残響さんの「駄作」の感想

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ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

79駄作
「化け物」が幸せに世界に「接続」するにはどうしたらいいかの「実験」
●もくじ

・序文
・研究の実地としての創作、リアリティの無さ、ゾライズム自然主義

・「化け物」論
1.化け物は何故生まれるか
2.化け物の本質的キモさ
3.化け物を許さない(キモがる)のは誰か
4.俺は化け物なのか?

・「接続」論
1.何のために接続するか
2.誰/何と接続するか
3.承認欲求と自己満足クンフーの違い

・総論ーーあるいは自己表現が全て封殺されてしまった人は、自殺か殺人かしかないのか?


●序文

このえろすけの長文感想を眺めてみて、この作品に対する評価として、「ドギツいグロをやってくれた!バンザイ!」の観点と、「いや……なんか、リアリティなくない?」の二つがあるように思えます。
ある意味で、この作品は、グロゲーですが、「メタグロゲー」というか「脱構築グロゲー」と言えるかもしれません。
「駄作」は、「化け物」とは何ぞやを語りますが、それは常に、化け物の「接続性」を検討するものです。基本的にグロゲーが「化け物」を語る常道としては、「いかにグログロしいか」を描いて、狂気のオーダを描く、というものが、まず挙げられるかと思います。ですが、本作では、その点はむしろ「テンプレ」というか、「書き割り」として収めているように思えるのです。わたしが「メタ」とか「脱構築」とこの作品のグロを評したのはそこで、……ぶっちゃけると、「グロ度」「身に迫るグロ度」は、実はそんなでもない、といえさえするのが、わたしのこの作品に対する所感です。
では、この作品はその名のとおり、「駄作」に落ち着いてしまうのか?――否。
むしろ、この作品を巡ってのえろすけ長文感想に見える、各レビュアーたちの見せる知性のきらめき。知性のキラメキを誘発するほどに、この作品は「クレバー」である、理知的な物語描写・構造であったと言えます。



●研究の実地としての創作、リアリティの無さ、ゾライズム自然主義

わたしはこの『駄作」をプレイしていて、常に「概念を検討している」というふうに思えてなりませんでした。それは、キャラが思弁的なことを発する……ということではありません。むしろ、キャラは確かに思弁性を口にしますが、それは紋切り型の「狂気類型」の叫びでしかありません。「ああこういうシチュになったら、こういう発言するんだろうな」……まさに「テンプレ」であります。

が、テンプレがテンプレであるだけで悪いというのならば、即刻この世からテンプレってもんは消え去っていることでしょう。
テンプレは、言い換えれば「人間の類型」です。人間獣というモノのパターン。この作品においては。犯されたらぬほぉと悲鳴が出たり、斬られたらギャーと叫んだり。嫉妬したらヤンデレになったり。
「そういう行動に至ったり、そういう結論に至る」ことが、そもそも物語的にオカシいからサイコー!グロゲーサイコー!と見るような、短絡的な見方を、どうもわたしは「この作品では」したくありません。
そういう「グロ消費」だったら、この作品はむしろ不得手なのかもしれません。「より、より直接的なグロを!俺の心にダメージを!」ってんなら、それこそブサイクやたっちーの過去作をやってたほうがいんじゃね、っていうふうに思えます。

ちょっと話しがずれましたが、テンプレはこの作品の場合、手抜きでも罪でもないのです。テンプレに至るのは、むしろ必然。では、テンプレがなぜ必要で、必然なのか。
それは、「実験的にグロを突き詰めるということが、どういう効果に至るか」という「実験」を、このライターさんはしたくてたまらなかったんじゃないか、って思えるのです。……単なる「グロを!描きたいっ!」ってだけだったら、こんなに「直接的グロ描写」を、テンプレめいて書き割りっぽくした領域で収めないでしょう、と思えるのです。ソフ倫規制が強くなっても、です。

19世紀末、フランスの文学界では、「人間のリアル、人間の真実」を描くため、「自然主義」というムーブメントが起こりました。それまでの非リアリスティックな物語、絵空事的な物語に対する反抗です。
通称、ゾライズム。これは、ゾラという自然主義の大家が、その作品でもって示したことなのですが、大意を説明すると、
「人間は、遺伝、身体的特質、社会環境から、本人の意思・行動ってもんが決められていくもんだ」
という機械論的な考えです。
そして、ゾラは己の小説において、「ファンタジー」を廃した、徹底リアリズムでもって、小説を展開します……それは、小説を用いた、実験でした。「人間は、○○の場合では、○○になる」というものを描きまくることにより、文学で、科学的にアプローチすることにより……人間のリアル、人間の真実性、をさらけ出そう、という試みでした。

このような過激(ラディカル)なゾライズムはその後、結局は廃れましたが、しかし「リアル・シリアス指向」はその後の文学に確実に影響を及ぼしました。リアルとの対峙……しかし、この長文感想では、ゾライズムの是非は問いません。
ここでチェックしておきたいのは、「文学では、そのような環境思考実験をするムーヴメントがあった」ということです。

……そう、先ほどから、わたしが「駄作」を「実験」と呼んでいるのは、駄作の物語の描き方、キャラの描写が、極めてゾライズム的な「人間は、○○の場合では、○○になる」の思考実験・人体実験、のように思えてならないからなのです。すっげえ親近性があるように思えた。

「実験作」という言葉には、「おおっ、ギョーカイの慣習から離れた作品作りをするねいっ!」というふうな言葉で、使われているものだと思いますが(創作物では)、こと「駄作」に関しては、この言葉は、「実験」作、というか。とにかく「実験」をすることが第一義な作品、といえるのではないでしょうか。
つまりは、この5人は、結局のところ、コマ。冷徹にいってしまえば、です。ですが、コマがコマとして動いた、どこかTRPGめいたキャラ・ムーヴの中でも(このゲームのダイスは明らかにファンブルがオカシい)、それでも……人間の本質というか、美は発生するのです。とんでもねーウルトラCな回路を通って。

さて、実験において……とくに科学実験では、「無菌状態」とか「真空状態」みたいな比喩でいわれる(比喩じゃなくて実際それに漸近さすのが大変なんだけど)、「理想状態」という状況で、理論をつくります。
本作が、テンプレが多く、また、場面場面も書き割りめいているのは、そもそもにおいて、この作品世界が「理想状態」であるからなのです。
ファンブルがオカシい、と今言いましたが、このゲーム、どのルートも途中から「ブチ折れる」のです。グロ方向に。それまでは……それまではイチャラブが普通に進んでいたというに……(血涙

だから、そもそもライタの作為、ってものはしょうがない。これはHPでの事前情報を含めた盛大な仕掛けなんだから。
Sek8483さんはその長文感想において、「およそリアリティが有りません。口当たりのよい嘘です。」と喝破します。

――『駄作』は "人間 or 化け物" という夢見がちな構図をそれにふさわしいかたちで描き、現実からはほど遠い距離感をもって異常なヒロインたちの心情をよく見定めさせてくれました。

http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=20387&uid=Sek8483


「ほど遠い距離感」……わたしは、むしろ「現実とのパラレルな距離」と評したいです、わたしの文脈からだったら。そして、「よく見定めさせてくれました」のお言葉には、まさに我が意を得たり、です。

リアリティがないのは、罪ではない。なぜなら、このお話しはまるっきりリアリティというものを要求していない……いや、「メタ」に対する「一応のベタ」としてなら必要性はありますが、逆にいえばその程度にしか必要じゃない。端的に例を出せば、女の子の身体をブッ刺せば血は出る程度のリアリティは有しますが、出血増大で即座に失神して死んでまう、程度のリアリティはお呼びじゃないわけです。そのあたりの都合のよろしい処理がされています。ガルパンでいうとこの謎カーボンですよ。

むしろ必要なのは、そのようなメタ空間、実験空間、理想状態でもって、いかに人間の精神が狂った挙動を見せるか。あるいは、一つの狂った精神行動シークエンスが、次にどのように結びついていくか。果ては……果ての、美にどう辿りつくか。

ざっと駆け足で、この物語のリアリティを巡るアレコレを見ました。これはあくまで「残響史観」であり、あまねく万人に適応されるものではないでしょうが……それでも、わたしはこういうふうに思えた、ということで。

で、実験したからには、キャラたちの挙動を、わたしはつぶさに見てきたわけです。それは、「化け物」とは。化け物がこの世でどう生きていく(接続)か。あるいは、生きて「いかない」か。しかし、それでも求めて、手を伸ばしたい意志ってものはあって、それはどういうことなのか、これから語っていきたいと思います。(序論終わり)


●「化け物」論

・1.化け物は何故生まれるか

――全ては、境界条件をあっちいったり、こっち行ったりするだけに過ぎないのですが……。

例えば今この長文感想に、なんらかの超サイバーパンク呪術手法でもって、「この先エロスケを見た人は全員おめーの秘蔵フォルダがつまびらかに!」という鬼ウイルスが仕込まれていたとして。それが、わたしがこの長文感想を投稿したことにより、えろすけ界隈、エロゲーマーの人々に未曾有の大惨事が起こったとして。そうなったら、わたしは「世界の敵(パブリック・エネミー)」と化すわけです。この先俺がどんなにイイ長文感想書いたところで、えろすけからは出禁、twitterのエロゲクラスタからも出禁だな……身震いするぜ。

なーんて、ちょっとブギーポップめいた書き出しからはじめましたが、人が、社会/世間から阻害される、となったら、このように
・「わりに広い範囲の誰かに危害を加える、迷惑をかける」
ってとこがまず第一要因ですね。
ていうか、実際のとこ、これ言っていいのかわからんけど、このエロスケでも、たびたび戦争は起こってるわけです。ほら、コメント欄。個人対個人、クラスタ対個人、の炎上戦争で、今日もエロゲーマーたちは元気もりもりダゼ!
マァ、迷惑、の定義でいったら、コメント欄戦争もまた、そーんな違いはなかろうかと。(暴言

でもさ、えろすけに限らず、よく、「本質とは違うとこでヘイトかますひとっているヨナー」って皆さん、思いません?いや絶対思うはずだ。
たとえば、言葉遣いが気に食わん、とか、長文ウゼー、とか。わたし、両方言われたことありますよ、ピースピース。

なんにせよ、「違和感」から、ヘイトは生じるわけです。ですがこの違和感は、まさに「個性」なんですけどね、人が生きてきた証としての個性。
それが、人をして、違和感にさせてしまう。「みんなと違うから」。よく言われますね現代ピープルは……「空気嫁」って。

実際のところ、遍く万人が、なんか一箇所二箇所は、逸脱してるとこはありますって。それが普通だ。みんな、いびつな「己」というカタチを抱えながら生きていくのです。それで、時折世間との、社会との生傷をくらったりしますが、それもまた「生きてる」証拠だっていえます……一般論ではな。

では、この「違和感=個性」が、どうしようもない醜悪なものだったら? あるいは世間で「醜悪」と定められてるものだったら? あるいは、人間的に、どーしようもなく醜くて汚濁でみっともなくて恥さらしで、醜悪なものだったら?

まず、ここで「化け物」という概念は生まれます。

そりゃあ言うでしょうよ、例えば「障害/障碍も個性だ!」とか。わたしにしても、そういうのが「個性」である世界であったらいいな、と思います。
ですが、障碍者が階段とかでアタフタしてるときに、「チッ」とかって舌打ちしてしまう人がやっぱ多いんだなぁ、この世は。まさに畜生界よ。
というか、「障碍も個性だ!」ということを声高に言う「健常者」は、結構欺瞞を持ってると思います。差別をなくせーなくせーと言うてる割には。「その方面」での差別はポリティカリー・コレクトに則った行動をとっておきながら、実際ウチに帰ったら嫁さんをDVしてる、ってパターンはよくあったりとか。
「どっち道、健常者はわからんだろ、アウトサイダーのリアルってやつは」
これは、「化け者」の基本的に発するステートメントです。本音といおうか。

さらに翻って考えてみれば、我々はどこかで欠けてて、どこかでちょっとイケてるわけです。そういういびつな人としてのカタチを重ねあっていくことで、社会ってものは形成されてく……っていうのが、これまた一般論ですが、これがきちんと出来ていれば世話はねえ。
少なくとも「そういうものなんだ、と理解して、ちょっと寛容になる」ってくらいのことすら、しないのが、大勢。想像すらしない、ってのが、大勢。

さて、かなり大雑把に「化け物誕生」について書きましたが、整理すれば
・この世にはタブーがある。問答無用で嫌われる醜悪性ってものがある
・人間には個性という名の「違和感」がある。
・この二つがあいまみえてしまったら、「化け物」が世界に誕生する。

ところで、より詳しく以上の図式を追ってみると、「違和感」というのは、先天的なものと、後天的なものがあります。
本作にのっとってみてみると、例えば由貴くんや枢ちゃんの「違和感」は、先天的なものです(チンコとかにかかわるもの)。コレに対し、華愛美やそまりのものは、「意識」や『体験」に属するものですから、後天的です。アリスの性格の悪さ?これってどっちなんだろうなぁ……w

上記まとめでは、なんか「先天的」な場合の「違和感」でもって語ってるように見えますね。
では、後天的な場合の違和感とは。これは、「今まで普通だったけど、いきなり【闇】へと落とされた」というものです。
華愛美は、恥さらしな自分の愚かさを自覚することにより、自罰の方向へ。そまりは、レイプされたことにより、人間観の変化へ。クロエは……クロエは面白いですね。アリスにあれだけにDVくらっておきながら、それを「喜び」に変えてしまう、という。ですが、彼女の喜びは、アリスにとって、怒りという闇になってしまう、という。

つまり、化け物は、先天的に「出来る」場合もありますが、後天的に「なっちまう」というものでもあります。それを「残酷なセカイ」と呼ぶ人もいますが、そもそも……何だかんだいって、一寸先は闇なのです。……でも、光でもあるかもね。そう、このあたりの「読めなさ」が、「駄作」がシチュエーショングロ(なんだそのジャンル!)にとどまらない所以でありますが。


・2.化け物の本質的キモさ

何が、化け物のキモさなのでしょうか。
一般人には手が届かない特質だから? それの嫉妬? 凡人の嫉妬?
というよりは、この場合……「駄作」が示した例示だと、「ああ、私達は【ふつう】でよかったなぁ!」と、しみじみ落ち着かせてくれるものです。
「化け物」は、自らのその「欠点」でもって、凡人に「普通の平和」を与えます。

ですが、そんなん「化け物」たちにとっては知ったことではありません。化け物たちは言います。我々にはなぜあのような「平和」「普通」が与えられないのか、と。

化け物の本質的キモさは、例えば物語や、美術によって、美的に転化される場合があります。これが、大体において「グロゲーにおける美、カッコよさ」というものと同一です。ですがそれは、安全圏からの安全な平和なる「普通」を与えるものだ、というふうに、まずは肝にすえなくてはならないでしょう。

もしこれを読んでるあなたが「一般人」だとしたら、やはり汚濁にまみれた人の頬に、キリストのようにキスは出来ないでしょう。
もしこれを読んでるあなたが「化け物」だとしたら、やはり普通にまみれた人の頬を、1日でもとっかえが出来ないか、と思うでしょう。ですが、人類開闢数千年、これはかなわずにきたのです。

基本的に化け物の醜悪/汚濁/キモさ、は、「普通」という概念が定義します。
「普通」から離れて……あまりに遠く離れる、というよりは、凡人たちの「普通」とパラレルに絶妙に近い距離を離れているからこそ、凡人たちはキモがる。自分たちとは無関係だけど、無関係じゃないよ、と、キモさはささやく。だからキモを排除せねばならぬ。

もうおわかりでしょう。化け物の本質的キモさは、化け物が設定しているのではないのです。凡人の「普通」というものが、設定しているのです。
さらにいえば、化け物は、完璧に「化け物」ではありません。なぜ本編において、あのキャラたちは苦しんだか。それは、彼女らのなかに、「普通」の要素が多分にあったからです。発狂しきった人間は苦しみません。理性を幾分か残しているからこそ、理性と狂気のギャップに苦しむのです。彼岸に飛んでしまえ――? ですがそれは、ロマン主義の無責任である言い分でしょう。

「駄作」がメタグロゲー、脱構築グロゲーである理由が、ここです。理性と発狂の比較。その実験。
グロの追求ではなく、「グロを構成している構造」の追及をこの作品がしているからこそ、メタを使い、脱構築を使い……めんどくらしい方法ではありますが。


・3.化け物を許さない(キモがる)のは誰か

存在が存在であるだけで、ヘイトされる。お前汚いよ、お前いちゃいけないよ、お前死ねよ。
我々が陥りがちなことに、「人間の欠点は拭い去れる」という決め付けがあります。本人の努力があれば。努力があれば。だからみんな努力しよう。……。
ですが、だいたい、世間の皆は「拭いされない」と思ってやしませんか。それは、先に述べた「他人のことを想像してみよう」ってことを、誰もせん、ということに集約されます。

「お前は醜悪(キモい)んだから、差別されて当然なんだよ」

さて、このいじめワード、インターネットで言おうもんなら、即座に炎上ですが、しかし、これと言葉は違うものの、似たことを、皆さん、やってはいませんでしょうか?
最近ですね、「暗黙のうちに、ぶっ叩いてもかまわないコンテンツ、クリエイター」っていうふうにTLみていて存在していて、折にふれてみんなこういう存在をからかうのですね。ああイジメって無くなんねぇな、としみじみ思うわけですが。

「醜悪(キモさ)」をヘイトする側は、自分が普通、だと強く認識していながら、その実、自分の平凡さを隠蔽しています。隠して、見ていません。
一方、化け物にとっては、自分の醜悪さは、四六時中見ているものです。自分が。他人が。このゲームをやっていて、「自己言及」がやたらに多い、ちうのは、よく見られるところかと。

「2.」でもいいましたが、結局は化け物は、「ふつう」の人たちが安全弁として作り上げたものです。見方によっては、ふつうの人こそ、化け物でもありますし。だから、境界条件の程度問題なのです。
でも、行われるヘイト、行われる差別は、苛烈極まりません。

ある意味で、「化け物」たちが、一番自分の『化け物」性を、許してないのでしょう。自己否定、はこのゲームを流れる地下水です。なぜなら、「ふつうであった自分の可能性」というのが、すぐそばに居るわけですから……ああ、残酷な少女たちの友情!

ここで、戦争状態は、外的なものと、内的なものに分かれます。化け物たちにとっては、自分を非難する外界(世間、社会)と、自己否定する内界(自分自身、意識)とを、同時に相手しなければなりません。

より、内界と戦っていたのが華愛美なら、そまりは「外界から受けた傷が、さらに外界をループ的に侵食する」というふうになっています。
枢は……肉体。この肉体、というものは、自分自身、という意味では、内界でしょう。クロエもそうですね。ただ、クロエの場合は、映し鏡たるアリスの存在がありますから、そういう意味では常に内界の螺旋相克にあります。

主人公・由貴は?
彼が「オカしくなった」理由、というのは、先のゾライズムでいうとこの、「遺伝」に相当あるように思えます(外界)。どこの誰か知らない男のDV。母親の自暴自棄。でもそういった親の環境、というのは、由貴自身にはどうにもならなかったのです(そういう意味では、華愛美の「どうにかなったかもしんない」度、つまり彼女のアホさというのは、相当なものがありますね)。まさしく、人生とは地獄であります。外界であろうと、内界であろうと。
もちろん、この外界、内界というわけ方は便宜的なものであって、彼女たちは、どっちにせよどっちもイカれていたのですから……。



・4.俺は化け物なのか?

人生一寸先は闇です。
例えば、明日、アナタが事故に巻き込まれる可能性だってあります(不吉でごめんなさい)。

ここでひとつだけわたしの内幕話をすると、わたしはちょいとした持病を持っていて、だからこのテキストでも(お分かりのように)「化け物」側に立って話をしています。結構キツいんです、この病気。

わたしが持病を得ることになったのは、……まあこれまでの人生をためすすがめつして確かめてみたら、「ああ……確かに持病なってもおかしくねぇなぁ」とは思います。でも、今考えてみるに、「いつ」明確に「こっち」に成ったのか、というのは判然としない。
ましてや、自分の病気が……今はテキスト書けてますけど、次の日、大丈夫かどうかはわからない。

そう、今「普通」と思っているあなたも、「化け物」になるかも、しれないのです。これはやはり「残酷なセカイ」ですね。
では、どうしたらいいか。それを、次の章の「接続」論で話します。


しかし、自分もまた化け物だ、というふうに思うと、他者へ寛容にならなければうそだ、と思います。少なくとも似たような病気を持ったひと。そこから抽象して、受苦にあえいでいる人。「○○だから」ってだけでひどい差別を受けるひと。こういうひとへの寛容さを持たねば、と思いますが、ついつい、自分も日々において、イラついてしまったりするわけですが……




●「接続」論

・1.何のために接続するか

この場合の接続、とは、社会、世間、この世……そして、誰かと。
自分という孤絶した状況から(化け物性のゆえに)、誰かと、どこかと、なにかしらと、接続出来る可能性を見つけないと、この世は地獄です。

ヘンリー・ダーガーという画家がいます。この画家は、全く世には知られず、一人自分の妄想の世界……それこそ「化け物」的な妄想世界を、延々と絵と物語でしたためていました。死ぬまで。……死ぬまで、世間に発表せずに。

世間とか社会に接続しなくても、生きていけるじゃないか……と、この例で思ってほしくないのです。ヘンリー・ダーガーのカタチは、またひとつの狂気です。
理性的、とか、温かみ、といったもの……とは、ちょっと違った世界です。

何かに繋がっていないと、人間は生きていけません。
それは、たった一人でもいいですし、漠然とした「共同感」でもいいでしょう(空気に流されなければ)。何か芸術とか、数学的真理とかの輝きでもいいですし……つまり、人生に絶望しないために、どうするか、ってことです。

本作のヒロインたちは、皆、何かを求めていました。……求めずには、自分が存在として死んでしまうから。物体として死ぬことは、むしろあんま恐れていない……というか、そういう世界観じゃねえし。実験だから。
その生き方は、結構辛いもんでもありますけどね。求めて、求めて……で、結局現世で、「この先も」幸せを得られるように見えたのは、アリス/クロエルートだけですし。……そこでSek8483さんは慧眼を示していますが、

――愛されることにしがみつくために手足を躊躇なく切り落とすと、これからの一生を彫刻された身でもって生活していくその姿。アリスはあんなにも不完全な心をもっているから、やはり、いつか破滅するのが当然の成り行きなように思うのです。とても歪な彼女ですから、ここでいったんは示された理想像も絶対にどこかで泥にまみれることでしょう。

です。「やはり、人生は続いていく」とのことで……だからこそ、駄作FDがアリス/クロエルートになったのは、必然でしょう。

しかし駄作ヒロインたちは、皆刹那的です。刹那の一瞬の美にこそ、価値を見出している……というか、見出さざるを得ないというか。化け物にとっては、観念的な永遠性を夢想することでしか、「この先も、永遠に」というカタチでしか、連続的な幸せを得ることはできないというか(……ちうか、「永遠」という言葉、概念は、まさに夢想者の放つクリシェなんですが)

さて、何のために接続するか?
駄作ヒロインたちの生は実験といえど、それでも生は「何か」を指向せずにはいられません。
というか、この「指向せずにはいられない」という精神性こそが、ひとつの「駄作実験」だったのではないか、という疑念すらわきます。
「ひとつどころに、突っ走る」という、精神性はロマン主義? というよりは、わき目も振らずラディカルに生きる、という「ふつう・平凡」から大きく離れたところにある精神行動性。そう、普通、のひとは、これが出来ないんです。

ある種の天才の生き方のように。でも、化け物たちは天才ではなく、汚濁にまみれたモノたちです。そして、それを「なんとかしよう」と思っているひとたちでもあります。華愛美は自罰というやり方で過去の罪を「なんとかしよう」としていました。方法も考え方も多いに間違っていますが、それでも彼女は「どうにかしよう」としたのです。
反面、そまりは「暴力」によって、「どうにかしよう」というよりは「どうなってもいいや」になってる点で、まさに好対照といえるでしょう。そまりの人気なさは、このあたりにないでしょうか。意志性の欠如。それは、結果、美への道程ではない、ってことですし。華愛美ほど、美しくないってのは、そこでしょう。ラスト一枚絵の、幻想と死体の落差よ!


・2.誰/何と接続するか

アリスは、結局クロエと由貴のトライアングルの調和を接続しました。
華愛美は、自分を罰することで、倫理性というものを「悪用して」、由貴との隷属の愛を接続しました。
そまりは、過去を振り切るために、由貴を「悪用して」、華愛美と接続しようとして、失敗しました。
枢は、由貴との愛をはぐくむために、穴を空けまくって肉体を接続し、作中最もピュアな愛を接続しました(このラストは本当に美しかった……!)

こう図式にしてみればわかるように、そまりだけ、失敗してるのですね。それは、どこかで「あなた(華愛美)のために」という他者尊重精神がなく、自分自分が、というエゴイズムが全開になってたからだ、といえます。
まあだから人気ないでしょうが……でも、これもまた、ひとの姿、といえます。こういう姿もなければ、実験とはいえません。
もっとも、最初からこの娘に他者尊重奉仕精神なんてねーですが……

しかしそまり以外……いやそまりであっても、M趣味目覚めた由貴、ということで、お互いがお互いを必要としていたわけです。
ましてや、他のルートは、もっともっとお互いを必要としていた。
この物語が「純愛」といわれるのは、幻覚の夢想におけるやたら静謐な美的グロ空間もさることながら、この「お互いが求め合ってる」感がとても伝わってくるからでしょう。
だから、おおむね、彼女らは「接続」は成功したのです。「この先」はなくとも。

というか、静謐な美的グロ空間、は、まさに「お互いが求め合ってる」心の姿が、結晶化して映し出されたものだから、あれほど美しいのだ、といえるのでしょう。



・3.承認欲求と自己満足クンフーの違い

さて、ゲーム本筋とはちょっとズレるのですが、
「幸せになる」
にはどうしたらいいか、というゲームの根幹について、論を構えてみたいと思います。

最近、承認欲求ってよくネットで言われるようになりましたね。これは、「他者から認定(ホメられ)されることにより、自分の幸せ満足を得る」ってことです。

これは、結構強烈なものがあって。ましてや化け物。こういう承認欲求の喜びに飢えて飢えて仕方がないはず。もちろん、この承認欲求が一番つおいのは、我らがアリスたんであるわけですが、この性悪女!

というか、彼女が常に「満たされなかった」のは、この承認欲求、に自分の存在を全賭けしてしまったから、といえます。

逆に、彼女はどうすればよかったのか? 
それは、「自己満足クンフー」のかたちにすればよかったのだろう、と。

自己満足クンフー、とは、承認欲求の逆で、「自分で自分を認定(ホメ)することにより、自分の幸せ満足を得る」ってことです。

ようは、自己完結するだけの心の強さがあればよかったのにね、って話です。まあそれをいったら、この実験ゲーム「駄作」はハナっから終わってしまうわけですが……

もちろん、自己満足クンフー、にも弱点はあって、それは、自己満足の対象が、悪しきものになってたら、とたんにヤバい、っていうのがあります。それが、由貴ルートにおける、闇堕ち由貴です。あれはまさに自己満足の悪しき典型です。自分のこと、自分のキモチよさだけでいい、妄想全開でいい、みたいな。

そうではない。クンフーがここでは重要になってきて。
少しでも、明日の自分が、今日の自分よりマシになってるように、1日一個、なんかする、みたいな地道な努力……あんま、このヒロインズ、してませんネw

はじめからこっちの道が閉ざされてる以上、彼女たちの幸せが、刹那的な方向に向かっていったのは、むべなるかな、というところでしょうか。



●総論ーーあるいは自己表現が全て封殺されてしまった人は、自殺か殺人かしかないのか?

これが、問題提起です。
自己表現とは?といったら、クンフーの内容でもあり、「接続」するための大事なものです。あるいは己の狂気に抗い、「ふつう」を指向するための。

どうも、駄作の彼女らを見ていると、この「自己表現」がことごとく封殺されているように思えます。
だからこそ、己に拘泥して、どうしようもなく狂気に結びついていってしまったともいえますし。

そういう人って、実はこの世に結構います。自分には才能ないから、小説も音楽も絵もプログラムもなにもできないんだ……ってひと。それが地獄になって、破滅的なコトをしでかしてしまうこと。

心からの喜び、がなかったら、人生は辛いです。
では、封殺されてしまった人は? 駄作ヒロインたちは、「刹那の愛の美」に全てをかける、という選択肢を選びました。
それが正しいかどうかはさておき、わたしはこれに美しさを見出したのも事実です。

じゃあ、刹那でGO!すぷらった!すればいいか、っていうと、そうじゃないですよね現実は。
でも、彼女たちは、常に求め続けた。結果、壊れてしまったけれども。

求めることすらしないひと、っていうのが世の中、どんどん増えてきているように思えます。だからこそ、「ふつう、の暴力」が、世の「化け物」たちを攻撃するのです。何も楽しくなく、求めることもない、ってひとたちが。

何か一つ、この物語から教訓を得るとしたら……(そういう物語ではないということを知りつつも)、やはり、「バランスをもって、正しく自分の求めることを、探し続ける」ってことですかね。ただ求め続けるだけでは、闇堕ち由貴くんですから。バランス大事!
……というか。この実験「駄作」では、『バランス」ってもんをブッ壊したからこそ、こういう物語になったんですよね……ギャフン(というオチ

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