マルセルさんの「GEARS of DRAGOON ~迷宮のウロボロス~」の感想

九尾系列は数年まえから作品の完成度もメーカーの知名度も売り上げも上がり続けているが、今回の作品は良くも悪くもその総決算ともいえるだろうか。良い意味から言うと、九尾作品は難易度自由選択またはやり込みモード選択といった形で、ひとつの作品のなかでなるべく多数のユーザーが納得できる形を目指していたと思うのだけど、今作はかなり徹底している。やり方次第で序盤からLV最高に出来るような試行錯誤プレイの幅が本当に広いのだ。ストーリーモードでもストーリーを無視し、工夫して経験値稼ぎに邁進するようなユーザーには、これは最高の作品なのかもしれない。但し、そのゲーム性がストーリーに寄与しているかと言えばかなりの疑問であり、今回はストーリーとゲーム性が完全に分裂してしまっている。今回の売りであったカオスやロウもシステム的にも物語的にも大きな変化はなく、九尾の良いところと悪いところがクッキリ出た作品になってしまった。

なんだか巷ではアリスちゃんのパンティの生データが盗まれたとか、美術館に飾られた丸刈りWピースの絵(タイトル:禁断の体罰愛ぺrぺろ)が卑猥だとか、俺たちの麻生がアベノミクスを打倒するとか騒がしいわけだが、
個人的にはこのギアドラをある程度(クレイジーまでクリアしますた)やった自分としては、当分のあいだ「RPGはもういいや」って感じではある。この作品で120時間も掛かってしまいましたからね。あたしゃもう疲れますたよ。
なんだかわりと高い点数をつけているわりには、初っ端からネガティブ口調で申し訳ないわけだが、この作品、120時間やってこの点数をつけるくらいには楽しかったことは事実ではあるものの、ある程度やり終わってみると、
なにかこう「達成感」よりも、「疲労感」のほうをよりつよく感じてしまうのだ。そりゃまぁRPGでもSLGでも、どんなゲーム性重視作品であれ、ある程度はやり込みがおわったあとに「おれは何でこんな作品に時間を潰したんだろう……」と、
ある種の虚無感を感じるものではあるのだが、この作品の場合は普通のゲーム重視エロゲまたは他九尾系列作品よりもそれがよりつよく、だいたいベリハをクリアしたあたりから、その徒労感はいっそう強くなっていった。
いや、そんな徒労感を感じる前はかなりハマっていたと思うし、別に僕はやり込みゲオタではないので、その時点でやめればよかったんでは?と言われればその通りではあるんだが、ここがまたこの作品の評価の難しいところで、
やればやるほど、ある一定以上のところで徒労感を覚えてしまうものの、しかしそこから抜け出せない強烈な中毒性があるのも事実なのだ。やればやるほど気持ちよくはなれないのだが、だけどやめることが出来ない麻薬みたいなイキ地獄ぅ。

しかし、まずは「ある一定以上のところまでは面白い」というところを押さえるべきだろう。この主張は「ある一定以下のユーザーには面白い」と言い換えることもできる。
このような言い方は多少「下手くそな連中には面白いかもしんねーけどなw けっ!」と言うような差別的にゅあんすが込められているので管官房長官撤回よろぴく!と叫ぶ方もいるかもしれないが、
こちらとしてはそういう意図を込めたつもりは全くない。誤解を招かない表現をするのであれば「過剰なやり込みプレイをしない人には最後まで面白い」ということも出来るんだが、
ただこのゲームのシステムが、最初から「ある一定以下ユーザー」と「ある一定以上のユーザー」を自ら選択させたり、途中から自らそのモードを変更させることも出来る、という意味では、そういう表現も妥当なのである。

それは端的に言えば、まずは最初の難易度選択である。「イージー」「ノーマル」「ハード」の難易度を選択することができて、そしてこの難易度は途中からその難易度内から、たとえばイージーからノーマルへと乗り換えることが出来る。
因みに僕のプレイは、一周目は「ノーマル」からはじめ、確か4章カオスの始めあたりに「ハード」に乗り換え最後までクリア。二周目はベリハロウを一直線で、最後はクレイジーで終えた。
但し、この作品の場合、実はこの外枠の「難易度調整」よりもその外枠で決まった難易度内のユーザーがある程度は調整したり、ある人にはできて、ある人には出来ない任意または工夫難易度調整のほうが重要だったりするのだ。
それは別に「縛りプレイ」を意味するわけではない。まずは任意難易度調整の方から説明してみようか。この作品はファミコンジャンプ方式に、ダンジョンを探索したり敵を倒せば倒すほど、敵のレベルも上がっていってしまう。
感覚的に言えば、まぁだいたい自分のレベルが1上がるごとに、敵のレベルが0.7ぐらい上がるといった感じかな。基本的にこの作品は敵のレベルのほうが強いので、このままだと自分のレベルを上げてもなかなか敵に追いつかなくなってしまうわけだ。
それだと「詰んで」しまう恐れがあるので、これには救済案がある。「竜骸塊」というものを破壊すると、その敵のレベル上昇率を何割かは下げることが出来る。敵には基最低本レベルがあるので、基本レベル以下に敵の能力は落ちないが、
基本レベル以上に「上がりすぎた」敵の能力を下げることは出来るわけだ。この「竜骸塊」をどのように扱うかという点で、ユーザーは自らかなりの程度で難易度調整を行っていると言えるだろう。

次の、工夫による難易度調整というのは、まぁ一般的な言い方をすれば「ゲームが下手糞なやつは、たんに自分から難易度の高いプレイをしているだけ」ということになり、
ゲームシステムを熟知すればするほど、難易度は下がると言うことである。ただ、これはゲームによってその工夫難易度の差はある。わかりやすい例を言えば、ドラクエシリーズは工夫難易度は小さく、
FFシリーズは工夫難易度の差は大きい。たんに例えば「敵の弱点によって大ダメージが与えられるか?」というゲーム性の有無で、それを知って利用するユーザーと、知らないで利用できないユーザーには難易度に差があるだろう。
ギアドラは、と言うよりも九尾系列作品は、この工夫難易度がかなーり大きいと思われる。説明書やチャートリアルをろくすぽ読まないでやったら、たぶんノーマルでもそうとう苦労するだろうし、
僕はわりと九尾作品に親しんでいる方だとは思うのだが、今作でも一周目ではたぶん7割方しかシステムを理解していないところがあって、それで、いまから思えばわりと「無駄な苦労」をしていたんじゃないかとおもう。
これは「その自分で色々システムを理解して、工夫すればするほどゲームを楽しめるようになる」も意味するが、同時に「しかし完璧にシステムを理解して、工夫し終えたら、ゲームとしてはかなり単純になってしまう」ことも意味するだろう。
が、取りあえずは「その自分で色々システムを理解して、工夫すればするほどゲームを楽しめるようになる」の方から説明してみよう。確かに、この点だけで軽く80点ぐらいはつけられるくらいには、この作品はよくできているのだから。
こういうゲームシステムの面白さを説明するのはなかなか難しい。それは例えばこのゲームだと「魔石システム」だとか「料理システム」とか、個別のシステムによるものだけではなくて、
そのような個別のシステムが、ゲーム全体のなかで、ひとつひとつの歯車が他の歯車と連動していき、さらに自分自身がそのシステムにはまり込んでいくような、確かな構造による漸進的な運動性こそが快感に繋がっているからである。
だから、まずは感覚的な物言いから始めると、最初から最後の方までつねにゲーム性の上で何らかの小さな目標があり、それがゲームを進めていくなかで、もっと効率的な手段をいろいろと思い浮かべるようになれるのが楽しいのである。
しかも、これは前後とやや矛盾した物言いであるが(これは後述する)、どのような手段を取るにしても(よほど非効率なやり方をしない限り)基本的にロスが存在しないように思えるところも、その没入度を高めるのに貢献しているように思える。。

最初は言うまでもなく、RPGにおいて最も単純な経験値稼ぎやアイテム集めである。そのアイテム集めや経験値稼ぎにしても、アイテムの種類は最初からかなり豊富で飽きがこないというのはあるが、基本的には他作品とたいしてかわんない。
ただ、序盤から中盤あたり「ギルドポイント」というものがある程度溜まった段階で、その単純な経験値稼ぎやアイテム集めにも「いろいろなやり方がある」ようにわかってくるのだ。
ギルドポイントというのは、基本的にはイベントなりダンジョンなりをクリアすると貰えるポイントで、それがある一定以上たまると「ギルドレベル」というものをあげることができる。コレについては後で説明する。
この作品にはフリーダンジョンというものがあるので、何回もそれにチャレンジすれば何回もそのポイントが貰えて、原理的には最初の方からギルドレベルを最高に上げる。ただ、ドラクエにおいて最初からレベル99に上げることができるといって、
そんなことをするヤツはまずいないように、ギルドレベルアップのために必要なギルドポイント値はますます上がっていき、貰えるギルドポイントは(そのままでは)一定なので、普通のやり方ではそんなことはできないというかやろうとしない。
とはいえ、その「普通のやり方では出来ないことが、やり方次第ではできるかも」と思わせるところが、この「ギルドレベル」とギアドラのゲーム性の面白さなわけだ。そしてこれが同時にこの作品の弱点にも繋がってしまっているんだけど。

「ギルドレベル」の説明をしよう。これにはそれぞれ「剣士ギルド」「盗賊ギルド」「僧侶ギルド」「魔法使いギルド」の四つがあって、先の説明の通りに、自分が得たギルドポイントを使って、それぞれのギルドレベルを上げることができる。
それぞれのギルドについて、細かいことを抜きにして、ここの説明に関係する部分の大まかな説明をしよう、剣士ギルドはドロップアイテムの強化、盗賊ギルドはドロップアイテム入手率の強化、
僧侶ギルドはレア魔石の入手率の強化、魔法使いギルドは魔石をはめ込む各種装備のスロット空きと、魔石生成の強化となる。さて、こうなると「魔石」の必要もしなければならないだろう。
魔石というのは、基本的に殆どのダンジョンに落ちているもので、牙から極までのさまざまな種類がある。これは武器や防具のスロット枠(個々の武器防具によって数が異なる)に嵌めることで効果を発揮し、
まぁ感覚的に言えば1~3まで同じ魔石を嵌めれば、その魔石に関わる技を使えばダメージ(または防御力)が2割増しになり、9個スロット枠を嵌めれば2倍近いダメージを与えることも出来る。
ここまで説明すれば、この手のゲームに慣れた人ならなんとなく上のシステムとその面白さは理解できただろう。要は剣士と盗賊を中心的に上げて「ドロップアイテムの基本的能力」を上げるか、
それとも「僧侶」「魔法使い」を中心的に上げて、弱い装備でもスロット枠を増やして魔石埋め込みで頑張っていくか、またはその中間を狙っていくかといった戦略をユーザーが決めることが出来るのだ

ただ、この「ギルドレベル」の選択と「魔石システム」には、もっとそれ以上のうまい活用の方法がある。僕は先に「ドラクエのレベルを序盤から99に上げるように、ギルドポイント上げることもできるかも、と思わせる」と書いた。
ここでのポイントは、実際にそれをやるかどうかはさておいて、「そのように思わせる」というところにポイントがあり、実際にその「思わせる」ことを実現させた人と言うのは、少ないのかもしれないが、
しかしそれを部分的にやった人は、僕を含めて実際に多いだろう。具体的にどのような方法があるのかといえば、魔石には攻撃または防御の他に「経験値アップ」や「アイテムドロップ率アップ」というものがあって、
その中の「スキルポイント率アップ」という「金の魔石」を上手く使うのだ。この金の魔石は、一つだけの効果だとたった2%の上昇しかないが、例えば序盤で魔法使い中心にギルドポイントを上げれば、スロット枠3~5枠のアイテムは手に入る。
キャラクターの装備は剣からお守りまで一人あたり6個装備できて、基本的に6人パーティーだから、一人あたり全ての装備に金の魔石を埋め込めば約50%×6人で約300%のギルドポイントが得られるわけだ。
もちろん、これは「妄想は出来るけれども、実現は難しい」とはいえて、スロット枠3~5枠のアイテムを一人だけなら兎も角、全員分揃えるのには時間が掛かるし、また金の魔石もそれだけ揃えるのにはかなりの時間が掛かるだろう。
ただ、これを実現しようとするには「もの凄い時間」が掛かるわけではないし、部分的にやっていこうとするならわりと簡単にできるのだ。この計画のミニバーションでやっても、ひとりあたま20%ぐらいの金の魔石とスロットを埋めることは簡単で、
それだけでも全員合わせれば100%つまりは二倍ギルドポイントアップである。その状態でギルドポイントを上げながら、各種装備や魔石を集めていくと言うように考えることも出来るわけだ。これは別にスキルポイントだけではなく、
経験値やレアアイテムゲットにおいても同様のことが言えて、ギルドレベルと魔石システムをうまく活用すれば、通常の経験値稼ぎやアイテム稼ぎをさらに効率よく進めることが出来るように、思わせるところがこの作品の面白さのコアだろう。

因みに、なぜそれが効率的だと「おもわせるように」なのかと言えば、実際のところ、ゲームクリアをアイテム稼ぎの目的だとするのならば、その「効率的だと思わせるような」アイテム稼ぎの改良のためのアイテム稼ぎは、
その最初の目的(ゲームクリアのため)という観点からすれば、基本的には非効率的なアイテム稼ぎで、つまりはクリアの為にはあんまし必要ない、アイテム稼ぎのためのアイテム稼ぎにしかなっていないからである。
場合によっては、あるアイテムAを手に入れるためのアイテム稼ぎ時間Aと、あるアイテムを手に入れ易くなるためのアイテム時間B+当初のアイテムAの為の時間稼ぎAbでは、前者の方が早かったりするのだ。
とはいえ、後者の方が「お買い得」のほうにおもえるのは事実で、それは「たくさん買ったほうが一つ買うよりもお安いですよ」の売り方に少々似ている。要はアイテムAを手に入れるための、アイテム稼ぎをしている場合には、
そのアイテムA以外のアイテムや経験値や他のアイテムに必要な素材も貰えたりするからで、そうやって「一つの目的のために何かをやり、そのついでに、他の目的に必要なアイテムも貰えるかもしれない」と、
こうやって悪徳商法に引っ掛かるようにどんどん経験値稼ぎやアイテム稼ぎにはまり込んでいくわけである。そして、この作品のそれが他作品より優秀だとするなら、そのアイテム稼ぎの過程にロスがあまり生じない「ように」思えることだろう。
まず、ある目的のためのアイテム集めや経験値稼ぎでも、他の目的のための材料を手に入れることができて、そのバランス自体がじつに秀逸だという基本的な出来の良さはある。魔石は今のところ自分が使わない魔石でも、
他魔石の材料になるし、また「鉱石」や「食事の材料」といった、手に入れば手に入るほど後々有利になるようなアイテムが楽に手に入るので無駄な感じがしない。
装備アイテムにしても種類が多くまたアイテムの強度(トノイケソード+6とか+25とかある)からスロットの枠数まであり、最高の条件の装備を集めようとすれば時間は掛かるが、ある条件で役に立ちそうな、
たとえば「炎系の武器にスロット数が多いもの」程度の条件の武器ならわりと簡単に手に入る、つまり「最高の武器」を求める過程で「最高じゃないけど他の場面でけっこう役に立ちそうな装備」も手に入るから、
全体的に無駄な作業プレイを、無駄だと感じるようなことが少ないのだ。もちろん、これは「ゲームのクリア」だけを目的とするならば、自分から無駄な作業プレイを無駄じゃない楽しいと思い込んでやっているだけなんだけどねっ!

さらに、ここに前述の「途中からの難易度変更」と「竜骸塊によるレベルの調整」という二つを組み合わせると、やや大袈裟な言い方になるが、しかし基本的には序盤からLV99で、その難易度の最後まで使える武器を揃えることも可能になる。
なぜドラクエのアリアハンでレベル99にするヤツが滅多にいないかと言えば、それが原理的には可能だとしても、ずっとスライムと戦い続けていたら「飽きる」からであろう。ずっと同じレベルの敵と戦い続けるのは確かにキツイ作業プレイだ。
じゃあ、だったら、そのスライムが戦う度に「少しずつ」強くなって、経験値の獲得もそれに応じて上がるとしたら? またそこに前述のような「魔石システム」とギルドレベルによる工夫次第での、アイテム稼ぎ戦略が可能だとした場合には、
基本的にはアリアハンでレベル99にするのは、さほどキツイことではなくなるわけである。僕は基本的に「やり込みゲ」をあまり好まない人間であるし、やり込み要素のある作品でもわりとフツーにクリアしてそのままやめちゃう人間であるが、
この作品では、一周目において確か3章あたりでレベルとギルドレベルは最高で6~7枠のスロット装備が殆ど全員分埋まっていたりした。しかも、これが全く作業プレイだと感じられず、ゲームの内的論理にフツーに従っていたら、
そのまま自然に50時間ぐらいは軽く経過してしまったような感じなのである。最初はカオスルートに入ると、状態変化予防スキルを持つヒロインがいないと聞いたので、じゃあ今のうちに状態変化予防のために、
魔石とスロット数がある装備を集めてみようかなと、それに応じた経験値稼ぎをしようとしたら、まてよ、こうやった方が効率的じゃね?とか、こういう魔石の組み合わせななら、今の2倍は早くできるよなぁといろいろと試行錯誤していたら、
あっという間に夜が明けていたりするわけで、会社に行っても仕事内容よりもギアドラでこうした方が良いじゃないかとまるでギアドラが自分の仕事のように思われてしまう始末。
もともと、九尾系列の作品はこの手の試行錯誤ゲーム性がうまいところだったんだけど、今作をもってして、エロゲ業界で最高の育成または成長ゲーム性を持っているのは九尾作品に他ならないと断言しても構わなかったのである。途中まではね……


こっから先は、なかなか難しい微妙な問題が増えてくる。例えば、ドラクエのゲームバランスを云々する場合には、たとえ人によってプレイスタイルは無限に異なるにしても、
そのプレイスタイルの差異がゲームバランスといった問題にそれなりの影響を与えていると考える人は少ないだろう。言い換えると、ドラクエの難易度がヌルイ熱いという議論のなかで、
「そりゃお前がLVを上げすぎたのがいけないんじゃねw」みたいなツッコミをする人はあまり多くはないということである。これは具体的に言えば、だいたいプレイヤーによってLV差が一桁ぐらいはあるだろうと考えても、
まさか二桁の差はないだろうから、だいたいプレイヤーの大多数は多少の誤差はあったとしても同じ二桁のレベルや同じ程度の装備でゲームをやっているだろうという前提をおいているわけだ。
これはドラクエにおいてはわりと妥当な前提だといえる。前述したように、アリアハンでLV99まで上げる人間が殆どいないように、ドラクエにおいてはストーリーの進行と共に「標準レベル」みたいなものがある程度は設定されているからである。
あるストーリーの箇所に出てくる敵の経験値とプレイヤーキャラのLV設定によってそれは決まる。敵を倒しても殆どLVが上がらないようになれば、たぶんそこが標準レベルのリミットだろう。人によって誤差はあるだろうが、二桁のそれはないハズだ。
だが、このギアドラの場合はどうだろうか。上の議論を一言で纏めると「ギアドラはストーリーの進行を無視したうえで、効率的な経験値稼ぎやアイテム稼ぎがやりやすい」ということであるからして、
ドラクエのような「標準レベル」はドラクエほどには設定されていないと言っても良い。正確に言えば「敵のレベルは最低ここまで!」という意味での「敵の標準レベルは設けられている」のであるが、
「プレイヤーのレベルや装備は最高ここまで!」というような標準レベルは、確かにプレイヤーの最高レベルや装備アイテムの上限レベルはあるにしても、最低から最高までの幅がかなり広く、
ユーザーのプレイスタイルによって難易度が変わるのは確かだ。だから、ここで難易度とプレイスタイルに関する議論がどーしても出てしまい、そしてこれは一概にどーこー言える話ではなくなってくる。
例えば、僕がドラクエにおいてアリアハンでLV99にしたから、後はヌルゲーだったと言った場合には、そもそも僕が「異常なプレイ」をしているのは大多数の人には明らかであるからして、
僕の批判は「変な人が変なことを言ってる」程度でしかなくなる。これはこれで妥当な議論だろう。

でも、ギアドラにおいて、僕が序盤からほぼ最強装備を揃えてしまったから、あとはヌルゲーだったと言った場合には、これはなかなかむずかしい話になっている。
上で語ったように、ギアドラはそういうことがわりとフツーに出来てしまう作品であるし、そのような試行錯誤をさせることを、そもそもゲーム性の一部として確実に取り込んでいる作品ではある。
だから「お前がLVを上げすぎたのがいけないんじゃないのw」と突っ込まれても、「ゲーム自体にレベルを上げすぎるところがあるんだから、その対策をしていないゲーム自体が悪いんじゃないのw」とも返せるわけである。
もちろん、ここで「ゲームクリアのために関係ない経験値稼ぎをして楽しんでいるんだから、そのことによってゲームクリア自体がつまんなくなるのは当たり前じゃんw」という議論も出てくるだろう。
これらに対する賛否は、これから後述していくつもりではあるが、何れにせよ、この作品はユーザーのプレイスタイルによって、他のゲームに比べてより強く、大きく評価が変わってしまうということは押さえておこう。
ただし、これは別に「人によって評価はさまざま」という「どっちもどっち」議論を意味しているわけではない。その「プレイスタイルによって評価が変わる」ということは事実だと言え、
そのような構成を取っている(あるいは、取ってしまった)この作品が、総体として、作品の他の部分とのバランスを考えた結果、そのような構成を取ったことが正しかったのか?という議論はできるわけだ。
例えば、ある文章において「解釈が分かれる」ような多義性を込めたところがあったとして、なるほど、その文章の解釈は議論が分かれると認めたところで、その文章の全体の目的が例えば「クスリの説明書」だった場合には、
クスリの説明書という目的において解釈の分かれるような多義性を込めた文章を入れるのは妥当ではない、と結論することはできるし、そのミクロの多義性だけを取って全体の目的は解らないから議論できないと言うことにもたぶんならない。

まずはわかりやすい「欠点」から指摘していくと、単純にやり込みゲーとして考えたばあい、途中までの経験値稼ぎその他の効率化アップや魔石の組み合わせはかなーり面白いにせよ、
やり込みの最終段階に入ってくると「わりと簡単な決めパターンが見えてしまってくる」というのはよくないだろう。最終的に「フィリアに無敵させてその間にいろいろ能力向上させてアサルトで一発」でだいたいクリアできてしまうわけで。
まぁ流石にこれは「バグ」に近いから「禁じ手」とするにしても、有効なキャラや技がだんだん限られてくるのは否めない。アサルトや魔石による攻撃力アップと限界値を考えると、鋼の魔石で一発の限界値を高めるよりも、
複数回攻撃による一発を高めた方が遥かに効率的になってしまう。結果ルーチェはお役御免である。最後の方になってくると、特にボス系の敵には弱体化や状態異常は効きにくくなってくるから、弱体状態異常系もお役御免である。
最初から後半ぐらいまでは、いろんなアイテムや能力の組み合わせを考えるのがすごーく楽しいし、それを実現するために魔石やアイテム稼ぎをするのも滅茶苦茶楽しいとはいえるのであるが、
後半になるにつれて、その「やり込んだ結果」が「ゲームクリア」どころか「やり込みゲーお馴染みの超難易度」に対しても無駄だったんじゃないか?と思わせてしまうわけだ。僕は別にやり込みゲオタじゃないから、
この手の批判にはあんまし興味が無いタイプだったんだけれども、この作品の場合は前述したように、普通の人でも「やり込みに興じさせてしまうようなところ」が魅力のコアになっているわけだ。
そのような作品において、ユーザーに「効率的なやり込みを求めさせるような作品」において、その効率的なプレイが最強難易度のヌルゲ化を引きおこすからといって、
いざその場になって「そりゃユーザーがやり込みすぎたから悪い」だとか「縛りプレイをやって楽しめ」という、一部のひとの物言いは「自分はこうやって楽しんでいる」と言うのは別に良いとしても、
上記の批判に対しては何ら解答になっていないと言えるだろう。これについては後々に詳しく述べるが、プレイヤーがそのゲームの中で与えられている自由度システムと、プレイヤーを特定の行動に誘導させるゲームシステムを混同してはならない。

ただ、この「最強難易度でのやり込みがつまらない」という点に関しては、確かに早めに何とかするべき問題だとは思うし、この欠点を放置したまま作品を出したという点も批判されるべきでは思うのだが、
僕としてはそれほどには問題視していない。まぁそのうち九尾がパッチ出すだろwという今までの経緯に慣れてしまっているというのもあるんだが、問題はその「やりこみゲ」以外のところである。
こっから先が本当に難しい問題になってくる。つまり「この作品がストーリーをほぼ無視してやり込み出来るのは良いとして、さて、その面白さはこの作品のストーリーモードにどのような影響を与えるのか?」と言う論点だ。
最初に結論を言っておくと、僕はこの点で、ギアドラという作品は前作のフェルシスよりも「大きく劣る」作品だとはおもう。一言で言うならば、アイテム稼ぎや魔石システムの応用と言った「やり込みゲーム性」はフェルシスより進化したが、
そのRPGややり込みゲーム性を通じて、RPGならではの物語性を語るという点でフェルシスより退化していると思われるのだ。ただ、この結論を丁寧に導き出すのはなかなかに難しい。それはまず単純なレベルで言えば、
この作品のシナリオやシナリオの分岐やテキストがどーこーという純粋な「シナリオ面」のレベルの話もあるし、やり込みゲーム性と、ストーリーの進行における使用キャラの変化がうまく噛み合わないといったレベルの話もあるし、
先ほどの「やり込めばやり込むほどに詰まらなくなってしまう」というやり込み性そのものの問題もある。僕は最初にカオスルートからやって、かなり面白いと感じたんだけど、二周目に「やり込みの結果」が見えてきてしまうと、
一周目よりも面白みを感じなくなったのは事実だ。これは物語性も多少は関係していて、カオスルートでは有効に機能していた物語がロウではあまり通用しないとか、ロウとかカオスが結局似たような話じゃないの?ということもある。


とまぁ、いろいろな論点はあるわけだが、まずはひとつずつ見ていったほうがわかりやすいと思われる。となれば「ストーリー」というところから始めるのが、最初の切り口としては良いのかもしれない。
それにしても、最初から九尾を擁護するようでアレなんだが、ここ数年のゲーム性重視作品で「シナリオが良い!」とか積極的に褒められた作品がないことは確かであり、なんだかゲーム性重視作品は、
シナリオを最初に叩いておくのが最早デフォルトのように思われているところもあるだろう。九尾作品で言えば、最初に絵で次にシナリオを叩いて「そこさえ直せば良いメーカーなんだけどなぁ」というのが、
九尾批判の典型的言説であることも事実であって、こうした批判はそれなりに正しいところもあるわけだが、完璧に間違っているところは「九尾は毎回シナリオ前作から直そうとして、それが逆に失敗している」というところを押さえてないところだ。
フェルシスが出たときも「ちんま様のほうがカッコ良かったw」だのいわれ、フロンティアが出たときも「池ポチャ級の女神がいないw」だとかギャグ半分で言われていたわけだが、
そのような批判が正しいかどうかはさておき、九尾はシナリオについていろいろ言われて、たぶんその点もメーカー自身がかなり気にして、いろいろ変えようとしているのは事実だと思うのだ。
今回も体験版のときにも言われていたいように、地の文をなくして、1シーンあたりのテキスト量を随分とダイエットした。これは今までの九尾のシナリオ批判(あ、因みに僕はそんなこといってませんからね)である、
「地の文が寒い」だとか「テキストがクドくてつまんない」に対応したものではないだろうか、そして、その結果がこーなってしまったのだから、九尾のシナリオを前述のように否定していた人間は、
今回のシナリオを否定する場合には、もっと別の論拠を持ち出す必要があるし(まぁどーせ、前と同じことを繰り返すんだろうけど)、九尾の人たちもユーザーの文句を(僕を含め)そのまま真に受ける必要はないんじゃねと思う必要があるだろう。

今作のシナリオのやり方は、基本的にはジェットコースター方式の書き方である。この作品は最初の序章から最終章まで全8章あって、四章でカオスとロウに分岐するわけだが、その書き方自体はカオスとロウでもあまり変わらず、
3章あたりから次々とイベントが発生して状況が回転していくような物語が描かれる。三章の始めぐらいまでは、ストーリー進行のためのイベントと、攻略キャラの為のイベントといった感じで、二種類のイベントが同時進行するわけだが、
四章以降は殆どストーリー進行がメインで、その状況のなかでキャラの心理や言動が語られるといった次第である。因みに、4章以降において、キャラの好感度やそれまでのフラグによって「個別イベント」のオンオフもあるが、
今までの九尾作品には見られなかった特徴とはいえ、これも全体的に見れば基本的には「一つのイベント」に過ぎず、物語全体の進行やその物語の印象を大きく変えるものではない。基本はプロットの進行がメインという点は変わらないのだ。
確かにこの点だけで言えば、フェルシスに比べると「クドくはない」とは言えるだろう。フェルシスは中盤までは、ほぼ学園関係のイベントのなかに後半の伏線を徐々にばらまいていて、実質的に物語が大きく動くのは後半からだった。
ギアドラはもう前半の終わりから物語が動きはじめ、それは物語が終わるまで止まらない。九尾系列作品で言えば、VBシリーズの物語展開に近く……いや、アレよりも個別キャライベントが少なく、物語の回転が多いといった感じだろうか。

このような物語手法をどう評価するかであるが、僕としてはカオスルートに関しては、この手法も上手くいっているとはおもうのだ。カオスルートの場合には、主人公が人間側から裏切られつつも、
主人公を最後まで裏切らなかった家族たちを守るために、魔道と鬼畜の力に手を染めていくわけであるが、「信頼していた人間たちに突然裏切ら」れ「今まで所属していた共同体から追い出されて、余裕のなくなっていく主人公の精神」を表現するのに、
キャラクターの心理をあまり語らず、状況だけが刻一刻と悪化し変化していくというような物語展開は、ある意味で「主人公たちの言うことが説得力がない」ということが、彼らの状況をもっとも説得力のある形で表現しているように思える。
このシナリオにおいて、主人公は「家族のためだ!」という理由で平気で人をぶっ殺したり犯したりするわけで、なるほど、化け物だからといって主人公たちをぶっ殺そうとした人間たちの行動にも説得力がないが、
主人公たちの行動も同様に説得力がないのは確かである。ただ、追い詰められた人間または化け物でも良いが、彼らがよりどころにするのは「家族しかない」というような、凄みを描けているという意味では、このシナリオはイイ線いっている。
エロゲ批評で結構正当性をもって使われるのは「内面が描かれている/いない」だとか「人間性」といったフレーズであるが、、これらはまさに歌謡曲の歌詞と同じくらいの説得力を持った言葉であることは間違いない。
まぁこれは要するに「自分が納得するようなキャラクターの心情が描かれていない」ということに等しく、彼らは粗暴な人間は繊細な人間の感性が理解できないとか言いたがるが、逆に彼らも粗暴な人間の感性を理解できないくらいには粗暴なわけで、
まぁその倒錯した主張のためにわざざわざ「人間性」という言葉を持ってくるあたりが彼らが動物たる所以なのだ。All human are humane, but some human are more humane than others.
そして、このシナリオでは、登場人物の行動をお互いが理解できないようなまぁ悲惨な状況を描いているのだから、そこに内面が描けていない、そんなキャラクターの心理が納得できない!といったところで、そもそもここで描かれているのは、
そのように人間たちから化け物と追い出された人外たちと、人間が化け物といって自分が理解できないものを排除しようとする化け物人間たちのお話なのだから、彼らの内面や心理が納得できないのは、当たり前の話なのである。
ただ、一つだけ理解できるものがあるとすれば、それは主人公たちが執拗に口にする「家族」という言葉の、他のエロゲではあまり感じ取れない崇高さであろう。このシナリオはもはやそういう意味でシチリアマフィアものに近づいてしまっている。

大抵のエロゲは、世間で認められた家族像の「なかで」葛藤する。近親相姦モノのエロゲが、まぁヨスガがどっかの教育委員会に認められたのも、結局はそのみんなが認める「家族像」という「規範のなかで葛藤している」からであり、
「近親相姦のタブー」といったところで、日本のそれはズバリ「タブーであるということをみんなが共有しているという文脈」が重要なわけだから、そこさえ押さえておけばいくら兄妹エロを描いても「背徳感を共有しているからおk」で許されるわけ。
これはどちらかと言えば、一神教における絶対的また倫理的文脈共有というよりも、ある種の物語的または強いて言うならエロティック文脈共有といっていい。だから体罰の問題でもすぐに「愛」みたいな言葉が出てきちゃうわけね。
しかし、このカオスルートにおける「家族」は、自分たちの家族規範を何よりもまず第一の原理とし世界に刃向かっている点で、世間一般の家族像という規範を遥かに超えている。ローマ帝国が家族の反乱から生まれたような超家父長制度の神話に等しい。
この吹っ切れの良さは評価に値すると思う。僕は別に規範に認められた家族像を批判しているわけではないし、そういう意味では規範的家族像をそのまんま表現するエロゲは太好きである。
ただし、僕が近親相姦モノや「家族愛」を語るエロゲでイヤなのは、規範で認められた家族像のなかで葛藤しているだけなのに、詰まるところ安全圏のなかからグチグチ繊細な内面を垂れ流しながら世間は解ってくれないとか言っているだけで、
みずから、自らの家族と自らの家族の原理を作ろうという意思にも欠け、結局はその規範の家族像と共犯関係を結んでしまっているのに、なんだか人間的なモノローグをうしの涎のように垂らしながら言い訳を大量生産することで、
反抗しているように見せかけてしまっている欺瞞的なところだ。そのような人間的でガッテンガッテン納得できる家族愛の物語よりも、化け物的で誰も納得しようとは思わない家族愛で人類をジェノサイドするような物語の方が、
「家族」というものの恐ろしさと痛切さを語りえるのではないだろうか。家族というのは悪夢でもあり淫夢でもあるからこそ、何よりもの希望の源泉なのだから。このシナリオはその一端にほんの少し触れている点で、見応えのあるお話ではあった。

とはいえ、だ。カオスルーとはこれでいいとしても、ロウルートはこれじゃあダメだろと思ってしまうんだよねぇ。カオスルートが物語進行だけでほぼ進み、個別キャラのイベントが少なくてOKなのは、
上に言った事情に加え、そもそも「攻略キャラ」自体が少なく、物語そのものもシーターがメインヒロインだと始めから決まっているようなものなので、シーターと主人公だけフォローしておけば、物語の体裁は整うからである。
でも、ロウルートは一応共通ルートからのキャラ関係を引き継いでいるわけじゃないですか。選択肢によって多少は変わるものの、たぶん大半のユーザーは3章あたりで3Pとかもしちゃっているわけで、
エデンのキャラを除いて、幅広くヒロインと主人公の関係をフォローしなきゃいけないわけじゃないですか。また、カオスがああいう悲惨な物語展開だったというこは、ロウはそれとは正反対とはいわなくても、
もうちょっとは明るい展開を期待しても良いはずだ。でも、これがものの見事に裏切られてしまったんですよね。「物語内容自体」はカオスとそりゃ違うけれども、人物キャライベントや日常イベントが少なめで、
プロット進行のみでで物語が進んでいくという「物語展開自体」は殆ど一緒だもん。たぶん作り手としては、カオスとロウの二つのルートを作ることによって「同じような物語展開のなかから違いを見出すのが面白い」と思っていたのかもしれない。
ロウだと途中でメンたまさんが死ぬけど、カオスだと最後まで生き残るとか、カオスで最後までよく語られなかった主人公の過去がロウだと語られるとかね。そう言う意味での面白さも無いわけではないんだけど、
僕としてはカオスと似たような、でもカオスほどには説得力がない話が似たように語られているなーってだけであんまし感心しなかった。どーせ、主人公がいろんなキャラと和姦セックスしまくるルートなんだから、
そっち方面のモテモテ描写を中心に家族がどーこーとかやった方が説得力があると思うんだけどなぁ。これならフェルシスのやりまくりアベル君の方が、まだいろいろ文句を言われるだけあって、物語と主人公に愛嬌が合ったと思うんだけど。
こっちのラディ君は、カオスルートの残酷ラディ君は結構カッコ良かったんだけど、ロウルートのラディ君は本当にチンポ男優でしかなく、そのくせ後はまわりのキャラがいろいろ上手く動いてくれましたっていう印象しかないもの。
カオスとは違って、最後はちゃんとした個別キャラエンドがあるのはいいとしても、これ、ホント「最後だけ」で、途中の過程とかは単に物語のなかでエンドフラグ立てましたってだけだからなぁ。

ここいらでカオス・ロウの分岐と各キャラのエンドの分岐、そしてエチシーンについて述べておくと、、カオスルートはシータ、シズナちゃん、変態忍者、カウラ、マリアのエンドがあり、
エチシーンは前述のメンバーがほぼ主人公との和姦または調教エロとシータはNTR的陵辱エロにも分岐する。他にルーチェとアルマとジルとジャスミンが主人公による(または主人公の命令による触手チンポ的なものの)陵辱エチが基本ルートにあり、
他のキャラ、つまりフィリアとステラとエレンはNTR陵辱エロも分岐する。ロウは基本的にフィリア、ステラ、エレン、シズナ、アルマ、ルーチェ、ジル、ジャスミン、シータのエンドがあり。
その前述のメンバーからシーターを除き、共通以降は彼女たちの和姦エチが基本的に1~2回。ユーザーの選択によって、主人公の貞操を守っている場合に発生する純愛エチがキャラによってはあったり無かったりするといった次第。
あとは序盤からフツーに全キャラとやりまくっていると途中で3Pエチがあったりするのだが、そこでヒロイン達が主人公に二股するのは良くないよと当たり前のことを指摘しつつも、ヒロイン達も3Pをやってしまうと言うのはちょい笑わせて頂いた。

んで、九尾系列の作品の個別エンドと言えば、基本的にトゥルーエンドのオマケ的な存在という意味合いが強かったり、ユーザーがあんまし望んでいない誰得気味な個別エンドが多かったりするわけだが、
これについては簡単な理由がある。まぁ作品によって多少の差はあるんだが、基本的に個々の作品はトゥルーエンドまたはトゥルーエンドに繋がる本編の物語の雰囲気にわりと反してしまうようなマルチエンドや、
マルチストーリーみたいなものをあまり書かない傾向があるのだ。例えばこの作品で言えば、カオスルートの個別エンドと(分岐)陵辱エチの傾向がそうで、まず個別エンドの方からいくと、
基本的に主人公がシータに執着しているため、その他個別エンドにおけるヒロインの役割は、あくまで「主人公の忠実なる下僕」という関係を超えない。エロにしても、あくまで主人公の家族を守るというお話なので、
主人公はフィリアやステラ達には絶対に手を出さずに、彼女たちはキモデブたちの毒牙に掛かって、それが主人公の人間不信の考え方をますます強めるような、本編の物語に接続されているわけである。
さて、トゥルーエンドを軸に分岐した物語を作るという意味では、それなりに一貫性があるとは言えるわけだが、ユーザーがそれを楽しいと思うか、もっと言えば「あくまでトゥルーの補強にしかならないマルチエンドやルート」を
望むのかというのは、なかなかにむずかしい話である。カオスについて言えば、僕は輪姦シーンがあるとは覚悟していたが、まさかNTRシーンがあるとは思ってもおらず、結構ムカっときたのはここに告白しておこう。
NTRといっても、主人公以外の男性が主人公との意思とは別に陵辱エチをするってだけだから、NTRと言うほどでもないかもしれないが、カオスルートって主人公が全ヒロインを犯し尽くすみたいな説明があったわけで、
なんでオレサマがステラやシータを屈服させないのか?と話が違うじゃないかとは思ったわけだ。まエンドや分岐シナリオがあるといっても、それが結局は物語の大筋を(そのなかでは)変えられない、しかも発売前と言っていたことが、
微妙に違うというのは、少なくとも僕にとっては結構ストレスが溜まるものではある。これはユーザーに対するサービスだったり、作り手のトゥルーエンド製作のためのユーザーに対するマルチエンド妥協なのかもしれないが、
そんなもの結局はトゥルーを補強するためのマルチだったら最初から個別エンドや分岐ルートなんて入れるんじゃねぇよとはおもうわけだ。ユーザーに対して、妥協やサービスをしているように見えて
、結局は作り手の物語像を押しつけているだけなら、始めからマルチエンドなんてやらなきゃ良くて、堂々と一本道ですと言いきったほうが良いんじゃないか。まぁもちろん、いま僕が上げた議論についてはいろいろな意見があるだろうし、
これは実はエロゲのマルチエンドに関する本質的な問題であるからして、一概にどーこーとはいいにくい問題ではある。それは認めるにしても、この作品または九尾系列の「トゥルーを補給するマルチエンドやルート」が、
そのうえであまり出来がよろしくないのはわりと同意なさる方が多いのではないだろうか。本当は個別ルートだの分岐ルートなんて描きたくないのに、ユーザーの要望があるから仕方なくといった感じで短いそれらを書いて、
そのうえでだけどちゃっかりトゥルーエンドをも補強するみたいな、中途半端さをいつも感じてしまうのだ。まぁ天ツ風のような本格的なマルチエンド作品もあるから九尾作品全てがそうだってわけじゃないんだけどさ。
ロウルートは前述の通り、ちゃんとした個別エンドがあるだけマシなんだが、「最後だけよかった」という話でしかないからなぁ。別に全員に個別ルートを作れとまでは言わないけど、エンドクエストまたは、
それに繋がる何個かの個別クエストをもっと作っても良かったんじゃ無いのかなぁ。最初の共通あたりだと、そういうのが多少はあったのに、カオス・ロウルートになるとバッタリなくなるから、余計に手抜き臭がしてしまう。


さて、このギアドラの売りとして、フェルシスからの進化ポイントとしてよく語られていたのが、カオスルートの召喚じゃなくって娼館システム、ロウルートのギアシステムであるが、
これも実に残念な出来ではあった。まず娼館システムというのは、これは基本的にカオスルートになると主人公のスキルや能力が変化して、エチイベントをこなすごとに新しいスキルを覚えますよと言う話でしかない。
しかもエッチするキャラは前述のように最初から決まっていて、誰とエッチした場合には能力が手に入るが仲間にならないみたいな選択もなにもないので、基本的に何とかシステムと言えるような話ではない。
ギアシステムは、娼館システム(笑)とは違っていて、一応は武器にその特定のギアをつけるとスキルと能力が向上するみたいな話にはなっているが、これも基本的にはゲーム中においてあまり役に立たない。
そこそこ使える中級または上級ギアは最後の方にならないと手に入らないし、その最後の方ではもうユーザーはギアの助けなんか要らないくらいには強くなっている可能性が高いからである。
両方において特徴的なのは、主人公がいろんなスキルを覚えるにしても、各キャラクターがギアをつけて他のスキルを身につけるにしても、それが実際のゲームの攻略の上ではあまり役に立たないことだろう。
結局のところ、この作品ではアサルトがボス戦の決め手なので、主人公またはその他キャラがいろんなものを覚えたとしても、アサルトにおいて行動できるのは一回だけなのだから、
主人公またはその他キャラは初期設定からの自分の得意な攻撃をするしかないのである。またもうちょい細かいことを言うと、カオスは後半殆どメンバーが固定されていて、ロウもクエストに関しては固定メンバーが多いので、
いくら主人公または他のキャラがいろいろ出来るようになりますよと言っても、結局はその固定メンバーにおいて最も効率的な戦いをするしかないんだから、わざわざギアを嵌めたり、主人公の役目をいろいろ変えたりするようなことは少ないのだ。
結局、前に書いた「いろいろやり込んでみると、わりと簡単な最適パターンが見つかってしまう」を超えるようなものではないんだよね。たぶん作りとしては、ロウだとパーティーの変化によってギアを付け替えたり、
カオスだと主人公の役目を万能キャラみたいに位置づけたりさせて、ロウとカオスでこんなに闘い方も違うんですよ!楽しいですね!ってやりたかったのもしれないけど、それ以前の基本のゲームシステムがある意味で盤石すぎたからなぁ。

固定メンバーといえば、前作のフェルシスは前半から中盤にかけてメンバーはほぼ固定で、後半はわりと自由に主人公以外はパーティーを入れ替えできるような流れだったと記憶している。
今作は、なんかクエスト毎に固定メンバーが入れ替わるといった感じで、カオスは後半はほぼ固定というか選択できるキャラが少ないので固定にならざるを得ない感じであるが、
共通またはロウはあるときはガチガチに固定されていたり、あるときは主人公とあるヒロイン以外は全く自由だったり、じつに一貫性がない。これもまた少々問題である。
フェルシスの場合は前半から中盤においてメンバーが固定されていたために、その固定メンバーに関する日常描写やダンジョン内での会話も多くなり、またその固定メンバーで長く戦い続けるので、
物語の面でもゲーム性の部分でもその固定メンバーのキャラにある程度愛着が持てたわけである。が、今作はクエストごとにメンバーがクルクル変わったり、またあるときは自由にメンバーを組めるので、
物語の方でも常駐メンバーを指定することも出来ず、またユーザーが自分の好きなメンバーで固めてそのオレオレティームに愛着を感じることもできなくなってしまう。この点、なんとも中途半端なのだ。
ストーリーモードでやり込みプレイをしている人間からしてみれば、せっかくステラ用の装備を固めていたのに、カオスに入って途中からステラ戦線離脱だとかはかなり泣ける。そうまでは行かなくても、
途中で全く装備アイテムを集めていなかったキャラをクエストで使うということになると、これはこれで不愉快だ。だからといって、この物語が指定するメンバー固定は、そのメンバー固定が物語に必要だと思わせるほど強い力は持たない。
たぶん作り手としては「いろんなキャラを使って、いろんなキャラに愛着を持って物語を進めて欲しい」と言うことなんだろうけど、そのような意図と、この作品の強力に魅力的なアイテム集めや経験値稼ぎのゲーム性が矛盾しているわけ。

ただ、僕は随分前に「最後の方になるとフィリアの無敵張って能力いろいろ上げてアサルトで一発でつまんねー」みたいなことを書いたけれども、これはたぶん「ストーリーモードをあまりやり込まずにやった人向けのゲームバランス」かもしれない。
実際、僕のヨタ友人は一周目ロウをあまりやり込まずにクリアして「すげぇ神バランスで面白かった」みたいなことを言っていた。そのように考えると、なるほど、そうやってやれば良いバランスなのかなとおもう。
たぶんそういうプレイだとアサルトを四発ぐらいかまさないと後半のボスは倒せないだろう。そういうパーティだと防御力も低いと思われるので、そこでフィリアの無敵は一時的な立て直し策として実に良いスキルになるのかもしれない。
先ほど批判したギアとか娼館システムも、そのような「あまりやり込んでいないプレイヤーの、ノーマル難易度向けの救助策」と思えば、その条件に合致するユーザーならば、そこそこ有益に思える可能性はある。
固定メンバーがクルクル変わったり、カオスになるとあまり使えなそうな変態忍者やマリアちゃんが入ったりするのも、特にやり込んでないプレイヤーなら
「うわー、突然へんなパーティを組まされてしまった。でもこの状態でクリアするのは楽しそうだ」と思う人も結構いるかもしれない。わりと一周目からやり込んだ僕でも、カオスルートではそういうことを多少は思った記憶があり、
フェルシスをやらずに、始めて九尾作品やギアドラをやった人には、この作品が「他の作品にはない、すげぇ神バランスの上に作られた作品」と評価する可能性はわりと高いかもしれないのだ。
そういう意味で、僕が批判したゲームバランスについても、僕とは異なるプレイスタイルの上では、それらがピタリと当て嵌まる可能性ということがあるんではないか?という点では、僕はあまり否定はしない。
単純な話、自分はこういうプレイスタイルでやったら楽しかったですよ?という話「だけ」であるのなら、それはそうでしょうと言うしかないわけである。

ただし「このプレイスタイルでやると楽しい」という話と「このゲームはそのプレイスタイルに導くようなゲーム性がある(またはない)」という話は、まったく別のお話である。
前者は「プレイヤーの自由度」という事でまぁ好きに言える部分だが、後者はプレイヤーの自由度だけに還元できる話ではない。最初の例を使えば、ドラクエで誰も最初の地点でレベル99に上げないのは、プレイヤーの自由度だけではないはずだ。
このギアドラが問題なのは、ストーリーモードで言えば、たぶんそのストーリーモードが楽しめるようなプレイスタイルを何らかのレベルで意図しているはずなのに、そのストーリーモードにおいて、
その製作者が意図されたプレイスタイルとは異なるプレイスタイルにも誘導してしまっていることだろう。つまり、ストーリーモードにおけるストーリーを楽しむためには、たぶんあまり「やり込んではならない」ハズなのに、
もう一方においてこの作品は「ストーリーの展開をほとんど無視してレベル99まで上げられるような」やり込みプレイをするのが楽しいようなゲームバランスを作ってしまっているからである。
なるほど「それはお前がやり込みすぎたからストーリ-モードーが詰まんなかったんだw」というのは、確かにユーザーがそのような行動を自ら選んだと言う意味では「ユーザーの自由の結果」であることは確かだが、
また一方において「そのようなやり込みプレイを面白いと感じさせるようなゲームシステムを仕組んだ」のは、これは基本的に作り手の責任であり、その自ら仕組んだやり込みゲーム性の面白さによって、
ストーリーモードのストーリーが詰まらなくなったとユーザーが感じたとするのであれば、それはストーリーモードのストーリー性とやり込みゲーム性を上手く調和させることができなかった、作り手の責任であることは間違いないだろう。

纏めるならば、今までの各種要素に対する批判にも多かれ少なかれ関係しているところであるが、この作品はなにか「自由」と「制限」のバランスが妙に噛み合っていないように思えるのだ。
この作品は確かに作品の売りのように、ユーザーの自由でまずはゲーム性の部分で最初からLVを最高に上げることができたり、アイテム集めに邁進できたりいろいろ出来るし、
物語の分岐性の部分でも、カオス・ロウに分岐し、またそのなかでも純愛エッチや陵辱エチの分岐があったりと、こちらもいろいろと自由に選択できそうな気がする。だから、ゲームを始めた当初や1周目はすげぇ楽しそうな感じがするのだ。
だけど、ゲームをやり込めばやり込むほど、いくらアイテムや魔石をいろいろ集めたところで「結局は無敵張ってアサルトで複数回攻撃でおkw」と「必勝パターン」が読めてきてしまうし、
いろいろ物語は分岐すると言っても、カオス・ロウの物語の枠組みは大して変わらず、その中の個別ルートや個別イベントがあるからといって、本編の物語やトゥルーエンドの物語からずれるものではなく、それを補強するに過ぎないとわかってしまう。
つまり、いろいろとやれることは多いし、いろいろとやっている間はかなり楽しい作品ではあるんだが、いろいろやったところで、しょせんこの作品の「正解」はひとつなのだとわかってしまうと、いろいろやっていた時間が長く楽しかったぶんだけ、
その「つまんねなー」の反動はかなり大きいわけだ。僕が最初からネガティブ調子でこの作品を語ってしまったのも、そんなところが大きい。この作品はその作品の面白さのぶんだけ、同じくらいに詰まらなく思えてしまうのだから。


と、84点と高い点数をつけたわりには、随分とネガティブなことを書いてしまったと思うし、九尾作品のレビューのなかでも、たぶんいちばんネガティブな批評を書いてしまったのかもしれない。
「しかしそれは九尾に対する愛のためだ」なーんて言うと体罰教師と同じだからそうはイヤン神崎なわけで、まぁ今まで九尾作品に感じていた駄目な部分が、今作ではハッキリ出てしまったから、それを指摘しやすかっただけでだと思う。
別にフォローするつもりはないんだけど、僕はこの作品のヤリコミゲーの部分だけでも90点ぐらいはつけても良かったのだ。1周目をクリアしたときには、ついに九尾作品も90点超えか!と思っていて、
だからそれが2周目にドンドン下がっていって84点になったわけで、そのマイナス6点も下がってしまったということに、作品の完成度以外のところで「せっかく90点クラスの作品だったのになぁ」みたいな恨みも強いのだろう。
まぁ今になって、自分の他の九尾作品のレビューを見てみると「ゲーム性の基本部分は凄い良いのに、他とのバランスがダメダメだよね」みたいなことしか言っていないので、今回もある意味同じことしか言っていないともいえると思うけど。

まぁ僕の個人的なお話はどーでもいいとして、九尾の今度にはまだまだ興味はある。けーまる氏は「自分が望んでいたハクスラ系RPGは作り終えた」と言っていて、氏の正直なコメントには毎回まいかい感心させられる。
そうなんだよね。「ハクスラ系」っていうのは人によっていろいろ定義が違うみたいな細かい話はあるんだが、この作品は基本的にアイテム稼ぎや経験値稼ぎに特化したハクスラ系だと言えば基本的にその通りで、
逆に言えば、そのハクスラ系RPGだけに物語を物語るには向いていないわけだ。全く問題にしていなかった、ということはないにせよ、この作品がハクスラに特化しすぎたとはけーまる氏も内心では思っているのだろう。
けーまる氏はこの作品で得た経験値を次のSLGでも生かす、とは言っていて、次のSLGと言えば基本的にVBシリーズになるんだろうけれども、でも、これだとある意味で毎回同じパターンだとも言えなくもないのだ。
つまり、毎回と同じようにゲーム性に関しては着実にやり込み度とかは増えていくのに、そのゲーム性とストーリーの関わり合いが薄くなったり、場合によっては分裂しちゃったりするのね。
それで「九尾はゲーム性はいいけれどもストーリーがダメ」だとか批判されて、その批判コメントを真に受けてストーリーやシナリオ「だけ」をいろいろ変えたりするんだけど、そうしたらそうしたで昔の方が良かったと叩かれるみたいなパターン。
いや、別に次のVBがつまんねーと言いたいわけではなく、たぶん次のVBも最低でもVBE最高でもVBFよりも面白いのは確かだろう。また、VBシリーズはもう既に九尾系列の「カオ」ともいえるシリーズなので、
このシリーズに関しては、ある意味で「今までのVBと同じような安定した鉄板作品」を作っても良いと僕は思っている。だから別に「今までと同じようなVBになるんじゃね」というのは、別に批判でも否定でもなんでもないのだ。

ただ、VBはVBでそう言う路線でやっても良いと思うんだけど、九尾ってもっと他の路線のソフトも作れそうな気がするのは、僕の贔屓目でも妄想でもないと思うのである。
これだけ売り上げも増えて、たぶん固定客もそれなりに増えてきたんだろうから「天ツ風」みたいな、かなりの規模のマルチエンディング超大作を作ることも可能だと思うし、
別に「ジャンケンシステム」に依存しなくても、あのような大長編を支えるゲームシステムを構築するのは、今のけーまる氏と九尾の売り上げをもってすれば、まぁ不可能ではないと思うのだ。
また別に天ツ風のような「大長編」でも、このギアドラやあるいはVBシリーズのような長編作品でなくても、適切な呼び名は難しいのだが、単純な紙芝居ADVではない「まじょぷり」のような作品や、
調教SLGだけに限定されない「灰色の空に堕ちた翼」のような、物語規模としては中編程度の物語を、何らかのゲームシステムを用いて表現するような作品、要するに三尾的な作品をもっと出せば良いのにとも思うのだ。
今の九尾は「ゲーム性だけは面白い」と言うことは認知されているんだけど、そのゲーム性を用いて物語を語るという点はあまり上手くないわけでしょ。だから、三尾という、ある程度は実験が許されるブランドにおいて、
もっとゲーム性と物語性をどうやって上手く調節するかと言うことをやった方が良いと思うのだ。結局、今のところ九尾は、カメリアとかもそうだけど、物語を中心的に語るとなったらジャンケンに頼らざるを得ないわけで、
また一方でそれでゲーム性を強化するとなると、このギアドラみたいにゲーム性の部分だけ突っ走ってしまって最初からフリーをやった方が良いじゃんみたいな話になってしまう。それをいきなり一本の作品に上手く合わせるのは難しいわけで、
ある程度はいろいろやってみないと、メーカー独自の「これだ!」というハマリ具合を持つ作品は作れないんじゃないのか。まぁVBはそう言う意味で結構イイ線行っていると思うけど、VBだけを作り続けるわけにも行かないだろうし。
まぁなにがあろうとも、ロリ竜っ娘が出てくる限りぼくと九尾の腐れ縁は永遠に続くと思われるので(迷惑だ!)、九尾はこれからもいろいろ言われ続けたら、まぁ半分ぐらいは聞き流して頂いて、今後もいろいろ作り続けるしかないんじゃないすかね。

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