armchairさんの「君と彼女と彼女の恋。」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

「美少女ゲーム」という檻の体現。
ヒロインのイデア。
一体なんなんだそれは。どうやったらそんな発想になるんだ。「俺の嫁」と一夫一婦制を両立しようとした結果だろうか?
違う人物に同じ女を観ているだなんて、それこそそれぞれのキャラクター(個性)への冒涜ではないのか。

「そこは本題ではない」と思われるかもしれない。
しかしここを肯定しなければ、「他作品をプレイする」ことによる「ヒロインを消費する」という冒涜を免れることはできないのであるから、『ととの。』においてなされた主張の論理には不可欠な部分である。
そうでなければ――真の意味でヒロインはただ一人選ばれるべきであると納得したなら――、プレイヤーにとっての最後の美少女ゲームはこの『ととの。』になってしまうだろう。それではもはや『ととの。』は墓場でしかない。
(まあ「美少女ゲームを終わらせようとしてますね」というのが本当に狙いだったのだとすればそれで正解なのかもしれないが。「これに懲りたら金輪際美少女ゲームなんてプレイしないことだな」というメッセージなら良く分かる。)



それではとりあえず、「アオイはヒロインのイデアである」ということを肯定してみることにしよう。それはそれで面白いことが起こる。
最終局面、アオイか美雪の二者択一を迫られる場面において、プレイヤーがアオイを選ぼうと美雪を選ぼうと、その二人はいずれも選択されることでヒロインとなるのだから、結局はアオイ(あるいはその背後にあるイデア)ただ一人を選びとっていると結論付けられるわけで、他作品のヒロインを攻略することが肯定されるのと全く同じようにして、冒涜――再インストールによるもう一方のエンドの回収が免罪されるのだ。
これでは完全に茶番である。どこぞのループゲーよろしく叫びたい気持ちである。

(そんなことを思ってとりあえず、一応最初にアオイを選べば次選んだのもアオイであると主張できるという打算でアオイを選んだ(美雪がうざかったのも否定できないが)のだが、根本的に何か間違ってる気もしている。とはいえ作品自身に再プレイを拒否されているのでどうしようもない)

しかしながら、これは当然の帰結なのだ。どのヒロインを選ぶかというゲーム中での選択の重さに比して、どの作品を手に取るか――どの集団からヒロインを選び取るか――という我々の現実における選択のそれが劣っているという旨の主張は、全くなされていないのだから。
ゲーム中での選択が現実のそれと「同じくらいに」重いというのだから、現実での選択肢の回収――複数のゲームをプレイすること――を肯定した時点で、ゲーム内でのそれも当然肯定されるべきだ。
さもなくば、「ゲーム内の選択の方が重いんだ!」という逆転の主張をなす必要に迫られる。





なにかがおかしい気がする。
しかし何がおかしかったか――作中なされた主張のどこに飛躍があり、どう修正されるべきなのかと言うと、自分には思考が回らない。
というのも、そもそも前提からして何か変だったのではないか、とそう思わざるを得ないからである。
端的に言ってしまえば、議論がそもそもナンセンスだったのではないか、と。

たとえば、ヒロインの定義である。本作では、ヒロインという言葉を当然のように攻略対象と同一視しているが、そのことに違和感はないだろうか。
あるいは、永遠の愛である。美雪ルートから逸れようとしたことは、あるいは彼女に愛の言葉を向けなかったことは、果たして愛の放棄なのだろうか。

個人的な見解を言わせてもらえば、これらの前提に疑問を抱かないようなら、それはあまりに(典型的な)美少女ゲームの構造に浸食されている。
「アニメやラノベではなく、美少女ゲームの話なのだからそれでよいのではないか」と言うことはできるかもしれないが、本当にそうだろうか。
群像劇や女性主人公、NTRゲー……そんなある意味での特殊例を考える必要なはない。
『未来にキスを』や『水仙花』といった哲学も持ちこむ必要もない。
ニトロプラス自身が製作した『装甲悪鬼村正』のようなシステムも、別に思い出さなくていい。
かつてプレイしたことのある、よくある形の美少女ゲームを想像して構わないから、次のことを考えてみよう。

我々がかつて愛したヒロインたちは、すべて攻略対象であったか?
彼女らを愛した軌跡は、彼女らを攻略しようとしたこと、あるいは彼女らに愛をささやいたことのみによるものだったか?



思い浮かべるキャラは読者に任せるが、ここでは個人的な例を挙げたい。あまり知名度のある例でなくて申し訳ないが……。

『運命予報をお知らせします』という作品に早蕨林檎というキャラがいる。
彼女のアイデンティティは、主人公の恋人ではなく悪友であること――つまり非攻略対象であることである。
それが彼女の望みであるし、それを失っては彼女は彼女たりえない。
そんな彼女に(主人公ではなく)プレイヤーが愛情を注ぐために、(FDなどで)攻略可能になることを望むことは言語道断である。
また、攻略できないからと言って愛情を注げないと思うなら、その感情はあまりに脆弱である。

あるいは(またしてもあまり分かりやすい例ではないが)『StarTRain』の遠日奏である。
彼女は攻略ヒロインであり、もちろん自身のルートで、彼女との恋愛を楽しむことができる。
しかし彼女の本領は別ルートだ。主人公が他の攻略対象に心を寄せ涙にくれても、それでもなお彼を見つめ続ける姿が、健気でたまらないのである。
遠日奏というキャラをあますことなく愛するために、彼女を攻略対象として選ばないことは冒涜なのであろうか? 冒涜なのだとすれば、それはどうしてなのか。
ヒロインが悲劇に見舞われることを問題にするのであれば、凄惨な過去を暴く系統のシナリオは全て彼女らを蹂躙する行為であるし、死にいたる結末などは語るべくもない。

『ととの。』自身から説明してもいい。
美雪の病んだところを愛でたくてアオイを攻略することは愛ではないのか。美雪にひどい仕打ちをしているという点が問題なら、美雪エンドにたどりつくために病み展開が不可避な時点で美雪を愛する資格など失われてるではないか。
あるいはハルという桐谷華ボイスの男の娘に、キュンキュンしてしまうことは無意味なのか。彼を攻略する術はないのであるから、そのことによって彼に愛を誓うことはできない……そういうことなのだろうか。



攻略対象に対する攻略こそが「ヒロインを愛する」ということであると断じるのは、それは純愛を謳うようでいて、単に愛の形を縛っているだけなのだ。純愛という、耳触りの良い言葉を利用して。

美少女ゲームは、その短くも長い歴史の中で、様々な愛の形を肯定してきた。
BDSMも近親相姦も同性愛も異種姦もNTRも擬人化も、たとい現実では肯定されなくとも、多くの美少女ゲームで肯定されてきたのだ。その扱われ方に、差はありこそすれ。
それが美少女ゲームの、あるいは創作の精神の本質、少なくともその一つであるはずだ。

その中でなお、ゲームの中のヒロインを、あたかも現実の女性と同じようにして選び取ることこそを愛だと主張するのなら。
彼女らが創作物であるという本質から目を逸らして、人間と同じ形でしか純愛を達成できないのだと諦めるのなら。
それはもう完全に、美少女ゲームの――精神ではなく――形式の与える檻に囚われていると評するしかあるまい。





……などと書き散らしたものの、しかしこれをリリースしたのが(美少女ゲームらしくないことに定評のある)ニトロプラスだという辺り、全部皮肉を意図してるんじゃないかと想像すると愉快でもある。惜しむらくはバイオ作品をプレイしてないので彼の作風があまり分からないことか。




(余談)

【1】
"全ての元凶は"
俺じゃねえよ作ったお前らに決まってんだろばかあああああああ

……と罵声だけ投げつけるのもあれなので付け加える。

彼女らのたどった顛末に、作者が無関係なわけがなかろう、と。そういう不満である。
特に、この作品はほぼルート固定である。必死こいて初回から美雪を回避しようとしても叶わぬ。
そんな中、自らを棚に上げて作品にこんなことを言わせる性根が気に食わない。

『悪魔の迷宮』というフリーゲームがある。
二人称進行で、「あなたは少女を悪夢に突き落としました」とのっけからプレイヤーを作品内部にひきずりこむ凌辱ループゲーだ。
それに関し、ごん太氏がこの批評空間に投稿している感想を一部引用したいと思う。
http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/user_game.php?user=%E3%81%94%E3%82%93%E5%A4%AA&game=9885#title
~引用ここから~
  この物語には3人の悪魔がいる。
  1人目は言わずもがな、ゲーム中に登場するしおんを地下の迷宮へと突き落とした悪魔だ。
  ストーリー中での諸悪の根源として登場する、表面的には最も憎むべき対象である。

  そして最も罪が重い悪魔である2人目は、このゲームをプレイした私達だ。
  しおんの行動を選択肢という糸で操って、

 (中略)

  しかし、そんな私達を嘲り笑うように展開されるストーリーは残酷だった。

  …そう。3人目の悪魔こそこの舞台を用意した製作者である。
~引用ここまで~

純愛ゲーという蓑に隠れているかもしれないが、ヒロインの蹂躙という点では『ととの。』においても構造は全く同じである。
悪魔――罪の主体は三人。主人公と、プレイヤーと、そして製作者。
元凶が誰かと問われれば、それは間接正犯であり、冒涜的にも双方の結末を知っている製作者だと答えることに、疑問の余地はなかろう。





【2】
ループ箇所でシステムがクッソ重くなった(メインの実行ファイル以外にbin拡張子のファイルがリソース圧迫しまくってますね?)せいでただでさえ攻略に時間かかるのに数十回強制終了して心が折れかけた。ようやくクイズ攻略→アオイを止める/止めない→選択直後に強制終了→再び(強制終了による)エンドレスクイズタイム、の流れには死にたくなった。正解選ぶ→落ちるの流れが多すぎて演出かと思ったレベル。
(クイズ失敗分にきっちりカウントされてたのでほとんど間違えなかったのに「10回以上」とか言われる始末)





【3】
演出ゲーとしては白眉である。プログラムが書き変わる演出なんかはもしゲームを作る機会があれば仕込んでみたいと以前から思っていたくらいなので、実際に見られてもう満足である。メタとしての一択選択肢なんかはHAIN作品でお馴染であるのでさして驚きはなかったが。
また、淡い彩色の背景なんかも好みドストライクである。こういうのもっと増えればいい。




【4】
美雪との全自動Hシーンなどは、「エロシーンとか全スキップしますから」派に対する盛大な当てつけであろうな、とか。
どうでもいいが、セリフのノリが完全にエロボイスドラマの類だったことが妙に笑えてしまった。集中できなくてすまないと思う。
しかしこのシーン、全くもって(ニトロ作品には比較的多いはずの)女性プレイヤーを想定してなくて面食らってしまったが、女性プレイヤーと知ってる方々にもこのゲームが好評であることを思うと、さして問題はなかったということだろうか。




【5】
ヒロインの愛し方についてあーだこーだ言ってきたものの、そもそも議論についていけなかったのは、自分は様々な物語に触れるにあたって、各登場人物に対して向き合うということを普通しないからであったりするので、あまり上手く話をできていないかもしれない。
というのも、自分がヒロインと名付けて思いを馳せるとしたらその対象は、アオイや美雪といった個々のキャラクターではなく、むしろ『ととの。』という物語なのである(そんなのヒロインじゃない、などというツッコミは、「アオイ(美雪)は現実にはいないんだよ?」という指摘と同じくらい無粋である)。
数多の新作旧作からある作品を選択し、向き合い、考え続け、何かしらの感慨を受け取る――それが、私の物語(ヒロイン)に対する愛情表現だ。

『ととの。』をプレイし人感銘を受けた人の多くにとって、この態度は比較的受け入れてもらえるものだと信ずる。
この批評空間での感想をはじめ、プレイした人々の感想の多くは、アオイや美雪との睦言ではなく、『ととの。』それ自身に込められた精神性に対するものであるに違いないだろうから。
その態度においては、本作で非難の対象となった「回収」行為というのは、愛情表現のかたちの一つにほかならない。

…とあまりこんなことをここで語ってもしょうがないので、以下のURLにある『甘えむっ♪~おかあさんのかぞくけいかく~』に対する感想を参照されたい(宣伝)
http://onthearmchair.blog110.fc2.com/blog-entry-158.html

なお、『甘えむっ♪』も本作と同様に「攻略対象とプレイヤーの交流」を描いてると捉えられることが多いと感じているが、少なくとも自分はそれ以上の何かではないかと思っている。




【6】(追記)
拙文を中国語圏向けに翻訳・要約して紹介下さった方がおられるようです。感谢翻译和介绍。
若干思うところはなくもないですが……。

(对于中国读者)
你能用中文阅读这个文章在以下网址。(内涵剧透)
http://ww1.sinaimg.cn/bmiddle/8a1d82e7gw1e6gxbflz2xj20n34117wh.jpg

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