マルセルさんの「VenusBlood -ABYSS-」の感想

ダンジョン構築や産めよ増やせよ孕ませよ!といった新しいシステムを、ふんだんに取り入れたVBシリーズの新作ではあるが、結局のところプレイ感は良くも悪くも今までのVBと変わらず、その「安定」を期待するか目指した「変化」を期待するかのによって評価が分かれる作品だろう。悪い評価から行けばダンジョン構築は一種のザルゲーであり、敵の移動とその目的地を殆どコントロール出来ないため、各種生産部屋と牢屋を埋め尽くしてオシマイということになるし、遭遇バトルも力押しが尤も効率的なため複数ユニットの運用も単調になりがち。まぁでも良い面を言えば、サブ部隊でHP削って士気溜めてメイン部隊で抹殺みたいなVB伝統の無双ゲーは相変わらずなかなか楽しく、膨大なサブ部隊のレベルを上げたり装備を整えるたりするのもヤリ込みゲースキーには良いのだろう。孕ませエロは悪落ちのようなキャラ変化に弱く、ひたすら触手産卵シチュに特化している。
(1)

2011/10/22日現在、本作のヴァージョンでいうところの「1.06」では大まかなバグは潰されているようだけれども、僕のPC環境では発売直後の「1.00」から大きなバグには遭遇していないため、
まだバグが残っているかとか、他の環境でバグが発生するかどーかみたいなところはよくわからんし、あんまし興味が無いんじゃけんのう。もちろん、ネットのバグ情報と、メーカーの対応を見る限りでは、
初期から今日に至るまでのあいだに、それなりに重大なバグがあったのは事実なようだし、そこらへんはそれなりに評価に反映しないといけないのだろうけど、
どーも、自分が遭遇していないバグをそれなりに評価に反映させるというのはピンとこなくてねぇ。まぁ、前もってバグ情報を知っていれば、自分でそれなりに対策を打てるものが多いので、
基本的には「-5点」ぐらいの評価を僕はさせて貰いましょうか

この手のゲーム性重視の作品で、バグ云々の他にもひとつ「発売後のメーカーの動向」が気になるものと言いますか、ある意味でバグ云々よりも良くも悪くも重要だと思うのだが、
修正パッチによる「バグ」以外のゲームバランスその他の修正または追加であーる。今のところにおけるこのへんの修正は、まぁ細かいところはWIKIあたりを参照して頂くとしても、
「ドラグーン」モード(要はヤリ込み無茶難易度モード)の強化以外は、発売当時から大まかな変化は無いようでする。こうした修正パッチによるゲームバランスの修正またゲームシステムの追加は、
良い意味で言えば「ゲーム本来のクオリティを高める」という真っ当な意味があるわけだが、悪い意味で言えば「発売前にこんなのやっとけよボケぇ」というツッコミはまぁ兎も角としても、
「ゲームバランスを後で(ちょっくら)変えたとしても、大抵のユーザーはわざわざゲームをやり直すことはない」から、まぁ悪い言葉を言えば「信者またはヘビーユーザー対策しかなんない」ということもあるし、
一番大きな問題としては、ゲームバランスを変えたところで「シナリオその他テキスト」といった部分は殆ど変わらないので、その作品における「ゲーム部分」と「シナリオ部分」の関係性といった問題が、
スポイルされがちになってしまうと言うことがある。実はコレはかなり大きな問題なのだが、「ゲーム性の悪さは修正パッチで治ったよ」ということで看過されることが結構多いものである。

実のところ、この九尾系列も同じような問題を抱えているわけだが、そこらへんの問題に入る前に、まずは単に「問題を明確にするために」暫定的に「ゲーム部分」の評価から行ってみよう。
ところで一般的な意味というか、まぁなんとなくなかんそーレベルの言葉使いで言うと、「つまらないゲーム」と「問題があるゲーム」というのは必ずしも=ではなく、
なんとなくやっていてなんとなくつまらねーな-と思える作品でも、その「なんとなくつまらねー」という漠然とした倦怠感以外にことさら「ここがダメだ!」と思える部分は少ないモノで、
逆になんとなくやっていておもしれーなーと思える作品でも、そのおもしれーと思っているときでも「でも、ここは結構問題だよなー」と思える部分はそれなりに多かったりするわけだ。
もちろん、これは「なんとなくなかんそーレベル」のええ加減な論理のレベルであり、もう少しマトモに考えれば、なんとなくつまんねー作品にあまり問題を感じないのは、
要はそれ自体に魅力を感じていないモノに対して人間はそれ以上に興味を覚えないと言うことであり、逆に、それ自体に魅力を感じるモノには「こうなったらもっと面白いのに」という興味で問題点を感じるわけである。
しかしこうやって考えても、謎は少し残る。つまり、「それ自体に魅力がある」というのは具体的にどのような魅力的なゲーム性があるのか?、ということがここでは論じられていないということ。、
次に「それ自体」に魅力があってそこそこ楽しめている作品なのにも関わらず、何故そこに「問題点」というモノが発生し、それは「それ自体の魅力」とどのような関係性があるのかないのか?、ということの二点。

もちろん、九尾系列の作品は今作を含め概ね「なんとなくやっていておもしれーなーと思える作品」である。であるが故に、今作を評価している人は、別に嫌味で言っているわけではなく、ただ単に事実確認ということで言うのであるが、
「ゲームバランスが良い」とか「時間泥棒作品」だとか「毎回九尾系列の作品は面白い」といったような、まぁ漠然とした肯定の評価が多い。これはこれである意味で真実を突いている。確かに九尾系列の作品はその程度の楽しさはあるからだ。
一方で、ある程度否定的な評価を持っていたり、その点を指摘するような人は「ダンジョンシステムが牢屋ゲー」みたいな、ある程度は明確なことを言う。これはこれである意味において正しい。確かに九尾作品は毎回そういう弱点があるからだ。
そうして「真理はそのちょうど中間にある」というゲーテの言葉を僕は基本的に認めないが、今作を含めた九尾系列作品の魅力と問題点はこの両者の意見の中間点あたりにあるのかもしれない。この点を、これからもっと深く見てみよう。


>>keimaru より:
2011年10月7日 12:54 AM

>巣ドラや勇者のくせに生意気だ!
>みたいにダンジョンの各フロアにスタート地点を設けて各フロアを敵が進んで行く
>{フロアをパズルのように組み合わせて本拠地を好きな場所における}とか
>ダミー階段の効果を周辺に敵を引き寄せるのみにしたりダンジョンを
>作る楽しさをもう少し練りこむ要素が欲しいかも

実はVBAはコアシステム部分をほぼ2回作り直していて、今の技術力とアイデア力と時間(約1ヵ月半)で出来る
最大限のものを、となるとこうなりました。
システムのアイデア出しには早期から着手したものの、初期に考えていたタワーディフェンス的な
リアルタイム制はスクリプターの能力面の問題から完全みなおしになり、
次のバージョンの 入口と出口が完全に存在するタイプのものは一連の処理の重さから
ゲームのテンポを著しく損なうということからあきらめ、
諸々悩んだ末に出したのが今のバージョンだったりします。

今回、VBA系システムの、評価も、問題点も、良いところも、悪いところも、ある程度見えてきたので、
この経験を生かせば、次にダンジョン構築型システムを造ることがあれば、
VBDからVBEに進化した程度にはパワーアップできる……かもしれません。

http://blog.ninetail.tk/archives/1197#commentsュ
(より)


九尾ブログのスタッフコメントと、そのコメ覧のやりとりは昔から僕が好んでいる場所のひとつで(もちろん僕はコメントしていないので悪しからず)8割方紳士的な振る舞いをするユーザーと、
1割方変にずれたコメントをする人たちと、1割方いやに上から目線なユーザーコメントが乱舞するさまが、2000年前後のエロゲメーカーOHPのBBSの空気が感じられ、なかなかにノスタルジックなわけだが、
まぁそこらへんの余談はおいておくとして、本題に入れば、上のコメントが開発者からの「今作の問題点に関するコメント」である。これをどのように評価するかは、人によっていろいろな意見はあろうが、
僕としてはこのコメントの趣旨よりも、ここからもう少しずれたことを想像してしまった。まず本来の趣旨についてコメントすれば「まぁそうだろうなぁ」以上には考えられない問題であって、
おそらく上でけーまる氏が言っているのは端的な事実であろう。要はアイデアはあっても、単に人員(最初のヤツはデバッカー不足でダメっぽい)と技術(次のヤツは重くてダメっぽい)が原因で今回のブツになったということで、
もうちと解釈込みで言えば、今回のダンジョン構築が何らかの問題があるのはわかっていたけれども、時間も人員も技術も色々足りなかったから許してちょんまげという次回作に期待せよ!という話である。

そういったメーカーの事情をどう評価するかは、まぁ皆さん色々評価はあるんだろうが、僕としてはそこらへんの問題よりも「へー、やっぱり最後に残っていたヴァージョンはいつもの九尾ゲーなノリなんだぁ」と思ってしまったのだ。
つまり、まぁ九尾の開発陣にとって「約1ヶ月半」という時間がどれくらいの価値があるかどうかはわからないけど、一般常識的にみても「たぶんギリギリ」の開発期間でも、今作のようなシステムは何とか作れるわけである。
あまり言葉尻を捉えたり、無意識云々みたいな議論をするのは好きではないが、上のけーまる氏のコメントで興味深いのは「コアシステム部分をほぼ二回作り直した」という最初の言葉と、その後に続く文章の若干の矛盾であろう。
簡単にそれを指摘するならば「最初に作ったヤツがダメで、次に作ったヤツもダメで、1ヶ月半で何とかこのヴァージョンを作りました」というのが上のコメの趣旨ならば、実際に作り直した回数は「三回」ということになるハズだ。

これは「作り直し」を狭い意味で捉えれば矛盾ではない。「最初に作ったもの」はあくまで「作ったもの」であり「作り直したモノではない」と考えれば、次の二回目と三回目が「作り直し」にあたるわけでその数は二となるだろう。
しかしこれは何処か屁理屈めいた印象を与えるし、なんだか「ものはいいよう」の典型例だと思われてくる。
細かく見ていけば「作った」は基本的には「ゼロから構築した」という意味を持ち、「作り直した」は「既存にあったものを大部分は破壊して、既存の一もしくは三あたりから作り直した」というような意味を持つわけだが、
この両者の意味の距離はそれほど遠いモノではない。まず、原則論から言えば原理的に「ゼロから構築する」というのは無理であって、全ての構築は意識的であれ無意識であれ何らかの既存の構築やその模倣を前提とする。
故に、正確に言えば「作った」と「作り直した」の差異は、前者が「既存の1以下のものから作り直した」で、後者は「既存の1以上3以下程度のものから作りなおした」ということである。両者の差異は相対的なものでしかない。
だから「三回作った」という表現と「三回作り直した」表現のあいだの違いは、当事者にとってはそれなりの意味を持つかもしれないけど、外部の人間にとっては五十歩百歩ぐらいの印象しか持たない
(あくまで常識的な言葉の使い方をするなら、おそらく同じモノを何回かやり直した場合は「○回作った」よりも「○回やり直した」のほうが自然に聞こえるだろうが、まぁ僕としてはこの手の常識議論は別にどーでもいい)

ここで、さらにキーポイントになってくるのは「ほぼ」という言葉と「コアシステム部分は」という言葉だ。この二つはある種の限定を示唆する言葉であり、これが「三回のうち二回は作り直した」というちょい歯切れの悪い言葉を、
さらに曖昧なモノにしている言葉ではあるが、その「三回のうち二回は作り直した」という曖昧な行為でさえも、「ほぼ」をつけざるを得ないややヌルイものであり、その作り直しも「コアシステム部分」に限定されるということである。
そろそろ、何が言いたいのか解らなくなってきた人がいると思うので解答を言えば、つまり、上のけーまる氏のコメントは、「三回」の製作のうち「二回」はある程度「作り直した」と言っても良いレベルだったけれども、
そのうち最後の作り直しの「一回」は前のヴァージョン或いは「既存の何らかのシステム」を大部分流用して作ったということ。以上の推測を補強するのが「コアシステム部分」という限定であって、
つまり最後の作り直しは既存の(これが何を元にした「既存」のものかは後に詳細に議論しよう)「コアシステム部分」はだいたい流用して、それを元に今作のゲームシステムが出来上がったのではないとうことではなかろうか?
それをそのまま言うとちょいアレなので、以上のような「曖昧な表現が多用されている」というのが、が名ワトソンマルセル氏の推理である。

もちろん、僕の推理が正しいかどうかは、けーまる氏の「真意」によって決まるものではない。もっと正確に言えば、けーまる氏の上のコメントの「真意」は彼自身の口から聞くことはできるだろうし、
僕の推理が彼の真意に当たっているかどうかも彼の口から聞くことはできるだろうし、それは実際の製作環境がどーだったかといった事柄も含まれるわけである。しかし、ゲームにおいて重要なのは、
べつだん製作者の意図がどーこーというものよりも(むろん、それはそれである程度は重要であるが)、現にそのゲームが面白いかつまらないかどうかどうかであって、上の推理の問題で言えば、
製作者の開発意図や開発過程がどーあれ、今作のゲームシステム全体が「既存の作品」よりも現に(どれくらいの程度で)変わっているか変わっていないか?ということが真の判断材料になるだろう。
当然のことながら、僕としても名ワトソンマルセル死が合っているか合っていないかは基本的にどうでも良いわけで、実際にこのVBAが今までのVBシリーズと何処が変わっていて、何処が同じであって、
それが具体的にどのようにゲームを面白くして、どのように詰まらなくしているか?という点に、以下の長文の僕の「真意」は込められているわけだ。それが妥当なのか間違っているかは、読者の判断に任せるしかないのであるが。


(2)

>>敵の進攻が迷宮の順路に沿ったものではなく階層ごとの進攻で、こちらの意としない場所に出現するため「迷宮で待ち構えている」という雰囲気があまり表現出来ていない。
欲を言えばせっかく地形補正のかかる構築物があるのだから特定の部隊を任意の部屋に配置出来るようにした方が面白かった。
次回作を作るのであれば迎撃バトルとエンカウントバトルのバランスはこのままにして固定エンカウントバトルを加えてほしい
(もしくは巣作りドラゴンのように完全に敵の進攻ルートをこちらで指定できるようにしてほしい)
どの部屋でエンカウントバトルが発生するかわからないので今作では地形補正がかかる部屋の使用率は極めて低いだろう。
(地形補正のかかる部屋を作るのであれば無難に魔王城廊下かダメージの見込める毒ガスの間を作る。トラップルームは最終章の対天使では完全な空気部屋)
迷宮部分に多少の不満があるものの全体としてはとても完成度の高いSLGパート(ゲームバランスも良好)になっている。
引継ぎあり&隠しユニット等の周回要素もあるためSLG好きはプレイして損はない。

http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=15535&uid=donsuke
(より)

ある意味でこの作品の問題点と魅力を典型的に語っているのが、このdonsukeさんのレビューである。前述したように「不満点」は明確に記述できても、魅力は「ゲームバランスは良好」ぐらいにしか語られないというヤツだ。
もちろん、これは別に嫌味や皮肉で言っているのではなくて、端的にこの作品の魅力と問題点を語ろうとすると、donsukeさんの言うしかないのである。僕はそれをもっともって廻った言い回しで語ろうとしているだけなんだけれども。
上のdonsukeさんの議論をもっと凝縮すると、以下のようになるだろう。「ダンジョン構築部分に纏わる戦略部分はほぼ皆無だが、それ以外のSLG部分は面白い」ということ。同時に、こうして見ることで結構面倒くさい部分がわかってくる。
つまり「ダンジョン構築部分に纏わる戦略部分」が基本的にはダメなのに、どうしてそれ以外の「SLG部分」は面白く感じるのか。そして、「それ以外のSLG部分のバランスの良さ」とは具体的にはどのようなことなのか。
donsukeさんの文章はその点でも、とても有益な示唆を与えてくれる。その次に来る文章が「引き継ぎあり~」云々のところで、主に周回要素の魅力が語られている。
むろん、これは「周回要素があるからこの作品は面白い」と言うことを意味するわけではない。周回要素があったところでつまらない作品はゴマンとあるからである。そうではなくて、周回要素が魅力に感じられると言うことは、
この作品の「全体としてはとても完成度の高いSLGパート」と、以下に続く周回要素が何らかの有機的な結びつきがあるということを示唆しているわけである。もっとこれを推し進めると、この作品(あるいは九尾作品全般)は、
「周回をしないとあまりおもしろくない」というような結論も出てくるのであり、こうした両者の「おもしろさ」と「つまらなさ」を比較検討することで作品全体の問題点と魅力が浮かび上がってくるかもしれない。

実際に、この作品をやっていて「ダンジョン構築部分はザルだ」と感じる理由については、donsukeさんが上のコメントで手際よく語っているわけだが、これをもう少し丁寧にというか「その結果ゲームはどうなるか?」という点を語ってみよう。
まず、donsukeさんが上で語っているような理由によって、「ダンジョン構築要素」によって「のみ」敵の侵入のスピードを弱めたり、敵の撃破を容易にすることは基本的に「あらゆるコストが悪い」から、その点は殆ど考えなくなり、
基本的にはダンジョンの下層付近に各種生産部屋を作り、そこに敵が大量に辿り着くまでに上層のフロアで敵を撃退することに勤めるようになるだろう。(要はダンジョン構築は、この「上層」と「下層」の区別の構築しか機能していない)
さて、そうなると、敵を撃破したり敵を撃破するのを容易にしたり敵を食い止めるのには、殆ど「迎撃バトル」と「エンカウントバトル」の二つしかないわけだ。状況と難易度によるが基本的には「敵撃破」を迎撃バトルが受け持ち、
「敵弱体化」や「敵侵入阻止」を受け持つのが「エンカウントバトル」と言っても良いだろう。と、すると、このゲームのSLG部分のほぼ大部分は「ダンジョン構築」に纏わるものではなくて、殆どがこの「エンカウント/迎撃バトル」に
よるものだと言えなくはないだろうか? もっと正確に言えば、ダンジョン構築の最適解はほぼ九割方決まっている(上層撃破/下層生産部屋死守)わけで、そのダンジョンは構築というよりも既にあらかた「存在」するものといってもよく、
その「上層撃破/下層生産部屋死守」というMAPをほぼ前提とした上での「エンカウント/迎撃バトル」がこの作品のSLG部分の大半を占めている……さて、これは何処かで見たようなゲーム性ではないか? そうまさしくこれこそVBシリーズの基本である。
この「上層撃破/下層生産部屋死守」という構図をある程度固定化されたMAPと見立て、その各種部屋を各種都市と置き換えてみれば、そこを敵から取ったり敵から守ったりする戦略SLG性……
このように考えれば、このVBAは今までのVBシリーズと大して変わらないのである。
その都市成長システムや都市防御システムや地形効果が「基本的に単調であんまし戦略性を求められない」という点でも、このVBAは今までのVBシリーズを踏襲しているといえるだろう。

「悪くなった」点ばかりではなくて「良くなった」という点でも、このVBAは殆ど今までのVBシリーズの進化方向を踏襲しているとさえ言える。この作品の面白さを上げるとして「ダンジョン構築が面白い」を言う人は少数派だろうが、
「複数部隊をエンカウントバトルという形で運用できるようになったのは面白い」とか「各師団の特性を考えて編成を組むのが面白い」と上げる人は結構多いだろう。これも基本的にはVBDからVBEの多師団化の流れと似たようなものである。
細かいことを言えば、実際に進行できる師団(VBD、VBEの場合は都市進行。VBAは迎撃バトル)は一師団だけで、その他の師団は全て「護り」しかできないというゲームシステムまでもが共通しているわけだ。
そして、今回はその点が実に洗煉されているといってもいい。まだ多少の問題は残っていると言えるが、前回まではいくら多師団を作っても、「余り」のユニットは必然的に生まれ有効活用ができなかったのに対し、
今回はほぼ全てのユニットを部隊に組み込むことが出来て、それが殆どのケースにおいてある程度は役に立つことが出来るからである。故に「複数のユニットを操作している感」が生まれ、それが戦略&成長SLG雰囲気を産みだし、
実際にはまぁ大して役に立っていない(これが多少問題なのだが)としても、複数部隊を運用し成長させることにユーザーの動議つけを与えることに成功しているわけだ。

もちろん、こうした枠組みを支えているのは、「どんなゲームでもそれなりに面白い」と感じさせる九尾の安定したゲームバランスとゲームテンポの絶妙である。これは「難易度」の設定によって大きく変わるわけだが、
1周目「ノーマル」2周目LV能力以外全引き継ぎで「ハード」という、まぁ一番ありそうな難易度設定を前提とすれば、序盤「楽勝」、中盤「やや楽勝で成長開発面白い」、後半「なんだかちょいヤヴァイかも」という展開がいつも嵌っているのだ。
序盤はたぶん、殆どの人がやっても楽勝ゲーで、中盤までも多少は難易度は上がるが、それでも楽勝ムードは覆らない。しかし難易度は大して変わらなくても、中盤ぐらいになってくると「マップクリア」以外の諸要素である、
キャラクターの新しいスキルの開発や、各種キャラクターの組み合わせや、武器防具装備やレアアイテム探しエトセエトセ、このVBシリーズで言えば「ヒロイン調教」といったエロ要素の探索が大いに広がってくるので、
「マップ攻略が楽ちん」だったとしても、こういった「二次的ゲーム性」の探索によって楽しむことができるわけだ。しかしむろんこの「二次的ゲーム性」は、それ本来で独立しているわけではなくて、基本的には「MAP(シナリオ)攻略」
の目標のために(それを円滑にクリアするために)生まれてきたものなので、本来の「マップ攻略」が最後まで「楽ちん」に終わったらたぶんそれらの「二次的ゲーム性」を面白く感じることは難しくなるだろう。
そこで最後に近づくにつれて、今までの難易度上昇を突発的に上まわるようなスピードで急に難易度をあげるわけだ。今作で言えばロウルートのドラゴン退治から天使襲来のあたりの流れが典型的だろう。
ここで、まぁ大半のユーザーは大部分のエンカウントバトルに負けて、お金が凄い勢いで減り「やべぇ詰んだかも」と焦るに違いない。むろん、基本的には「最下層HP回復」と「敵出口バシルーラ」と
「雑魚部隊で士気溜めてメイン部隊の必殺技で瞬殺」というゲームシステムがある限り、ほぼ「詰む」ということはあり得ないわけだが、これら三つの全て使ったとしても「ギリギリ勝ったな」という感慨は拭いきれないのであり、
前述した「二次的ゲーム性」を思う存分に利用していないという(自らの腕に対する)不満は残るんであって、んじゃまぁ2周目はもっと他部隊のレベルを上げて……といった感じで周回プレイに嵌っていく廃人たちは今日も徹夜眼を血走らせる。

こうしたゲームバランスを支えているのが、九尾のたぶん他ゲーム性重視メーカーのなかでは一番「速い」と思われるゲームテンポである。まぁ「ゲームバランス」と「ゲームテンポ」は別に独立している要素ではなくて、
前者は後者を含むとは言えるわけだが、説明の利便性と概念の整理のためにここではそのように分類しておこう。以上のような「ゲームバランス」は、敢えて悪い言い方をすれば、実は「じっくり考えてプレイする」と、
あんまし面白く感じないようなゲームバランスなのである。「ダンジョン構築が殆どザルゲー」というのが大きな要因ではあるが、その他にも細かいところを言えば、各クラスの特徴(ガーダーはクラッシャーに弱いとか)弱すぎだの、
特定スキル強すぎ(波状攻撃や貫通)だの、特定スキル弱すぎ(回復だの麻痺攻撃)といった問題が多いので、じっくり戦略を考えてどーこーみたいなどっしりテンポでやろうとすると、底の浅いゲームに見えてしまうのだ。
そこらへんを、良い言い方をすれば「解決」し、悪い言い方をすれば「誤魔化す」のが、基本的にサクサク進んでいく(ように感じられる)速いゲームテンポである。こうした「テンポ」は、テンポそれ自体という考えはありえず、
テンポは、常にある具体的な時間感覚を前提として、そこよりも「速い」とか「遅い」といった相対的な感覚をえるものなので、たんに「テンポが速い」とか「遅い」とかいっただけでは、主観的に「速く感じた」以上のことは記述していない。

だから、こうした「テンポ」を客観的に記述することは難しいのだが、今作の場合だと「取りあえずはある程度テキトーにやっても(大部分)はサクサク攻略出来るか、または味方がサクサク死んでいく」ような先ほどの難易度調整と、
味方部隊のレベル上げや各種イベントや各種アイテムが、その「種類」の数は多く、その「上限」は高いものの、レベルを1上げたりあるアイテムを手に入れること自体は簡単であるというような、二次的ゲーム性の緩急がテンポを産みだしている。
単に「マップを攻略する」だけなら、わりとテキトーに無双ゲーできちゃうわけで、これはこれでテンポが良くサクサク進むような感じがするが、それだけだと単なる楽ちんゲーであり、そこで急に強い敵キャラが出てきたりする。
その落とし穴を回避するためには、「二次的ゲーム性」を活用して他部隊のレベル上げだの装備充実だのをやるほか無いのだが、そこらへんが前述の「サクサクテンポ」と乖離するようだと、それは「テンポが悪い」と感じられてしまうだろう。
この点で、今作のエンカウントバトルの「多部隊のレベル上げ」と迎撃バトルの「精鋭部隊のレベル上げ」は、客観的にそれに費やした時間はそれなりのものがあると思うのだが、主観的にそのレベル上げの時間はサクサク進んでいるように感じられる。
これはまず、エンカウントバトルが「ほぼ一瞬」で肩がつき、迎撃バトルも必殺技で瞬殺ということもあるだろうが、「レベルの上限」は高いが、1レベルアップに掛かる時間は短いから、前にサクサク進んでいるように感じられるという錯覚だ。。
単純な例を出せば、1レベルアップするのに30分掛かり、上限のLV100まで行くのに3000分掛かる作品と、1レベルアップするのに3分掛かり、上限のLV1000まで3000分掛かる作品では、
両者の客観的な到着時間は全く同じなのにもかかわらず、前者の方が「テンポが速い」と感じるものである。これと微妙にテンポをずらしながら進んでいくのが「レアアイテム探し」であり、これも「レベル上げ」のそれと同じようなバランスで、
そのレアアイテム自体の出現率はそれほど低くないが、なにせ種類とそれを装備するユニットが多いので結果的にはわりと時間が掛かる。でも、少しながらも集まっていくのがわかるので「無駄な時間を過ごしている」という感覚は弱いのだ。
第二次世界大戦末期、シベリアの収容所から脱出して三年間の遭難生活の末、逃亡に成功したドイツ人兵士は、1000歩前に進むたびに、片手に握っていたボールを別の手に持ち替えて、
小さな目標を毎日乗り越えたことを確実に確認しながら大きな目標を乗り越えたという。このようなゲーム性の、正確に言えば「少しずつ成長していく蓄積ゲーム性」の快楽が、
わりと極端な難易度バランスを裏から支えて「快適なゲームテンポ」を実現し、その快適なゲームテンポがマクロ的に見ればわりと杜撰なところが多いこの作品を「なんとなく楽しませている」要因になり得ているのである。

故に、この作品や九尾作品が「具体的な欠点の指摘が多い」のにもかかわらず「抽象的な美点によって面白いと評価」されるのは、まったく理に適った現象の現れである。
一言で言ってしまえば、意識的なレベルでいくら欠点を感じても、前述した「安定したゲームバランス」と「快速なゲームテンポ」の絶妙なバランスは「無意識的な中毒性にも似た」ある種の単調な快楽を与えるから、
前者を記述することは容易であっても、後者を記述することはなかなかに難しいのである。故に前者ばかりが批評の矢面にたってネガティブなことを言われるのに、後者の点は具体的に語られないのに、
何故か点数だけが高くなると言う事態が起こりえるわけだ。これはもちろん「信者云々」という話も多少はあるんだろうけど、特に「ゲーム性重視」作品の場合は基本的にゲームバランスとゲームテンポを上手く活用した、
単調な中毒性を引き起こす側面が強いわけで、何やら「難易度が高くて知的好奇心が」だとか「戦略性が云々」みたいな単語を利用するわりには、その批評のテキストの内容は理に適っていないことが多いのも当然である。
(もっとも、この点はエロゲとその批評の典型的な乖離である。エロゲの快楽は(一般常識レベルにおける)意識的な操作による知的快楽を引き出すのではなく、もっとプリミティブな部分に作用するところが多くて、
そのプリミティブな部分をプリミティブな言語以外に翻訳するのはなかなかに難しい。そして、そのような場合には大抵「信者用語」的なある種の信仰告白めいた表現が多用されるようになると言う話。本当に信仰があるかどうかは別としてね)

さて、いろいろとグダグダ語ってみたわけだが、以上の議論を纏めるならば、次のようになるだろう。つまり、このVBAの基本のゲームシステム(の快楽)は既存のVBシリーズと殆ど同じであって、
今作の欠点(ダンジョン構築システムがザルゲー)も今作の美点(安定したゲームバランスと快速テンポが嵌る)も、基本的には既存のVBシリーズの延長線にあるんじゃないかってこと。
しかし、以上は「あくまでゲームシステム部分だけ」を見た場合の評価であるし、またこの段階では「今作が総合的に良いか悪いか」と言った点は未だ触れられていない点にも留意しよう。
そうした総合的な評価を語るためには、まだ二つの点が残っている。一つは「(あくまで)「シナリオ面やエロ面だけをみたらどうか?」という点と、もう一つは「それらを総合的に見たらどうか?」という点だ


(3)

ということで今作の「シナリオ」について語ってみようと思うのであるが、他のレビュアーの諸氏はまぁあんまりその点について語っている人は少ないもので、ここは個人的な素朴ななんとなくな感想から入らせてもらうと、
なんだかメインシナリオ(の大まかな流れ)よりも、個々のキャラや個々の日常シーンが目立つ作品だったなぁと。そういう意味じゃ、もちろん此方は最後までオチついているものの「ランス・クエスト」と似たような印象かもしれない。
まぁ、このへんの原因を指摘するのはわりと簡単である(前述したエロゲ批評論で言えば、シナリオというかプロット全体がどーだーみたいな話は、一般常識的な知的レベルでわりと簡単に記述できるところがおおいからである)。
まず、今作のお話は基本的に受動態のお話なのだ。前作までと違って、偽ハクオロ君が復讐を誓うお話でも、ヤリチン魔族君が全世界と全女性をフタなりにするような話でもなくて、基本的には襲ってくる人間たちを撃退するお話だよね。
べつに受動態のお話だからイマイチで印象ウスーイって話になるんじゃないけど、しかしある程度の一般性として「主人公が自分から動かない」お話は、特に主人公=自分みたいな感覚が強い人には薄味に感じるのは確か。
それでいて、九尾の典型的なシナリオ構成がそれに拍車をかけている部分もある。九尾は大抵、物語の大まかなプロットの流れを三人称的に記述する、具体的にはまず最初に
「○○勢は今現在こーいう状況にあって××勢はこーなってます。そして○○勢のA君はこう思っているのだった……」みたいな「神の声」のナレーションから始まって、次にその○○勢が何か陰謀やら作戦やらを巡らせている様子が描かれ、
さて主人公たち××勢はこれからどーしましょうか物語の始まり始まりーって感じで進行していくわけだ。そんで、今回は基本的に「敵が攻めてくる」お話だから、まず物語の流れとしては、敵の○○勢がこーいうことをやろうとしている
みたいなお話がまず「最初にきて」、それで主人公××勢は○○勢の攻勢に対するアクションを取ったり、それに備えたりするような描写が多くなるんじゃなイカ娘をそろそろ新ユニットに入れてくれゲソ。
だから、まず主人公たちが明確な目標をもって前に進む話じゃないので、全体的に何処に進んでいるといったメインシナリオの方向性が見えにくく、個々のシーンだけが強く印象に残ってしまうのであーる。

ここらへんはカオスルートでも、ロウルートでも、特にラスト周辺の「一番の盛り上がりの弱さ」みたいなところで、強く実感できるんじゃないかと思う。
まずカオスルートから行くと、主人公が魔の魔同書に魅入られて「魔族や竜族や人間族の違いはなにか?」という問いに導かれて鬼畜化していく展開ね。これに「そんなものはシナリオライターに聴いてくれw」と思ったのは僕だけじゃないと思うな。
いや、もちろんそんなメタ的なことを言ってもショーもないんだけど、なんでこういうメタ的なことをツイ呟いてしまうかというと、こうしたキルト君の問いが「カオスに入っていきなり出てきちゃう」からである。
もっと正確に言えば、魔族がどーこーとか人間族がどーこーみたいな「種族の違い」に関するエキストラなお話は、今までのシナリオのなかでも日常描写を含めてわりと出てきたけれども、それはある種の社会的な文脈のお話であって、
哲学的な「彼らの本質的な違いは何か?」はキルト君も含めて誰も発していなかったはずである。もちろん、両者の問いはそう厳密にわかれるものではないけれど、この哲学的な問いは唐突すぎるし、ラストまで言ってもオチも弱すぎだよなぁ。
そういう意味じゃ、ロウルートのほうがお話としては良く出てきていると思うんだけど、ラスト近くのルキアラッシュあたりは典型的な説得力不足を感じる。カオスルートを先にやったのが悪かったのかもしれないけど、
ルキアって別に(少なくともロウルートに入るまで)は、基本的には「御輿の女王」以上には物語のなかで役に立っていなかったよね。だから、カオスルートであんなになってもキルト君の力だけでアイギス倒せたわけで。
もちろん、それまでのシナリオではルキアは「御輿」として機能しているからそれはそれでいいんだにょ。でも、ロウルートに入っていきなり「王とは何か?」みたいな話をルキアを使って語り出しちゃうと、
今まで「御輿」だったルキアがいきなり熱いことを言いだしても、カオスのふらふらルキアと何が違うんだろう?というような印象を拭いきれないのである。どれもこれも「キャラ」の魅力ではなく「お話」の流れで押し切ろうとしているけど、
そもそも、「カオスorロウ」ルートまでは、基本的に主人公たちが状況に巻き込まれるお話で進んでいたのだから、「カオスorロウ」でいきなり彼ら主人公勢が能動的に熱く動こうとしても違和感が残ってしまうのだ。

これは「シナリオの流れ」だけではなく、「シナリオ上のある種の(いろいろな)効果」という点でも、どうにもよろしくない雰囲気が濃厚であった。九尾シリーズのプロット構成とその効果は、まぁ基本的にはタコ焼きシナリオである。
つまり、ある大まかな物語を全体の構図を途中まではじっくりゆっくり語っておいて、物語の中盤あたりでそれをクイっとひっくり返しまして、外はカリカリの善と悪の対決だけど、中はじんわりほっくら人情話ですなぁみたいなノリである。
ところが今回はどうにも外側がカリカリになっていない時点で、何回もクイっとひっくり返すような真似をするんで、なんか外側もぐんにゃり口当たりが悪く、中のタコもしっかり火が通ってないよみたいな冷凍タコ焼き微妙感がするんである。
まぁ変な比喩はこれぐらいにしておくと、そういう「前提ひっくり返し技」が「な、なんだってー?」を効果を発揮するためには、そうした前提の安心感がシナリオのなかで確保されてないとダメなわけじゃん。
でも、今回のシナリオ構図は「敵の軍勢に対する主人公たちのリアクション」が基本にあるわけだから、主人公たち自らの行動やアクションによって「シナリオのなかの安定した前提」を能動的に作り出していくようなことは少なく、
まいかいまいかい「敵の意外な作戦や行動」によってシナリオが進んでいくわけで、「シナリオのなかの安定した前提」はなかなか生まれてこない。そこでやれアバン先生が生きていますたただの、味方の誰々は操られていましただの、
言われても「ふーん、そうですかぁ」以上の感慨はないんである。これは、今までのVBシリーズよりも、シナリオが二章近く短い、ということを多少は関係しているのかもしれないけれど。

こういった「主人サイドの能動性の無さ」はエロしーんおよび、その分岐においても、あまり良い影響をおよぼしては居ないと思う。良いと言えるのは、いったい九尾系列のオナニーシーンはどこまで逝ったら気が済むのだろうか?ということで、
「立方体ゼリーふたなりオナニー」は前作VBEにおける「触手ベット擦りつけオナニー」以上に、節電が叫ばれているこの冬の一大ヒット製品になることは疑いようもあるまい。クールジャパンなどと浮かれている戯けよりも一万光年先に進んでおる。
だが、その最強のフタなり勇者のエロしーんの中にも、最も不満を覚えたエロしーんの(分岐)があった。これが今回の「孕ませエロ」と前回までの「悪落ちエロ」の大きな違いであり、僕にとっては大きな不満点である。
それは、二名理由者(←「ふたなり勇者」を変換したらこうなりました。普通にいそうな男子の名前っぽくて萌え)の処女をキルト君が奪うというシーンで、「悦楽」調教だと騙し騙し言いくるめて処女を奪って、
「苦痛」調教だと淫魔の洗脳を使ったものの途中で目覚めちゃうと言う話なんだけど、どちらに分岐したにせよ、結局のところ最後までキルト君が「淫魔」の力で、ヒロイン達を性的に堕落させることができない、というのがどうにも面白くないのだ。
いや、もちろん「工場化」は可能だけれども、それって要は「最後はぶっ壊れてしまいました」みたいなVBEで言うところの「凶落ち」ですよねぇ。しかもお話的にも「部隊が必要だから」みたいな話にしかなっていないわけで、
主人公が調教ゲー的に性奴隷のヒロインを求めてハーレム作りましょうみたいな能動性が無く、ただ単に「魔族が必要だから孕ませているだけ」って感じなのが、調教ゲースキーの僕としてはこの作品の最大の不満点なのである。
「悪落ち」システムのように、ヒロインのキャラクターや容姿が変化しないのも、調教ゲーのギャップ萌えエロを弱めているし、せっかく「悦楽」と「苦痛」調教の二系列を選べても、CGが殆ど変わらない点はまぁ許容したとしても、
やっていることは淫語台詞における「ガ」行が多くなるか(ひぎぃ!ぐぉごごごご!)「ら」行が多くなるかの違い(らめぇぇ~もりぇるぅぅぅ)ぐらいで、そうしたポイントの蓄積が何の結果の変化を及ぼさない点でもイマイチである。
確かに「産卵」をメインに据えたことで、触手出産系のシチュは多くなり、そういった異常性癖フェチのかたには溜まらないだろうが、飽くまで触手やら出産は「調教」のための「手段」の一つでしかないと考える僕にしてみれば、
今回のVBAは、今までのシリーズの中でもっとも「エロ薄」な作品だという評価を下さざるをえないのであった。触手陵辱に特化したメーカーなら他にも△とか色々あるんだから、もっと九尾は「調教方面」にテコ入れして欲しいと思うのだ。


(4)

さて、これでようやっと、最後の「総括的な評価」に行き着いたわけだが、これはもちろん「ゲーム性」+「シナリオ(×エロ)」=(今回の僕の点数で言えば)「79点」といったような評価をするんじゃなくって、
敢えて数式で表すとすれば「ゲーム性」×「シナリオ」=といったような、ゲーム性といったものと、「シナリオ(×エロ)の「相乗作用」ではなくて、その相互の関係性がどのような作品を産んでいるかどうかを検討したいと思う。
というのは、当たり前のことではあるが、僕らはこういう「ゲーム性重視」のエロゲをやる場合、例えば純粋な洋ゲにおける戦略何たらとか文明何たらをやるときのように、「ただゲームクリアとその過程を楽しむ」だけではなくて、
「ゲームクリアやシナリオクリア」にはあんまし関係ない日常イベントを楽しんだり、あるキャラを贔屓プレイしたり、エロしーんを見るために無意味アイテムを集めたりするわけで、そうした行為における快楽の集積は、
「ゲーム性」+「シナリオ(×エロ)といった、それぞれの要素を独立した存在として見なす考え方では、適切に記述できるものではないとワタシクは考えるのですワ!(つまりマトモな整理ができないドジっ娘メイド並の知能ってことね)

とかなんとか、偉そうに語ってみたはいいけれども、実際に語るべき内容はそれほど大したものではなくて、まず大まかなところから言えば、これは九尾系列作品に共通することだけれども、
基本的にカオスとかロウとかノーマルとか、だいたい三種類ぐらいの分岐ルートがあって、べつだん「ヤリ込み」プレイをしない人でも、三週分ぐらいは退屈せずに周回できるゲームバランスやテンポが維持されているというのは、
これは毎回のことではあるが、基本的に評価できるところだろう。最近はあのアリスだって「周回シナリオ要素」と「周回ゲーム性要素」を上手く結合させていないからねぇ。このへんは「流石の安定感」とかマンセーして良い部分だろう。
引き続きマンセー調子で言えば、まぁ今回は前述したように「調教エロ」部分に僕は大きな不満を感じるのであるが、しかしある程度楽しめるゲーム性をもちながらも、それがエロ要素と反しないばかりか、ゲーム部分と上手く調和している点では、
このVBシリーズを含めた九尾作品は今のところ「エロゲーメーカーTOP」または「少なくとも三本の指に入る」ぐらいのマンセーをしてもいい。最近はエスクードが、まぁ脱がせフェチにとっては某ゲーは良いのかもしれないけど、
どうも最近はエロをサボっており、アリスはランス様以外が不調なので(ランス様にエロを求めようだなんてトンでもない!)、正直エウあたりでも前述のメーカーに比べたら「かなりエロイ」といえるようなゲーム性エロ不作状が続いており、
どちかといえば、九尾が首位を取ったと言うよりも「首位が転がり込んできた」ような状況ではある。しかし、それでも毎回変態度が高まっていく触手シチュや、ほとんど無意識的な中毒状態を発生させる快速ゲームテンポに、
延々とチンポをラメぇらめぇ言わせるような無限快楽調教エロしーんがピタリと嵌っていることを考えると、やはり今作を含めた九尾における、ゲーム性とエロの有機的な完成度の優位性は揺るがないだろう。この点は確かに凄い。

しかし、と僕はいつもここらへんで「でも、80点は行かないよなぁ」と思ってしまうのである。その原因は作品によっていろいろ違うんだけど、どうにも「ゲーム性とエロ」の結びつきの完成度以外は「70」点クラスであり、
いや、もちろん「ゲーム性とエロ」だけで80点後半は逝っているから、それを前面に押し出して「82点」ぐらいつけても良いかなとも思うんだけど、その「ゲーム性とエロ」以外の「70」点が前者を「80」点後半に留めていることを考えると、
どうにもこうにも「なんかバランス悪いなぁ」と思って79点ってことになってしまうわけだ。逆説的に言えば、九尾系列の評価を79点にまで高めているのも、それぞれの要素のバランスの良さではあるけれども、
それが80点以上に逝かないのも、それぞれの要素のバランスの悪さが原因になっているわけだ。一言で言えば、あるレベルまでは「器用」と評価出来るけど、それ以上のレベルだとそれが「貧乏」に転化するような弱点が九尾作品にはある。

まず手っ取り早いところからいけば、「周回エンド」シナリオ要素や、「周回やりこみ」ゲーム要素がそれなりに面白いのにもかかわらず、シナリオにおける――特にヒロインとの関係における――「メインシナリオ」が殆ど固定化されているか、
サブルートがあったとしても、それは大したことがないこと。要は「オレは××たんが好きなのに、なんで○○がメインヒロインみたいになっているんだよぉ」とことで、まぁ傍から見れば「萌え豚乙」と逝っておけば、
済みそうな問題ではあるものの、九尾作品をやったあとにそのようなコメントを言ってしまう人は狂牛病の検査を受けたほうが良いかもしれない。まず、大まかなところから逝けば、二周あるいは三週程度の「周回プレイ」であっても、
まいかいまいかい「同じメインヒロイン」の話を重点的に読まされるというのは、そのメインヒロインが好きな人じゃないとわりと「苦痛調教」に属するような事柄ではあるだろう。もちろん、例えば、
そのような「メインヒロイン固定シナリオ」を盛り上げるような、シナリオやまたはゲーム性やエロが用意がされているなら、まぁそれが成功しているか失敗しているかは問われるが、成功する確率はそれなりにあるかもしれない。
しかし九尾の場合、その成功は全て「シナリオ」要素だけに掛かっているといっても良く、他のゲーム性は例えばそのメインヒロインが余り役に立たなかったりだとか、エロ要素で言えば基本他のヒロインと大して変わりなく、
しかも基本的に「他のヒロインとエロをすることが前提な」シナリオとエロ要素があるわけで、「メインヒロイン固定シナリオ」はただ単に「そのようなシナリオ」を語りたいというだけの理由で存在しているわけである。
さらに言えば、アリバイ的な「サブヒロインエンド」は逆に「メインヒロイン固定シナリオ」を悪化させるばかりだ。何故なら、ユーザーはそれらのヒロインに熱を入れる余地が出来て、メインヒロインをシカトする可能性が高くなり、
また結局のところ「サブヒロインエンド」があったとしても、それはアリバイ作り程度のテキスト量しかないので、サブヒロインエンドにも満足できず、メインヒロインエンドもシカト気味になるだけで、イイところが殆どないわけだ。
もちろん、それはメーカーの自由であるし、たぶん九尾系列はそういうメインヒロイン中心作品を基本的に作りたいのだろう。それは理解できるとしても、ユーザーが「そのようなメインヒロインシナリオ」に何を感じどう批判するかもまた自由である。
僕としては、まぁ半ば諦めているということもあるから、さほど批判的な態度は取らないけれども、まぁ九尾系列のシナリオとエロは途中までは「自分のすきなヒロインに萌えたり抜いたりする」もので、
そこから先のラストのエンディングは「単に形式的にお話を纏めるために存在する」以上の感慨を覚えたことがないと言うことは告白しておく。それはべつだん「シナリオ単体」が良いか悪いかと言う話ではなくて、
単に「シナリオ上」の理由だけで「メインヒロイン」が選ばれるのであるならば、僕個人としてはそのような「シナリオ」を単なる棒読み的に「へぇ、こうやって話を纏めるんだ」以上に楽しむことは出来ないだけである。

次の欠点は、前のものに比べたらそれほど大きなものではないが、「SLG部分」と「シナリオ(日常テキストを含む)」の微妙な食い合わせの悪さもやはり気になるのである。パンに焼き秋刀魚を挟んで食べるような違和感と言いますか。
この食い合わせの悪さは、実に微妙なところであって、それは端的に言うなら、SLG部分のテンポとシナリオの内容とそれを記述するテキストの長さやテンポの相対的なバランスによって決まる、と言えるわけだが
そのそれぞれのバランスがどんな感じで嵌っているとか、嵌っていないとか言う話は実に感覚的なお話になってくるのであり、それを具体的にアレコレ言うのはとても難しい。実際、製作者もこういうのは言語化しにくいのではないか。
横道に入るけれども、最近のアリスの「不調」は、「好調」の時の作品と比べると、細かいシステムがどーこーというよりも(実際、好調の時のアリス作品も、いっけん理不尽と思えるシステムは結構ある)、
このような「感覚的なバランスの悪さ」が実に際立ってしまうのである。こういうのを「ゲームシステムの文体」と仮に名付ければ、「この作品はアリスの作品じゃない」というのを「アリスの文体をもってない」とでもいえるだろう。
因みに、なんでそういうものを「文体」といえるかというと、それはべつだん文章の美しさだとか正しい日本語がどーこーみたいなお題目によるものではなくて、文章というものは基本的にいろいろな××や○○といった概念やら言葉やらを、
いろいろなやり方で「繋げていく機能」を基本的に持っているからで、その繋げ方の善し悪しや独自性というものによって「文体」と言えるようなものが産まれてくる。その散文における言葉や概念を「繋げていく機能」を、
ゲームにおけるいろいろな要素を「繋げていく機能」と等価値だと考えれば、そこに「ゲームシステムの文体」というような言葉を生み出すことが出来るわけだ。
そして、本題に戻るなら、もしも「九尾作品のゲームシステムの文体」というものを仮定するとしたら、どうにもそれが「個性」と言えて納得できるレベルの完成度をギリギリのところで持っていないような気がするのだ。
あともう一歩ぐらい進化すれば、それは「個性」と言って評価して良いものなんだが、今のところは「まだ試行錯誤中」といった感じで、見ている此方がちょっとじれったいような気分になることがままある。
(また余談で済まないけど、そういう意味じゃ「ランス・クエスト」は「大低国」や「投身3」に比べたら、まだアリスの文体を持った作品ではある。むろん、文体は良いとしても内容はスカスカなところが問題だったりするわけだが)

まぁ、あれこれ抽象的なことだけ言ってもアレなので、なんとか具体的に言ってみようとするならば、まずここの「シナリオ」は基本的にわりと重厚長大なプロローグから始まるわけだ。
んで、途中にその三分の一ぐらいの「経過テキスト」が何度か挟まれて、最後にこれまたその「章」のオチをつける重厚長大な大合戦が描かれて、取りあえずその「章」は終わるというのがだいたいの構成であろう。
むろん、それらの「章」は「連続して」語られるわけで、そうしたマクロの持続性も考慮に入れる必要はあるだろうが、まぁ僕がここで言おうとしているレベルの話は「章単体」のミクロレベルのモデルで説明はつきそうだ。
さて、僕はこうした九尾独自の、まぁ何というか少年戦国漫画物語のようなノリは、わりと結構好きな方ではあるし、ときどきテキスト長すぎじゃね?と思うこともあるが、それはまぁ僕が言える義理が無い問題であるし、
こういうのは「短すぎて雰囲気でないなぁ」と感じるよりも、多少長めで退屈であっても「うーん、なんかそれっぽいぞ!」とハッタリかました方がいいのだろう。そういう意味で「テキスト単体」は別に良いと思うのである。
(因みに、アリスの地域戦略SLGの場合は、九尾と180度違う方向性を取っていると言っていい。あちらは「章形式」を取らずに、不断と言って良い頻度で短めのテキストの断片が積み重なってシナリオの集積を作っていく)

ただ、このような「シナリオ=テキスト」の長さやその文章の内容やテンポと、主に(2)で語った「安定したゲームバランス」と「快速なゲームテンポ」が合わさると、微かな不協和音が生まれてきてしまうのである。
どういうことか。これはまず低レベルな何となくなかんそーレベルから話を進めるとわかりやすい。例えば、SLG部分はわりと楽ショーにサクサク攻略しおわった後に、テキストパートではなんかスゲ-苦戦して辛くも勝利しますた、
みたいなことが語られると、多かれ少なかれ多少は「なんか違うよなぁ」と思ったりするものだろう。これは別段「ゲーム上では勝っているのに、シナリオ上では負けたということになっているのがおかしい」というような批判ではないし、
SLGパートの実際にユーザーが経験した「闘い」と、テキストパート上の「闘い」が一致しないのはおかしい、といったような批判ではない。両者が一致しないのはある意味では「当たり前」だからである。
しかし、そうはいっても「おかしいなぁ」と思えるときと、「これは結構嵌っているんじゃね」と思えるときの違いがあるのも事実であろう。例えばVBシリーズで言えば、VBEの帝国編だとかドナルドダック戦だとかはええ感じで、
後者の例でいえば、SLGパートでHPを異常に吸い取りまくって何度も復活するから結構手こずるドナルド戦と、かなり悲惨な消耗戦が描かれるテキストパートでは両者のあいだに実に適切な持続感が生まれていたと思う。
その違いは要するに、SLGパートで実際にユーザーが闘っているような状況と内容とそのテンポを、テキスト上で表現されるときにそれらの大まかな感覚が反映されている否かによって決まるわけで、
VBEは結構それが上手くいっていたとは思うんだけど、このVBAはどうもそれがイマイチ上手く言っていないような気がするのである。

細かく見ていけば、それは(2)の部分だけでは――「安定したゲームバランス」と「快速のゲームテンポ」の両輪という――「SLGパート」オンリーだけの評価で言えばわりとええ感じのものが、
シナリオパートにおけるテキスト部分との融合ではマイナスになることが多いのである。シナリオテキストの方は重厚長大で熱いバトルが延々と語られているのに、今回のSLGのバトルは、
まぁ激難易度と最後の天使バトル意外を除けば、エンカウントバトルで敵を弱らせ士気を溜めて、迎撃バトルで相手を瞬殺するような「テンポの良い」SLGバトルでアッサリと済んじゃうのである。
なるほど、確かに、例えば「その章」におけるプレイ時間はそれなりに掛かっているし、エンカウントバルトや迎撃バトルの回数もそれなりにあるので、別にそうしたSLGバトルが「短くおわってしまう」わけではない。
しかし(2)で語ったように、「主観的に短く感じたり速く感じるもの」という時間「感覚」と、「客観的に○○時間が経過した」というような時間「間隔」は基本的に別のモノである。
であるからして「主観的に短く感じたり速く感じる」テンポの良いSLGバトルだと、それでいくら客観的に「長い時間が経過した」としても、それはテキストパートで語れるような「長く熱い戦い」を連想させないわけである。
もちろん、これは「エンカウントバトルと迎撃バトル」という部隊編勢と戦闘バトル形式によるところも大きいだろう。確かにエンカウントバトルによる大多数の運用は「大部隊を動かしているような感覚」に浸れるわけだが、
それは同時に「第一部隊(迎撃バトル隊)」と「その他エンカウント部隊」を厳密に分けてしまうモノでもある。つまり、エンカウント部隊は「エンカウント部隊」として「大軍その他部隊」ぐらいにしか認識されないわけだから、
テキスト上に表現されるような「各種族がいろいろな場所で頑張ってます」をイメージするモノではない。そういう意味じゃVBEの「守備部隊」の方がまだ「色んな部隊が各地で頑張って戦争してます」というような九尾テキストの雰囲気に近い。

また「最終的にはヤリ込みゲーで面白い」ということで、高く評価されるようなSLGパートも以上のような意味では問題である。最近はなんだか、発売後にそういった「ゲームパート」における「追加パッチ」を出す、
「ユーザーサービス」が流行っているようで、もちろんこれは「発売後は評価が悪かったけれども、追加パッチを出して信者コミニティを活性化させて、私は○○を続けるよ!を強制的に広めよう」とするメーカーの陰謀では全くないわけだが、
まぁ嫌味なコメントは兎も角としても、これが単なる本編以上の「オマケ」として機能するならそれはそれで、純粋なユーザーサービスだといえるだろう。しかし、本編のアレな出来をフォローするようなパッチでは、どうなのか?
もちろん、それでも「フォローしようとする意思や姿勢」は評価出来るかもしれない。しかしそれはあくまで「純粋なゲーム性部分の回復」にしか寄与せずに、それ以外の部分については切り捨てを図っていることを忘れてはならない。
むろん、九尾はそのようなメーカーには属していないことは僕が保証しよう。しかし、そのような「危うさ」が多少が感じられるのは事実である。現にこの作品のSLGパートはドラグーンといった超難易度を前提に作られているところがあり、
またそこに向かうユーザーへの移行も実にスムーズに作られていて、「その点」だけをみると評価に値するのであるが、上で論じているように、それはある程度は「シナリオとテキストパートの食い合わせの悪さ」を犠牲にしているところがある。
そして、ヤリ込みゲーとか超難易度の挑戦と言ったゲームプレイは、基本的にはもう「シナリオ」とか「テキスト」とか「エロ」とかは関係ない純粋ゲーム性のレベルのゲームプレイに限られるので、そこらへんを重視しようとすると、
ますますそれ以外の要素やバランスの軽視に繋がる恐れがある。まぁ、これらはエロゲ業界では典型的な流れであり、つまり本来は○○や××といった要素の適切なバランスに成り立っている作品でも、これを他ならぬユーザーが、
「A社の○○はサイコー。もうA社は○○特化の作品だけ作れば良い」とか盛り上がって、それを真に受けたA社が○○特化ゲーを作ったら案の定なんかダメダメになって、ユーザーも「もう○○ブームは終わったのに空気読めよ」とか言うわけだ。
これはマルクス経済学の言葉で言うところの「焼き畑的属性特化農業のお祭りとその末路の悲惨」ということになるわけだが、まぁ冗談はさておくとして、ある意味では九尾の最良の武器は九尾の最大の敵になる可能性は随分高いと言えそうだ。

最後に、最初にマンセーした「エロ」部分と他の組み合わせについて、少々疑義を呈しておくならば、先ほどの舌足らずなコメントをもっと明確に語ったほうが良いのであろう。それは、

>>どうにも「ゲーム性とエロ」の結びつきの完成度以外は「70」点クラスであり、いや、もちろん「ゲーム性とエロ」だけで80点後半は逝っているから、
>>それを前面に押し出して「82点」ぐらいつけても良いかなとも思うんだけど、その「ゲーム性とエロ」以外の「70」点が前者を「80」点後半に留めている

という文章であるが、簡単に言えば、以上のような「他の要素との食い合わせの悪さ」がある限り、「ゲーム性とエロ」の食い合わせの良さも、80点後半までは言っても90点以上は逝かないだろうと言うことである。
つまり、それには、周回クリア要素と固定ヒロインシナリオの矛盾を――固定ヒロインシナリオを捨てるなり、或いは矛盾を解消するような形で固定ヒロインシナリオを強化するなり――解消せねば「エロはシナリオのおまけ」にしかならず、
また、SLGパートのバトル体験とテキストパートのバトル描写の食い合わせの悪さを――片方をどうこうするなり、または両方を調和させるなり――で解消せねば「エロはテキストパートとSLGパートの息抜き」程度にしかならないわけだ。
もちろん、そうした状況においても、80点後半程度の高いエロとゲーム性の有機的な結びつきを持っているのだから、それはそれで評価するべきなのかもしれないけれども、厳しい言い方かもしれないが、逆にそこに危険性も感じるのだ。
今回の「悪落ち無し」や「産卵の為のエロしーん」や「苦痛調教や悦楽調教に大した違いは無し」といったネガティブな要素を見るにつれ、エロ方面はうちは大丈夫だから今まで通りテキトーでいいやって言うような悪寒がするのだ。
もちろん、こうした判断はある意味では妥当である。当分のあいだ「この方面」では九尾に敵うメーカーはいないだろうから、うかうかしていると他のメーカーにエロゲーム性で追い抜かれるぞ」といった脅しは具体性を持たないだろう。
むろん「傲慢は自らの破滅を招く」という、歴史的にも神学的にもトーデン的にもあらゆる意味で正しい説教を言いたいわけでもない。だいたい、こういう鬼畜調教ゲーを作っているメーカーに言うべき説教ではあるまい。
僕がこのクソ長文で最終的に言いたかったのは、以下のような僕のたんなるエロゲオタクの素朴な欲望に過ぎない。つまり、


「九尾はエロゲの歴史上、もっともエロイゲーム性エロを作れるメーカーなのに、こんなところで満足しているとオレが困るなぁ」


というような崇高なるゲスな欲望なのであった。VBシリーズのカオスルートの主人公の如く、或いはVBシリーズのキテレツオナ玩具でフタなりをシゴくヒロインの如く、未だ見ぬ素晴らしいエロゲーを九尾系列に求めるエロゲオタがここにひとり。

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