OYOYOさんの「LOVESICK PUPPIES -僕らは恋するために生まれてきた-」の感想

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ゲームをクリアした人むけのレビューです。

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全体的にクオリティーは高く、興味をひく導入とハイレベルなイチャラブで引っ張ってくれるのだが、体験版範囲の内容と後半のイチャラブがすんなり繋がらなかった。
「イチャラブがやりたいのか、シリアスがしたいのかわからない」、「中途半端」、「ちょっと物足りない」……。本作に満足できなかったという人から時々、そんなような意見を耳にする。私の感想も、これらに近い。私なりのことばで言えば、前半でやろうとしたことと後半でやっていることがズレていて、どこかちぐはぐな感じがする。

原因は、物語を動かしていた動力が、途中から変わってしまい、最初の問題が置き去りにされてしまったように見えるからだ。虎太郎たち、ラ・ニーシュの住人は、それぞれに解決すべき問題を抱えており、それが物語の序盤を引っ張っている。だが、最後になって、彼らの抱えていた悩みが「上手くは」解決されていない。そのことがユーザーに、かみ合わない印象を与えている。

作品のテーマ、というものを考えるのは、ストーリーが分岐していくエロゲーの場合やはり非常に難しいのだけれど、本作で登場人物たちが目指しているものというのは実は共通していて、それは、「大人になる」ことではないかと思う。もちろん、大人と言ってもキャラによって具体的な内容は異なっているけれど、彼らの個別の目標の、最大公約数的な願望というのは、おそらくそこへ行き着く。

主人公である虎太郎には、誰よりもその願望が強い。ラ・ニーシュの取り壊しに関して自分の感情と周囲の状況との間に折り合いをつけようとする時も、他人の気持ちをきちんと理解したうえで適切な距離を保とうとする時も、まるなを自分がそうされたようにしつけようとする時も、彼は理想とする「大人」の像になろうとしている(千景だったり志穂だったり叔父さんだったり)。

また、虎太郎が千景から「虎ちゃん」と呼ばれるのを嫌がるのは、それが子ども扱い(少なくとも、一人前とは認めていない扱い)だからだろう。虎太郎は周囲に気を配り、責任を果たせるような「大人」に変わりたいと願っていて、この作品は彼がそのように成長を遂げていく物語を紡いでいくかのように見えるのだ。最初は。

他の登場人物たちに目を向けると、メインヒロインである織衣も、「かわりたい自分」を抱えていた。彼女は、「自分だけの気持ちは、白黒つけなくてよくて、心地良い」のだと言う。けれど、その心地よさから抜けだして、誰かと関わって行かねばならないというのが、彼女の抱える葛藤だ。作中で織衣の成長は、他人のことを観察し、その気持を汲み取れるようになる、というかたちで描かれている。自分のカラに閉じこもることをやめて、社会性を獲得すること。それが彼女にとっての成長であり、子どもからの脱皮である。(余談だが、カラコという彼女のあだ名は、「私は、今まで、何を積み上げてきた? ――なにもない、真っ白だ。」という「空っぽ」の意味と、自分の殻に閉じこもっているという、二重の意味があるのではないかと思う)

有希やソーニャでは、自分の「ゆずれないもの」とのバランスの取り方が問題となっているし、まるなや勇の場合はもっとわかりやすい。彼女たちはいまの自分に欠けているもの、具体的には教育や女性性を獲得することで、一般的な他人からどう見られるかという視点を内面化し、「大人」になろうとしているのだと言える。

このように、本作の主要な登場人物たちは、みなそれぞれ違った形ではあるけれど「大人」になることを、つまり社会的なありかたで他人と関わっていく自分に変化することを、目指しているのである。

一方で、個別に入って展開される「イチャラブ」というのは、彼らが目指していた「大人」の方向性とは反対の、当事者同士の世界の掘り下げとして機能している。有希ならば、「ちゃんと、思い出したから」というセリフが端的に表すように、虎太郎と「ちゃんと」とろうとしていた距離を、一気にゼロ化してしまう。頻出する「バカップル」ということば通り、虎太郎とヒロインとの関係は基本、閉鎖的な二人関係として描かれている。

私が最初に書いた「ちぐはぐな感じ」は恐らく、「大人」を目指していた彼らの問題が、真逆の方向性を持った「イチャラブ」で解決されるという道すじが、繋がっていないために生じているのだと思う。要は、どう解決されたのか説明が不足しているのだ。

多くのエロゲーではふつう、自分たちの閉鎖的なコミュニティの完結が、そのまま描かれている世界の完結でもある。かつて流行った「セカイ系」などという極端な例を持ち出さなくとも、主人公とヒロインの恋の成就が物語のすべてであるパターンは枚挙にいとまがない。そしてそのような作品では、主人公をとりまく環境は、主人公のパーソナルな領域とそのまま繋がっている。恋をして自分が充実することで、世界もまた上手く回るようになる。

したがって、そのような作品においては、恋愛の成就と外的な問題の解決が連動することは特に違和感が無いというか、むしろそのほうが都合が良い。登場人物たちも、自らの固有の領域を確保するために戦うことになるし、それがごく自然な流れとして納得されるだろう。

しかし、本作において虎太郎たちが目標としていた「大人」というのは、そういうパーソナルな領域に閉じこもることをやめて行く存在だった。目指されていたのは、ラ・ニーシュの取り壊しに対する「納得」や、織衣の両親のことが象徴的に示しているように、、自分の中の正しさと周囲の正しさとの折り合いをつけることだったはずだ。言い換えれば彼らは、自分だけの世界に閉じこもるのではなく、開かれた世界との関係の中で、自分を相対的に捉える視点を身につけようとしていた、ということである。

実際、虎太郎のカリユとの関係や、遥佳の織衣への一方的な想いというのは、そういう(他者からの)視点が欠如した、未熟な思慕として描かれていた。

だから、前半のテーマを後半の「イチャラブ」に持って行く際に問題となるのは、濃密な二人の関係が完成されることによって、どうして彼らの抱えていた問題が解決するのかという、「つなぎ」の部分だ。だが先程も書いたように、そのあたりがキチンと描かれているかというと、ハッキリ言ってかなり微妙。接続部分をユーザーの想像に任せる、という選択肢をとったのかもしれないが、だとすればそれは問題のまるなげ。作品としての自己主張が弱く面白味に欠ける。

いや、そもそもそこは繋がっていないのだろうか。けれど、もしパーソナルな領域こそが大事なのだと開き直ったのなら、虎太郎たちは、たとえば織衣の両親やニーシュの行く末について、もっともっとワガママになって良い。むしろ自分たちの主張を通すために、派手に抵抗戦を展開してほしいくらいだ。前半と後半の繋がりを切る路線で考えると、彼らが最後に遂げる「成長」や、周囲と折り合いをつけるという選択をしていることが、単なる諦めや打算の産物になって、意味を失ってしまう。

私の読み筋を言えば、繋ぐ要素は潜在していると思う。それを示すのは、「想いは言わなくても通じるかもしれない。でも、想いは伝えなきゃ繋がらない」という、織衣ルートのセリフ。ここで言われていることは要するに、自分の中だけの閉じた想いだけではなく、それを伝達することが恋愛にとっては重要ということだ。もう少し踏み込んで言えば、ただしく伝えるためのただしい形がある、ということ。

抱えているだけでは伝わらない「内心」は、伝わる形にされねば意味が無い。織衣がこだわっているのは、言語化されるという意味での「わかる」ということだから、想いを適切な(ふさわしい)ことばにすることが求められている。他のヒロインのルートでもやはり、彼女たちに対して正しく想いを伝えることが目指されていた。後半では恋愛における、いわゆる「コミュニケーション」が問題になっており、想いが「持た」れたり「通じる」だけではなく(作中のことばでいえば)「繋ぐ」ことの重要性に話題がシフトしている。

だから、「伝達」という要素の中に、個人的な想いを社会化するようなきっかけが含まれている、というのは作品から間違いなく考えられるのだけれど、それがきっちりとは描かれていないと思う。たとえば、この読み筋で進めると、ことばにしなくても伝わる想い(カリユと虎太郎の関係、つきあうまえの有希と虎太郎など)と、伝えないといけない想いとの違いがうまく説明できないからだ(私が解っていないだけの可能性はじゅうぶんあるが)。

そんなわけで、周囲と折り合いをつけることが成長の証として望ましいものであるのなら、恋愛が社会に繋がる道を主人公たちは自覚的にたどるべきだったし、そこを気にしないなら、彼らは周りの空気など読まずにひたすら我を通せばよかった。そのあたりがズレているせいで、虎太郎はただ「悟ったようなこと」を言うだけで中身が伴わない「シニカルな子ども」のようになってしまい、その魅力がうまく表現されていない。以上が、私の感じた「ズレ」の内容であり、このため「ちょっと残念かなぁ」というところに落ち着いてしまったのであった。

個人的な好みを言えば、二人関係に収束しない作品は結構好みだし、実際そういう作品は幾つかある。たとえば、思い出の村がダム開発によって廃村になるという『僕と、僕らの夏』では、彼らが恋愛を通してその事実を受け容れていくプロセスが描かれていた。雰囲気としては本作とは反対に近いノスタルジックな作品だが、「他者」性を利用して恋愛から世界を広げていくという核心部分は、本作にもハマりえたかもしれない。

シナリオの話ばかりになってしまったが、全体としての完成度は(ブランド処女作であることを差し引いても)かなり高い。文章は軽快で読みやすく、音楽、CG、システムの類は特に文句もないし、とりわけ秀逸なのがCV。ヒロインたちから千景会長のようなサブキャラにいたるまで隙のない布陣だが、中でも桐谷華さんが演じる、情感たっぷりな有希ヴォイスの可愛さは異様。虎太郎とのかけあいの楽しさも相俟って、当社比30%くらい作品の楽しさをUPしている。まあ、この辺はもう、他の人によってさんざん言われ尽くしている気がするのでやめておこう。

携帯端末を利用したアクションなども上手く作品に取り入れていて、ADVでありながら決して「単なる読み物」とは言わせない細やかな配慮と工夫に満ちている。大枠でのバランスを取りそこねたという判断で、私は評価を辛くしているが、イチャラブや掛け合いを楽しむ方向に重点を置くなら、じゅうぶんその期待に応えてくれるだろう。

あ、贅沢を言えば各章のタイトル(Going, Going home など)は、演出で流すのではなくテキストのバックログで見られるようにしてほしい……。かなり「意味のある」タイトルをつけているわけだし、次は是非。

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