OYOYOさんの「サノバウィッチ」の感想

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1つ1つの構成要素のクオリティは高いんですが、全体のちぐはぐした感じが気になりました。思い切ってばらけさせるか統一するか、どちらかに振り切っていればもっと楽しめたと思う。希望としては、寧々ちゃんともっとイチャイチャしたかったです……。
両手で数えるのも難しいくらい多くの作品で溢れかえるエロゲー新作戦線のなか、各メーカーともぱっと見でユーザーを惹きつけられるような、わかりやすい個性を追求している。しかし、その独自性の出し方はパターン化され、しかも大して洗練されてもいないせいで、かえって「どんぐりの背比べ」な感は否めない。だいたいどこかで見たようなキャラ、聞いたような話だし、そうでなかったとしても、そのうち他のところで誰かがやっていただろうなと思えるような状況になっている。

そこへいくと本作は、グラフィックから音楽、システムといった構成要素の1つ1つを丁寧に作り込み、他の追随を許さないようなクオリティにまで高めている。ヒロインたちのころころ変わる表情や効果的に入るSD絵の日常描写、CVに音楽など演出面はどれをとっても秀逸で、E-moteのような特殊な技術どころか立ち絵の遠近変化すら使っていないけれど、うるさすぎず、それでいてじゅうぶんに雰囲気が伝わってくる。システムも派手さはないが親切で使いやすかった。設定や属性も含め、ぱっと見で分かる特殊さに頼らずとも「これぞゆず」と思わせるオリジナリティを発揮しているのはさすがと言うしかない。これが大手の余裕というやつだろうか。修正パッチこそ出たが発売日は延期せず、途中で音声がなくなったりキャラが逆立ちをはじめたりCGが入ってなかったり原画家が別人になったりということもなく、当たり前のことが当たり前にきちんと作られているというだけなのだが、それがいかに貴重なことであるかは今更繰り返すまでもないだろう。そして、そういう1つ1つに手間暇をかけてしっかりしたものを提供してくれる姿勢には、やはり好感を覚える。もちろん「お気に入りボイス登録」や「EXTRAモードの立ち絵鑑賞で遊べる」などのオプション的な工夫も、それはそれですばらしいと思う。

内容も堅実だ。会話はテンポよく楽しい。ゆず恒例の下ネタ枠とエロビッチ枠を寧々が一手に引き受けたせいでボケとツッコミの配分が不均等になっているのが心配だったが、絶妙のバランスを維持している。それに、登場人物を駒ではなく人として動かしているのも良い。たとえば、私はエロゲーのテキストに2ch系のアスキーアートやネットスラングが出てくるのがどうも苦手なのだが、本作ではそういう単語がでてきても一部を除いてほとんど気にならなかったどころか、どちらかと言えば楽しく読めた。それは、作中でネットスラングがきちんとキャラクターからキャラクターに使われているからだ。私がその手の表現が苦手なのは、キャラクターの後ろにいるライターが、ディスプレイのこちら側にいるユーザーに向かって語りかけている様子が透けて見えるからで、キャラクターたちがそういうコミュニケーションをしているぶんには気にならない。序盤こそ背後のライターが見えるような雰囲気があったものの、物語が進みだしてからは消えていた。しっかりつくられた作品世界の中で、そこで登場人物たちが動いている。そんな魅力があって引き込まれる。

しかしいっぽうで、この作品には奇妙な違和感がつきまとう。それは、ひとことで言ってしまえばまとまりのなさ、である。「サノバウィッチ」という統一したタイトルを与えられた4つの(和奏を含めるならば5つの)物語は、登場人物も舞台も設定も共通している。にもかかわらず、どこか不揃いでちぐはぐな印象を受けるのだ。原因はおそらく、それぞれのルートで登場人物たちの世界解釈の違いにある。

顕著にあらわれるのは「魔法」をめぐる話。寧々、憧子のルートでは、「魔法」の力はつねにその本質的な価値を問われている。主人公が、「心を読む」能力を持っていた母親は「幸せだったのか?」という疑問がことあるごとに繰り返すように。

寧々にとっての「魔法」の場合その問いはもっと直接的に結果としてあらわれる。彼女は両親の離婚をなかったことにしてやりなおす願いがかなった後、「私のわがままで、2人を縛り付けることに意味があるんでしょうか……?」と自問し、結局やりなおしを放棄してしまう。しかも、「RESTART」編はそれ以上の問題をはらんでいる。寧々が《消えた》世界に取り残された柊史の描写がそれだ。彼女がパラレルワールドへと移ったことで、取り残された柊史は愛した寧々を失い、寧々自身もまたもとの柊史とは違う柊史と出会いなおすことになった(「オレは、以前のオレと全く一緒というわけじゃない」)。別の世界に渡り孤独になった少女に救いが訪れたとも読めるが、その救いはあまりにも微かで、欺瞞に満ちている。少なくとも諸手を上げてハッピーエンド……とは思えない。憧子にしても同様で、彼女が大切に守り続けてきた記憶とともに、憧子という「人間」の連続性は失われている。

これらが幸か不幸かという判断は個々のユーザーに委ねられるとしても、確実に言えるのは、「魔法」の力には常に疑いが向けられているということである。自らの願いのために周囲を、あるいは自分自身をも取り返しのつかないかたちで変えてしまうこと。「魔法」の力とその代償が持つ意味はそこにあり、それゆえにこそラストシーンの「すっきりしなさ」が際立ってくる。

だが、めぐるルートではだいぶ事情が異なる。めぐるは、友人であった「ちーちゃん」の「魔法」によって救われた。かわりに「ちーちゃん」は両親を含めた親しい人のことをすべて忘れ、街から去って行く。けれどそのことは、乱暴な言い方をすればかなり無邪気に美化され、特に留保もなく単純に「いい話」として扱われている。

ここには、寧々や憧子の場合との大きな違いが2つある。1つは、自分でなく他人のために「魔法」が使われているということ。もう1つは、「魔法」に対する評価が使った本人によってではなく恩恵を受けた者の側から行われているということである。めぐるルートにおいて「魔法」の力は、自己の葛藤や周囲との軋轢を伴った緊張関係を失い、奇跡とか神の恵みのような、一種の恩寵として位置づくことになるだろう。なるほど、めぐるの物語を貫く明るく楽しい雰囲気にはきわめて相応しい。だが、寧々や憧子のルートと較べると、やはりギャップを感じる部分でもある。

更に極端なのは紬ルートで、ここでは「魔法」の力はほとんど「金」だ。願いを「前借り」で発動させたり、他人の代償を「肩代わり」したりできるという、文字通りの意味で願いを叶えるためのちょっとしたコスト、あるいは障害程度になっている。マイナス要素も強調されるが、それは使い方や見方によって容易に変化する程度のものになっており、寧々・憧子のルートにあった重苦しい矛盾のようなものは存在しない。こちら(柊史たち)の心もち次第でどうとでも変わるような種類のものにエンコードされている。

象徴的なのが紬の願いである。憧子ルートでは、「魔法」の力は心からの願いでなければ叶わない、ということが言われていた。具体的にはこうだ。

「最初はね、耳のことで契約をするかなとも思ったんだけど……彼女とは、その契約はできなかった。彼女はそれを心から望んでなかったから。強い願いじゃないと、契約を結ぶことはできないからね」(Chapter8-2)

耳が聞こえない主人公の母がなぜ「耳が聞こえるようになりたい」ではなく、「人の心が聞こえるようになりたい」と願ったのかという、プレイをしていればおそらくはごく自然に出てくる疑問に対するこたえである。「しなかった」ではなく「できなかった」ということは、「やろうとはした」ということだろう。このことは寧々や憧子のルートでは特に重たい意味を持つし、めぐるのルートでも「ちーちゃん」の友情が本物であったことの証明として、やはりそれなりに重要なポジションを占める。(※1)

ところが紬ルートでは、「せっかくバイト代が入ったのに……ちょうどその日に欲しかった服が売り切れちゃった」(Chapter5-2)という理由で「売り切れた服を、もう1着だけお店に並べて欲しい」という願いの「魔法」が発動する。もちろんそれが紬にとって「心からの」強い願いだったのかもしれないが、それならば直前に言っている「女の子らしい可愛い格好をするのはこだわり」というほうが優先されそうなものだ。強引にいろいろとこじつけることもできるが、やはり「魔法」に対する認識そのものがズレていると考えたほうがわかりやすい。はっきり言って私は、紬ルートに重苦しさや深刻さを感じることはなかった。(ついでにいえば、どちらかというとそんなめぐるや紬の話のほうが、楽しく読めた)

柊史の「心の穴」とその解決も、だいぶルートによって違っている。柊史の抱える問題は「死んだ魚のような目」と繰り返されるように、「人の気持ちというものを、五感で感じる」能力そのものよりも、その結果「雰囲気や空気を必要以上に重視する」ようになってしまったことだった。OPアニメーションで各キャラの瞳をくぐり抜けた先に「心の欠片」が詰まった瓶があらわれる演出があったのは、そのあたりを意識してのことだったのかと思っているのだが、さてどうだろう。

ともあれここは、共通ルートでかなり慎重な手つきで表現されていたところであり、「心を読む」能力ではない(だから相手が何を考えているかまではわからないし、対象すら正確にはわからない)ことなどが本人の口からも説明される。その微妙なニュアンスから発生する他者からの視線と自分の意思という「自-他問題」は、特に寧々ルートでは重要な役割を担っていると思うのだが、これがルートによっては単に「秘密を持っているのが気まずい」程度の扱いになったり、「交尾をすれば解決!」みたいな別の意味の穴の塞ぎ方になったりと(いやまあ実際にはもうちょっといろいろあったが)、落差がかなり激しいように感じた。私が感じていたまとまりのなさというのは、およそこのようなものである。

では、こういったまとまりのなさが単純に本作の欠点かというと、そうでもないのかな、とも思う。1つ1つのルートでライター陣が自分のカラーを存分に発揮して、しかも高い完成度を誇っているのも事実だからだ。

登場人物たちの会話の楽しさ、少しずつ繋がっていく心、デートのときの甘酸っぱく照れくさい気持ち……。そういうものが画面を飛び越えて伝わってくる。手をつなぐ、待ち合わせの約束をする、買い物をする、デートの服を選ぶ。そういった行動がどれも丁寧に、しかもボリュームたっぷりに描かれていて飽きないし、なんといってもヒロインがすこぶる魅力的。紬はかわいいし、めぐるもかわいいし、憧子先輩はエロいし(ようがすキャラはちょっと意味分かんない)、寧々は超かわいい。寧々がヨダレ垂らしながら角オナとかしてるのナマで見ちゃって、悶絶しない男がいるんだろうか、いやいない(反語)。どこを切ってもエロとかわいい尽くし。最強の金太郎飴である。

たとえば「本校系」と「分校系」でカラーが大きく異なった『遥かに仰ぎ、麗しの』のように、不揃いでも各ルートはいきいきしていて面白い作品に出会うと、「統一感がないから悪い」とすぐには言いづらいように思われるのだ。もっとも、統一感が「なくてもいい」(あったほうがいい)なのか「ないからこそいい」なのかは難しいところなのだが。

「ないからこそいい」というのは、統一感がないことで主人公とヒロインの固有の関係が鮮明になるようなタイプの作品だろう(『かにしの』や、ゆずソフトだと『のーぶる☆わーくす』などはこれにあたると思う)。実際、私たちの認識や悩みというのは周りの人、付き合う相手によって大きく変化する。同じ境遇を抱えていた人が、恋人によって大きく変わって見えるのもありえない話ではない。テーマに引っ張られすぎると、ヒロインはどうしてもそのテーマを表現するための部品になりがちだが、作品が伝えたい意味内容が、統一された全体にではなく、個別のヒロインとの関係にあるのだとすれば、むしろある程度バラバラになるほうが自然とも言える。

しかしおそらく、『サノバウィッチ』はそこまでの強度をもった作品ではない。意図的にそういうものを目指したかどうかは判らないので措くとしても、実際にそのようなものに仕上がっているかといわれれば、「足りてない」というのが率直な印象だ。少なくとも、バラバラを通り越してちぐはぐになっているというのは効果的な工夫だとも思えない。単なる不徹底に見えてしまう。ただ、シナリオの(あるいはテーマ的な)統一性に縛られていてはこういう楽しさは難しかったかもしれないな、とも思う。

話は変わるが、エロゲーはさまざまな要素を集めて作られる。声優さんの音声ひとつとっても、出演者同士が互いにどんなセリフを読んでいるかを知っていることは殆どなく、1人のキャラのセリフだけを録ってあとから編集していることが多いそうだ(本作がどうかは知らない)。だからもしかすると、会話しているように見えるキャラ同士で、その裏にある「思惑」はまったく異なっているかもしれない。その辺りは、基本的にすべてを1人で作る作品――たとえば小説のような――とは事情が異なっている。小説が職人によるハンドメイド製品だとすれば、エロゲーというのは別々のところでつくられたパーツを組み立ててつくる工業製品のようだ。そういうことを考えてみると、エロゲーで強固な「統一的な解釈」を主張しなくても良いという立場にもうなずける。もちろん完全に統一性を欠いたらただ無秩序なデストピアしか残されないだろうけれど、その統一の単位が作品全体である必要はない。

本作は、作品に全体としての統一性や一貫性、あるいはテーマ性のようなものを最優先で求める人にはあわないかもしれない。だがそこに強いこだわりがなければ、自分にあった話をつまみ食い的に楽しめる可能性は高いと思う。少なくともパーツの完成度を高めるというところでは間違いなく成功している。ただもちろん、肝心のキャラ個別のルートがあわないとかいうことはあるだろう。実際渡しの場合は、寧々ルートの終わり方がやや納得がいかず、寧々がめぐるルートくらいぱーっとはじけていたらなぁという気分になった。

最終的な組み立ての工程でどっちつかずになった感はあるが、どちらかの路線を徹底していけば到達点が見えてくるのではないかと思わせてくれる作品。あとはゆずソフトを信頼してそれを待つばかりである。残念ながらこればかりは、「魔法」の力に頼ることもできそうにないのだから。

(※1)……※なお、めぐるルートで主人公は次のように「魔法」についてコメントしている。

「『母さんは、耳が不自由な人だったらしいんで……』だけど、人の中で生きていたいと願っていた。よくわかる。母さんが魔法を欲した理由はよくわかる。『だから、人の心を読む魔法を手に入れたかったんだと思います』」(Chapter9-4)

寧々・憧子のルートでは生きづらさに繋がっていた「心を読める」能力が、ここでは素直に肯定的なものとして捉えられていることがわかるだろう。もっと言えば、「耳が聞こえる」に較べて「心を読む」ことが過剰ではないか、という疑問そのものが必要ない物語になっている。その点でも、寧々・憧子ルートとめぐるルートのズレは再確認できる。

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