マルセルさんの「つくして!? Myシスターズ」の感想

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**ネタバレ注意**

ゲームをクリアした人むけのレビューです。

これ以降の文章にはゲームの内容に関する重要な情報が書かれています。まだゲームをクリアしていない人がみるとゲームの面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。

他人のセックスを笑え。
「基本的にこの法律というのはペドファイル小児性愛者との戦いでございますから」

エロゲレビューの場所では政治的なこと、もっと厳密に言えば「ある特定の政治団体」だけを批判するような文章を書く場所ではないと
僕は思っているので、上のバカな言葉がどのバカ政党のどのバカ議員によって発せられたのかについては言及を避けよう。興味のある方はググって下さい。

さて、上の発言には問題が二つある。一つは、ごくごく常識的な問題で、小学生の社会の授業で習うようなお話であるが、
憲法上の、国家は「他人の思想や表現を原則的に裁いてはならない」に反しているということである。
ベトフィル野郎がもしも本当に幼児を襲ったのなら、これはある個人に対する物理的な暴力なのだから、国家は彼を裁くことが出来るし、
ベトフィル野郎が実際の幼児を使って児童ポルノを製作した場合も、幼児を性的に虐待しているのと同じだから国家は彼を裁くことが出来る。
とはいえ、ベトフィル野郎がそのような「妄想」を、頭の中でこねくり回したところで「誰も実害は受けない」し、
それがいくらゲスな妄想であれそれは「思想」の一部ではある。
そのような妄想を漫画やエロゲーで表現しても「誰も実害は受けない」し、それがいくらゲスな表現であれそれは「表現」の一部ではある。
故に、そのような思想や表現を取り締まる法律を作るということは「表現の自由」や「思想の自由」という近代的理念に真っ向から対立するワケだ。

エロゲやらエロ漫画とか下らないモノを擁護するのにそんな崇高な理想を……とか思った人は一回小学校からやり直すべきだろう。
「表現の自由」や「思想の自由」は別に崇高な理想でも何でもない。雑多な思想や表現が渦巻く近代社会を支える一種の社会的ツールでしかないんだから。
何らかの思想や性癖を恣意的に取り締まる法律が出来たらどうなるか、ちょっと考えてみたらいい。
もしも僕がそのような法律を運用する立場に立ったとしたら、リアル三次元女性の大半はブタ箱行きになってしまうだろう。そんな法律が許されると思うのだろうか?

上の問題は「理念的」にはそれほど難しい問題ではない。現実的には前述の近代的理念を理解せず「俺がキモイと思ったモノは国家が規制しろ!」
と叫ぶエロ助以下の連中がウヨウヨしているという面倒な問題はあるが、これも理念的にはまぁ「バカは氏ね」と言っておけばいい問題ではある。
しかし、次の問題は結構厄介だ。じゃあ、国家云々は抜きにするとして、あくまで個人個人が、別に「ベトフィリア」だけではなく、
ある性癖に対して「キモイ」と言うことに、感情論以外のいかなる正当化がありえるか?という問題。

個々人が「○○キモイ」と言うのは、それはまぁ下らない表現ではあるが「表現の自由」に範疇に含まれるのであり、
反論される覚悟があるなら好き勝手に○○キモイを連発しても構わない。ただ、僕がここで言っているのはそういうレベルの問題ではない。
これはあらゆる「○○キモイ」に共通する問題だと思うけど、一応「性癖」や「セクシャリティ」だけに問題を限って言えば、
他人の性癖を批判するときに「○○キモイ」以上の、感情論を超えた正統的な批判は出来るのか?ということである。


勿論、コレには色々なやり方があるだろう。だが極論を言えば、どれもこれも、自分の性癖を「正しい」とし、
他人の異なった性癖を「キモイ」と言っているだけにすぎない。異性愛者が同姓者を批判するときに用いる論法は、
彼らの性癖がやれ「自然」ではないとか、結果としてそれらのカップルからは子供が生まれないので「社会的」ではないとか、
彼らはロクに異性にモテなかったので同性愛に逃げ込んでいるだけだとか「酸っぱい葡萄理論」を用いるが、それらの「自然」や「社会」や「葡萄」といった、
一見中立的な概念には、「俺の思う自然」とか「俺の考える社会」とか「俺の好きな葡萄」いった主観的判断が隠されている。
基本的にマジョリティに属する人間は、自分の性癖を自明の元にして、マイノリティ他者の性癖を「自然ではない」とか「反社会的」だと批判するわけだ。

他に、よく使われる手で、エロゲオタの間でも引っかかる人が多いのは、ある性癖が「女性差別的」だからイクナイといった俗流フェミ理論である。
だが、このような俗流フェミ理論の多くは、一部の男性たちが他の男性の性癖を批判し、自分の性癖をを正当化するためだけに使われているにすぎない。
よぉく考えてみよう。彼らの言う「女性」とはいったい何処のドイツを指しているのだろうか。あらゆる女性は全て「女性」という同じ存在なのだろうか。
ある性癖がある女性にとって性差別的に働く可能性は充分考えられるが、上の理論は「全ての女性」がある性癖に対して同じ反応を示すということを前提としている。
つまり「女性」という抽象的な概念を持って、個々人の女性の性癖を抑圧しているわけだ。
もっと言うと、これらの言説は一応に「女性はかよわい存在であり、僕らフェミな男性が気を遣ってやらないといけない」という非常にマッチョな
思いやりな思い上がりに満ち溢れており、そのようなS的妄想を受け入れる余地があるMな女の人にとっては都合が良いだろうけれども、
それ以外の女性たちにとってはいっぺん死んでこい的な妄想でしかないだろう。
公的な社会システムにおける「女性差別問題」は確かに存在し、それは「女性」という抽象名詞の名の下に論じなければいけない問題ではあるが、
ことに「性癖」という「公」と「私」が入り交じった複雑な問題を「女性」という抽象名詞によって論じるのは些か乱暴すぎる。

むかしむかしあるところに「全てのセックスは強姦である」と断言した某フェミニストがいた。おそらく、彼女にとってセックスがそうだったという意味では、
この発言はそれなりに妥当性を持つ。性に関する科学的知見は胡散臭いところが多いので、ある理論「だけ」を信じて性を語るのは危険ではあるものの、
僕が読んだある本に依れば、女性の三割近くは実際にオーガニズム――つまり「イク」という奴――を経験したことがないか、或いはそのようなオーガニズムを
得られにくい体質を潜在的に持っているという。この理論が仮に正しいとするならば、そのような女性にとってセックスが強姦でしかないケースは充分考えられるし、
他の女性が「イッテ」いるということを信じられなくても無理はないが、だからといって自己の経験を全ての女性に押しつけるのは無理筋というものだろう。


この作品「つくしてMyシスターズ」に出てくる登場人物達は、「全てのセックスは強姦である」といったアレなことは言わないものの、
あくまで知能レベルで言えば、「俺がキモイと思ったモノは国家が規制しろ!」とか言っちゃう人たちと同じレベルである。
いや、それよりも遙かに頭が悪いかもしんない。
妹キャラがバカ妹なのは、藤崎氏の作品ならではの「お約束」ではあるが、他の登場人物たちも「バカ妹」ほどわかりやすくはないものの、
キャラクター全体からある種の「愚かさ」がムンムン漂ってくる連中ではある。

色々とネタにしやすいキャラは多いが、特徴的なのは、それらの奇人キャラを一見「冷静に突っ込む」役所を持っている、
ハルヒ的に言えばキョン的立場における「やれやれ」ふう主人公の微妙なバカっぷりだろう。この主人公はゲーム開始直後から、自分の姉貴に恋心を抱いている。
あんなクソ堅物メガネヒロインを好きと言っている時点で、彼が愚かな人間なのはまず間違いないと言えるのだが、彼の姉貴に対する思いがまた傑作なのだ。
ここ、普通だったら、それなりに「真にせまった」書き方をするだろう。それがユーザーに伝わるかどうかは別問題として、やれ昔の思い出話なんかをしたりして、
自分が昔から姉貴をドンだけ好きだったのか、それを熱く語るのが基本的な作法というものだだろう。
それでは、彼の姉貴に対する思いの丈を綴ったテキストを見るとしよう。

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>>「大きくなったら、お父さんのお嫁さんになる!」

「なぁ~んてのは、小さな女の子がよく口にする、淡く儚い将来の夢であって。そんな夢は、やがて時が経ち、あれだけ愛していた父親も、
毎日の通勤電車で加齢臭を放つただのオッサンであると思い知る頃には、真夏の雲のように、アッサリと消え去る夢であるのだが、なんとも微笑ましい光景だ。
娘にとって父親とは、最も身近な男性であるケースが多く、自分や自分を取り巻く環境を保護してくれる、
女の本能が無意識に求めてしまう「安定」を無条件で与えてくれる初めての存在であることが多い。父親に半ば真剣に告るロリ娘というのは、
こうしてシステム的に考察すれば、ナルホド納得がいく。ましてや子供の考えることだ、自分の立場や利害など考慮に加えるべくもなく、
ただ自分にとって有益であったり、安心感を得られると言うだけで、対象となる存在を「好きだ」「愛している」と錯覚に陥ってしまう。

錯覚。

そう、錯覚だ。

恋愛感情とは、その多くが錯覚である。

よくわかんないけどな。多分。まぁまて落ち着け。俺がこうして長々と言い訳を重ねるのには理由がある。
何を隠そう、かくいう俺も、ガキの頃はそんな子供っぽい夢を見ていたのだ。無条件で安寧を与えてくれる、絶対的な存在。
そう、相手は五つ年上の実姉だ。実姉……実姉……実姉。くどいようだが3回繰り返してみた。だがなんと言おうと、実の姉である。
当時九歳だった俺は、姉にプロポーズした。

弟「俺は将来、姉を嫁に娶りたいと常々考察しております」

九歳のガキが口にする言葉ではない。まぁ、実際に当時の俺が、どんな言葉を口にしたのかは、残念ながら記憶が曖昧であり、
こうして過去回想を展開するにあたり、適当な台詞を当てはめてみただけなので、深く突っ込まれても困るのだが、そのように
実の姉に対して決死の告白を敢行した俺に対しての、姉の返答だけは明確に覚えている

姉「……そう……」

……なんてこったスティーブ……。

「YES]なのか「NO」なのか、まるでハッキリしない、どちらともとれる受け答えじゃないか、
コレだから日本人と、欧米諸国にHAHAHAと笑われるような答えだった。

……ガッテーム……。

とりあえず、欧米風に不平を訴えてみるが、姉からの返答の内容が変化するわけでもなく。当時の俺は、いつか必ず、
その願いを叶えるモノだと鼻息を荒くしたモノだ。さてさて、そこで俺は、姉に気に入られるように、毎日努力した。
学校でも成績が良く、俺の自慢だった姉に恥をかかせないように、俺も猛勉強した。俺が姉を自慢に思うように、
姉にも俺を自慢に思えるような弟になろうと、鼻息を荒くして頑張った。そして荒い鼻息で鼻の穴がカピカピに乾燥し始めた頃。
さすがの俺も、いくら頑張ったところで、姉と結ばれることはないのだ、とっくに気づいていた事実を認めることが出来るぐらいには成長していた。

俺は弟です。

相手は姉です。

わかっている、わかっているんだ。

某倫理団体さまも「関係としては好ましくない」とやんわりと釘を刺してくるような関係なのは、わかっているとも。
わかっていならがらも、未だに諦めきれるにいる俺のなんと惨めなことよ。

笑ってくれ、こんな俺を。
………………
…………
……
… 

メグミ「わっはっはっはっは」
ハルト(主人公)「笑うな! なにがおかしい!」


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確かに笑えるテキストであるが、これのドコがナンで「笑えるのか?」を指摘するのは中々難しい。
「恋愛感情とは、その多くが錯覚である」までは、納得するかはどうかは兎も角、そこらへんのαブロガーがさらりとブログに書いて、、
そこらへんのいい加減なブロガーが「○○氏らしい明晰な分析」とかいって、その辺のコミュで1000ヒットぐらいしそうな「客観的な近親相姦分析」ではあるだろう。
だが、この「キリッ」とした澄ましヅラが「よくわかんないけど、多分」によって崩れ始める。
「まぁ待て落ち着け」と誰にソレを言っているのかよくわからない注意から、誰もそんなことは聞いていないのに、
先ほどの前口上を自ら「言い訳」だと白状し始めるあたりから、理屈バカ的なグダグダ感が僕らの微笑を誘い始める。

「俺は将来、姉を嫁に娶りたいと常々考察しております」と以下の言い訳じみた文章に関しても、それは単に自分の記憶の不確かさを弁護しているだけではなく、
なんというか、自分の恥ずかしい、そして切実な記憶をはぐらかすために「適当な台詞を当てはめ」て、自分の受けた傷を「深く突っ込まれ」ることを避けるため
ではないか?という突っ込みを想像してしまう。実際、語り手が心理的なダメージを受けたと思われるところは必ず「なんてこったスティーブ」といった、
ギャグで笑いを取ろうとする。その語り手の「はぐらかし」がミエミエなのが、このギャグをさらに滑稽なモノにさせる要因だろう。

最高にウケルのは、語り手がこれらの幾十にもわたる「はぐらかし」や「ギャグ」――ひっくるめて言えば、俺は自分の性癖が下らないと自覚している――を語り、
「笑ってくれ、こんな俺を」と自嘲気味に語ったとしても、実際に脳天気なアホ妹に「わっはっはっはっは」と笑われると、それはそれでムカつくということだ。
つまり、いくら自分の脳内モノローグで「笑ってくれ」と語ったとしても、実際に他者から「自分の想定の範囲外」で笑われるとムカつくのであり、
いくら理屈や自覚を重ねようとも、それは自己の妄想内の話にすぎず、結局のところこの主人公はそういった理屈のバリヤを張って「理論的」に
他者から逃げているにすぎないのだ。そういった主人公のダメさ加減が、極めてユニークに回りくどく表現されているのが、このテキストの面白さとは言える。

このような「語り手」の「語りのナルシズム」を敢えて暴露しちゃうような、ある意味ではかなり悪趣味な手法は、他の場面でも巧妙に使われている。
主人公のバカ親友が語る「ブサ実妹レイプ回想シーン」などはその好例だろう。その名の通り、主人公のバカ親友が自分のブサ実妹に眠り薬を飲ませて、
寝込みをレイプした経験を主人公に語るという最悪なシーンであるが、どうにも普通の鬼畜ゲー的なテキストとは微妙に違うのだ。
語り手たるバカ親友はDQN文体で「俺のブサイクな妹をヤッちまったぜヘヘヘヘ」と最低なことを語っているのであるが、
その語りに対して主人公の冷静な突っ込みと、あまりに誇張されたブサ妹の台詞といった「他の語り」が相対的に配置されて、
このバカ親友の語っている「レイプ」が、どこまで本当のことか非常に疑わしく思えてくる。実際、このバカ親友はレイプ回想を終えたのち、
今ではそのブサ妹に「尻に敷かれている」ことが暴露されてしまうわけだ。ここでもその当事者の性癖語りは、他者によってその信憑性を相対化されている。

一番のケッサクは、この主人公が諸処の事情によって、姉ではなく妹と先にエッチしてしまうシーンだろう。これは実際にそのシーンを読んでもらうほかに
説明はつかないと思うのだが、このシーンにおける主人公の「心変わり」の軽薄さは何度見ても笑えるモノである。まぁエロゲの「浮気シーン」なんて
大抵そういうモンだし、男性の浮気だって本来的にはその程度の「軽い」ものではあるんだろうけど、しかしあれだけ「姉貴ラブ!」だった主人公が、
コロっと妹萌えに変化してしまう心理描写は、恐ろしいほど滑稽である。妹と何らかの対話を通して、心が変わったとかならまだ「理解できる」と言えるのだが、
ここでの主人公はあくまで自分のモノローグ内で、勝手に妹萌えな概念をこねくり回しているだけにすぎない。ここまで「萌え」の軽薄さを説得力を持ったかたちで
描写した例は滅多にないだろう。しかも、それを何ら倫理的な批判によって行なうのではなく、あくまでお馬鹿なセックス描写の一つとして提示したテキストは。

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僕らはこれらの、一癖も蓋癖もあるエロテキストを見て笑うしかないだろう。
狙ってやっているのか、あるいはそう見えてしまっただけなのかは知らないが、ここに登場する「姉」や「妹」のグラフィックは、
それらの「真面目」や「バカ」といった記号が過度に強調されすぎて、基本的には萌えにくいキャラとして書かれており、
藤崎氏のテキストは悪ノリしすぎであって、普通の人が普通にキャラに感情移入できる可能性は非常に低い。
例えば、主人公の妹とバカ親友の妹が「キモウト通信」とかいった珍妙なる雑誌を読んでいて、そこには、

「兄貴以外の男性に処女を奪われそうになったら、舌をかんで死ね!」

と書かれているみたいなネタがあるのだが、このようなテキストを読んで素直に妹キャラに萌える人は結構少ないのではあるまいか。
ただ、これらの「ギャグ」を何らかの「皮肉」とか「嫌味」といったレベルだけで捉えるのも、些か筋違いな理解だろう。
無論そういう意図が無いかといえば多少はあるだろうし、意図があっても無くても「下品なネタ」であることには変わりはないが、
これは俗にいう「萌えオタたちをバカにする」ことが目的で書かれたシーンには思えないのだ。

ここには妹キャラ達というか「妹萌え」という性癖に対する、作者の愛情と侮蔑が入り交じった複雑なバカ笑いが聞こえてくる。
確かに「俺の○○たんの処女は俺だけが独占したる」的な萌えオタ的欲望に対する軽蔑も微かに聞えてくるが、それ以上に強く響いてくるのは、
どちらかというと、そうしたバカな雑誌を読んでいるようなバカな妹キャラ達に対する作者のひん曲がった愛情である。
それは「死んでまで貞操を守る妹に萌える」というよりも、そんなバカな雑誌を真に受けるバカ妹たちが可愛いという欲望であり、
もっと厳密に言えば、そういうバカな欲望しか自分の支えになり得ないというような、妹キャラに対する同族嫌悪に近い愛情である。
先ほどのバカ親友のブサ妹レイプ話をちょっと思いだして欲しい。もしもあの親友の告白が事実としたら、
そのようなレイプを受けたブサ親友妹が、上記のような雑誌を読んでいると言うことは、いかなる意味を持つのだろうか?

もちろん、主人公はこのような妹キャラ達をみても、バカにするとまでは言わないけれど、どちらかというと「ガキ」のやっていることだと舐めてかかる。。
これは、エロゲの近親相姦シナリオのお約束であるが「妹の「好き」は兄に対する「好き」を、異性としての「好き」と錯覚しているだけだ」と決めて掛かるわけだ。
このシーンも不思議と笑いが起こってくるところである。何故なら、主人公だって自分の姉貴に対する欲望を「錯覚」と自嘲していながらも、
その欲望を止められないのに、妹に対して軽く相手の欲望を「錯覚だ」と決めつけてしまうからである。
そして、とうの妹自身について言えば、あまりにもバカな為、自分の欲望が「錯覚」か「本当の欲望」なのかはわからないときている。
主人公が考えすぎなのか、いや、主人公がまだ考えが足りないのか、それとも妹のように性的欲望については何も考えないのが正解なのか。
そんな難しい悩みも考える暇はなく、ブレーキのぶっ壊れた自転車のように物語は坂道を転がり落ち、妹は主人公に媚薬を飲ませて、
主人公のティムポはマシンガンの如くぴゅっぴゅと暴走していくわけだ。

けっきょくのところ、どのルートを選んでも、主人公は自分以外のキャラクターたちの性癖をよく理解できずに、彼女たちとのハッピーエンドを迎える。
ことにトゥルーエンドに至っては、あれだけ理論武装をしていた主人公が実は一番アホの子だったのでは?と思わせる内容だ。
僕らは彼ら登場人物達のさまざまな性癖に対して、多分、どれも「興奮する」や「抜く」といったコミットメントができずに、
小学生が歌うバカっぽい「おまんこの歌」を聞くように、さまざまなエッチシーンを見るしかないだろう。
こんなに楽しい絶対的に不毛なエロ茶番劇の先に、僕らが得るものがあるとしたら……

「基本的にこの法律というのはペドファイル小児性愛者との戦いでございますから」

と言った言葉を聞いてバカ笑いが出来るようになったのなら、それはそれで上出来ではないかなーとはおもう。
藤崎氏には是非、ペドファイル小児性愛者とバカ国会議員がお下品にガチバトルする変態セクシャリティ大戦争長編を書いて頂きたいモノである。
それまで、エロゲーが国の規制によって滅んでいなかったら。

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