submoon01さんの「リトルバスターズ!エクスタシー」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

有限な生、始まりと終わりの海。
「チーム名は...リトルバスターズだ」



棗恭介はそう宣言した。この日、ひとつの野球チームが発足した。メンバーは井ノ原真人、棗鈴、棗恭介、直枝理樹の四人。在りし日、自分を暗がりから連れ出してくれた、あの時と同じではない。それでも、また、「リトルバスターズ」の皆と一緒に遊べる。理樹はそのことに歓喜する。そして、いつまでもこんな時間が続けばいい と。そう願った。



しかし、「いつまでもこんな時間が続けばいい」この願いの裏側にはこの世の不条理、有限性がびっしりと張り付いている。終わりがあるからこそ、終わってほしくないと願ってしまう。だからこそ、その願いは終わりがあることを意識していることの裏返しだ。



それでも、楽しい日々は続いていく。最初は四人だった。少しずつ、その輪は広がっていく。腕に怪我をした謙吾を加え、新生「リトルバスターズ」が結成される。これからも、こんな日々が続いていく。そう予感せずにはいられなかった。



だが、そんな日々は終わりを告げる。個別ルートに入ると、リトルバスターズという集団は背景に退く(例外もある。来ヶ谷唯湖ルートでは、彼女への想いを自覚した理樹を助けるべく、リトルバスターズの面々(主に、謙吾、真人、恭介)が奔走する など)



やはり、皆との楽しい時間はいつか終わってしまうのだろうか。



さて、鈴ルート(Refrainルート)では、ある事実が明かされる。それは世界の秘密だ。修学旅行にて、彼ら(リトルバスターズのメンバー含む)は事故にあい、生死の境を彷徨っている。そんななか、理樹、鈴は真人と謙吾に助けられ、一命をとりとめた。生き延びたのは鈴、理樹の二人だけだった。そして、恭介らが理樹、鈴にこの過酷な現実に立ち向かうための力をつけるべく、一つの世界を構築する。それこそが、これまでの日々を過ごしてきた世界だったのだ。



そう、この世界は初めから、終わるために作られたものだった。



何事にも終わりはある。直枝理樹はそのことを良く知っていた。それでも、「いつまでこんな時間が続けばいい」そう願わずにいられなかった。



幼いころ、彼は両親を亡くしている。そして、彼は悟った。「生きることが失うことだ」ということを。



以来、彼は夢を見続けている。現実という夢を。きっと、彼が夢をみないのは夢を見てしまったら、その時点で、現実/夢という区分が成立してしまうからだろう。一度、そうなってしまったら、この世の過酷さと直面しなければならないからだ。だから、彼のナルコプレシーはこの世の過酷への防衛行動である。と言えるかもしれない。



生きることは失うこと。きっと、これはどうしようもない。生まれてしまうことの呪いだ。何故なら、生は死に向かっているから。誰とも関わりを持たずとも、自分と言うものが失われることは避けられない。



では、安らかな夢のなかに安住するのか? 理樹はそうしなかった。過酷を受け入れ、この世に「生まれ直す」ことを決意する。



そう、例え、いつかは失われてしまうものだとしても、もう一度、彼らに、リトルバスターズに会いたい。そう願ったから。かくして、理樹、鈴は夢から覚め、過酷な現実に立ち向かう。



だが、ここにはある種の困難がある。理樹は「生まれ直した」のであって、「生まれてきた」のではない。だから、これから、どうしようもなくこの世に産み落とされるものたち(本質的に、生命の誕生には非対称性がつきまとうと思う。個人的に。良い悪いではなく)が過酷をどう受け入れるかという問題をカバーできていない。



そこで、笹瀬川佐々美ルートを見ていきたい。



彼女のルートでは、彼女の過去の飼い猫が作り出した夢の世界のなか、理樹と佐々美がその作り手を探し出すという話だ。



そのなかで、こんなエピソードがある。幼少期、佐々美がこの町を引っ越したとき、飼い猫がどうしても見つからず、置いてきてしまった。後日、屋敷のあとを訪れるが、猫の姿はなく、彼女には深い後悔が残ったというものだ。



猫は生きていた。ここで重要なことは、親に置いて行かれ、孤独を感じた という境遇は理樹と重なるところがある ということだ。勿論、全くの同一視は危険だ(猫にはいなかったが、理樹にはリトルバスターズがいた)それでも、理樹は猫に自身の過去を重ね、例え、置いて行かれたとしても、親に会いたい。生まれてきたことを呪わないと。そう思った。



先述したように、生命の誕生には非対称性がつきまとう。理樹も過酷なこの世に産み落とされ、そして、両親に先立たれた。それでも、彼は自身の生を呪わない。



恐らく、過酷とは普遍的なものだ。そして、それでいて、個別的なものだ。だからこそ、個別ルートで、それそれのヒロインが抱える問題に異なるアプローチが要請される。そう、この過酷な世界に生命が誕生することを一概に肯定することはできない。



だが、少なくとも、この『リトルバスターズ』という作品のなか、彼らは有限であることを受け入れた。Refrain ルートのラスト。恭介の提案により、彼らは海を目指す。そう、美魚ルートで描かれたように、始まりにして、終わりの場所を。



きっと、これからも彼らは続いていくのだろう。有限な生のなか。どこまでも。
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