸血鬼だから妹を愛せないんだー」とか「自分は吸血鬼だから主人公を愛せないんだ、はやく人間になりた~い!(意訳)」ってくだり、マジいらんかったよねと。
そんでもって。
結局「種族と種族が、分け隔てなく分かり合う」とか「人間世界と異世界が繋がる」って、ぼくがさっきからさんざっぱら言ってる「神話」とか「民族」のモチーフなんだけど、若干触れてこのストーリーend、という、まあ……まあ……。

あ、それと。
以上のツッコミと、まったく論点を別にするのですが、百合者として一言だけいわせてね。
ラストにリンネが「私は(クロエのこと)「お姉さま」じゃなくて「お姉ちゃん」って呼びたかった……お姉ちゃあああああん!」とかって泣きだすのですが……

そうか、「お姉さま」はいかん呼び方なのか。そうだったのか。ごめんね、ぼく百合者で。そうか。ふぁっきんぶるしっとほぅりぃだむんばすたーど、くたばれ。(このレビュー書き始めてはじめてする筆者の笑顔、乾きに乾ききって)


(h)システム上の諸問題

まずナイトスクールですが、これただの選択肢イベンツとどう違うねん。
夜のバトルの駆け引きもなし、緊張感もなし、ただ選ぶだけ。
制限時間でもって探索していく駆け引きもなし、ラッキースケベを選ぶだけ。
そしてこのナイトスクールイベンツをシナリオに組み込む点はいくつも見受けられるのに、それらはガンスルーという。うーん、ぼくはゲーム性を崇拝する人間ちうわけでもないけど、この捨てっぷりはなかなかだなぁ(皮肉)

それから「通常選択肢」のアレさもなかなかのもんがあります。朝会話とか、「どこに行こうかな?」選択とか、別に「ただフラグを回収するだけ」にしかなってねえ。
どっかを徘徊するたのしみもなければ、建物のディテールをよく見て「ああ、自分はかものはし寮や学園で異世界ライフ送ってるぜ!」って感覚もない。
さらには、この通常選択肢くらいでしか、「モロ人外ヒロイン」(ラミアとかスライムとか)が登場しない、っていうのも、また異世界ものとして覚悟が足りんとしかいいようがねえなぁ。……いや、完全体ルーフスさん出してる時点で覚悟はあるのか……(ひと、それをやけっぱちと呼ぶ)

リアルタイムクリックに関してですが、これ、入れる必然性あったかいな……。正直、俺どこでRTCやったか覚えていねえ。つまり「それ別にリアルタイムクリックにせんでも、通常演出でよかったよね」ということになる。覚えていたらここまで言わんよ……

そしてガーリートーキング。普通に野郎が混じってるということはさておくとして(慈悲)、結局これ「単なるヒロイン視点」というのだけですよね。そうか。そうか。そうか……結構期待してたんだけどなぁ、このシステム。ほら、this is 女子会! パジャマパーチー!って感じでさぁ……そういう甘いふいんきないもんなぁ……

なんかいいとこ拾おうとしたけど、「別になぁ……」と思った時点でなぁ。


・総論

(1)イチャラブと設定後出しジャンケン無駄シリアス

これがすべての原因だと思う。諸悪の根源。この作劇上の極めて破廉恥なデリカシーのなさ。
なぜこんなことが起こるのか。いや今デリカシーがないから、っていったけど、もうちょっと考えてみたい。

思うにこのゲームは「ひとりのクリエイターのエゴ」で作られては「いない」、と、ほぼ断じて構わないかと。
そう断言できる要素はいくつかあって、まずぼくが再三批判しているファンタジー要素「俺設定」のごり押し。これなんか、みんながアイデア持ち寄って作った世界だから、「みんな(HOOKスタッフ)」を活かそう、という悪しき創作上の合議制がおこってしまって、このようなキレもなければ深みもない世界観になってしまったのだと。
さらに、各ヒロインの描写……主にテキストだけど、ルート間での文体のクセはない。見事にすり合わせてある。主人公の個性ですらほぼ同じだ。だがここにおいても「個人がエゴでもって、勇気をもって何かを捨てた」形跡はない。すべて創作上の合議制によって成り立った優しい世界、人間たち……。

「ひとりのクリエイターのエゴ(作家性)」があまねく正しい、とは言わない。また、一度集団でものを作り始めたときには、各個人のエゴのすり合わせが必要なのもわかる。
だが、誰かルーフスさん大覚醒を止める奴ぁいなかったのかい、と言いたくなるのは人情というものではあるまいか。

さて、創作上の合議制がもたらすメリットは、「作品づくりのテクニカルな面での追求」が、よりよくスムージーに可能になるということだろう。
ましてやHOOK15th記念作。これは外すわけにはいかんだろう(外したけど)。

逆に創作上の合議制がもたらすデメリットとは、「エゴの消失」「フットワークの悪さ」に加えてもうひとつ。……これは致命的なのだが「作品のグランドヴィジョンがぼやける」である。

トラベリングスターズが追求すべきグランドヴィジョンとは何だったか? あえて今問うのも愚かしいのだが、公式HPに書いてあるとおり、「異世界でのイチャラブ」である。

これは、両方達成できなくてはならなかった。異世界を「俺設定ごり押し」のオナニーで終わらせるのも間違い。かといってイチャラブを減じることあれば、いよいよもっとイチャラブメーカとしてのHOOKの死である。

そういう意味では「失敗できなかった」といえよう。例えれば、自転車は、爆走できる。だが安定性が悪い。だから安定性を求めるのだったら、三輪車にする……が、それは結局飛んでいくような疾走感は得られず、ましてやスタイリングが不恰好にすらなる。結局そういうことだったのではなかろうか。

ストーリーテリングは、のたのたしていてはならない。走らねばならない。自転車のように。「たるい」物語は「基本的には」需要はない。その「たるさ」を芸にまで進化できなくては……そして、何度も言うようだが、好みは別として、「たるさ」を芸にまで昇華できたブランドが……事実上、同人を抜かして、ほぼ現存している商業メーカでは、HOOKだけなのではないか、と思うのだ。

だがHOOKはなんか新機軸を選んだらしい。三輪車の道を選んだらしい。じゃあ、ここから面白さをどうやって付与していくか……付け足すしかない。物語エレメントを。あっと驚くような外部要因。ふーむと思うような内部要因。物語の疾走感で勝負できない以上、エレメントの意外性で勝負、といったところだろうか。

しかしフィンルートでみたように、結局イチャラブシナリオにおいて、外部要因など一個くらいでいいんであり(充分にフィンルートは成り立った)、内部要因は「健やかに育っていく(そしてエロければ言うことなし)」のくらいで、いいんじゃないかと。

何度も繰り返すが、俺らイチャラバーはこの手のゲームに、イチャラブを求めているのである。


(2)イチャラブの真実性

補論の概念を持ちだすが、俺らイチャラバーはイチャラブをこそ求めているのである。イチャラブは夢物語、そうだ。だが夢物語「だからこそ」俺らはこの物語とヒロインを大切にするのだ。
イチャラブが裏切られた、と知ったとき、感じたとき、烈火の怒りを放つ。
トラベリングスターズは様々に裏切ってきたが、とどのつまり「い、今までのイチャラブ、結局嘘だったんだな……」と、俺らが感じたイチャラブを無化されるのが、とても辛いのだ。
なぜなら、俺らはイチャラブの世界に「生きている」。俺らのフートン(布団、ベッド)内でのお気にヒロインとの脳内イチャラブ、脳内せくーすの圧倒的回数を舐めてもらっては困る。

俺ら……いや、ぼく・残響はイチャラブに「すがっている」と断言する。自分の脳内イチャラブ、脳内セックスが、発展性のないものだと知りながら、それでも今日もエロゲを摂取して、脳内妄想にはげむ。

多少の瑕疵なら見過ごすさ。なんてったって、イチャラバーのほとんどはB級エロゲのたしなみ方を知っているのだから。
だが、それも、「そっちから裏切らなければ」の話である。

もうひとつ補論に従っていえば、イチャラブのリアリズムとは、以上の議論にしたがえば、「いわゆる現実リアル娑婆のリアリズム」に求めるものではない。
かといって、「全部が全部、オタクの共同幻想ヴァーチャルにソースを求めなければならない」とするほど、厳格な律法を定めているわけでもない。
SMEEのラブホ描写を見よ、海原楓太の下品メタネタ使用を見よ。

イチャラブは、別に世界を変えやしない。神話にもなりゃしない。けれど、「ひとをわずかでも正の方向に前進さすもの」として、少なくとも癒す。荒れ果てた心を癒す。それは確かすぎるほど確かなんだ。

そして癒されることのないイチャラブゲーを、やはり愛することもできまい。心に嘘をつきながら脳内イチャラブせっくすはできんのであるから。

我々はイチャラブがどんだけリアルに基づいているか、とか、イチャラブが人間の真実性を描くものか、とか、全然問題にしていねえ。考えもしていねえ。そんなことどーでもいい。
ただ、イチャラブの甘い夢の真実性を信じて、浸っていたいだけなんである。

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