submoon01さんの「ギャングスタ・アルカディア ~ヒッパルコスの天使~」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

少なくとも、自分はこの作品が好きです。商品としてはどうなのだろうかと思うところもありますが……彼らにとっての問いは私たちの世界にも妥当することで、それは意味を持っているように思える。
『ギャングスタ・アルカディア~ヒッパルコスの天使~』は、WHITESOFTより、2014年6月27日に発売された、18禁恋愛アドベンチャーゲームである。

本作品では、虹かけ台を舞台に物語が展開されていく。ある夏、ギャング部の一員、シャールカ・グロスマノヴァは家庭の事情で時守家にホームステイすることになる。時守家に滞在しても、シャールカはマイペースであったが、叶たちはシャールカとの生活に徐々に慣れていく。そのようななか、聖天儀学園に新たな講師が赴任することになる。名前はアマネ。彼女(天使に性別という概念はあるのだろうか?本稿では、便宜上アマネへの代名詞を彼女とする)は人間ではなく、天使であった。天使は人間とは異なる存在であり、摂理に干渉することが可能である。そのことから、彼女は「摂理学」の講義を受け持つことになる。「摂理学」の講義を通して、アマネはこの世界の成り立ちを説いていく。それは、ループとは何かに始まり、それらが世界のなかでどのような意味を持つかだ。人間とは異なる存在ではあるが、アマネは聖天儀学園に馴染んでいった。しかし、一つの問題が発生する。それはA型ディスサイクリアウイルスの流行だ。そして、ギャング部の一員、古雅ゆとりのメイド、眞鍋梨都子がそれに感染する。シャールカたちは状況を解明すべく、ディスサイクリアウイルスがどのようなものであるかを調べ始める。そのとき、アマネが衝撃的な事実を告白する。それは、A型ディスサイクリアウイルスの感染を引き起こしたのは自分であると。告白はそれだけに留まらない。A型ディスサイクリアウイルスを感染させたことの真の目的は、この世界にとってのループを当たり前のものではなくすること。さもなければ、ループが当たり前になりすぎることによって、人類の人格の消失という現象が発生するというのだ。そして、その現象を止めるためには、A型ディスサイクリアウイルスの感染だけではなく、叶の力が必要だと主張する。叶は、アマネの意志に従い、彼女に付いていこうとするが、ギャング部のメンバーたちはそれらを許さない。かくして、ギャング部とアマネは対立することになる……

さて、以上が大まかなあらすじとなる。が、これだけでは未読のかたには判然としない部分が多すぎるだろう。そのため、以下では、本作品の背景設定についての説明を進めていく。

まず、天使とは何か。この世界において、人間と天使たちは共生関係にある。例えば、この世界には「天気預報」というものがある。天使は、可能世界に号令をかけることによって(本作品では量子コンピュータのようなものと説明されている)、高度な処理を行い、未来を予測することすらも可能とする。そのため、その日の天気を予測することは容易なものだ。このように、天使は人間の社会との関わりを持っている。さて、可能世界に号令をかけることが可能であるように、天使の在り方は人間とは異なるものだ。例えば、本作品のアマネは受肉することによって肉体を有しているが、通常の天使たちは肉体を有しておらず、精神的な存在である。他にも、天使たちは群れとして生きており、個としての意識が希薄である。ここで重要なことは、天使の在り方は人間とは根本的に異なると言うことだ。

次に、ループとは何か。この世界の人類は、進化の過程でループという形質を獲得した。そして、ループには二つの種類がある。一つは固有ループと呼ばれるものだ。固有ループはループに入るときを制御できない。あくまで、不定期に訪れるものだ。そして、固有ループが始まると、当人(ループしているもの)はループを続ける。そして、精神的高揚を覚えるとループを脱する。また、ループには周期というものが設定されている。これは生まれつきのもので、各々でループ周期は異なる。例えば、数時間のものもいれば、一日のものもいたり、はてには一ヶ月にわたるものもいる。そして、重要なことは、ループが入れ子構造をとるということだ。どういうことか。例を挙げよう。

Aという人物がいると仮定する。Aのループ周期は1時間だ。Aは固有ループに入り、二周目にて、精神的高揚を覚えたことでループを脱する。ループにおいて、基底の世界に反映されるのは最後の周の出来事だけである。そのため、一周目の出来事はAの記憶にのみ残る。

さて、この場合、Aの二周目の出来事が基底の世界に反映されることになる。だが、ここでBという人物がいると仮定してみよう。Bのループ周期は長大で、一週間にも及ぶ。そして、Aがループに入った時点でBも固有ループに入っていたとしよう。

この場合、Aのループで確定した出来事はBのループの周回に反映される。そして、それが反映されたとして、その周で固有ループを脱しなかった場合、Bは次の周に移行することになる。すると、Aのループで確定した出来事はBのループのなかでの出来事の一つとなってしまう。先述したように、基底の世界に反映されるのは最後の周の出来事だけであり、その他の出来事はループしているものの記憶にのみ残る。かくして、Aのループで確定した出来事はBのループのなかに包摂される。

これが、ループの入れ子構造である。そして、ループが入れ子構造をとる以上、ループ周期が長大なものは、この世界での強者である。何故ならば、他者のループを包摂できるということは、そこでの事実を上書きできることを意味しているからだ。

以上が、固有ループについての説明となる。

次に、共有ループとは何かについての説明を進めていく。

固有ループはループに入るときを制御できないが、共有ループはループに入るときを制御できる。だが、共有ループにはループに入るための条件がある。それは、成員のループ周期が近似的に素数比をとることである。また、共有ループの場合もループを脱するための条件は同様である。

以上が、本作品のループについての大まかな説明となる。次に、ディスサイクリアウイルスとは何かについての説明を進めていく。

端的に言えば、ディスサイクリアウイルスとはループ不全を引き起こすものである。なかでも、A型のディスサイクリアウイルスは不可逆のループ不全を引き起こす。つまり、そうなってしまった場合、A型ディスサイクリアウイルスの感染者はループすることができなくなってしまう。アマネがA型ディスサイクリアウイルスを感染させたことの理由もここにある。不可逆のループ不全を引き起こすことによって、ループできないものを増やし、ループを当たり前のものでなくしようとしたのだ。

さて、ここまでに本作品のあらすじと背景設定についての大まかな確認を進めてきた。あらすじで確認したように、本作品の大筋はギャング部とアマネの対立にある。問題の焦点は、アマネが叶を必要としていること。また、アマネは人類の意志と関わりなしに人類の救済をなそうとしていること。当事者の意志とは関わりなしに、他者の運命に介在すること。ここには重要な論点が含まれるようにも思える。だが、本稿ではそこは深堀りしない。着目したいところは、叶の態度が天使との対立を解消したということだ。では、叶はどのような態度で天使との対立を解消したのか。以下の引用を見てもらいたい。

いや、敵とか味方とかそんなことじゃない。今大事なのは、アマネ自身を問題にすることなんじゃないのか?アマネ自身を問題にしないやり方は、この場で必要ないことなんじゃないのか。今まで、俺たちは人間のことを考えていた。俺たちは人間なんだから、あたりまえだ。だけど、それでも、俺たちはアマネと相対している。俺はアマネと相対している。俺はアマネと話している。だとしたら、アマネのことを考えないといけないはずだ。

そして、叶はこう続ける。

「悪なら、苦しむ必要はない。」「滅ぼすなら滅ぼせ、救うなら救え、心の赴くままに」「自分が何だったか、思い出せ」そして一呼吸おいてから―――「『邪悪であれ』」

叶は「天使が人類に干渉するかどうか」を問題とするのではなく、アマネのアイデンティティが分裂していることを問題とした。アマネは人類を救済しようとする一方、人類(もっと言えば、ギャング部)と親しくありたいとも考えていた。それ自体は両立可能なものであるが、この場合、その手段が拙かった。人類を救済するうえで、ディスサイクリアウイルスを感染させることは必要不可欠なことで、そして、そのような行動をとることはギャング部と敵対的な関係になることを意味する。だからこそ、アマネは二つの願望のあいだで板挟みになり、そのジレンマを解消するため、アマネの人格は二つに分離してしまった。そして、叶はそのことを問題とする。叶は天使のアイデンティティを「悪=人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること。たとえ、間違っていても」と定義する。そして、悪であるならば、それが間違いであるとしても、そのことに煩悶することはない。だからこそ、アマネは煩悶する必要などなく、あるがまま(悪)であってよいのだと指摘する。

そして、この指摘がアマネの心(と言っていいのだろうか?)を揺るがした。相手が何者であり、どのようなことを大切にしているかを考えたうえで、それを大事にすること。それこそが、アマネの心を揺るがしたのだと考えられる。

さて、ここで考えたいことは、叶の態度こそが天使とギャング部の対立を解消したが、このような態度は他の知性体との対立を解消するうえで適当なものであると言えるのだろうか。先に確認したように、本作品の大筋はギャング部とアマネの対立にある。そして、その対立の根底にあるものは、人類と天使とのギャップだ。天使と人間は在り方が根本的に異なる。天使は可能世界に号令をかけることで、未来の予測を可能とするが、人類にそのようなことはできない(技術でそれを再現することはできるかもしれないが)だからこそ、天使は人類の救済が必要であると主張するが、人間にはその視点を共有することができないのだ。このように、在り方が根本的に異なるからこそ、対立している。そして、本作品の大筋を、ギャング部とアマネの対立と読むならば、本作品の主題は、存在の在り方が異なるものたちの主張が対立したとき、それはどのように調停されるべきか、そもそも、そのようなことは可能なのかという点にあると言えるのではないだろうか。

このように、本作品に「異なる知性とのコミュニケーション」という補助線を引くと、叶のそれは一つの解答に思える。だが、本稿では、叶のそれは妥当なものであるのかを問題提起としたうえで、「異なる知性とのコミュニケーション」において、要請されているものは何かを確認していきたい。


まず、確認しておきたいことは、叶は天使のアイデンティティを尊重するという態度をとったが、アイデンティティという概念は他の知性にも適用されるのかという問題だ。本作品において、アマネは受肉していた。だからこそ、精神体のときと比較すると、個としての在り方が強化されていたと言う。もしかすると、そのことによって、叶の想いは通じたのかもしれない。知性によって、アイデンティティという概念の在り方は異なるかもしれない。だからこそ、それを他の知性とのコミュニケーションの問題に敷衍することには危うさが伴うのではないだろうか?

だが、そもそも、アイデンティティという概念の普遍性を考えることの意味はあるのだろうか?この問題に対して、アマネは示唆的な考えを示している。

それは、ループのない世界もあるかもしれないということだ。私たちの世界にはループというものは存在しない。それは当たり前のことだ。だが、彼らにとってはそうではなく、ループというものは当たり前のものだ。だからこそ、ループのない世界というものを想像することには何らかのきっかけが必要となる。それはアマネの言葉だ。アマネの言葉をきっかけにして、彼らは自身の世界の法則が自明なものではないことに気付かされた。つまり、ループのない世界への想像を足掛かりに、自分たちの世界を相対化したのだ。

このことが、アイデンティティという概念の普遍性を考えることの意味に繋がる。ループのない(ある)世界というものが自明でないように、アイデンティティという概念も自明ではないかもしれない。何故なら、世界・知性の在り方は多様なのだから。そして、世界・知性の在り方が多様である以上、杓子定規な態度を当てはめることには困難が伴うのではないだろうか。


では、どのような態度が求められているのだろうか。その鍵は世界・知性の在り方は多様であるということにある。つまり、杓子定規な態度を当てはめるのではなく、世界・知性の在り方は多様であるという認識すること。そして、「自分たちの概念の自明性を疑い続け、そこに留まること」。確かに、アイデンティティという概念は普遍的なものではないかもしれない。だからこそ、「個」を重視するということは、まずは相手にとっての「個」という概念がどのようなものであるかを確認する作業が伴うはずだ。そして、それこそが相手を尊重するということではないのだろうか。

さて、ここでの問題は、彼らの世界の問題には留まらない。私たちの世界にも、この問題は妥当するように思える。何故ならば、アマネの言葉を通して、少なくとも、私は私たちの世界が自明なものではないことに気付かされたからだ。彼らにとって、ループのある世界というものが自明なものではなくなったように、私にとっても、ループのない世界というもの自明なものではなくなった。だからこそ、「自分たちの概念の自明性を疑い続け、そこに留まること」は私たちの世界にも要請されているように思える。

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