OYOYOさんの「柊鰯」の感想

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86柊鰯
時々、荒削りだが強烈に人を惹きつける力を持った作品というのがある。本作は、そんな作品の典型だろう。公式にも発表されている通り、震災関係の表現があるが、この作品はそれ無しでは成り立たなかったという意味でとりあげる要件を満たしている。こういう作品が出る同人業界というのはやはり凄い。改めてそう思う。
同人シナリオライター、安治川鰮(あじがわ・いわし)。35歳、童貞、キスもまだ。今日できることは明日やる、が重なりすぎて、結局何もできませんという絵に描いたような自堕落男。そんな彼の元に、14歳の可愛らしい、けれど無表情な「家政婦さん」がやってきたところから物語が始まる。少女の名は、木津川柊(きづがわ・ひいらぎ)。東日本大震災で居場所を失ったという話を聞いて、鰮は打算と同情から、彼女の身元を引き受けることにする。同人サークルのリーダーにして、鰮を誰よりも昔から、誰よりも深く理解している女性、天保山桜(てんぽうざん・さくら)を交えての恋愛模様。震災後の日本を舞台に、そこに暮らす人びとの心の交流を描いた物語だ。

「ほのぼのほっこり生活ストーリー」などと紹介されているが、東日本大震災を扱ったことからもわかる通り、なかなか重たいテーマと展開がある。そして、現実に多くの被災者がいる以上、このようなテーマを扱うにあたっては、必ず批判が来ることはさけられない。なればこそ、この物語にとって震災の描写はどの程度必要だったのかという必然性は、必ず問われねばならないだろう。そして『柊鰯』という作品には、その必然性があると私は思う。

わずか数時間で終わる物語の中心は、鰮と柊との心の交流。歳の離れた二人がお互いを理解し、交流していく様子が優しいタッチで描かれる。けれど途中明らかになるように、二人の間には年齢よりも絶望的なひらきがある。それは、柊が被災者であるのに対し、鰮はその様子をネットで見ただけの人間にすぎない、ということだ。鰮はどうしても、柊の心の深い部分に手を届かせることができない。正確には、できないと思いこんで悩んでいる。

このような、「当事者性」を巡る問題は、震災後の日本において常に大きな問題となってきた。「被災者の気持ちもしらないで」――「被災者でもないくせに」――。そんな言葉が飛び交う様子をよく見かける。

私は1995年、阪神淡路大震災の折、淡路島にほど近い明石という街に暮らしていた。朝起きたら対面の家がぺしゃんこになって潰れていたのを鮮明に覚えている。その時私は震災の当事者だったわけだが、以降ずっと、あることを疑問に思っていた。それは、被災者もそうでない人も、「当事者性」を振り回して良いのか、ということだ。なるほど「阪神で被災して~」というと、多くの人は同情してくれる。「私には気持ちがわからないから」と遠慮し、優しくしてくれる。しかし、それは相手を無理矢理黙らせていることにならないだろうか。わからないから喋らない。それは、コミュニケーションの断念だ。「当事者性」を強調することで、私たちは人との交流の機会を、どんどん失っていった。

同じことが、今起きている。東日本大震災で被災した人びとの気持ちを、被災しなかった人間は確かに理解できない。そうした交流への断念が歪んだ形となってあらわれたのが、「不謹慎」という言葉で震災に関する言説を過剰なまでに断罪しようとする姿勢だった。これは、当事者でない人間が「当事者性」に配慮した結果もたらされたものであると思う。

とはいえ、そうなってしまったことを責めても仕方がない。阪神にしろ東日本にしろ、震災というのはそれだけ大きな力と印象を私たちに与えたのだから。震災によって人は、他人との間には埋めがたい溝が――一たとえその場で一緒にいたとしても共有できないような深い溝が、横たわっていることに気づいた。私とあなたとの経験は、決して重なることはない。「被災者の気持ち」を振り回す言動の裏には、その事実に対する絶望と苛立ちとが、おそらく潜んでいる。

けれどそれは、本当は震災の前から、既にあったはずのものだ。震災は私たちに溝の存在を突きつけたかもしれないが、震災が溝を生んだわけではない。コミュニケーションの限界や他者性は、日常生活において常に私たちの側に控えていた。

本作はまさに、そのような交流の不可能性を前に、私たちがどう生きていくか、ということをテーマ化している。鰮は(こう言っては何だが)バリバリの社会不適合者で、人との交流を避けて自分の小さな世界に閉じこもってきた。プレイすればすぐに理解できるだろうが、これは単に、鰮がコミュ障だったとかそういう話ではない。震災によって表面化する前から、彼は他人との間の溝に、鋭敏な感覚を持っていたということだ。常に自分に卑屈な鰮は、他人との絶望的な距離を身に染みて感じ続けてきた。

そんな彼の前に、柊があらわれる。周囲を拒絶するような彼女を見て、けれど鰮は、逆に彼女のことを知りたいと思うようになる。「こんなに別れがつらいなら。最初からつきあわなければ傷つかない」。それでも彼女のことを知り、支えたいと。

「どんなに話を聞かせてもらっても。永遠に解ってあげられないのかもしれない。本当の気持ちを。苦悩を。恐怖を。後悔を。理不尽を。唐突を。無情を。忘却できなさを」

柊の抱える気持ちは、柊にしかわからない。当事者でない鰮には、彼女の辛さに決して手を届かせることなどできない。けれどそれならば、私たちは指をくわえて誰かが悲しんでいるのを、ただ見守るしかないのか。あるいは、誰にも理解されない気持ちをじっと抱えたまま、生きていかなければならないのだろうか。それは寂しすぎると鰮は言う。では、どうするか。鰮は、必死に自分のことを語り、柊の話を聞こうとする。無駄かも知れないけれどコミュニケーションをとることを、彼は選んだ。

ここからの展開は、エモーショナルなご都合主義に思えるかもしれないが、そうではない。埋めがたい溝を埋めるのは、想像力しかない。創作活動に身を置く鰮は、そう考えたのだ。何気ない日常が見方によって違って見えたように、見る側が近づかなければ見えないものは確かに存在する。だから鰮は、柊のことをじっくりと観察する。そうして無駄であることを覚悟のうえで、柊の心を想像し、彼女に近づこうとした。だからこそ最後、「見つけてくれてありがとう」という一言を、桜におくることができたのだろう。

「なんの解決にもならないが、何とかしたいという思いだけで手を添えずには居られなかった」

それは鰮のたどりついた、祈りにも似た希望だ。二人の道は、決して交わらない平行線かもしれない。けれど、それでも手を伸ばし続けよう。柊の話を聞き、自分のことを語ろう。理解し、理解してもらおうとする試みを諦めないでいよう。たとえ全てが届かなくても、無意味ではないと信じて。まっすぐ続く線路の左右にわかれて鰮と柊が歩いていく夕焼けの場面は、この物語を美しく象徴した最高の見所だった。

白眉はこの場面で柊に吐露させた、ある台詞。これは物議を醸してもおかしくないし、人によっては猛烈な反発や嫌悪感を覚えるかもしれない。けれど、被災者を品行方正な偶像としてではなく、他人から触れることの出来ない強烈な経験をした「人間」として描くには必要な一言だったと思うし、この一言を言わしめたことが、本作が震災に対して本作なりの誠実さで向き合っていることの証明になっていると思う。

物語は最後に、人が生きるということに触れて幕を閉じる。もしも人間という存在が、誰とも交わることのない一個の個体でしかないのなら、死はその活動の中断・または終焉に過ぎない。そこには無機質な空白が広がるだけだろう。けれど、もしも人が何かを「伝える」ことができるなら――。親から子へ、子から孫へ。そうやって何かが伝えられて行くのなら、人は決して孤独ではないし、「死」は無意味への転落ではない。序盤から常に物語の下を流れていた「伝える」ということの意味が、最後の場面で鮮やかに描かれる。タイトルが「柊鰮」でなく「柊鰯」であることも、その文脈の中で考えると解りやすい。

道が交わらないことは、絶望ではない。線路は平行だからこそ、その上を列車が走ることができる。人と人とが寄りそって歩く線路の上に、何かを載せて走るということが人の営みなのだということを、柊と鰮と桜は教えてくれるだろう。震災後を生きる私たちが、どんな希望と祈りを持てば良いのか。その問いに一つの答えを出そうとした作品である。

震災関係を巡ってはその話題性だけに飛びついたような作品が多い中、『柊鰯』のような作品が出るというのは、同人業界の懐の深さを改めて実感させられた。

最後に全体的なことをざっと。

作品として見た場合、欠点も目立つ。たとえばテキストが読みづらい。まず、改行が非常に多く、形式的に目で追いにくい。次に、時々唐突に挿まれる「お説教」や「お勉強」が、作品から浮いていてテンポを殺しているように感じられた。加えて、文体が重たい。鰮の過剰な自意識がねちっこく描写されるもっさりした文体のため、読むのがかなり疲れる。ずっと自分のことばかり喋っている友人の愚痴につきあわされている感じ、といえば良いだろうか。もっとも後者に関しては、その文体によって逆に、非常に繊細でウザくて空気の読めない鰮という人物像を演出する効果を発揮していると思うので、意図してやったなら狙いは適中している。

構成としては、3時間程度で終わるものなので仕方がないのかもしれないが、いささか性急。もうちょっとゆっくり心理を描いても良かったかな、と思うところは多い。展開もかなり唐突で、事件に引っ張られて強引に物語が進む感じは否めなかった。とはいえ、恋愛に入る前の心の揺れ動きなどはなかなか丁寧で、特に好きな人といるときに、「一緒にいるだけで世界が変わっていく」感じは非常にうまい。感性が瑞々しすぎて三十路男に相応しくない気もするが、大魔法使いの恋ともなるとこれくらい青臭くても良い。むしろ初々しさに好感が持てる。

そして、その辺の細かい気がかりを一気に帳消しにしてくれるのが、なかばやし黎明氏の華麗なグラフィック。スタッフコメント(謝辞)によれば、背景を含めて氏が一人で手がけたというから驚き。イベントCGは差分無しでわずかに8枚と、かなり少ない方だとは思うものの、出ずっぱりでコロコロ動くキャラの表情と衣装、あとは効果的な1枚絵を効果的な場面で使うことによってそのあたりをフォローしている。勿論、欲を言えばもっと「見せ場」が欲しかったが、そこまで物足りなさは感じなかった。

基本点80点、テーマ性+10、初々+3、絵+2(枚数ぶん減点)、テキスト-5、システム-2、展開-2。1500円でこれなら間違いなくお買い得。しかし個人的には桜さんが不憫すぎるというか桜さんのほうが好きだし、柊さん養子じゃだめだったのかというモヤモヤが!

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