cyokin10wさんの「千の刃濤、桃花染の皇姫」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

E-moteなどに頼らない、紙芝居演出の極致を味わえるような演出力に、8月の底力は充分に感じることが出来る一本。ただ演出といい物語といい、《美しさ》を前面に押し出した作品だったと思うのですが、前者はともかく、後者の美しさが伝わってこなかったというかグロテスクになってしまったというか…………登場人物たちの想いがスッと響いてこない、何とも言えない心地の悪さがありました。長文感想は『穢翼のユースティア』の内容にも少し触れています。これからプレイ予定のある方は回避をお願いします。



武人の生き様に《美しさ》を感じられるかどうか

それがこの作品を『思い切り』楽しめるか否かの分かれ目になる所だと思うのです。


武人

彼らの目線は常に上向きです。

皇帝あるいは皇国に忠誠を誓い
国家とその体制を維持するためならば死を厭わない
一騎当百・当千の力を以て近代軍隊へ向けて突進し、撃滅する。

彼らの在り様は確かに美しくも見えます。
しかし、彼らの目線にはとても大切なものが捉えられていません。

そう、一般の皇国民です。

彼らが馬脚をあらわし、ワタクシの違和感が彼らに対する気色の悪さに転じた瞬間があります。

エルザ√への分岐。
ウォーレンに爆撃された夜鴉町の住民の救助に駆けつけるエルザと
そのエルザと合流するかを問われるこの選択肢。

驚くことにメイン√方面へ進むには夜鴉町を見捨てる必要があるのです。

この瞬間、彼らの旗幟が鮮明になります。
彼らが皇国の再興を望むのは皇国民のためではありません。

彼らが戦うのは皇帝と、その皇帝が統治し武人という機能が存在する
二千年続いた『皇国』という国家体制そのもののためだったのです。

そのためならば、自らの武装蜂起のために一般皇国民が巻き込まれようが斟酌はしません。
あまつさえ自らが隠れていたが故に爆撃された夜鴉町をスケープゴートに差し出しながら
(精鋭のエルザ隊と空軍戦力が夜鴉町にひきつけられている今がチャンス!)
自らの目的へと邁進するのです。


………………………

………………

………




そりゃあないだろうと

ワタクシは思ってしまったのです。

そしてこの彼らの行動と思想は後々作中で

緋彌之命の思想と相容れないことを露呈し
禍魄には皮肉られます。


【緋彌之命】
「皇やお前が守るべき国とは、すなわち彼らのことだ」
「民という礎があってこその君主なのだと強く肝に銘じなければならない」


国とは民である
皇帝は道具である

緋彌之命は一貫してそう言い続け、そうあるべく行動し、代々の皇帝(朱璃にまで)にその思想は引き継がれていました。
にもかかわらず、皇帝に忠誠を誓う彼らは

『民』を見捨て
『国』を再興しようとするのです

彼らの主たる皇帝の、緋彌之命の思想とは全く相容れないのは明白なこの優先順位。
彼らはその忠義と武力を以て、一体何を成し遂げようとしているのか。


【宗仁】
「『戦う』とは……役割ではなく、自らが守ると決めたもののために命を懸けること……」
「道具には選べない……人間だけが選べる道だ」

【禍魄】
「素敵な話にも聞こえますけど、付き合わされる国民が可哀想ですね」


物語の最終盤、禍魄とのバトル中の宗仁のこの科白に
武人の『忠義』という名の《徹底して内向きにのみ完結する》自己満足と自己陶酔が凝縮しています。

そしてその自己満足の結果として何が起きているか
それを視界に入れているのが武人では無く禍魄であるという皮肉。


『武人』という公的な立場を前面に押し出しながら私人としての自己満足を優先させ
主の理想を踏みにじって恥じない彼らは『忠臣』などでは無くただのテロリスト。


航空爆撃の下で成す術も無く殺されていった夜鴉町の住人の怨嗟の声を届けるべき宛先は
どうやらウォーレンの元だけではなさそうです。





























888 蛇足 888



・何といいますか、、、、、、
 
 『牢獄』と『下層』という地域があることが設定されているにもかかわらず
 『上層』の住民たる貴族と一部特権階級たちの理屈と都合のみで話を進めた『穢翼のユースティア』って感じでしょうか。

 武人や神職はこの国家では間違いなく特権階級でしょう。
 
 であれば、ノブレス・オブリージュ(貴人に伴う義務)
 彼らには一般民衆に対する責任が生じるはずです。
 しかし彼らはほとんど下を見ようとしません。

 だから悩む必要が無いし、悩むとしても自分の在り方ばかり。

 全ての階級の現実と言い分を体感し、受け止めて苦しんだ果てに結論を出した
 『穢翼~』の主人公カイムの悩みとはまるで重みが違います。

 結果として同じ行動に至るとしても
 その行動に至るまでの過程をどれほどしっかり描写するかで、説得力が段違いになるのです。

 旧来の皇国で幸福に生活する一般民衆が描かれるとか
 武人が民衆に溶け込んで交流しながら暮らしている描写があるとか(学園描写にすら皇国人学生はほぼ出てこない)
 どうしても民間人を犠牲に出来ない武人が描かれるとか

 そんな場面が積み重なったうえで悩み、苦しみ、結論を出す彼らが見たかったのです。
 
 しかし現実は皆さまご存知の通り。

 悩まないことが美徳♪と言わんばかりの描写がされればされるほど
 ワタクシの感情は冷めていったのでした。



・そんな中一人奮闘したのはエルザですね。

 彼女だけは公人として市民を視界に入れた上で(というか視界に入れているが故に)
 悩み、苦しみ、そして結論を出す姿が描かれます。

 目的(皇国に民主主義を!)を持ちつつ
 その目的から遠ざかってでも(国家に刃向かえば立場も命も危ういですから)
 《自らに恥じない生き方》を選べる彼女の高潔さは、作中一でしょう。



・ヒロイン役の声優さんは、総じて苦しんでましたかね。

 おそらく、可愛い萌え声を使ってのシリアス演技を要求されたからではないかと勘ぐっております。
 
 特に朱璃の声に威厳が無いのは痛かったなぁと。
 何だか演劇部に助っ人として貸し出された佳奈すけ(@大図書館~)が一所懸命に演技をしているみたい。

 ただひょっとしたらこれも朱璃の声として使いたかった声を、緋彌之命の声に使わざるを得なかったからかなーとか思ったり。

 『余談』でシリアス演技の必要が無くなった声優さんたちの演技が生き生きとして聴こえたのは、決して錯覚ではないでしょう。



・ウォーレン、いいですね。

 世界中に戦争を撒き散らし、無辜の民を大量に殺戮しながら
 でもこの方が結局犠牲は最小限で済むでしょ、という超上から目線かつ我欲まみれな正論を放つ姿がいっそ清々しい。

 ま、殺される側にはたまったもんじゃない正論ですし
 私欲を公的な責務で糊塗して語る姿は、実は主人公サイドとも似通っているのですが
 皇国一国で汲々としている主人公サイドより、世界を睥睨している彼の方がよほど器がデカいのではないでしょうか。

 【ウォーレン】
 「武人ならば四発撃とうと決めていた」

 誰何の声は発砲の意思表示。
 グダグダ喋ってチャンスを逃す凡百の敵役とは一線を画すこの果断、行動力。

 このオッサンかっけぇぇぇぇぇぇ!と思った直後奏海にヌッ殺された詰めの甘さまで含めて大好きです。




・『守護呪壁』とかいう無慈悲極まりない呪術

 【五十鈴】
 「蒙昧なる者共に、速やかなる終焉のもたらされんことを」

 この狂信すら感じさせる科白を合図に放たれる、相手を消滅させるこの兵器。
 相手の尊厳も、生命も、存在も否定するこの一撃を見た時、ワタクシはドン引きすると同時に

 皇国は呪術もろとも滅んだ方が人類の為じゃね?とか思ってしまいました。



・ここまで批判しておいてアレですが、自分はこの作品楽しんだんです。(点数を照覧あれ)
 特に演出力はもの凄かった。

 エロゲの進化というと

 ひょいひょい動く立ち絵芸(紙芝居から人形劇へ)
 さらに進化させてE-mote・アニメーション…………

 まぁだいたいこちらの方向へ行きがちな中

 『紙芝居』を『紙芝居』のまま進化させてきた8月のセンスと底力に脱帽です。

 目パチ口パクするわけでも
 科白中にポンポン表情が変わるわけでもないのに

 カットインの入れ方や立ち絵の組み込み方でこんなにも魅せる。
 『穢翼のユースティア』や『大図書館の羊飼い』でも実践していた技術が花開いた感じ。
 ノベルゲーの進化の一つの方向性を、確かに見せてもらいました。

 『紙芝居』、馬鹿にできません。



・さて次は、もう一つの進化の方向、E-mote全開で話題になった『まいてつ』でもやりますか。




cyokin10wさんの「千の刃濤、桃花染の皇姫」の感想へのレス

 ああなるほど、あなたはそうした見方をしたのですね。

 作中の武人の在り方が自己陶酔的でり、自己満足に寄っているという見方は特に間違っていないとは思いますが、私は別の見方をしました。

 件の夜鴉町の空襲に関してですが、私は武人たちの判断は特に間違ったものではないと思います。武人たちは所詮武力装置であり、その目的は敵を撃滅することにあります。武人の原型であるミツルギからして、敵国民の鏖殺を経て存在し、それこそを存在意義としてるのです。その上彼らの使用する武器からして、巫女の命が使われているという呪いじみた代物。彼らは某国の自衛隊とは異なり、災害救助の訓練をしている部隊ではありません。というか、3年前に似たような攻撃でやられてるのに、ホイホイいくのは「まるで成長していない」というべきでしょう。
 そしてあの場合数少ない彼らが攻撃すべきは敵の「手足」ではなく「頭」であるのは、武力機構として当然の決断であると思います。

 確かに、「国とは民である、皇帝は道具である」というのも一面の事実でしょう。ですが、寄るべき国家(つまりは所属する共同体)を失った民ほど惨めなものはありません。そうした者たちの末路は、侵略者たちの奴隷です。これは私たちの歴史が証明しています。難民、流民の問題は我が国では馴染みの浅いものですが、ヨーロッパにおいてはあれほど強固にみえたEUの存在に罅を入れた問題であり、未だに解決する兆しを見せません。

 初代様の御心に従い、武人たちが夜鴉町の救助に行ったとしましょう。しかしその場合夜鴉町の者たちの命を助けられても、その後武人たちが壊滅し、皇国民全体が共和国の奴隷になっては本末転倒でしょう。あの時点ですでに半分奴隷階級のようなものだったのですから。ww2のフランスのレジスタンスが、一つの地区を助けるために姿を晒して一網打尽では意味がないのです。

「皇国民のため」とはどういう意味なのか。ただ命を助けて奴隷の身に甘んじることは「皇国民のため」になるのか。その場合、そこにいるのは果たして「皇国民」なのか、それは単に「共和国の奴隷」ではないのか。

「武人」というのは「皇国」あってこその機構なのです。であるがゆえに彼らは「皇国民」のために戦う。「共和国の奴隷」のために彼らは戦わないでしょうし、戦ってはならないのです。

 では「皇国民」と「共和国の奴隷」の線引きはどこにあるか。単に皇国で生まれてDNAが皇国の民族であるというのではありません。「皇国の神話」を信じているかどうか、それの有無こそがその線引きなのです。

 宗教国家においては、その宗教を信じるかどうか。民主主義国家においては「人権宣言や憲法」を信じるかどうかというのが、人間社会における「属すもの」の差です。その共通幻想の信仰の有無こそが重要なのです。

 皇国においては、帝を中心とした国会体制こそがその「神話」であり「共通幻想」です。そして作中の「武人」たちは共和国の侵略に対し壊滅寸前まで追い込まれても最後までこの「共通幻想」に殉じたもの達です。これが崩れたとき、そこには武人も皇国民も存在しなくなり、そのときこそ武人は本当に「テロリスト集団」となり、皇国民は「共和国の奴隷」となるのです。

 そうであるがゆえに、かの老人は最後まで傀儡の身に耐えながらも、皇国の国家体制を維持してきたのです。もし皇国が現在の機構から変革しようとも、それは「神話」の象徴である帝が行うべきであり、侵略国のいうままに変革したのならば、そのときこそ完全なる敗北となり、皇国民は共和国の家畜となるのです。

 そして宗仁の行動を私人としての満足を優先させたと仰言いましたが、たしかに見方としてその一面があるのは確かでしょう。しかし、宗仁の前身であるミツルギが「皇国の守護者」という公人の在り方を貫いたがゆえに、禍魄と鼬ごっこにしかならなかった状況を鑑みると、「理屈としては破綻している個人の我欲」こそが、禍魄を打倒する一手となった、というのは中々に皮肉が効いていたと思っています。

 国家ないし緋彌之命の掲げた理念に沿うのも良いでしょう。しかし、すでに其の在り方では3年目に禍魄が作り上げた共和国に負けているのです。ならばこそ変革が必要となります、かの映画大作「スターウォーズ」のジェダイの騎士は、ジェダイの理念に固執したあまりにシスに敗北しました。しかし再びジェダイがシスに勝つのに必要なのは、過去のジェダイの理念では不要とされていた「愛」でした。

 あなたはエルザを《自らに恥じない生き方》を選べる彼女の高潔さは、作中一と評しましたが、彼女もまた禍魄に「我々は侵略国家ですよ?」と嘲笑されていることをお忘れなく。皇国民にしてみれば、夜鴉町の救助などではなく、ウォーレンがその決断を下す前に、不意打ちで殺して欲しかったことでしょう。また、彼女の公人としての立場は「共和国軍人」なので、彼女もまた「公人としての立場より私人としての感情を優先させた」存在です。彼女を持ち上げて、武人の行動を批判するのは片手落ちであると思います。
それこそ禍魄に言わせると
「素敵な話にも聞こえますけど、付き合わされる部下が可哀想ですね」
となるでしょう。上官の個人的な思想のために、知らずのうちに総督の意に反する反国家行為に手を染めさせられるのですから。




武人や神職はこの国家では間違いなく特権階級でしょう。
 であれば、ノブレス・オブリージュ(貴人に伴う義務)
 彼らには一般民衆に対する責任が生じるはずです。

 この点に関しても、あなたは少々思い違いをされているように思えます。
そも、「特権階級」とはなんでしょうか? 武人たちや神職は、一般の皇国民に対し、どのような「権利」を有しているのでしょうか?

 特権階級とは、その国家の法においてその命の価値が上であること、かつ他者の運命に対し干渉することを許される「権利」が定められている存在です。皇族の者はこれに該当するでしょう。しかし武人と神職はどうか?

 彼らは税をより多く徴収することが許された存在か? 裁判なしの死刑を宣告できる権利を有していたか? 本来収めるべき税を免除されていた存在か? 彼らの生命は一般民より優先されるべきものか? 作中でこれらのことは明記されていません。

 また、彼らが一般民よりも納税の面で優遇されていたとしても、その代わりに彼らには果たすべき「義務」があります。それは「貴人に伴う義務」ではなく、武力機構としての国家防衛と治安維持という義務です。そして社会的に「武人らしからぬ振る舞い」を許されません。さらに彼らは生まれ持った呪印により、他の生き方を選択することが極端に厳しいのです。一般の皇国民のほうが職業、人生の選択の幅はよほど多く、果たすべき義務も彼らより軽く、自堕落な生活をしても許される。

 過去の欧州における地主たちは、その土地の民に対しての徴税、裁判などの人生を左右して良い「権利」を有していたがゆえに、暴君にならないために「貴人の義務」で己を律する必要があった。しかし武人たちはその上位に彼らに下命する「権利」を有する皇族という存在があるのです。武人や神職には皇国民を自由にできる「権利」は無いのです。

 例え優遇措置はあったにしても、それに比する「義務」を遂行しなければならず、それ以外の人生の選択が許されない。それが皇国における武人であり神職です。間違っても「特権」を有していないし、それが故に「ノブレスオブリージュ」も彼らには適応されないのです。それが適応されるのは皇族のみであり、作中において皇族は小此木翁にその全てを託し義務を果たしています。

 故に、作中における生き残った武人たちが果たすべき義務、あなたの言うところの一般民衆に対する責任は、少数の皇国民の命を守ることではなく、その少数に恨まれようとも侵略者を打倒し、勝利することです。逆に彼らが少数の人民を救うために死んだのならば、それこそがただの自己満足であり、義務の放棄でしょう。

武力機構とはその性質上、迷いや逡巡は致命的になります。彼らが為すべきは自分たちに課された義務の範疇において、自分たちが許された権限の限りで迅速に決定を下し、敵を討伐することです。
 全ての階級の現実と言い分を体感し、受け止めて苦しむ暇があるのなら、一人でも多くの敵を倒すべきであるのが武人なのです。法が定める義務を有する武人と、公的な立場も官職もない暗殺者を同列に考えてはいけません。




『守護呪壁』とかいう無慈悲極まりない呪術

 これについても、私は別の見方をします。文字通り用途が守護であり、100%防衛のみの存在です、他国の侵略には一切用を成さないものですので、これを受けたくなければ、この領域に入らなければいいんですよ。むしろ一発で数十万の人間を殺した上で、その土地を人間の住めなくする無慈悲極まりない爆弾のほうが恐ろしいですね。どこかの世界にはそういうもの何百発とあるそうですよ、それに比べれば「守護呪壁」なんて鼻で笑えそうです。この爆弾、共和国にはもうありそうですね。

 私はむしろ前半にあった学園パートやアイドルなどの存在意味が分からないので、ああいうシーンを入れるよりは、もっと皇国の機構や文化の歴史的背景の説明や過去パートに尺を使って欲しかったと思ってます。あのアイドル云々や学園パートは作中の雰囲気の統一を阻害してると思ってるので。

 長々と述べましたが、物語の受け取り方は千差万別、所詮は受け取り手次第です。あなたの解釈を否定するが如きの書き方になりましたが、これは私の解釈があなたと異なるものであったが故であり、あなたの解釈を否定する気持ちがあったからではなかったことを、ご理解くださるようお願いします。

 一つの物語の解釈は、同じ人間であっても、心境、知識の増加によって変化してゆくものであり、考察できる余地が多い物語ほど異なる見方も多くなります。この「 千の刃濤、桃花染の皇姫」はあなたと私という、全く異なる見方をした者が在ったほどの物語であったという証左でしょう。私もあなたも、時間と知識を今より得たあとでは、この物語に対しての見方が変わってくるかもしれませんね。
2017年11月17日14時31分08秒



おおおおおお、ワタクシの拙文をこれほどまで深く読み込んでいただき
その上、とても真摯な長文をいただき、本当にありがとうございます。

初めまして、 gggrrr さま。


ただ、ここまで深く論評いただいて誠に恐縮なのですが、ワタクシそこまで深く考えていません(酷)。

もっと単純に

その決断がしっかりと悩んだ末の結論かどうか
そしてその苦悩にプレイヤーたる自分が寄り添えるか(共感できるか)

という部分でひっかかっちゃったんです。

蛇足の部分にも書きましたが
最後にヘタれた!と叩かれることの多い『穢翼のユースティア』のカイム、ワタクシ好きなんですね。

それは彼が
全ての階級の現実と言い分を体感し、受け止めて苦しんだ果てに結論を出し
しかも彼のその苦悩・苦衷に共感できたからなんです。

最後の決断に至るまでの、カイムとティアが辿ってきた道筋や
ノーヴァス・アイテルとそこに住まう人々の諸々の描写の素晴らしさ

それがあったおかげで、彼が秤にかけねばならなくなったもの、双方の重みを強く感じられたのです。

翻ってこの作品。
彼ら武人が必死に再興しようとする皇国。
その価値がワタクシにはあまり伝わってこなかったのです。

その原因は、 gggrrr さまもご指摘の通り
【皇国の機構や文化の歴史的背景の説明】が足りなかったり、
【旧来の皇国で幸福に生活する一般民衆が描かれ】なかったりしたことで
3年前の時点の皇国に、ワタクシが愛着を持てなかったからなんですね。

そしてワタクシが愛着(あるいは執着)を持てなかったものを
さも当然のように何を犠牲にしてでも守ろうとする〔武人〕という存在と行動に、共感することが出来なかった。
結果として、武人の行動全体に冷ややかな視線を向けることになったという次第です。


『守護呪壁』に関してはアレですね。
あそこの五十鈴の科白を考えたライターさんと、それを読み上げた声優さんグッジョブってやつです。

狂信を感じさせる内容の文章を、極めて事務的に読み上げる五十鈴。

宗教的な高揚もこれから相手を確実に殲滅する兵器を使う気負いも抑制しつつ
極めて無機質に読み切ろうとしながら最後にちょっと上擦る声。

そしてその、可愛らしくもややたどたどしい少女の声の結果として現出する敵対者の《消滅》という結果。

このギャップが、この兵器の無慈悲さを増幅させていて、たまらなく『イイ』んですよ(ぇー)。

この兵器を使用するこのシーンは、そういった「うわぁ……(ドン引きー)」な感情を喚起してナンボの場面であるはずですから。


さて改めましてこの度は、ワタクシの拙文を読み込んでいただき、本当にありがとうございました。
これからもお互い、楽しいエロゲライフを送りましょう。


2017年11月19日13時28分39秒
こちらこそ、否定的な文になったにも関わらず返信くださりありがとうございます。

最近国家や軍隊に関するものを読んでいたので、つい熱く語ってしまいました。今自分の文章読み返すと、不必要にあなたの所見を否定していました、申し訳ありません。

お互い楽しいエロゲライフを送りましょう。
2017年11月20日19時59分33秒

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