merunoniaさんの「紅殻町博物誌」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

私も確かに少年時代があって、きっと思い出せない、失われてしまったものもあるだろうけれど。でも現在を此処に生きているからこそ、『過去』を見返すことができるのだと。思い出せてくれたお話でした。希氏の上質なテキストに浸り、思えば思うほど紅殻町が好きになっていく。あぁこれだからレイルソフトって好きなんだよなぁ。上質な物語だった。
唐突ですが、自分の幼少期(少年期)の思い出の話をさせていただければと思う。

私の家は幼い頃から、母方の祖母の家に毎年行くのが通例だった。
今思えば、それはお墓参りも兼ねてのことだったけれど、小さい頃の自分にはよくわからなかった。

夏、母方の祖母の家で従兄弟と缶蹴りした思い出がある。
それだけじゃない、父親とキャッチボールもした。釣りもした。
もう祖母の家は建て替えられてしまったけれど、当時はまだ古めかしい家で。
ボットン便所が怖くて。
用水路で冷やしたスイカを食べるのが、夏におばあちゃん家に行ったときの定番だった。
祖母の家でしか食べることができなかった、みょうがと茄子の味噌汁が、そこまで好きじゃなかったのに、毎回食べるからなぜか印象に残ってた。
冬には、とても雪が積もる地域だったから、雪かきを手伝わされたこともあった。
母親の実家なこともあり、また母親が4姉妹のうち一番下なこともあって、当時の自分はそこで三輪車の乗り方なり、いろんな人にいろいろ教えてもらった……らしい。(当時の思い出を親からよく聞かされたものだった)

祖母が亡くなってからは今では行かなくなった。
でも確かに、あの頃すべてが新鮮で(当時の自分はそれが新鮮という感情を理解していないが)、よくわからないがままにでもあの頃を生きて楽しんでいたのは確かだと思う。

唐突に自分のことを語って申し訳ないが
皆さんも何かしら幼少期の思い出はないだろうか。
今では社会人(学生もいるだろうが)になったけれど、幼い頃に楽しんだ思い出はないだろうか。
楽しんだものだけじゃなくていい、『あの頃は良かった』と想えるような思い出はないだろうか。

少しでも自分にも思い当たる節がある、という人なら、
きっとこの『紅殻町博物誌』を楽しめるのではないか、と思う。

幼い頃に長い時間を過ごしてきたはずなのに、それでも忘れてしまった、忘れ去られてしまった感情を
思い出すような、そして現在から過去を思い返すように親しむ、好古する物語。

───地図に無い町の、図鑑に載らない風物と、記録に残っていない事件の、物語。
その町の秘密を巡って交差する、想いと企みの物語。

この物語を読み終えた今、
私はどうしてあの頃いろんな想い出があったのに忘れてしまっていたのだろう、という思いと。
きっとあの頃はもっといろんな思い出があったのだろうけれど、もうその全ては思い出すことができないのだろうという哀愁と。
けれども、今だからあの頃のことを見返して『過去』として眺め親しむことができるのだろう。という嬉しさで溢れている。

希氏による『紅殻町』に親しんでいく中でかつて忘れられていたような感情を思い起こされるような物語。
レイルソフトらしい作品です。BGMに効果音にサウンドノベルだからこその調和が美しく。
とても、楽しかった。






以下は私の中で備忘録がしたいがゆえの、各物語のネタバレ込みの感想です。
どうしても残しておきたいが故の、文章の未熟さやですます調の統一のなさ、引用の多様はご容赦ください。
序章~共通ルート感想。
各ルートごとの感想。
まとめ。
になります。


○序章
序章は正直初見時にはよくわからない。一度この物語を全部読んだあとだからわかるこの文章が序章の魅力でしょうか。

説明するのも無粋かもしれないけれど、でも残しておきたいので記述します。

紅殻町博物誌の舞台は、あくまで現代のお話。
そして序章で語られるお話は、『明治六年』、『大正一〇年』、『平成一四年』とどれも過去のお話だった。
そこで語れるは、本編に登場する蒼い本紅、万能星片、携帯式キネマハウスの珍奇物品。

しかし、序章で語れる人々の口からは、それらの珍奇物品はどれも忘れ去られてしまった過去の物だったのように語られる。
どこかで見覚えがあるような、人づてに聞いたことしかないようなガラクタまがいの物。
すでに物語上の話でしかないようなもの。

それらが序章ではそのように語られていた。
そして現代へと移り。そうした珍奇物品が当たり前のように存在している奇跡。
それがこの紅殻町。

すべての物語を読み終えた後、この序章を読んだときのこのユーモアさに気づいたときといったら。
時代の流れに逆行するように語られていく本編の奇妙さ。
序章ではまさにこの物語の舞台が確かに語られていたのだなと。
そして十湖さんの存在にも気づくことができますね。



○1章『紅殻町探訪記』
青年宮里がかつての記憶の残滓でしかなかった『紅殻町』へと訪れ、自分の忘れ去られてしまった記憶をたどっていくようなお話。そのタイトル通り、紅殻町を訪れ、その町それぞれを探検していくお話。

何よりも、宮里が、現代のコンクリートの風景から紅殻町への風景へと変わっていく描写が何よりも大好き。主人公の幼い頃のかすかな、無意識の勘とも呼べるようなものにただ夢中になりながら道をたどると、そこにひらけてたどり着くその風景の情景描写のシーンが何よりも良かった。

────
まるで───道を辿ることが、時間を遡る事のようだ。
還っていく───赤褐色の、紅殻の家並みの中に。
戻っていく───陽炎揺らめく、あの紅殻の町並み通りに。
───
それらの風物は。どれもこれもが。
今となっては過去の襞の中に消え去るか消えつつあるモノ達ばかりで。
黄昏の光が一時だけ呼び起こす、幻燈のようで。
懐かしくもあり、どこか切なくもあり。
古めかしいくせに、どこか艶かしく。
通りには、黄昏の光と。
通りには、紅殻格子の町並みと。
───


希氏のテキストの真骨頂とも私は思うのですが、何よりも紅殻町に訪れたときの風景描写、とてつもなく良くて浸っていました。
実際にその町にいて一つ一つが実際に感じられるような、そして同時に宮里の記憶の揺れ動きとシンクロしていくような描写は、とても気持ちがいい。

そしてなによりも、そこで松実さんとの出会いですよ。本当にガツンとやられた。
かつての幼い頃の想い出に宮里が浸っている中で、その中で最初に出会ったのが、かつて憧れていた年上のお姉さんでもあった松実さんです。
(今思えば、電車の中という旅の最初に出会った十湖は冒険心との邂逅で、かつての町で最初に出会った松実は憧れのお姉さんの邂逅という対比は気持ちのいいようなものがありますね)

【松実】
『あの、男の子がねえって、私も年を取るわけだわって、思ったものです』

あぁもう好き!!!!(直球)
小さい頃の恋慕の情を抱いていた憧れの存在に、かつての紅殻町の夕暮れを背景に再会するってもうこんなん好きになる。

【松実】
『貴方は小さい頃から遠慮がちな子だったけれど
お姉ちゃんに、ちょっとくらいはお手伝いさせてくださいな』

あぁもう好き!!!(2回目)

そしてそしてそして、何よりも雨宿りのシーンですよ。
憧れだったお姉さんよりも背が高くなった青年が、かつての憧れの存在に、雨で濡れた身体を拭かれる。
届かないと思っていた存在がより身近になったと同時に、またかつて幼い頃と同じような存在であったと安堵するシーン。

こんなの好きになるに決まってる。
それぐらい序章は松実さんの魅力にやられたお話でもありました。

同時に、他ヒロインでも印象的です。
十湖さんは置いておくとしても、白子さんは最初の出会いからなぜあそこまで悲哀の印象が繰り返されるのかと不思議でありました。その理由は、4章携帯式キネマハウスと白子ルートで明かされるわけですが。

松実さんのことが好きすぎて松実さん中心のお話になってしまいましたが、序章はタイトル通り紅殻町の探検、紹介でもありました。
紅殻町を構成する6区間にそれぞれの情景があり。
京都を思わせるような紅殻町の風情。昭和の発展を思わせる新町。田舎を思わせる蛍沼。等など。
それぞれの違った情景には、それぞれの子供時代の記憶があり。それらを青年になった智久から介して見える情緒の差を愉しむ様なお話は、切なくも気持ちのいい章でしたね。



○2章『万能星片』
『あは……よっぽど、喉乾いてたみたい。美味しかった?まだお代わりあるのよ。欲しかったら言ってね』
少年宮里回想 女性より

万能星片は、青年宮里が少年時代にあったはずのあの冒険心を追想していくかのようなお話でした。
大人になって忘れてしまったような出来事。
今になれば、きっとそれは大したことがなかったと言えてしまうような出来事。
でもきっとその体験は、少年時代にはとても重大な冒険だった。
どんな些細なことにも驚いて、悔しくて、嬉しくて。純粋だった時代。
これらを思い出すことは、なんて寂寥感に溢れていて、切なくて、でも心が暖かくなるものがあるのか。

だから、宮里青年のかつての幼少期の回想が、何事にも代え難い、感情を揺さぶられる。
幼い頃の少年の夏に飲んだあの炭酸のサイダーはなぜあそこまで美味しかったのか。
あの頃憧れた玩具に、なぜあそこまで惹かれたのか。

───
この味だ───マスター、俺は昔、この店じゃない、別の家でしたが、この街でこれを飲んだ事があるんですよ。なにぶん子供の頃の事で、曖昧な記憶だと思ったが、でも記憶通りだった。
───

幼い頃、かつて忘れていたようなあの頃と同じ物に出会ったときの感動。
変わってしまった自分がいたとしても。
そこにはかつてのモノと変わらない感覚があるのだと、思えた安堵感。
私自身当時のモノに出会えたとき、同じ感覚だったこと安堵感には共感できるものがあって。
きっとこの時の青年の喜びは、変えがたいものだ、強く思いました。


そして、この章の結末は、かつて青年が少年時代に置いてきたモノを完結させる物語でもあった。
かつて水中へ落とした船。
この船は青年の夢。万能星片がないがゆえに停泊されたままの夢。

───
ご来臨、お待ちしておりました。───ようこそ。
───

万能星片という夢のような珍奇物品は、まさになんでも叶えてくれる、少年時代に憧れたようなモノでした。だからこそのかつての少年時代においてきたものを完結させるようなお話で。

とてもワクワクして、同時に切なくて。気持ちのいい物語。




○3章『孔雀蝋燭』
3章からは各ヒロインに焦点を当てていくお話。
まずはエミリアから。

万能星片でかつての少年時代に思いを馳せたお話からすると
打って変わり、夏の風物詩を思わせるような怪談話を思わせる物語であった。
夏、夜、蛍、怪談。
蛍沼を小舟で漕いで行く、見知らぬ小屋、怪しげな人物、神社前の階段、蝋燭、怪物。
情景と不気味さの演出が、日本の階段らしい情景描写で描かれていく風情には気持ちよさがあった。

が、最後のオチで笑ってしまった。まさかの猥談オチ。
まさかの周りで乱交パーティーなんて誰が思ったことか。

エミリアは、この経験を経て
『私は、家族ってものに対して、特別な……神聖視みたいな、してたみたい』
と述べている。
彼女にとって家族への見方が変わってすっきりした様子の彼女はとても印象的だ。

後述するが、この物語は、主人公がかつての冒険心に思いを馳せつつ、現実に地に足をつける基準を持ちつつ。それでもなおヒロインの情、肉に溺れヒロインごとの結末を見せていくのがこのお話だ。
そう思えば、この孔雀蝋燭の立ち位置も、お話には猥談ありきだと思わせるようにあるのだとしたら、考えすぎなのかなぁと思いつつ、少し思わないでもない、そんな印象の章でした。




○4章『携帯式キネマハウス』
───不便、便利を決めるのは───
───そこに住む人々で───
───余所のあなたではない───

白子自身についての感想は、後述の各ヒロインごとの感想で述べたい。

この章での感想は、白子という存在はなぜ悲哀に満ちていたのか、そしてここまで情が強い少女だったのかと衝撃を持って思い知らされた。
だからこそ、宮里と白子のお互いの問いかけがとても悲痛で悲哀で、それでも白子さんの気持ちがわかってしまう部分があるからこそ、あぁそれでも白子さんは全てを望むのだと、心がざわめいて仕方がない。

何より、紅殻町探訪記、万能星片を経て、あぁ懐古、好古する気持ちはここまで気持ちが良いものかと刺激された中で、あの悲痛な白子の不変の願いをぶつけられてしまったら、簡単に否定なんてできるはずもない。むしろ痛いほどわかってしまう部分が多い。
それでも、でも現在を生きる白子さんが、現在を不変の対象としそれを願っていまうことに悲哀で悲痛に思えて仕方がない。

この章については、白子ルートが後を引きずりすぎて、上手く感想が書けない。



○5章『夜市』
松実さん可愛いに尽きる。松実さん本当に可愛い。
何よりもあの声が良い。身近にありそうで、素朴な声が本当に良い。

まず、青年が宿に帰ったあと、姿を見られていないと油断して、雪景色を背景にお酒を飲む松実さんが美しい。その姿を見られて恥ずかしがる姿とともに、普段は見せない艶やかさがもう綺麗。
さらにさらに和服姿の素敵な憧れのお姉さんに、
『大人に、立派になりました。智ちゃん』なんてかつての呼び方で言われてしまったには、もうもうもう!!!ほんともう!!!可愛か!!

また、集会の時の松実さんが、町のみんなにからわかれて慌てるシーンがまた可愛い。
大人の憧れのお姉さんが恥ずかしがったり、そしてお酒のんじゃいましたー!!ってみんなに土下座するシーンとかもうほんと可愛い。
なんだかんだ町のみんなに愛されてる松実さんがもう良い。

さらにはさらには、夜市での松実さんがもう最高潮に可愛い。
夜市へ行くために紅酒を飲んでいたとはいえ、憧れのお姉さんが酔っ払う姿は、より身近な存在だったんだと感じられるようで可愛いし、自分で『酔っ払ってます』っていう言い方がもう可愛い。

集会での松実さんの姿が見られていたことに気づいた反応が、もう最高に可愛い。
自分の年の事を考えてしまって、宮里に、『こんなおばさんに想われるのはあなたも迷惑でしょう?』
とあくまで相手のことを気にしちゃうのがまた可愛すぎる。

何よりも、この夜市で酔っ払いながら青年と松実さんが二人付き添うようにデートする姿が、かつての憧れとは違って対等な関係になったのだと思えるのが何よりも感慨深いし、
それでも宮里から『あなたはかつての憧れの存在のままだ』と言い切るのが最高にかっこいい。

二人がお互いに年を経て、お互いの呼び方や関係性が変わったかのように思えて、でも実際には互いに同じ想いを抱き続けてて、お互いに想うがゆえに迷惑じゃないかと心配したり、それでも求め合う姿がもう むり 好き大好き 
もう二人で夜市の品物を見ていくシーンとかもうデートですやん!
もうデートですやん!二人ともお似合いだから幸せになってくれ!!!

の挙句にしかもそうした清純としたような松実さんの姿にギャップの可愛さを経て、最後に貪るようなあのHシーンを見たらもうこんなん落ちるに決まってるじゃないですか。

もう全てが松実さん可愛すぎで包まれているのが、この5章。

と、感想を終わらせるのもあれですが、もう一つ大好きなシーンがあって。
それは、主人公が夜市を目の当たりにしての独白シーン。
────
───宮里青年は───
───発作的に───
───滂它と。───
───涙していた。
理解していた。これが紅殻町の夜市。
一一の月の辰の日とは、「市」(がつく月)の「立つ」日なのだと。
あっちも行きたいしこっちも見たい。むこうも知りたいしそっちにも触りたい。五感全て、筋肉全てが好き勝手に暴走して初めて百貨店の玩具売り場を訪れた子供でもこうはなるまい、もうどうしたらいいのか、嗚呼、アアと痴呆のように呻いて青年は涙で顔中濡らして、ついに膝から崩れてがっくり人混みの中で蹲り、無様を晒そうとして───顔が、とすんと布地に触れた。柔らかな温もりと、優しい肉を裡に包んで佳い香りするこの生地は。
────

かつて万能星片で見てきたように、未知のモノにワクワクしていたものが目の前に広がっている、
一つじゃない、目に見える物全てが珍奇物品である光景。
宮里青年はどれだけのこの光景に感情が揺れ動いただろうか。
夜市に翻弄されて溺れていくように周りを見渡す主人公がありありと思い浮かんで、
宮里が青年のようで、それでも少年時代にあった気持ちは今も持ち続けているのだと分かり、とても好きだ。
しかもそこで、大人げもなく無様を晒そうとしたところで、松実さんですよ。
かつて憧れていたお姉さんにその少年時代のような姿を見せて、そしてかつてと同じように憧れのお姉さんに触れ合う。

なんてこの二人の関係性が愛おしいか。
他の話でも言えることがあるけれど、夜市では特に、二人のかつて少年時代がどのような関係性だったのか、そして今だからこそ変わらないもの変わるものがそれぞれあるのだということを垣間見えるような、ちょっとした仕草が溢れているこのお話がとてつもなく大好きです。
宮里が抱いた少年時代の冒険心と同質の、『憧れのお姉さん』の憧れは、決して引けを取らない、素晴らしい魅力のあふれたお話でした。
何度、何度松実さんの可愛さに悶えたことか。



○忘年会
紅殻町の冬で過ごす、暖かな忘年会の空間。
純粋にヒロインたちとのやりとりが面白かった。
主人公のことを好いているヒロイン達で、きっとお互いにそれはなんとなく勘付いているからこその牽制のしあい。
席の配置がもう物語ってますよね。正面に松実、隣に白子、斜め前にエミリア、そしてうぇーいな感じで十湖さん。
何よりもみんなで白子さんの腹黒さに同意するシーンとかも面白くて面白くて。
暖かい。
紅殻町でいつまでも彼女らの5人の雰囲気が過ごせたらいいのに。
そう思わせてくれる出来事でした。





ここまでが共通での感想、下記より各ルートでの感想です。


○青年宮里(主人公)
ヒロイン達の各ルートの感想を記述するまえに、まず主人公でもある宮里青年について記述したい。
なぜならこの物語は、
宮里青年の答えとなる考え方を十湖に示す

それでも彼女達の魅力に惹かれ、彼女と共にすることでそれぞれの決断をした
という、各ルートの結末が描かれた構造になっているからだ。

宮里青年がそもそもどのような人間だったかについては、十湖のセリフ(7章)がとてもわかりやすい。

───
『君が、博物館が大好きだから。───君が本来目指していたのは『博物館学』なんかじゃない
 博物学。まだ学問がワクワクを残していた頃の、まだ若く荒々しい分野だ。
 君は今でこそ、現実は現実でしかないと。古きよきものなんて、本人の気持ち次第でしかないと。
 そんな風に覚ったような賢しらなことをいっているけれど。
 本当は、君こそが一番そういうものに憧れを抱いているんだ。
 そしてあたしは言うよ。君は、君自身が気づいていないだけで、その境を軽々飛び越える事ができるんだ。跳んで見せたじゃないか、さっきだって!』
───

現実から古き良きものを見る心地よさに浸る宮里の気持ちの根源は、『少年時代に憧れた冒険心、道へのワクワクに憧れを抱いていた気持ち』だった。
今まで見てきた万能星片、夜市でも宮里のその姿を何度垣間見たことか。
主人公宮里は、白子のような懐古・好古主義のような一面を見せつつ、本当は十湖のような青年だった。白子に似ているようで、本当に似ていたのは十湖だった。

そしてその姿に何度私自身も、忘れていたはずの少年時代を思い出されたことか。
あの頃は全てが未知で全てが新鮮で、かつてワクワクした時代が私にもあったのだと。


7章序章より
──────
───まだもっと幼くて、世の中の実際を知らなかった頃。男の子にとって世界は未知そのもので、不思議が一杯につまっていて、荒々しい冒険に溢れていて。
──────

それでも、青年になりかつての憧れの気持ちにまた触れた今でも。
宮里が出した答えはあくまで『現実の此処』だった。


7章十湖ルート宮里より
──────
『……確かに俺は、この町に来て、珍奇物品を色々見てきて、この世界って言うのは……
その隅っことか影とかに、色々なもの、不思議な場処を隠していると知った。そういう場所にも迷い込んだ』
『だから十湖、君が言うような、この世の外の、どこかというのも、本当にあるかも知れない
けれど俺が立っているのは、やっぱり此処なんだ。
この世界で、この現実なんだ。俺は、だから、その境の向こうには。
一時なら迷ったっていい。けれども、踏み越えてしまうのは』
──────


かつての少年時代のように、未知に憧れを抱いてもいい。
様々な世の不思議に想いを馳せてもいい。
けれど、それはあくまで『此処に生きる現在』があるからこそ、『未知に想いを馳せることができる』
それは過去を見返す懐古・好古と同じ。『現在の此処を生きている』からこそ、『過去に想いを馳せることができる』
かつて4章の携帯式キネマハウスでもあったセリフ、過去とは現在から見た私達にとって過去であり、かつて過去を生きた人たちにとってはそれは『現在』でしかない、と。

だから、智久にとって十湖は憧れそのものを体現した存在であり、同時に『憧れそのもの』に同化することができない存在だった。なんとももどかしい、でもとてもわかる、わかってしまう。
憧れは憧れであるからこそ、その気持ちを馳せることができて、それでも生きているのは此処なんだと。
だからここの答えが、私はたまらなく好きだ。



○物語の構造について
この物語の構造は、各ヒロインごとにルートが分岐するものの、終盤についてはほとんどが同じで既読文章と同じだ。ノベルゲームということで見れば、同じ文章を何度も見せられる構造はあまり好かれるものではないとは予想がつく。
しかし、こればかりは理由があってそうせざるを得ないのであれば仕方ないとも同時に思う。
なぜなら、上記で述べたようにあくまで重要なのは、『宮里の決断、基準』は変わらないことだから。
あくまで彼は『現実に、地に足をつける』という回答をしたうえで、
それでも『ヒロイン達の魅力』、直接的に言ってしまえばヒロイン達の情、肉欲に溺れることで、彼女らごとの結末へと導かれるように描かれている。

十湖ルートより
───
肉欲に溺れているだけ?だからどうしたと青年は誇らかに自分の中の戒める言葉を足蹴りにした。
肉のある女だからではないか。十湖は物語中の人物というだけでない。
肉のある女。
抱いて、貪って、貪られて、流し込んで、絞り上げられて、尽きることなく快楽に溺れて、溺れても何度だって、傍にある限り何度だって抱きたい、抱かれたいと願わせる、女の中の女だった。
───

今思えば、この紅殻町博物誌という物語は、懐古・好古を愛おしく思うような描かれ方の一方、主人公とヒロイン達の絡み、Hシーンは官能小説を思わせるように濃密だった。お互いに溺れ合うような描写はとてつもなくエロかった。
こうした濃密な絡みも、主人公がヒロイン達に溺れ、自分の決断を含んだその上で彼女達を選ぶからこそれぞれの結末を描きたかったからでないかと、今に思う。
だから、この物語の構造は、あくまで宮里の価値観の根底にあるものが覆るものではなく、それでもなおヒロイン達との出会いにより結末が変わっていくのではないかと。

万能星片や夜市で、宮里青年の姿を見てきた。あの冒険心にワクワクしてしまうことに、泣きたいほどの衝動に駆られる宮里青年の姿を見てきた。でもそれは、現実という今を生きているからこそ。
その気持ちに狂おしいほど同調した私には、むしろ宮里青年のこの気持ちの貫きはとてつもなく愛おしく、納得できるものだった。
それでもヒロイン達との出会いはそれ以上に青年の考え方を一歩踏み出すものでもあったと。

だから私は、この物語の描かれ方がとても大好きで、納得できる。
それでもヒロイン達に溺れてしまう、青年すら変えてしまう物語、なんともエロゲらしいではないか。
と私は思えてならないのです。



○松実
彼女の魅力については、夜市で述べた(と思う)ので、彼女のルートの結末についての感想を記述。

宮里青年については上記でも述べたが、彼がどのような人間だったかは『かつて少年時代の未知に対して、冒険心に想いを馳せた』青年であり、それがゆえに懐古・好古を想う青年であった。
それが故に彼が紅殻町を愛する一つの理由でもあった。が、同時に彼が愛する理由はもう一面あった。
それが彼女の存在。

かつて、紅殻町で過ごした少年時代に経験した『近所の面倒を見てくれた年上のお姉さん』という身近な存在。
(個人的にはこの言葉だけでもうどストライクなところすぎて、とてつもなくこうドキドキしてしまうのですが)
少年時代の宮里にとって、彼女は届かない存在であり、同時に憧れの存在でした。
彼女と触れ合う度に、かつての少年時代に感じたままの存在である松実さんの安堵さと
青年になってより魅力、身近に感じることができるようになった嬉しさと寂しさを内在にした何か。
この魅力をふんだんに味わうことができた物語が、私にとっての紅殻町の良さでした。

繰り返してしまいますが、
かつては、『大人』という少年時代の彼にとっては憧れの対象であった存在。
その憧れを体現した彼女と、冬の夜一緒にお酒を飲むこと、一緒に夜市を回ること。
年上の憧れの彼女のままであったという安心感と共に、かつての過去より、より身近になったことへの嬉しさ。憧れの彼女は身近な存在になり、対等の関係になったことへの微笑ましさ、嬉しさ。
その全てが愛おしく感じてしまうのは、私自身かつて過去にこのような思いを持ったことがあるからだと共感してならないからだと思います。

私は年上ヒロインが大好きです。お姉ちゃんキャラが大好きです。それは、幼い頃からの身近な家族のような存在でいつも一緒にいた年上なヒロインとの日常のやりとりが大好きで、同時にその距離感が、恋愛へと発展する過程がとてつもなく大好きだからという物が大きいです。

今回の松実さんは、確かに年上ヒロインでありますが、同時に私の好きな年上、お姉ちゃんキャラとは違う括りであると思います。何よりも、『少年時代に届かない憧れの存在』が、時を経て、身近な存在になることでわかる良さ、同時にそれでも昔のように変わらない存在である安堵さ、その両面の魅力を内在した彼女を宮里青年の視点を通して感じる、だからこそ、私は何よりも松実さんに惹かれてやまないのです。

こうした彼女の魅力を改めて感じた中で(結局記述してしまった)、松美ルートの感想を記述したい。
彼女の結末は、紅殻町を『日常』とする結末だった。

松実ルートより
───
年上の、憧れていた女性にこんなにも想われている幸せは、どんななにものにも替えがたい───と。
それは千の世界、万の物語からの誘いと、同等の質量を有した愛情で、ならば後は宮里の心一つ。
そして宮里は、あっさりと、実に簡単に。多くの可能性を手放して、一つだけ選んだ。
どれだけ沢山あっとしても、選べるものはつまるところ一つだけ、青年は、自分があれもこれもと沢山その手に掴めるような器用な人間ではないことは自覚していて、それならばと彼が選んだのは───
(中略)
【智久】
『お話を聞けば、向こう側には、この町よりもっとたくさんの、不思議があることがわかります』
【松実】
『そういうものこそ、智久さんの望みだと、私はそう思っていたのだけど───』
【智久】
『松実さん、それはあなたの勘違いだ。俺は確かに珍奇物品を調査しに来た。でもそれは、何処か、ここではない何処かに行くためにじゃないよ』
宮里の言葉、素っ気ない響きの台詞、けれど青年が選び取ったのは、ただこの世界に残るということだけではない。
この世界に留まるを選ぶこと、それは誰のために───問うまでもなく、かつて紅殻町で出会い、懐き、そして去年の夏再会し、男女の仲と結ばれた、この年上の女のために!
───

青年宮里には、『冒険心による物語への憧れ』と、『憧れの女性』という二つの憧れを持っていた。
(この二つははっきりふたつに区別できるものではなくそれらを混ぜ合わせ一つの彼の好古・懐古主義ではある)
その二つより、『憧れの女性』を選び取ったのが、松実ルートだった。
かつての憧れた紅殻町は、『松実さんがいた紅殻町』にこそ憧れていたから。
憧れは、日常に。それは、かつての憧れが身近な存在のまま寄り添っていく喜び。
冒険心の憧れとは違ったからこそ、実現できる身近な憧れの日常。
だから、宮里は紅殻町に残ることができたのだと。

エミリアルートで一部後述するが、紅殻町を冒険心のような憧れの対象で見るのならば、宮里は紅殻町に残ることはできなかっただろうと思う。なぜなら、冒険心を求めるがゆえ紅殻町を『日常』にしてしまったら、その未知のものの事象は全ては『日常』と身近になってしまうがゆえに、極端に言えば『失われてしまう』から。
だからこそ、冒険心、未知の憧れを持ちつつ現実を選ぶエミリアルートは、紅殻町と距離を空ける。
なぜなら、時たまふっと立ち止まるからこそ、かつての紅殻町で体験した事象、少年時代に上質に思いを馳せることができるから。

紅殻町に残ることができるのは、『憧れの女性』を選び取ったからこそで、
逆に言えば、彼女と共にする結末にしかできないのが、紅殻町に残る選択肢だと私は思います。

ただそれでも。
『憧れの女性』を選び取ってなお、『冒険心による物語の憧れ』に想いを馳せる心もきっと持ち合わせているのだろうなというのは、宮里がそれでも博物館に就職したことが物語っているなと思います。
それでも『憧れの女性』といたいと願ったことに後悔はしていない、それでも冒険にも憧れてしまうがゆえの切なさ。
(この点については、某A氏による感想で確かにと思いました。この場を借りてありがとうございました)
だからこそ、最後の終わり方に、しんみりとした嬉しさと寂しさが同時に内在しているのは、その通りだと私も強く共感します。

あぁ私、どのルートも好きだけど、松実さんルートが一番大好きです。
紅殻町を訪れ、かつて青年が少年だった頃の想いに馳せながら、かつての憧れの存在とともに日常になっていく。なんて哀愁にとらわれるような結末か、とても愛おしい。

最後は5章夜市より、一番大好きなセリフで。
【智久】
『俺はね、松実さん、小さい頃から、あなたに憧れてたんだ。
子供の頃、紅殻町に通ったのだって、松実さんに会いたいからってのが大きかったんだろう
この町でしか会えない、優しい、綺麗なお姉さん。俺にとってあなたはそういう人で』
【松実】
『でも私は、
 その時からずっと年を取って……』
【智久】
『そんなの俺だって同じだっ。
俺だってあの頃から年齢は上がった。
年の差はあの頃と同じで、あれ以上開いた訳じゃない
だからあなたは、俺にとって今だって、年上の綺麗な人で───ああもう、なんだってこんなくだくだしい』

【智久】
『ねえ松実姉さん、俺はやっぱり、あなたのところがいいよ。
 この町で、あなたのところ以外で、あんなに落ち着ける場所はない。間違いなく、それはどんな事があっても変わらない』




○エミリア
『とりあえずは、手紙から、かな?』
※2章より引用

紅殻町という日本を舞台にした中での外国の少女。
異国の少女という存在はどこかミスマッチしているようでワクワクさせてくれるような存在。
なぜか後半からおでこ推しによるおでこキャラへと変貌したおでこヒロインとなり、挙句の果てにはおでこぶっかけというフェチの極みを開拓させた少女。
本名はエミリア・ミュンスターベルヒ・ゴトフリートとかなんかかっこいい。
でも手紙魔で、しょっちゅう手紙を宮里に送りつけたが挙句、最後に会いに来る結末が超カワイイ。

彼女は異国の少女であるものの、紅殻町の奇妙さになぜか合っているのが不思議。
紅殻町博物誌の魅力といえば、端的に言えば懐古に親しむ良さがあろうが、彼女の存在はむしろ、小さな頃、少年時代に夢見た『未知の存在』、ワクワク感になにか近いものを感じた。

彼女の結末は、現実へと足をつけ、さらに紅殻町との距離を置きながらも、さらなる未知、秘密を追い求めるワクワクさを体現したようなものだった。
冒険とは未知のものを求めるもの、それは日常から新しい刺激を追い求める探究心、それはかつての宮里の根源にある感情。
また同時に、彼にとって紅殻町は『日常』ではなく、今回のように『時たま立ち寄る』ように嗜むことを選んだルートであると私は思う。
時たま思い出の映写機をまわし眺めるように、ふっと立ち止まるように。

『(中略)距離を置くのはなにも飽きたからではない。青年は今も強く強くあの町の惹かれてある。あるからこそ───愛酒家が、最上の酒をゆっくり味わうように、愛書家が、気に入りの書物を捲るのに、最高の環境と時間を整えるように、あの町と付き合っていきたいと願うのだ』
『それでも傍らにエミリアがある。そして世界にはまだまだ秘密が隠されてある。一つの物語が終わったとしても、また新しい物語がこの世のどこかに隠されている。』
※エミリアルート終盤より

エミリアのようにさばさばとした少女にはお似合いの結末だなぁと思う。
そして少年時代を取り戻すように旅をする宮里は若々しく、同時にまた紅殻町とはゆっくりと付き合っていくのだろうと思うと。そのような結末も少し寂しく、どこか微笑ましく、暖かい。
だから、エミリアルートも私は好き。



○十湖 兼 7章感想
『君には跳べるはず。蒼い紅を受けた君なら、跳べるはず』
※終章より

十湖さん、最初の出会いから主人公宮里と凸凹コンビで妙に相性が良かったのを覚えている。
白子さんと主人公との出会いがしんみりと悲哀に満ちていて、でもどこかその雰囲気がこの紅殻町との雰囲気にあっていて、二人(主人公・白子)がお似合いだなと思いつつも、でも主人公と宮里の二人が妙に意気投合していて一番お似合いだなと思わせてくれるような。そんな二人。
また、万能星片では、少年の冒険心に刺激され、彼女は貪るように主人公を喰らう(エッチする)
彼女はどこか飄々として、でも女であると強く意識させられる不思議な存在でした。

あぁ、でも今なら納得できるなぁって。
十湖の存在は、かつて少年の憧れたそのものの存在であったのなら、そりゃ意気投合するよなぁって。
同時に、十湖が彼自身に強く惹かれていたのなら。

十湖さん自身は正直本編で描かれることが、他ヒロインより少ない。それも最後に正体を明かした終盤になって描かれていると思うと、他3人に比べると特別なヒロインの立ち位置だったなと思う。
けれど、十湖さんもまた主人公に惹かれてる描かれ方、好きなんですよねぇ。

十湖:『君なんかにあわなければよかった。君なんて、いなければよかった』

十湖ルート、主人公より
───
この紅殻町の形見函も、そもそもあのコンパスも、青年のもとに渡る前に叔父から入手する機会なぞ幾らでもあったはずだ。
なのに何故───と、不可解に次ぐ不可解に、思わず振り仰いだ宙空に、その答えがあった。
既に先ほど顕れていたではないか。宮里は、こめかみを鉄槌で殴りつけられたような衝撃に、全身が麻痺したようになる。
最前から十湖は何度も繰り返していたではないか。追いかけて欲しかったのだと。
あれは冗談でも照れ隠しでもなんでもなく、掛け値のない真実、彼女の心魂からの願いだったのだと、ようやくに悟った宮里青年へ、十湖は唇震わせて、眸にありったけの想いを乗せて───
───

十湖:『でもあたしは───大好きだよ。君のこと抱きしめたいよ、智久』

彼女が物語の存在なんて関係ない。彼女は、一人の人間として彼女は、智久のことを愛しているのだと。一人でも物語の世界に帰ることができたのに、それでも主人公に追いかけて欲しかったのは。
一緒についてきて欲しかったから。
彼が冒険譚のような物語に憧れているのを知っていて、気づいていないだけで、いつでもこちらに飛ぶことができるのだと知っていて欲しかったから。
彼の本性知っている彼女だからこそ、彼女と同じ冒険心を持った彼に、憧れの気持ちを飛ぶことで見せて欲しかったのだとしたら。
同時に一人の男として愛していたのだったとしたら。

でも同時に彼女自身、彼は現実に地に足をつける回答をするだろうとわかっていたはずだ。
それでも、なお追いかけてほしくて、飛べるはずだと叫び、、狂おしく彼の本性を叫び。

7章より
───
智久『この世界で、この現実なんだ。俺は、だから、その境の向こうには。一時なら迷ったっていい。けれども、踏み越えてしまうのは』

そこで言い淀む宮里の、しかし十湖は青年がなにを伝えようとしたのか、感じ取っていたのだろう。
球体の曲面に現れては移ろう見知らぬ国々、異郷の情景からあえて目を逸らした青年に、十湖は優しさと、旅人の孤独を同居させた表情で頷いて、

十湖『そっか───あたしもそんな気がしてたよ。君は地に足が着いている人間だもの。でも、君はそれでいいと思う』
───

なんていう、なんて十湖さんのことが愛おしいか。
確かに彼女の存在は主人公智久をかつての憧れた物語の存在へ導くような存在だった。
でもそれだけじゃなくて、十湖がかつての世界へ帰る物語の中で、『主人公と共にしたい、抱きしめてほしい』という強い願いの全てが現れた7章だというなら、なんて彼女は純真かと愛おしくも思う。
それでも、彼のことを理解してなお、彼のことを肯定する彼女のセリフが、心が痛い。

もし彼女のルートを選ばなかった場合、彼女の最後のセリフは各ルートによって違うんですよね。
松実ルートの場合、
───
彼女は目配せして、唇だけで声には出さずこう囁いていた。
───あたしがさ、君より年上だったら、どうなってたかな───と。
『じゃあ、お別れだね、智久』
───

十湖自身が、選ばれたヒロインのようだったら、私を選んでくれて一緒に旅に出てくれたかなって。
ほんと!!!十湖さん!!!!愛らしい。叫びたくなる。


十湖ルートの結末を迎えた場合、宮里は彼女の物語の冒険へと付き添うことになる。
でもそれは、決して彼女のかつて憧れた姿に惹かれたからだけではない。
宮里青年について記述したとき同様、あくまで彼女自身に惹かれたからだ。
現実から憧れたい、という気持ちを持ちつつ、それを上回るように彼女と一緒にいたいと願ったからだ。
だから、宮里は、否定したはずの物語の世界へと渡っていった。
結局は、彼女に惹かれただけかと言ってしまうのは簡単かも知れない。
でも、決断を変えてしまうほどそれだけ彼女に溺れてしまうほど惹かれてしまうのは、なんともエロゲらしく。
同時に、郷愁を思わせるようなこの物語に、女性に溺れるという二つを内在した物語、奇妙でありながらも綺麗な上辺だけで終わらせないのがこの物語の面白さだと思いませんか。
そう思えば、2章の孔雀蝋燭の描かれ方にも似たようなものを感じてて。
どこか憎めないというか好きなんですよね。

最後の彼女達のエピローグを見ていると、なんとも微笑ましいものか。
二人でダーツの旅をしていたのは笑ってしまったし、何度死にかけているんだろう、見ていたい。
きっとこの結末も、十湖と一緒ならば本望だと、十湖のノリと宮里の突っ込みを応酬を見ていて思う。
最後の本の表紙に二人が載っている終わり方が、皮肉が効いていてとても好きだなぁ 
という十湖ルートでした。

智久『了解だ。約束かな、これは』
十湖『約束だよ、これは』



○白子
『はい。好きでした。
 白子は、あの町が、とても。そう、とっても好きでした』
※白子ルート終盤より

彼女は私にとって、とても怖くて、羨ましかった。
なぜなら、彼女の決断は、現在を生きているにも関わらず、その『現在の懐古・好古』でありたいという答えだから。停滞という答えを貫き通した結果があまりにも悲哀であり、同時にとてつもなく羨ましい。

懐古し好古し、過去は良かった、あの頃は良かったと望むことは何度でもある。
私自身そう思ったことが何回あったか。
それはもちろん現実が嫌になったからという逃避の意味合いもあったときはある。
が、それよりかは『あの頃は良かったなぁ』と現在から過去を省みて、今は届かなくなったあの感情に惹かれ感慨に浸ることが多くある。

それは現在を生きているから『過去』があるという良さがであり、決して今現在を否定するだけではなかった。
ただ、時間が過ぎ去りゆくという切なさを許容しつつ、それでもその切なさと過去に思いを馳せる気持ちよさが内在しているからこそ、過去の想い出に馳せること、過去を語り合うことはとても郷愁に駆られる思いでいられる。

白子は違った。彼女は現在から過去を見ることをよしとせず、彼女にとって全てがある現在での停滞を望んだ。
「あの頃は良かった」という過去を省みる現実を許さず、全てが変わらないことを、好古・懐古の想いを持ち続けつつ、今も尚続く古き良さを保ちたい、と願う。
携帯式キネマハウスでの彼女がどれだけ純粋で、悲痛で羨ましかったことか。

自分だって、停滞できるのならあの頃のままで停滞していたかった。
少年時代、全てが新鮮でいられた頃は確かに私自身にもあって。
祖母の家でただ過ぎていく夏の思い出のように、あの頃のままでいたかった。
でもそう思うのは、かつての過去の自分にとって、未来である自分がいるから。

しかし、同時にそれでも少年時代の全てのあの感情、感傷、子ども時代だからこそ得られる情緒全てを思い返すこともできず、失われてしまったものはきっとある。

だからこそ、それすらも許さない、現在のままで停滞を望み続ける彼女の存在があまりに悲痛で、羨ましくて。
全てを残したいと願う彼女が痛烈すぎて。
彼女の懐古・好古を思う気持ちはとても共感できて、でも彼女は、「現在から過去を想う気持ち」とはなにか別で。
彼女の存在は私の中であまりにも共感でき同時に共感できない、異質な存在でもあった。
(最初から思えば、主人公から見た白子の印象はあまりにも悲哀に満ちたものであった。
今思えば納得できる描写である)

そしてあまりにも願うがゆえの白子ルートの結末。停滞を願うがゆえに、主人公宮里と白子が二人きりで、永遠に停滞する紅殻町に残る結末。なんて悲しくて、同時に羨ましくて、二人を祝福したいとも思うのか。
正直今ここで書いていても、この感情を正確に表すことができない。

彼女のルートのもう一つの特徴として挙げるならば、
十湖の「飛ぶのか飛ばないのか」という問いに対して、主人公ではなく白子から「変わらない紅殻町を求めるのは、いけないことですか」
と横から答えを出すところだ。
他3人であれば、十湖の「飛んで見せてよ!」という問いに対して、まず主人公が『地に足をつける』、現実とを区別する答えをみせる。
それでも、十湖の魅力に魅入られ向こう側へと飛んだのが十湖であるし、片方二人のいる現実へと足をつけたのがエミリア、松実だった。

白子ルートは、それよりも早く白子さんが答えを出した。
『智久さん、そう願うのは、許されないことですか?』
『私が求める世界に、もし行けるなら。それを求めてしまうのは、いけない事ですか?』
『わかってるんです。どれだけ私が願ったところで、この紅殻町だって、時の流れとは無縁でいられない』
『何時かは変わってしまう』
なぜ彼女の答えが先に出たのか。

それは、彼女のルートに限っては、青年宮里の決断をもとにヒロインの魅力によって導き出された結末ではなく、白子の決断をもとに、青年宮里が彼女の魅力に溺れ願い従った結末だからである。
そういう意味では、白子ルートは、白子さんが望んだ、彼女の物語だった。
あまりにも強く悲痛な願い。

終章より引用。
───
古い時代を今に宿した紅殻町に生まれ、育ち、人となり、そして心根から愛し、町を無情の変遷から護る為なら、人を殺めこそしないものの同等の行為に手を染めて、けれどそれさえ徒労と、押し留めようのない時代の流れだと知っている者の、どうしようもないほどに絶望と倦怠が、白子にはあった。
夢を生命に替え、世界への飽くなき興味と貪欲な挑戦によって生きてきた、物語の住人たる十湖とは、対極にあるのが白子だった。
───
白子にとっては、たとえ生命というものと分かちがたく結ばれている概念であっても、変化とは絶望しかもたらさず、彼女の心はただただ過ぎ去ったもの、事柄、風景へと向かい、変わり往く現在、変わってしまった未来を否んだ。彼女にとっては、流れ移ろいゆくことは、全て絶望しかもたらさないのであった。だからこそその眸は、この世界の中で生き、現在に放り出され未来に押し流されていくしかない世界では、絶望しか映さない。
───
宮里が白子のために願ったのは──
それはけして健やかな願いとは言えないだろう。世界の陰に属する願いなのだろう。
それでも現実とはどうしようもない相容れない者もいるのだと、宮里は白子からそれを悟っていた。
此処ではない何処か、なんてどこにもない。あるのはただ自分が立つ、此処ばかり。
けれども、もし本当に望むどこかに行けるとしたならば。たとえそれが逃避と、そう呼ばれるものだとしても。
『望み、願うことのなにが悪い』
───

あぁ、宮里と白子さんって、お互い懐古主義、好古主義で似た者同士に見えて、別なんだなって。
宮里はどちらかといえば十湖に憧れを抱いた人間で、冒険を望みどんなことにもワクワクできた過去を羨み、あの頃の気持ちのままでいたいと。同時に、だからこそ、外界から来たからこそ、その情景が残っている紅殻町に想いを馳せ、この町のことが好きでいられるのだと。

白子さんは違う。彼女は生まれたときからずっとこの町で育ってきた。極端に言えば、この町だけで『育ってしまった』 
彼女にとって一つでも失われることは許されず、この町が全てだった。
だから、宮里の決断と白子の決断は立ち位置が違う。


4章、携帯式キネマハウスより、白子独白
───
自分は、何時からこうだ?
──それはきっと、紅殻町に産まれた時から。
この古い町。過去の残照の中に眠っている町。外界とは隔絶され、外の、日進月歩どころか分刻みで秒刻みで未来へと轟音たてて押し流していく時間の潮流とは無縁な町。
そして、白子が生を受けた、町。
余所の人間の中には、時代遅れと評する者もあろうし、不便で住むには適さず、児童の数も激減した、限界を迎えつつある地域と冷静な判断を下す者もあろう。
それでも白子は紅殻町が好きだった。箱庭のような町ではあるが、彼女にとっては世界の全てであり、外の都会など自分の神経をすり減らすだけ、憧れなど欠片も覚えず紅殻町に深く深く心根の底から満足していた。この町が在ってこそ、白子の人となりは形成されたのであろう。
───

だから私にとって4章の宮里の答えは痛烈で悲痛で、白子さんのことが羨ましくて仕方がない。

4章、携帯式キネマハウスより、白子と宮里の問いかけ
────
『──宵待さん。
君は……君だけじゃない、俺もだろうな。
レトロ趣味。懐古癖。俺達は、人がそんな風に呼ぶ性向を持ち合わせている人間だ。
確かに俺達には、昔の物はどれもこれも、胸の中が疼くくらいに、素敵に見える。
けれどそれは、俺達が『今』に住んでいるから、そう見えるだけだ。
古いモノが素敵に見えるのは、俺達がこの時代に住んで、後ろを振り返るようにして過去を覗いているから。それでしかない。

けれど───無くなってしまって、戻ってこないものって言うのも、確かにあるよな。
それは、幻想なんかじゃない。無くなってしまったものは本当に無くなってしまったんだし、なら、それを惜しみ、悲しむ気持ちだって幻なんかじゃないだろう。
(中略)
変わらないと言うのは、停滞してるって言うことで、本来ならあまり健全な事じゃないのかも知れない……でも、俺はこうも思う。
時代の移り変わり、変化の中でいなくなってしまったモノ達は、一体どこに行ってしまったのか。
そういったモノ達が、果たして自分が役目を終えることに満足して消えていったのかどうかなんて、俺には判らない。ただ、俺達今の世の中に生きる人間がそれらを時代から追いやったなら、せめて記憶に留めるべきだ。忘れてしまってはいけないと思う。

この紅殻町は、余所では今はなくなってしまったモノ達が、静かに休むための、最後の憩いの場処だからなんじゃないかと、俺はそんな風に思う。

ここが無くなってしまったら、そういう場処が一つ失われてしまうってことだ。
一つ。でもそれは、どんなに大きな一つだろう』
────

現在から記憶にとどめるからこその良さはある。
しかし同時に実際に失われてしまったモノもある。ないとは言い切れない。

白子ルートの結末は、記憶にとどめ見返すことを許さず、何もかも失わないためがゆえの停滞を選んだ。
だからこその最後の二人。それは
『現実の中で懐古趣味と折り合いをつけて生きるのではなく、過去の存在となること』
智久『なら───それでいいじゃないか』

あぁ私にとっては、何度も繰り返してしまうが、この終わり方があまりにも衝撃すぎて
悲しくて、辛くて、でもそこまでも想ってしまうほどの情を持つ白子さんが羨ましくて仕方がない。
あまりにも劇薬すぎた。

そしてそれほどまでに宮里を変えてしまった白子の存在。
私にとって彼女はあまりにも悲哀な存在であった。
私にとって彼女の存在は異質でそこまでの想いを持てることに羨ましかった。

今でも白子ルートのあの最後のスチルを見ると、二人の最後の表情を見ると胸がざわざわする。
私が思っていた、『あの頃は良かった』という紅殻町に浸るに浸ったこの感情と、白子の願いは同質なモノなのか。過去そのものになることは同じなのか。
あの頃に失われてしまったものはないとは言い切ることができない、だからこそあの頃はよかったと言えるのではないか、でも同時に失わてしまったものは失いたくなかったものであったのではないかと。

この胸中は言葉にできないけれど、無性に惹かれると同時に、これはいけない、納得してはいけないと思ってしまう。どうしてここまでざわつくのか、どうしてもはっきりとはわからない。
私だって、それは、停滞できるものなら、したかったさ。



○まとめ
希氏のサウンドノベルゲームを最初にプレイしたのは、『信天翁航海録』でした。
V=Rシステムには戸惑ったものの、アルバトロスの登場人物の破天荒さに、そして何よりも希氏の荒れ狂うがごとくの文章に、初めて『文章に酔う』という経験をしたのを今でも覚えています。
私にとってノベルゲームとは3行~4行までが限界のテキストウィンドウが常識でした。
(確かにひぐらし等例外があるものの、長文だからこそのメリットはそこまで感じなかった)
だからこそ、長文だからこその駆け巡るがごとく『読む』サウンドノベルゲーム。
あの流れていくが如くのテキストに魅入られたのは、この作品が始まりでした。

次にプレイしたのが、『霞外籠逗留記』
旅の果ての途中を感じさせる旅籠での逗留は、登場人物も相まってどこか不可思議で、奇妙で。
ただそれでも和風を感じさせる節節には、情緒があり、そして収束していく二つの結末には、心を奪われた。この作品も面白かった。

そして私にとってレイルソフト3作目となる、『紅殻町博物誌』
上記2点に比べれば、この話は私にとってあまりに身近であり、共感する話ばかりであった。
一番心を持ってかれたのはこの3作目だった。
今までの作品通り、上質なテキストにBGM、そして効果音が合わさり。
BGMで言えば、何よりも『消えゆく町への終幕曲』は、最後の終わりを思わせてくれるような、冒険心への別れとの切なさがぎゅっと詰まってて、めちゃくちゃに大好きです。

今思えば、上記2点に比べより現実味があるお話ですよね。目隠しお手伝いさんも出てこないし(そこじゃないが)

なさそうで、でも日本の、世界のどこかではありそうな物語。
どこかにはひっそりと残っていて。

上記で私に体験談について最初述べましたが、この作品をプレイするまではすっかり忘れていました。
社会人になった○年目となりますが、日々の忙しさに過去を想うこともあまりなくなってしまって、目の前の楽しみと、明日の仕事のことなどばかり考えていたようにも思います。
紅殻町博物誌を読んで、かつての情景や想い出を思い出しました。
私にも少年時代があったなっていう微笑ましさと、同時にそれでも失われてしまったものもきっとあって。
だからこそ白子さんの想いは何よりも私には辛い。
だからこそ宮里さんの過去を想う懐古、好古の想いはとても共感できるもので。
このような想いができたのも、紅殻町博物誌をプレイできたからでした。私にとってはそれがとても大きな収穫でした。

また彼ら彼女らの結末について。
現実に残り過去を思い返すことを決断した宮里を基に
現実に残り、『憧れのお姉さん』を取ることで、紅殻町を日常とした 松実
現実に残り、紅殻町を『現実からかつてを思い返すような嗜む』場所として、同時に子供時代に描いた新たな未知な物を大人になった今でも追い求める エミリア。
現実を去り、『十湖』を選ぶことで物語の世界を選んだ 十湖
現実を去り、何もかも失いたくはないがゆえに『過去そのものになること』を選んだ 白子

これらの結末は、ヒロインの魅力に溺れたからこその宮里青年の物語であり、どの結末も私の懐古、好古する感情に刺激を与えるものだった。
この中で一番大好きなルートで言うならば、松実ルート。
松実さんという憧れのお姉さんと再会し、身近な存在となり、
そして最後、かつての少年の憧れと、もう一つの憧れを天秤にかけ、彼女との日常を取る結末。
夜市をはじめ彼女の魅力に触れた主人公を見てきて、私にとって一番共感できるルートだった。

もちろん、エミリアの『現実』に残り、あえて紅殻町から『距離を離す』ことで、より紅殻町と親しんでいきたいという想いは私にとってわかるものであるし
十湖の物語の世界へと飛び込む話は、十湖の追いかけて欲しい願いの強さと、彼女に溺れる主人公の姿がエロゲらしくて好きだし
最後の白子ルートは、あえて好古、懐古すらをも超える考え方は、羨ましく悲しく劇薬でした。
どの結末もそのどれもに感想があって、私は好きでした。

また、何よりも松実さんという、素敵な年上ヒロインに出会えたことが何よりも嬉しかったです。
私にとって、お姉ちゃんキャラ、年上キャラは大好物でしたが、それ以上にこの懐古・好古があるからこその『憧れの対象』による魅力はかけがえのないものでした。

本当に紅殻町にとらわれた数日感でした。今でも思えば思うほど様々な気持ちが駆け巡って大好きです。

最後に大好きな、紅殻町ED『refrain』の歌詞を添えて。

───────────
此処を 去る貴方は 
此処で 何を思って 
何を 拾い集め 
持ち帰るのでしょう

此処に 居る貴方は
此処で 何を喜び 
何を 振り切るように
手をふってるのでしょう

此処を 去る貴方と 
此処に 残る貴方と
そして 黄金の夢を
繰り返すのでしょう 

思い出すのでしょう
───────────

少年時代を去り、現実に残り。
またきっとふとした時に、思い出せるような、智ちーのような人生を過ごしていきたいです。
そういえばこの感想を書いている途中で、祖母の家に久しぶりに行くことになったので、また何かを思い返せたらいいなと思いつつ。

素敵な作品を制作してくださったレイルソフト様、希様
素敵な作品を紹介してくださった某A様
そしてこの感想を読んでくださった方に感謝してこの感想を終えます。
ありがとうございました。





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