OYOYOさんの「無限煉姦 ~恥辱にまみれし不死姫の輪舞~」の感想

人は何のために生き、何のために死ぬのか。大事なことに気づかせてくれる感動作品。クリスマス前の景気づけに。
主人公は、絶対的な身分制度が敷かれた世界で生きる少女。彼女は自分の名前を含めた一切の記憶を失った状態で、ただ〈奴隷〉として生活していた。ある時、世界の王と遭遇した少女は、不老不死の肉体と、「何者にも束縛されない自由」を与えられた。だがそれは、全ての存在から、身体・精神的な迫害をうけることと同義だった。少女は王の世界を逃れ、安らぎを求めて何世紀もの時を流浪する。

謎だらけの世界。主人公の名前すら〈奴隷〉と表記される徹底ぶりで、普通なら意味不明でついていけなくなるところだが、少女が置かれた境遇を圧倒的な具体性をもって描くことで、ユーザーを引きつける。苛烈で過酷な状況におかれた少女がいるという、その事実だけで十分、物語に引き込まれるわけだ。加えて、恐ろしくテンポが良い。必要な情報は与えつつも余計なことは書かれないため、緊張感が持続する。一章は、あっという間に終わるだろう。その頃には、さまざまな謎が絡み合う世界が輪郭をもって出現し、続きが気になって仕方なくなってしまう。

シナリオを手がけたのは和泉万夜氏。『EXTRAVAGANZA』や『euphoria』のように、ダーク系ドラマでは安定感のある作品を出しているライターだ。

メインストーリーは一章から五章まで。怒濤の如く物語は展開し、誰が味方か分からないサスペンス要素も相俟って、基本的にダレることはない。四章には更なる山場もあり、いっそう盛り上がる。各章はそれぞれオムニバスと言われても遜色が無いほど、個別にまとまった完成度を誇り、しかも全体として有機的に関連している。構成からだけでも、相当な配慮と工夫がうかがえ、一見の価値がある。

本作の特筆すべき魅力は、卓抜なストーリーテリング。抑制された筆致で紡がれる物語は、ありがちなヒューマンドラマに堕することなく、重厚なテーマ性を持っている。もちろん、単純に筋書きも面白い。自由を得た少女が長い旅の果てに見出すものは何なのか。その行く末を見届けたいというだけで、作品を完走するモチベーションとしては十分だ。

そこに、一つの問いが提出される。少女は、なぜ生きなければならないのだろうか。

この世の地獄とも言うべき凌辱を味わいつつ、彼女は生の欲望を棄てきれない。王の世界では、どんな不幸な人間も、逆にどんな幸福な人間も、生きる欲望を失わない。それは、王の世界においては、死という無化こそが何よりも恐ろしい苦痛だからである。

住人にとって、王は絶対的な価値であり、王に認められることこそが彼らの生の意味の全てだ。ところが少女は、王に拒絶され、世界の価値体系から追放される。彼女が手に入れた「自由」とは、王という拠り所の喪失であり、生きる意味の喪失だった。

その後少女は、ただ死から逃れるために逃亡を始める。名前を得た少女は「ただ生きるのではなく、生き抜くこと」を誓う。出会いと別れを繰り返す中で彼女が学んだのは、誰かにとってかけがえのない存在となることが、生に豊な彩りを与えるということだった。誰にとっても〈奴隷〉という記号でしかなかった少女は、ただのヒトではなく、人の間に生きる者としての人間となった。

けれど更に時が流れ、少女は愛する人と共に逝けないことを意識し始める。それは、不死ゆえの悩みとして描かれるが、究極的に内包されているのは、人間が抱えるどうしようもない孤独だ。どれほど想っても、人は完全に相手のために生きることはできない。それならば、誰かにとって本当の意味でかけがえのない存在となることなど不可能なのではないか。避けえぬ別れが、無邪気に「かけがえのない存在」を夢見ていた少女に、再び生きる意味を問いかける。

勘の良い人ならば何となく世界構造的な仕掛けは先読みできるだろうが、物語のテーマが深まっていくために、オチを予測できても結末への興味は尽きない。『無限煉姦』というタイトルにも、実は含意があるように思えてくる。

やがて終盤、少女は気づく。人が生きると言うことは、自分が自分の世界の王となることなのだと。それは形あるものではない。どう生き、どう死ぬかを自分自身で決めること。それこそが、「生き抜く」ということの意味であった。だから彼女は、最後の決断へといたる。後に残るとも知れないエッセイを書き綴る様子は、本作屈指の名エピソードだと思う。

第五章ではHシーンが存在しない。その理由はラストで明らかになる。そこではじめて、ある人物にとって少女が代替可能な存在から、かけがえのない存在へと変化したからだ。それまでの少女は、どれほど大切に扱われていても「おおぜいの中の一人」でしかなかった。少女の決意を認めたことで、彼女たちは世界の歯車から人間へと戻ることが出来たのである。

王の存在や少女の運命を覆うある事実は、必然と呼んでも偶然と呼んでも構わないが、人間にとって根本的にどうにもならない事態の象徴だ。人間の前には常に、自分ではどうにもならないことがあり、そして人間は究極的には孤独である。それに気づいてなお、人はどうやって生きることに希望を持つことができるのか。最後は、少女を文字通り描ききって幕を閉じる。それこそが、本作からのメッセージだ。

くどくどと紹介文を書いてきたが、最後は是非、実際にプレイして味わって頂きたい。その実感に勝る結論は無いだろう。十一月を終えて、今年度で屈指のお薦め作品である。

基本点90点、構成+3、テーマ性+2、グラフィック+2、エロ-2、細部の手ぬるさ-3。エロは購買層の期待とちょっと違う感を考慮。細部は、エルクに言うこととリトルに言うことがダブルスタンダードになっていたり、主人公の生き甲斐が少しブレるあたり。

OYOYOさんの「無限煉姦 ~恥辱にまみれし不死姫の輪舞~」の感想へのレス

プレイ時間12って短すぎる。それらしい衒学的な事言ってお茶を濁して高得点。お得意の工作お疲れ様です。90点連発の連中と言い、いい加減にしねと言いたい。
2011年12月10日01時42分44秒
やっぱり工作なのね
正直このゲームは見ていて気持ち悪い以外に表現できない。
主人公が報われなさすぎだし、作者の精神確実に逝ってるだろレベル。
2011年12月10日10時53分05秒
こんにちは。
確かに単発IDでの一言高得点評価が目立ちますが、OYOYOさんはきちんとレビューされていますし、
このレビューに対しては工作というのは言い過ぎです。
プレイしていないユーザーのためにわざとネタバレなしで書いているかも知れないということを考慮して下さい。

razickさん。
和泉万夜さんはかつてのブラックサイクで名作を出していますし、好きな人は好きなんですよ。
MinDeaDBloodや蟲愛でる少女は根強いファンがいます。
結局合うか合わないか、好みの問題ですよ。



そのうち得点は落ち着きます。自分が感じたままにレビューされて下さい。


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少し追記しておきます。
怪作と呼ばれる作品を書く人-エロゲ界では万夜氏、ロミオ氏など、過去の文豪なら太宰治や夢野久作など-は他人には無い感性を持っているのだと思います。だからこそ我々が驚くような物語が書けるし、人によっては狂ってると感じるでしょう。
狂ってると感じる人を否定はしませんが、素晴らしいと思った人のことも頭ごなしに否定しないで下さい。世の中には色々な人がいるのです。納得できない箇所があれば議論すれば良い。何をするにも決めつけはNGです。

それでは。
2011年12月10日12時28分04秒
久々にこんなストレートなレス見たなw
OYOYOさん、お気になさらず~
トップに上がってる時間が長くなって良かったくらいに考えましょう
2011年12月10日12時48分21秒
こんにちは。お返事をして参ります(少しネタバレに近づきますのでご注意ください)。ただ、内容と関係のない工作云々の部分は皆さんの関心ではないと思われます。批評空間様のご迷惑もございます。ツイッターIDを公開しておりますので、そちらで個別にしていただければと存じます。ひと言だけ申し上げると、自分は不器用で、小学校から工作とか不得手です。あしからず。

よいそれ様
コメントありがとうございます。まず、プレイ時間について。一晩でやり終えたので、間違いではございません。仕事柄多少文章を読み慣れていますが、ゆっくりでも20h前後かと。尤もプレイ中右手を激しく動かす作業が必要になった場合、その限りでないかもしれません。

次に内容について。自分なりに、ネタバレに気を付けて書いた結果こうなってしまいました。実際、言えなかった部分、説明不十分な部分は確かにあります。伝わらなかったのは私の力不足で、ご批判は甘んじて受けます。ただ、プレイして頂ければ具体的に何を言っているか、分かるように工夫したつもりです。

なので、私の感想の具体的にどこがどう不足か。そしてあなたならどう読まれるのか。ご購入の予定があれば、プレイ後にご指摘いただけると嬉しいです。よいそれ様が長文感想を書かれた際は、是非拝読させていただきます。

最後のひと言は、私に対してでしょうか……。「いい加減にしてね」の脱字でないなら、生死を軸にした感想に対し斯様なお言葉を頂戴したわけで、精一杯「生き抜け」という暖かいメッセージとありがたく拝受いたしました。

razick様
内容について。「見ていて気持ち悪い」というrazick様のご感想は、二通りに解釈できます。(1)〈奴隷〉の少女を見る人が嫌悪をもよおす。(2)razick様がこの少女だったとしたら耐えられない。(1)ならば、作品があわないということですから、内容について私からお話することは残念ながらできません。

(2)であれば、私より深く作品に入っているのかもしれません。正視できない苦しみの中でなお、少女が生きようとするというところにこの作品のスタートがあるというのが私の読み方だからです。そして、こういう「苦痛」は、実はこの世界の誰もが、ある日突然その身に受けるかもしれない(エロではなく。人格を奪われるような苦という意味)、ということが五章で提示されるメッセージであり、私もそう思います。

話は飛びますが、最近リメイクされた映画で、『十三人の刺客』というのがございます。作品冒頭、ある女性が藩主に手足を斬られ、舌を抜かれて慰み者にされ、路上に放り出されるのですが、人間としての尊厳を剥奪されているという意味では、『刺客』のほうが数段迫力がある。ただ、その場合作品の目指すところは「復讐」で大変判りやすい。『煉姦』の場合、漠然とした生への欲求だけがあります。

三章まで進められたということは、何度かの別れを経験されたのだと思います。残された少女より、死にゆく人のほうが輝いて見えるような描写が続きます。「死」が人を縁取ることで、生が完結するわけです。逆に言えば、死なない存在になった少女は生きていないのと同じかもしれない、ということが四章末で明かされる事実に込められた意味かなと。

人は死に向かって生きるしかないのか。それは美しいけれど、寂しい、というのが恐らく五章以降の少女の内心です。本文で私が言及した『euphoria』では、凛音というキャラが「私があなたの与える行為に、どんな意味を見出すのかは、私の自由」と言い、作品はそのような相対主義をどこかで崩す方向へ進みます。そこで行われていた相対主義否定を、もっと明確に徹底した作品だったのではないかと思っています。私は、本作で一番報われたのはこの少女であって、だからこそ感動がある、と思ったわけです。

長くなりましたが、razick様のレビューを拝読し、私へのコメントも踏まえて応答させていただきました。自身の足りなかった説明を補ったり、新しく考える機会を頂けたこと感謝いたします。

lightessence様、えび様
励ましのお言葉、ありがとうございます。ネタバレ配慮が少々裏目にでたかもしれません。次回の反省材料ですね。和泉万夜氏の物語は、好みがわかれるのも確かですし。配慮した書き方を心がけたいと思います。
2011年12月10日13時37分03秒
自分のレビューで低評価付けてる人が工作呼ばわりしたりしていますし、唯の言いがかりでしょう。
レビュー内容はしっかりしていると思いますし、気にしなくとも良いと思いますよ。
2011年12月10日14時42分54秒
すみません、横槍レス 失礼します。 

個人的には、確かに途中まではよかったのですが、最後まで
どうしても納得がいかないものがありました。

それは不死者を越える、真の意味での普遍・無限大の存在です。

いわゆる『振り出しに戻る』行為が不死者の存在価値を大きく貶め、
結局は永遠者に誘導されているだけの、双六の駒に成り下がってしまったのが
非常に残念です。

もしくは王との対決のときにあっさり終わるのではなく、もう一波乱あってもよかった。

最初から最後まで不死者の物語ならよかったんですけどね。
2011年12月10日16時06分31秒
tallerakatsuki様、PRIMO様、コメントを頂き、また書く意欲がわいてきました。ありがとうございました。
-【以下一部ネタバレを含みます】-
ご指摘の点は私も大事だと思っておりました。自分の目の付け所も満更じゃなかったと勇気づけられます。お言葉通り、王以上の絶対的存在が出るところは作品の緊張感を失わせかねない所でした。ただ、必要な要素になっていると思います。考察にしばし、お付き合い頂けると幸いです。

私は王を、どうにもならない存在の象徴、と書きました。人間にとって、この世界でどうにもならないものはいくつもあります。その究極は恐らく「死」です。死から逃れられる人は、どこにもいない。王の世界で死が極端に恐れられている所以です。本作ではそういった人の有限性に対し、二章~四章で「死に方を選ぶ」意思の尊さが提示されています。死んでしまうからこそ、たった一人の自分の価値がうまれるし、だから自分で死に方を決める意思が大事だ、というわけです。

けれど人は死から逃れられません。どこかで必ず人の意思が届かない領域、運命に絡め取られてしまう。究極的に人は「完全に自由」な意思など得られない。その象徴が、不死となった少女の前にあらわれる、(PRIMO様曰く)「真の意味での普遍」だと私は読みました。つまり、『煉姦』の少女は更に深い絶望に遭遇したということではないでしょうか。

五章以降、本作は明確に輪廻(ループ)ものを意識しています。ループというのは、絶対的運命の象徴で、それを意思の力で乗りこえて打開するというのが基本です(『スマガ』とか)。ただ、ここには決定的な問題があります。ループは、必ず打ち破られるのが前提ということです。それは、「死」のような本当にどうしようもないものとは違う。意思の力で乗りこえられるものなら、あくまで困難であって、運命でも絶望でもないはずです。

本作は、輪廻的構造を暗示しておきながら、結局ループせずに終わります(Epicは視点人物が違うので別の話だし、別途説明可能)。(『euphoria』と違い)周回プレイによって輪廻を表現せず、本作は少女の人生を歴史的に描きます。恐らく二つの理由があります。一つは、ループを裏支えする「真の意味での普遍」は決して突破できないため。もう一つは、少女の視点では、そのような「普遍」の存在は決して理解できないためです。少女の視点で語られる物語本編は、ループしようがない。もしループしたら、それは外見やDNAは同じ少女でも、違う存在だ、ということが繰り返し語られていたと思います。つまり、少女が一回的な存在であることが強調されています。「双六の駒」だと言いながら、描写ではそれを拒否しているように見えました。

運命を前に少女は、もはや誰かに見守られて死ぬこともできないし、誰かの心の中に残ることもできない。だから、彼女は死では(ギュスターブ達のようには)救われません。では、少女に救いはないのか(駒のままなのか)? というのが四章以降のテーマの深まりだと思います。そして、私はラストシーンから、少女は救われた派です。

少女の救いは、世界のためにあの選択ができたことではないかと思っています。つまり、自分には見えない運命なんて、あってもなくても同じ。自分で決めて、やったことは、必ずどこかで誰かが(象徴的には、ゲームをプレイするユーザーが)受け止めてくれる。彼女は、自分がいなくなっても自分を超えて世界は続くんだという確信によって、自分という個が全てを受け止める必要が無くなった(王との対決はそういう解釈でどうかなと)。それでようやく、運命という呪縛から解き放たれたのだと思います。

輪廻を輪廻と判るのは、観測者だけです。生きる当事者は、自分の生を外から眺めるなんてできない。それが人の限界でもあり、同時に救いともなっている。そして人の外側にあるのは、残酷な運命や冷酷な絶対者だけなく、無限に続く人と人との「連関」だ、というのがラストから読み取れることのように思っています。

最後はタイトルオチにしてしまいましたが、こういう話ができるなら、ネタバレ感想でもよかったなどと考えています。解釈をぶつけて頂いて再プレイしたり、本作をまた楽しく味わうことができました。ありがとうございました。
2011年12月11日09時29分30秒

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