Lumis.Eterneさんの「かえで通り - brandnew days innocent -」の感想

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(2012/05/03 一部改稿・補筆) 人は、いつまで泳ぎ続けられるのだろう?
この作品は「days innocent」の続編にあたる作品です。
この作品は、前作の数年後の同じ町が舞台で、前作のキーパーソンである「楓」という女の子はすでに他界しています。
登場人物は基本的に前作と同じですが、新たに前作の主要人物である琴平睦月の双子の姉である琴平佳澄が登場して
います。また、金髪の留学生である「リディア」は登場しません。

「days innocent」においては、主人公といえる存在はいなくて、プレイヤーはあくまでも物語の登場人物の共通の友人
のような立場で登場人物たちが紡ぎだす物語を静かに見守る、というものでした。
それに対して本作「かえで通り」では、

  大学最後の夏休みを、この町で過ごすことになった大学生

が、主人公ということになります。

私がこの作品をやって、真っ先に感じたものは

  過ぎ去ってしまった時間に対する「追憶」の想い

でした。
前作のキーパーソンである楓の死は、この作品の登場人物達の心に様々な形で影を落としています。
彼女たちは普段は決して、楓という女の子の「人となり」について事細かに思い出を語り合ったりはしません。
しかし何かの拍子に、ふと彼女たちの口から楓のことを聞くことがあります。それは極めて断片的で、曖昧な話です。
彼女たちは、何か意図的に楓について詳しく語ることを避けているようにも見えます。
この時主人公である大学生は、自分が彼女たちと同じ時間を過ごしてこなかった、いわば「よそ者」であることを強く意識
することになるかもしれません。しかしそれと同時に、彼女たちの思い出の中でとても大切にされている楓という女の子について、
強く思いを馳せることになるでしょう。

この、「自分でも気付かないうちに大切なものを失っていたような気持ち」は追憶や望郷とは違うものでしょう。
残念ながら私は、この気持ちを正確に表現する言葉を持っていません。
しかし、この気持ち自体は私にもなんとなくわかるような気がします。

  高校時代の友人と久しぶりに会って、一緒に高校の卒業アルバムを見ていたとき、
  その友人から語られた、隣のクラスの一人の女の子の思い出話。

  私は、その女の子のことをまったく知らなくて、友人の話を聞いているうちに
  無性にその女の子に会ってみたくなった。

  しかしその女の子は、高校の卒業直後に「とある事故」に巻き込まれ、
  すでにこの世の人ではなかった。

  私は激しい喪失感を感じる。
  「高校時代に、その子と出会っておきたかった、そしてお話をしてみたかった」

  しかし私は、もう永遠にその子に会うことは出来ないし、話をすることも出来ない。

このような心情に近いものなのではないかと思います。

この作品では、

  佳澄という女の子が、どことなく楓と面影が重なること



  この町のメインストリートの名前が「かえで通り」で、
  まるで楓の思い出をしのんでいるように感じること

が、この「切ない想い」を一層高めることになるでしょう。

この物語は、過度に感傷的になることなく、それでいてその独特の雰囲気や空気感によって、主人公をはじめとする登場人物たちの
感情の機微を見事に表現していると感じました。
この雰囲気と叙情性こそが、この作品の最大の魅力であると思います。



私は、この作品を作った人は時代の流れに戸惑ったり、新しい時代に歩みを進めることにためらったりする人なのではないかと
感じています。それは、まさしく私がこの作品をやった頃に感じていて、今も感じていることと非常に似ていると思うからです。

思えば私は、ある時まで新しいCPUやOSが出るたびにパソコンを買い換えていた時期がありました。
それは、そうすることによって「自分は時代の最先端にいる」または、「時代に乗り遅れたくない」という気持ちの表れ
だったのかもしれません。
言い換えれば、その頃の私は時代の流れについていくのに必死だったのでしょう。
そしてそれは、その頃によく言われていた

  パソコンやITに詳しい人は、そうでない人を見下しているように見える

ということと裏腹なのかもしれません。
私自身も、多分そうだったのかもしれません。
なにせ自分は、「時代の最先端にいる」とか「時代に乗っている」とか思い上がっていたのですから、そうでない人を
見下すような気持ちがなかったかといえばうそになるでしょう。

そして、そういう風潮は現在の社会においてもあるような気がします。
その代表的な言葉が「ガラケー」という言葉なのではないでしょうか。私は、この言葉を最初に言い出した人が誰であるかを
知りませんが、その人の意識の中には

  スマートフォン・・・時代の最先端あるいは時代に乗っている

  ガラケー・・・過去の遺物あるいは時代に乗り遅れている

ということがあるのではないかと思うのです。
ですから、その人の意識の中では

  スマートフォンを使っている人・・・時代についていっている人

  ガラケーを使っている人・・・時代についていけない人

ということになるのでしょう。
これはなにも携帯電話に限ったことではありません。
古くは真空管がトランジスタに取って代わられたように。また、ブラウン管が液晶ディスプレイへ移行していったように。
アナログレコードがCDによって駆逐されつつあったように。
新しい技術は、瞬く間にそれまでの最新技術を「過去の遺物」へと追いやっていきます。
そしていつの時代も、世の中の風潮は

  新しいもの・・・善

  古いもの・・・悪

であり、

  新しいものを使う人・・・賢い人

  古いものにこだわる人・・・愚かな人

とさえ、考えているかのようです。

しかし、私は時々思うのです。
私たちの多くはまるで、「一生泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロ」のようだなあ、と。
マグロは死ぬまで泳ぎ続けられるけれども、人間はいつまで泳ぎ続けられるのだろう、と。

誤解していただきたくないのは、私は何も技術の進歩が悪いとか、大昔の生活に戻れなどと言っているわけではありません。
私自身、これまでの人生で人並み以上に「技術の進歩」の恩恵を受けてきたと思います。
私が言いたいのは、マグロのように泳ぎ続けることに「しんどさを感じている人」や「幸せを感じられない人」もいる、
ということを認めるべきなのだろう、ということです。
つまり、この作品や制作者のようなあり方も決してなくなってほしくないということです。

私が最も危惧しているのは、私たちが「世の中の風潮」や「マーケティング」といったものに、私たち自身の価値観を白紙委任
している限りは、このような作品や「グロテスクな作品」・「心に棘を突き刺す作品」・「きつい陵辱作品」などは
どんどん淘汰されていくのではないか、と感じてしまうのです。
これは私にとっては、とても恐ろしいことです。


人間は多分、一生泳ぎ続けることは出来ません。
多分人は、間違いなく泳ぎ続けられなくなる時がきます。これは、ほとんど全ての人にとって必然でしょう。
ごく一部の天才といわれる人を除いては。
今、縁側でお茶をすすっているおじいちゃんも、公園でゲートボールをしているおばあちゃんも、かつては時代の最先端を
すいすいと泳いできた若者だったりするのです。


この「かえで通り」という作品の世界は、非常に時の流れが緩やかです。それは時として、「時間が止まっているのではないか」と
感じるほどです。そして、この作品の舞台となる町も、間違いなく現代の日本のはずなのに、どこか懐かしさを感じるような
たたずまいです。
「予測不能なイベントの連続」や「ジェットコースターのようにスピーディーな展開」が評価される「今」という時代から見れば
「ガラパゴス」と表現されるような作品なのかもしれません。

そんな作品世界の中で、ただ一人主人公のみ必死に時代についていこうと、泳ぎ続けてきた若者なのでしょう。そんな彼も、
「泳ぎ続けること」に疲れ、この町を訪れたように見えるのです。

しかし、この物語はなにも「過去にすがって生きることが良い」と言っているわけではありません。
この物語のヒロインたちと主人公との出会いは、お互いを少しずつですが、変えていくことになります。

  ヒロインたちは、楓の思い出から一歩踏み出して少しずつ未来へ、と

  主人公は、今までの歩みを少しゆっくりにしてもいいのではないか、と

そんな、時代に必死にくらいついていくのではなく、かといって完全に歩みを止めるわけでもない。
その間のどこかに、自分に合った心地よい生き方がある。この作品の制作者は、そんな風に考えている人なのではないかと、
私は感じました。
多分、この作品の心地よさは、そこにこそあるのではないかと思うのです。



私は老人になっても歳相応に老け込んで、縁側でお茶をすすっていたいとは思いません。
出来れば、じいさんになってもエロゲーをやっていたいと思っています。
でもその頃には、間違いなく泳ぎ続けられなくなっていることでしょう。
ですから、このような作品がこれからも作られ続けることを私は望みますし、私が老人になった時にもあってほしいと願うのです。

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