Skyさんの「エヴォリミット」の感想

ネタバレ感想を見たくない場合、文字を背景色に設定することが可能です。 → 設定変更

**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

勝ち負けを競い合う「戦い」だと思ったら、進化を披露する「エキシビション」だった。
「燃え」を期待して購入した自分には楽しめなかった。不完全燃焼である。
戦闘が少なかったわけでもない、テキストが下手だったわけでもない。
ライターの作品は『あやかしびと』『クロノベルト』をプレイしている。
そのどちらも素晴らしかった。

それでも本作では燃えられなかった。なぜか?
まず本作は葛藤の描写がまったくといっていいほど無いからだろう。
強くなるため、敵を倒すため、「進化」にこだわり、パワーアップして、ただひたすら前に突き進む。

その構成は分からなくもない。
なぜなら不知火たちにとっての最大の苦難とは“火星にたどり着くこと”だったから。

過酷な試験を何度も勝ち抜く強さが必要だった。
火星に入植を行うという終わりが見えない計画。
それを実行するには、希望を絶やさず野心を抱き続ける不屈の魂も必要だった。

これ以上の苦難など不知火たちの前には存在しなかった。
100年ぶりに目を覚ました場所が異世界だったとしても戸惑いはしたが、絶望はしない。
記憶喪失という状況ならば少しは不安を抱くものだが、冷静に現状を分析し、むしろ周囲の状況を楽しんでさえいる。

地球人と火星人。赤ん坊と超人の差がそこにはある。
そこでパッチを装着し、不知火たちは火星の世界に適応する。
けれど決定的な違いがある。
その“進化”は本来人間が持っている強さを“退化”させたのではないか。

たとえば、バルバロイとの戦いは戦争というより日常的で、フォーサイスの住民たちは不安におののくこともなく、平穏に暮らしている。
“立ち向かえるという事実”が無意識的にそうさせている。
…たくましくもあるが“貧弱な人間”から見ればそれは異様だ。

そういった火星人と地球人の在り方の違いが顕著に表れているのがカズナルート。
チェペックの安全性を火星の代表者は己の眼ではなく、パッチによって判断しようとした。
彼らにとってパッチを装着し進化したことが終着点なのであって、それ以上先のことを求めようとしない。
そこで思考停止してしまっている。だから機械と暮らすという新しい文化は拒絶する。

一方不知火たちは違う。火星に人を送るまでに発展させた。
未来に希望を託し、真っ直ぐに己の意志で進み続けた。精神の在り方がまったく違う。

この対比を活かして、キャラを立てているところは上手いと思う。
思えば、『あやかしびと』も人間の不完全さを肯定する物語だ。
不完全だからこそ人は、信念や根性で自らを補強し強くなろうとする。

物語が執拗に訴えてくるのはそういった「人間の強さ」であり、
諦めることなく、不屈の闘志で階段を昇り続ける、少年と少女を肯定するものだ。

…けれど本作においてはそれが仇になっている。

既に「強い人間」として形成されているがために不知火や雫には葛藤がなく、
ただひたすら前進して「進化」を重視し話を進めてしまっている。

また魅せ方も悪い。
敵が動き出して、戦闘が始まると「一方こちらは…」とめまぐるしく視点が変わっていく。
よくある手法だが多用しすぎで、一体誰に感情移入すればいいのか分からない。

都市が壊滅したと事実を述べるばかりで絶望感も感じない。
そういった動きを主人公の目線から見せずに、話を展開しているので流れについていけない。
せめてもっと「戦う理由」や「都市を守るという決意」の部分を濃く描写してから話を動かすべきです。

いきなり壮絶な戦いを始めるのではなく、一度敗北して、それから作戦を練り、修行をして、勝利。
…といったた少年漫画の王道でいけば、分かりやすく感情移入ができるはず。
散々言われている環太郎こともそうですが、全てが唐突なんですよね。

敵の掘り下げも圧倒的に足りないというのも大きい。特にコウはなぜ突然心臓を奪われたと思ったのか。
どのような経緯で移植が行われたのか。家族から教えられなかったのか。そもそも妹以外の家族はいたのか。
何を語れられていないから、同情も共感もできない。彼の慟哭に打たれるものがない。

総合的に、葛藤がないということ。
「進化」だけにこだわっていることが原因で戦闘を客観的に見てしまい、燃えることができなくなっている。


――スポーツに置き換えてみると分かりやすい。
競技とはルールがつきものだ。
定められた場所で戦い、決められたルールに則って、敵と競い合って戦う。
ルールは選手を縛る。でも縛りがあるからこそ乗り越えようと葛藤する。
だからこそ競技に中に興奮が生まれ、その中で結果を出すからカタルシスを得られる。

加えて選手個人の特集などを見れば、辛い過去や厳しいことに絶えなく姿などを見ているうち応援したい気持ちに駆られる。

これは『あやかしびと』の構成でもある。
各キャラのエピソード徹底して描き、隔離された都市の中で、悲しみを抱えた人たちが人間らしく懸命に生きようとする。
そのドラマに胸を打たれ、人物たちの覚悟に共感しするからこそ、戦いが熱くなる。

『Bullet Butlers』は未プレイではあるが、他の人の感想を見てみると“英雄としての誇り”や“執事としての在り方”というものが根底にあるから、
戦闘も燃えることができるのだろうなという印象を持つ。

“こうしなければならない”という縛りに苦しみ、だからこそ乗り越えようとする。
そこにカタルシスが生まれ、気持ちを共有することで人物に自己投影できる。

だがこの『エヴォリミット』には明確なルールがない。加えてどんな人物かを詳しく説明してもらえずに、戦いが始まってしまう。
「強くなる」という思いさえあればどんなことだって起きる。宇宙にだって行ってしまう。

ルールなき“なんでもあり”の戦いなのだ。否、「戦闘」でもない。
本作が重視しているのは「進化」であり、そのために戦闘がある。

雫ルートでのラストのバトルは、何かのショーを見ている気分に陥った。
アレはもう戦いではなく、「進化」の究極であるビッグバンを魅せるためにやっている。
シェアリングなんて言わば、男女で踊るフィギュアスケートのアイスショーのようなものだ。

ただ自らの技を披露するだけではそれもう完全にショーであり、エキシビション。

勝ち負けを競い合う「戦い」だと思ったら、進化を披露する「エキシビション」だった――。

長文感想へのレスを書くには
 ・ユーザーIDを有している
 ・COOKIEが有効である
 ・COOKIEを有効にした状態でログインしたことがある
 ・5つ以上一言コメントを書いている
 ・長文感想を書いたユーザーが長文感想へのレスを許可している
の5つの条件を満たしている必要があります。

コメントデータ

このコメントはだいたい1939回くらい参照されています。

このコメントは2人の方に投票されています。